2017年10月25日

年収300万円時代に突入している日本

 年収300万円時代というのは日本経済ではよく使われる言葉である。現代の日本社会は経済発展を続ける一方で賃金は下がり続けており、やがて日本国民の年収は300万円程度になると言われる。実際に1990年以降は日本国民の年収は下がり続け、戻ることなく現在に至っている。平成26年においては、年収300万円以下の人口が全給与所得者の4割を占めている。
 4割と言ったが正確には40.9%。つまり日本の労働人口の40.9%は年間の収入が300万円以下であるという結果なのだ。代表的な理由はやはり不況。この不況によって経済活動自体が衰えていることに加え労働者層にも変化が見られる。非正規社員やパートタイマーなどの労働者が増加し、熟練労働者に代えて海外から来た外国人を雇用することによって人件費が下落したことが大きく影響しているといえる。
 また急激な高齢化が進む中、現役を退いた高齢者が増える一方で子供の数は少なく、生産労働人口がどんどん減少し労働力不足に陥っていることも理由の1つだ。
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貧困とは?

 そもそも貧困とは何なのだろうか。どれぐらいの数の人々が貧困状態なのか。
 貧困の定義や指標については、いろいろな考え方があるのだが、よく使われるのは、金銭的な指標を用いた「絶対的貧困」と「相対的貧困」である。
 アジアの一部や、アフリカのかなりの国々では、その日の食べ物に困る、まともな衣類や生活用品を買えない、住まいもない、といった人々が大勢いる。最低限の衣食住も満たせず、生きていくこと自体が厳しい状態、それが「絶対的貧困」である。たとえば世界銀行は、1日の生活費が1.25ドル未満(物価水準や為替レートを考慮した購買力平価換算)を指標とし、そのレベルの人口が2010年時点で12億人(20.6%)にのぼるとしている。
 それに比べると、日本は全体としては経済的に豊かだと言われる。しかし、物の値段や住まいの確保にかかる金額が違うし、そもそも一般的な生活水準が違っている。
 そこで、先進国や中進国では「相対的貧困」という考え方が用いられることになる。「その社会のほとんどの人々が享受している習慣や行為ができない状態」という意味だ。
 現代の日本で、1日3食まともに食べられない、テレビも冷蔵庫も電話もない、という暮らしなら、誰もが「貧乏」と思うだろう。路上生活の場合、アルミ缶集めなどで月3万円ぐらい稼いでいる人はけっこういて、世界銀行の絶対的貧困のラインに比べると、はるかに多いわけだが、その程度の収入で、アパートを借りて普通に生活していくのはとても無理なのである。
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2017年10月24日

貧困とは?

 そもそも貧困とは何なのだろうか。どれぐらいの数の人々が貧困状態なのか。
 貧困の定義や指標については、いろいろな考え方があるのだが、よく使われるのは、金銭的な指標を用いた「絶対的貧困」と「相対的貧困」である。
 アジアの一部や、アフリカのかなりの国々では、その日の食べ物に困る、まともな衣類や生活用品を買えない、住まいもない、といった人々が大勢いる。最低限の衣食住も満たせず、生きていくこと自体が厳しい状態、それが「絶対的貧困」である。たとえば世界銀行は、1日の生活費が1.25ドル未満(物価水準や為替レートを考慮した購買力平価換算)を指標とし、そのレベルの人口が2010年時点で12億人(20.6%)にのぼるとしている。
 それに比べると、日本は全体としては経済的に豊かだと言われる。しかし、物の値段や住まいの確保にかかる金額が違うし、そもそも一般的な生活水準が違っている。
 そこで、先進国や中進国では「相対的貧困」という考え方が用いられることになる。「その社会のほとんどの人々が享受している習慣や行為ができない状態」という意味だ。
 現代の日本で、1日3食まともに食べられない、テレビも冷蔵庫も電話もない、という暮らしなら、誰もが「貧乏」と思うだろう。路上生活の場合、アルミ缶集めなどで月3万円ぐらい稼いでいる人はけっこういて、世界銀行の絶対的貧困のラインに比べると、はるかに多いわけだが、その程度の収入で、アパートを借りて普通に生活していくのはとても無理なのである。
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生活保護という政治ゲーム

 生活保護費のなかの生活扶助費を3年間で平均6.5%、最大で10%削減されることになった。そこで、生活保護者らによって保護費減額の決定に対する不服申立として都道府県知事へ審査請求が行われている。この不服申立は全国で1万人規模になるともいわれており、大きな問題に発展している。もちろん処分を下した都道府県知事も厚生労働省の基準に従って決定しただけだからどうしようもないということにされかねない。おそらく結局審査請求は破棄されることになるだろう。その後は厚生労働大臣に再審査請求するか、処分の取消を求めて裁判所に提訴するのが法が求める段取りなのである。
 今に始まった議論ではないが、生活保護者に対する批判の中には誹謗的な批判があり、ある自治体では相談に行った住民に風俗店で働くように促した例があるという話も聞く。別に風俗店で働くことがイケナイコトとは思わないが、受給を認めてもらうためには自立のためのあらゆる可能性を検討しなければならないのだ。
 現在生活保護関連の予算は4兆円前後あるとされており、もちろんこれらは国民の税金から拠出されているわけだから普通に働いている労働者からは批判があってもしかないかもしれない。しかし、不正受給の問題は別にして、ほとんどの受給者は法律に基づいて受給しているわけだから、ゲームのルールに則っている限り何の問題もないハズなのだ。これを「既得権益」だと批判するのは簡単だが、そもそも税金という権威的な資源の分配は性質上そのほとんどが「既得権益」なのだ。そのパイを奪うために自己の権利を主張して恩恵に与ろうとするのが、政治が支配する世界で生きる知恵なのかもしれない。憲法で認められた「生存権」を主張し、自らのプライバシーを自治体に明け渡して保護を得ることが自分の生活とってプラスになると判断したから保護を受けているまでなのだ。
 保護費引き下げはまさにこの「既得権益」を脅かすものだから、対抗しようと行動するのは当たり前なのだ。憲法の定める「健康で文化的な最低限度の生活」というのはあまりに規定が漠然としているために、どの程度の保護が適当なのか統一した結論が出るわけがない。なので、延々と「既得権益」をめぐる議論はおさまることはない。みんな自分が大事なので自分の既得権益には甘いが、他人の既得権益には厳しいのだ。
 ちなみに、この日本を維持していくために必要な費用(租税・保険料)の合計を人口全体で割ると1人約100万円となる。1人当たりの国税と地方税合計で約55万円、保険料の合計で45万円。国民所得に対して約40%だから非常に大きな既得権益の塊なのである。しかし、稼ぎの4割を実際に払っている人はごく一部。実際に100万円以上おさめている一家の大黒柱の人も、配偶者や子供の分まで含めるとこの基準をクリアしている人は一部ではないか。世帯当たりの平均所得が530万円なので、奥さんと子供2人の家庭で400万円以上負担できるのは限られた家族だけなのだ。生活保護者からすると、程度の差はあれ大多数が何かしらの「既得権益」に乗っかっているわけだから、自分たちだけ批判される覚えはないと考えていてもおかしくはない。このように1人当たりの社会的コストの大部分高所得者を押し付けられる社会では、そもそも普通の人は相当有利なので十分「既得権益」側なのである。この「既得権益」を正当化するために現在の「1人一票」の民主主義制度が発明されたいっても過言ではないのではないか。お金持ちもそうでない人も等しく一票で、大多数の人がお金持ちではないわけだから、多くの人が都合の良いルールや税制度をつくるだけで納税額以上のリターンが期待できるのである。
 もちろん、「お金持ちじゃない人」というざっくりとした括りの下にはもっと細かい利益の形をもつ人やグループがいる。「特定の産業に従事している人」や「所得が少なくて貧しい人」、「何かしらのハンディキャップを背負った人」などの無限といっていいほどの種類の人間たちの欲望があり、それぞれが都合良く思い思いの主張をして、それが選挙の際の一票に反映されるのだ。「政治家」の役割の1つは国民を代表して行政が集めた「税金」を適正に使っているかをチェックすることだが、そもそも「政治家」も1つの職業集団で既得権益をもっているのだからよりゲームが複雑になってくる。いくら高潔な考えや理想を持って政治をしていても、落選してしまえば理想を実現することはできないわけだから、十分に自分を当選させられるだけの有権者がいる特定の「既得権益」を持つグループの利益を代表するのは有効な戦略なのだ。「政治家」の実力とはいかに自分を議会に通してくれる有権者の「付託」に報えて、限りある国家予算からできるだけ多くの金を引っ張ってくるかにかかっているのである。正面切ってカネくれと騒いでるだけでは見え方が悪いので、きちんともっともらしい理屈を捻り出したり、安易にバレないような方法で利益を移転させることが政治手腕で、政治家としての「節度」であるわけだ。
 こうして、減税や国家運営のための経費を削減する政策が実行されることはほとんどないし、誤魔化しきれない分は国債として将来世代に負担を押し付けるのである。これは政治家の善悪の問題というより、民主主義制度を維持するためのコストということになる。一方で「政治家」を議会に送れるほど大量の有権者集団を集めることができない「利益」しか持ち合わせていない有権者にとってはこんなゲームに参加しても何の意味もないわけだから、投票なんかに行かずに遊びにいったり、別のコトする方が合理的ということになる。市民として政治に参加することが大切なのは確かに学校で教わったかもしれないが、有限の人生で自分とは関係ないことにいちいち関わっている時間はそうないし、そもそもそういう人たちにとって「既得権益」の奪い合いの議論自体が茶番劇もはなはだしいのだ。
 生活保護の根拠は憲法にも規定のある強力な「権利」である。そしてもちろんその費用は「税金」から拠出される。そこで、最低限度の生活にも困っていないし、多額の税金を納ているわけでもない人たちにはこのゲームはどのように映るのだろうか。
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2017年10月21日

生活保護という政治ゲーム

 生活保護費のなかの生活扶助費を3年間で平均6.5%、最大で10%削減されることになった。そこで、生活保護者らによって保護費減額の決定に対する不服申立として都道府県知事へ審査請求が行われている。この不服申立は全国で1万人規模になるともいわれており、大きな問題に発展している。もちろん処分を下した都道府県知事も厚生労働省の基準に従って決定しただけだからどうしようもないということにされかねない。おそらく結局審査請求は破棄されることになるだろう。その後は厚生労働大臣に再審査請求するか、処分の取消を求めて裁判所に提訴するのが法が求める段取りなのである。
 今に始まった議論ではないが、生活保護者に対する批判の中には誹謗的な批判があり、ある自治体では相談に行った住民に風俗店で働くように促した例があるという話も聞く。別に風俗店で働くことがイケナイコトとは思わないが、受給を認めてもらうためには自立のためのあらゆる可能性を検討しなければならないのだ。
 現在生活保護関連の予算は4兆円前後あるとされており、もちろんこれらは国民の税金から拠出されているわけだから普通に働いている労働者からは批判があってもしかないかもしれない。しかし、不正受給の問題は別にして、ほとんどの受給者は法律に基づいて受給しているわけだから、ゲームのルールに則っている限り何の問題もないハズなのだ。これを「既得権益」だと批判するのは簡単だが、そもそも税金という権威的な資源の分配は性質上そのほとんどが「既得権益」なのだ。そのパイを奪うために自己の権利を主張して恩恵に与ろうとするのが、政治が支配する世界で生きる知恵なのかもしれない。憲法で認められた「生存権」を主張し、自らのプライバシーを自治体に明け渡して保護を得ることが自分の生活とってプラスになると判断したから保護を受けているまでなのだ。
 保護費引き下げはまさにこの「既得権益」を脅かすものだから、対抗しようと行動するのは当たり前なのだ。憲法の定める「健康で文化的な最低限度の生活」というのはあまりに規定が漠然としているために、どの程度の保護が適当なのか統一した結論が出るわけがない。なので、延々と「既得権益」をめぐる議論はおさまることはない。みんな自分が大事なので自分の既得権益には甘いが、他人の既得権益には厳しいのだ。
 ちなみに、この日本を維持していくために必要な費用(租税・保険料)の合計を人口全体で割ると1人約100万円となる。1人当たりの国税と地方税合計で約55万円、保険料の合計で45万円。国民所得に対して約40%だから非常に大きな既得権益の塊なのである。しかし、稼ぎの4割を実際に払っている人はごく一部。実際に100万円以上おさめている一家の大黒柱の人も、配偶者や子供の分まで含めるとこの基準をクリアしている人は一部ではないか。世帯当たりの平均所得が530万円なので、奥さんと子供2人の家庭で400万円以上負担できるのは限られた家族だけなのだ。生活保護者からすると、程度の差はあれ大多数が何かしらの「既得権益」に乗っかっているわけだから、自分たちだけ批判される覚えはないと考えていてもおかしくはない。このように1人当たりの社会的コストの大部分高所得者を押し付けられる社会では、そもそも普通の人は相当有利なので十分「既得権益」側なのである。この「既得権益」を正当化するために現在の「1人一票」の民主主義制度が発明されたいっても過言ではないのではないか。お金持ちもそうでない人も等しく一票で、大多数の人がお金持ちではないわけだから、多くの人が都合の良いルールや税制度をつくるだけで納税額以上のリターンが期待できるのである。
 もちろん、「お金持ちじゃない人」というざっくりとした括りの下にはもっと細かい利益の形をもつ人やグループがいる。「特定の産業に従事している人」や「所得が少なくて貧しい人」、「何かしらのハンディキャップを背負った人」などの無限といっていいほどの種類の人間たちの欲望があり、それぞれが都合良く思い思いの主張をして、それが選挙の際の一票に反映されるのだ。「政治家」の役割の1つは国民を代表して行政が集めた「税金」を適正に使っているかをチェックすることだが、そもそも「政治家」も1つの職業集団で既得権益をもっているのだからよりゲームが複雑になってくる。いくら高潔な考えや理想を持って政治をしていても、落選してしまえば理想を実現することはできないわけだから、十分に自分を当選させられるだけの有権者がいる特定の「既得権益」を持つグループの利益を代表するのは有効な戦略なのだ。「政治家」の実力とはいかに自分を議会に通してくれる有権者の「付託」に報えて、限りある国家予算からできるだけ多くの金を引っ張ってくるかにかかっているのである。正面切ってカネくれと騒いでるだけでは見え方が悪いので、きちんともっともらしい理屈を捻り出したり、安易にバレないような方法で利益を移転させることが政治手腕で、政治家としての「節度」であるわけだ。
 こうして、減税や国家運営のための経費を削減する政策が実行されることはほとんどないし、誤魔化しきれない分は国債として将来世代に負担を押し付けるのである。これは政治家の善悪の問題というより、民主主義制度を維持するためのコストということになる。一方で「政治家」を議会に送れるほど大量の有権者集団を集めることができない「利益」しか持ち合わせていない有権者にとってはこんなゲームに参加しても何の意味もないわけだから、投票なんかに行かずに遊びにいったり、別のコトする方が合理的ということになる。市民として政治に参加することが大切なのは確かに学校で教わったかもしれないが、有限の人生で自分とは関係ないことにいちいち関わっている時間はそうないし、そもそもそういう人たちにとって「既得権益」の奪い合いの議論自体が茶番劇もはなはだしいのだ。
 生活保護の根拠は憲法にも規定のある強力な「権利」である。そしてもちろんその費用は「税金」から拠出される。そこで、最低限度の生活にも困っていないし、多額の税金を納ているわけでもない人たちにはこのゲームはどのように映るのだろうか。
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2017年10月19日

厳しい運用、冷たい対応、恥の意識……

 生活保護の捕捉率の低さは、制度があっても利用しにくいことを示している。
 なぜ、そうなるのか。1つは資産要件の運用の厳しさ。現金・預貯金が保護基準の1ヵ月分より多いと申請しても通らない。クルマの保有は求職・通勤・通院などの事情がないと認められず、車がないと日常生活が不便な地域では大きなネックになっている。
 福祉事務所の対応も問題。利用できないと思わせる説明を職員がすることや、冷たい態度を取ることがすくなくない。
 生活保護の利用には、原則として本人の申請が必要。けれども政府・自治体の広報は不十分で、制度の正しい知識・理解が伝わっていない。それどころか、恥の意識が社会に広く存在している。申請後、親族に対して、申請者を援助する意思があるかどうかを問い合わせるのも、利用しにくくする壁になっている。生活が苦しくても我慢する人が多いわけである。とりわけ住民同士が互いをよく知るムラ的な風土の地域では、心理的な抵抗感が大きい。
 必要なときに生活保護を利用することは、憲法上の権利である。遠慮しないで利用できるよう、まずは行政からの積極的な周知広報を行うことが重要ではないか。多分やらないだろうが…。
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2017年10月17日

研究者の推計でも、捕捉率は2割に満たない

 生活保護基準で線引きした貧困率や捕捉率については、1990年代から何人かの研究者が推計してきた。その多くは、所得のみの判定で10%から20%の間だった。
 最近では、山形大学の戸室健作准教授が、総務省「就業構造基本調査」のデータをもとに、生活保護基準で見た貧困率、捕捉率を都道府県別に計算した(「都道府県別の貧困率、ワーキングプア率、子どもの貧困率、捕捉率の検討」)。
 それによると、所得のみで判定した2012年の捕捉率は、全国平均で15.5%でした。厚労省の推計と、ほぼ一致している。都道府県別で高いのは大阪23.6%、北海道21.6%、福岡20.0%、東京19.7%、高知18.7%の順。低いのは富山6.5%、長野6.6%、山梨7.1%、岐阜7.9%の順。かなりの地域差があるが、高くても2割台にすぎない。
 戸室准教授の計算は生活扶助、住宅扶助、教育扶助、一時扶助の合計額で判定しており、医療扶助、高校就学費などは入っていないので、実際の捕捉率はもう少し低いはず。
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所得のみで15%、資産を考慮して32%の捕捉率?

 現実の保護世帯数を、保護基準以下の世帯数で割った数字は、次の結果である。
 ・所得のみで判定した場合   D/(B+D)=15.3%
 ・資産も考慮して判定した場合 D/(C+D)=32.1%
 親族の援助など他の要素もあるので、正確な意味での捕捉率にはならないと厚労省は説明したが、1つの目安にはなる。
 ただし、ここで用いた保護基準額は、生活扶助、教育扶助、高校就学費の合計。住宅扶助、医療扶助などは、この計算上の保護基準額に入っていないので、実際の低所得世帯はもっと多く、生活保護による捕捉率はもっと低いと考えられる。
 厚労省は「同様の調査を定期的に実施し、その動向を把握していく」と説明していたが、その後、こうしたデータ分析は公表されていない。
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2017年10月16日

所得のみで15%、資産を考慮して32%の捕捉率?

 現実の保護世帯数を、保護基準以下の世帯数で割った数字は、次の結果である。
 ・所得のみで判定した場合   D/(B+D)=15.3%
 ・資産も考慮して判定した場合 D/(C+D)=32.1%
 親族の援助など他の要素もあるので、正確な意味での捕捉率にはならないと厚労省は説明したが、1つの目安にはなる。
 ただし、ここで用いた保護基準額は、生活扶助、教育扶助、高校就学費の合計。住宅扶助、医療扶助などは、この計算上の保護基準額に入っていないので、実際の低所得世帯はもっと多く、生活保護による捕捉率はもっと低いと考えられる。
 厚労省は「同様の調査を定期的に実施し、その動向を把握していく」と説明していたが、その後、こうしたデータ分析は公表されていない。
posted by GHQ/HOGO at 08:24| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

生活保護の大問題は低すぎる捕捉率

 日本の生活保護で最も大きな問題は何だろうか。貧困状態なのに、利用していない人がたいへん多いことではないか。
 生活保護では、世帯の人数、年齢、地域に応じた最低生活費を算出し、それに医療費など個別事情によって必要な費用を加えた額が、その世帯の生活保護基準額となる。それより収入が少なく、利用できる資産を加えても足りないときは、保護を利用できる。
 生活保護基準を下回る経済状態の世帯のうち、現実に生活保護を利用している割合を「 捕捉率 」と呼ぶ。社会のセーフティーネット(安全網)である生活保護制度が、その対象になりうる世帯をどれぐらいキャッチしているか、という意味である。
 厚生労働省の推計でも研究者の推計でも、捕捉率は、所得だけで判定すると1〜2割、資産を考慮しても2〜3割にとどまる。残りの7〜8割は、とても貧しい生活水準に置かれているわけである。憲法25条の定める生存権(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)の保障が行き届いていないと言わざるを得ない。
posted by GHQ/HOGO at 09:27| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする