2019年05月11日

そもそも生活保護とは何か?

 経済的に貧困になって困っている人々を、国家の責任(税財源)で助けるのが公的扶助制度。日本では、生活保護制度がそれにあたる。
 日本が経済成長を続け、社会保障制度の整備が進んでいた間は、あまり注目されない分野だったのだが、10数年前から、しばしば社会的に取り上げられるようになっした。貧困の拡大にともなって、生活保護を受ける世帯が増えてきたためである。
 それに対して、生活保護が増えると財政負担が大変である、保護を受ける人たちは何もせずにお金をもらっていてけしからん、といった主張をする人たちもいるます。
 しかし、もし生活保護制度がなかったり、制度の運用を締めつけて保護を受けにくくしたりすると、どんな事態が起きるのうか。ホームレス状態の人々が路上や公園にあふれる。自殺する人や餓死する人が相次ぐ。病気になっても医療を受けられずに亡くなる。貧しい子供たちが学校へ通えない――実際、それに似た状況がこの間、日本にあった(なぜか日本では犯罪の多発にはつながっていないが…)。
 何のために生活保護制度があるのか。必要があって制度を利用する人のためにも、社会的な政策のあり方を議論するためにも、基本的な理念や役割を理解しておくことが大切ではないだろうか。
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2019年05月10日

デジタル革命が格差の収束を反転させる恐れも

 実は資本主義はもう1つ、見方によっては非常に恐ろしい問題を抱えている。
 いわゆるデジタル革命の急速な進展によって、「デジタルの富をどう配分するか」という新たな課題が生まれてきた。米国アップルの株式時価総額は1兆ドルを突破しているが、そのアップルをはじめとする米国の大手IT企業は、稼いだお金を株主還元や内部留保に回す傾向が強く、一人勝ちによる利益独占が批判の的になっている。
 そして、デジタルの問題が本当に深刻化するのは、むしろこれからではないか。一部の専門家は、いま世界中で開発が急がれているAI(人工知能)やビッグデータの分析・応用技術などを通じて、ゆくゆくは「デジタル資本主義」とでも呼ぶべき経済の新段階が到来すると予測している。
 例えばAIの普及については失業者の増加やさらなる格差拡大を懸念する声もあるが、どちらかといえば生産性の飛躍的な向上が人口減少問題の解決につながるといった楽観的な見方のほうが多い。一般市民の間でも、経済や産業のデジタル化がもたらす利便性を好意的にとらえている人が多いのではないだろうか。
 政治リスク関連のコンサルティングを手掛けるユーラシア・グループのイアン・ブレマー社長は、将来的にデジタル革命がさらに進むと、これまで長い時間をかけて実現してきた豊かな国と貧しい国との間の「富の収束」が反転することになりかねないと警鐘を鳴らしている。特に危惧されるのが、社会のセーフティーネットが先進国ほど整っていない新興国や途上国の雇用についてだという。
@外資の導入なども含めて都市部の開発が進む A若者を中心に雇用の受け皿が多い都市部へと人口が移動する、B安価で豊富な労働力を求めて海外企業が進出してくる、C労働者が賃上げと労働条件の改善を要求するようになる、D技術革新により製品やサービスの付加価値が高まり、賃金はさらに上昇して中間層が生まれる。
 経済発展の初期段階における低賃金は、貧しい国や人々が豊かになっていくのを助ける効力があるわけだが、AIなどによる社会の徹底した自動化や効率化は、低賃金の優位性を大幅に低下させることになるだろう。AIなどが浸透する時代には、人々の雇用には高度な教育や訓練が必要となるが、そのための新たな教育制度や労働者の再訓練を実現できるのは豊かな国だけに限られそうだ。
 貧困から脱出して豊かになる道がふさがれたとき、多くの新興国や途上国で若い世代が労働力から政治的な脅威へと変わる可能性がある。場合によっては社会・経済システムそのものに反旗を翻す恐れもあり、資本主義は生産性や効率性を追求する代償として、大きなリスクを抱えることになるかもしれない。
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2019年05月08日

21世紀に入って表面化してきた負の側面

 資本主義の現在を象徴するキーワードとして「強権」と「独占」を挙げることができる。強権というと多くの人は、トランプ米大統領が掲げる自国第一主義のように、ポピュリズム(大衆迎合主義)に基づいた身勝手で非寛容な政治や外交を思い浮かべるかもしれんない。ただし元をたどれば、そのポピュリズムを醸成して広めたのは資本主義そのものだったのではないのか。
 10年前の2008年に発生したリーマン・ショックと世界金融危機では、それまで巨額の利益を上げてきたウォール街や欧州の金融機関が一時的に大損失を被ったにもかかわらず、各国政府の支援を受けてすぐに立ち直り、結果として損失を国民に押し付けた格好になった。その後も世界中の大企業が税制の抜け穴を使って節税に励む様子が発覚するなど、21世紀に入って以降、一般市民が不公平感を募らせるような資本主義の“負の側面”が目立つようになっている。
 それをひと言で表すなら「富や既得権益の独占」ということになるが、こうした独占は場合によっては産業構造や社会環境、さらには人々の生活様式まで無条件に変えてしまう力を持ち得るため、ある意味で非常に強権的ということもできる。資本主義はそれ自体が強権と独占につながりかねない性質を潜在的に備えているわけだ。
 資本主義の負の側面が表面化するに従って、最近では民主主義の後退や衰退を危惧する声が多く聞かれるようになってきた。これについては、歴史学者の朝河貫一氏の考え方が参考になるだろう。いわく「民主主義は最も高度で困難な政体である。個人が責任感や道義心、寛容の精神を持たなければ、地盤が緩んでしまう」。
 朝河氏の考え方はポピュリズムやナショナリズム(民族主義)が伸長する政治の世界にとどまらず、資本主義のメインプレーヤーである資本家や投資家、株主、企業人たちにも現時点でそのまま当てはまるのではないか。
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2019年05月06日

生活保護は、誰のためにあるのか?

 生活保護バッシングが吹き荒れるわずか数ヵ月前。2012年1月。札幌市白石区のとあるマンションの一室で、2人の女性の遺体が発見された。部屋に住んでいたのは40代の姉妹。
 料金滞納で電気・ガスは止められ、冷蔵庫のなかは空っぽ。ちなみに42歳の姉は脳内出血で病死、そのあとに亡くなった知的障がいのある40歳の妹はやせ細った状態で凍死していたという。
 そして実は、その後の報道で、この姉妹が約1年半前から3回にわたり区役所へ生活相談に訪れていたことが判明した。
 しかし、結果的に生活保護の申請にはいたらず、2回目の相談にいたっては非常用のパンの缶詰を交付されたのみだったことがわかった。遺された姉の携帯電話には「111」の発信記録が何度も残されていたと言う。知的障がいを持つ妹が、姉が倒れたあとに、何度も何度も、救急や警察などの助けを求めようとしたのだろう。
 そして、その声は届かなかった。
 生活保護は、本当に過剰に支給されてきたのだろうか。手厚すぎたのだろうか。
 少なくとも、必要な人に支援はまだ届いていない。
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2019年05月05日

脆弱なセーフティネット

 2012年8月に制定された「社会保障制度改革推進法」は、この国の社会保障の将来的な方向性を定めたものであるが、附則の第2条には、生活保護をはじめとする生活困窮者施策に関して次のような記述がなされている。
 1項においては、「不正受給対策の強化」「生活保護基準の見直し」「就労の促進」が掲げられ、2項においては、「貧困の連鎖の防止」「就労可能層への支援制度の構築等」が明記されたのだ。そして、この記述をもとに、「不正受給対策の強化」としては、2013年12月に生活保護法の改正、そして「生活保護基準の見直し」としては、2013年8月より生活扶助基準(生活保護の生活費分)の段階的な削減が断行され、2年後の2015年7月からは住宅扶助および冬季加算の削減も行われた。
 「就労の促進」については、2013年5月に「就労可能な被保護者の就労・自立支援の基本方針」という通知により、稼働年齢層(15歳から64歳まで)の生活保護利用者に対し、生活保護開始から3〜6ヵ月以内に、低額でも必ずいったん就労することが求められるようになった。
 そして、「貧困の連鎖の防止」に関しては、2013年6月に成立した「子どもの貧困対策法」に、「就労可能層への支援制度の構築等」に関しては2013年12月に成立した「生活困窮者自立支援法」へとつながっていく。
 この「社会保障制度改革推進法」は、社会保障の税源を明確化したり、国の責任や方針を明らかにした、という意味では評価ができるかもしれない。しかし、生活保護をとりまく最低生活保障の部分に関しては、正直、かなり厳しい内容となった。
 生活保護は文字通り、生活に困ったときの最後の砦。その最後のセーフティネットが、財政的にかなり削られてしまうことになった。210万人を超える人の生活に大きな影響をもたらしたほか、今後の生活保護をめぐる議論にも大きな影を落とした。
 生活保護バッシングが吹き荒れた2012年は、良くも悪くも生活保護をとりまく環境を一変させた最初のきっかけとなったのだ。
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2019年05月04日

210万通りの貧困?

210万人以上が利用する生活保護制度。日本人の約60人に1人が使っている計算なのだ。単純に考えたら、いま歩いている新宿駅のホームにだって何十人も生活保護利用者がいることになる。みんながみんな駅で寝ているホームレスのおじさんのように、一目で困窮しているのがわかるような人ばかりではない。イメージとはかけ離れた人たちがたくさんいる。
 ホームレスのおじさんが言っていた「あんなやつら」というのは、ホームレスの人や生活困窮者、生活保護利用者の一部でしかないし、同様に、あのイベントで話していた女性のような、やむにやまれぬ事情で生活保護に支えられている人も、やはり一部に過ぎない。210万通りの貧困のかたちが、たぶんあるんだ。
 考えれば考えるほど、頭が痛くなってくる。1人ひとりが置かれている状況や歩んできた道のりは違う。1人として同じ人はいない。そんなの当たり前のことなのに、どうしてもわかりやすいかたちを求めたがる。そのほうが、誰を助けるか、誰を助けないのかの判断が楽だからだ。
 そして、どう見ても困った状態にある人でも、誰が見てもかわいそうな状況にある人であっても、次の瞬間には、自己責任としか言いようのない、眉をしかめたくなるような行動を起こすことがある。そういった状態をたくさん見てきたので、ある程度は裏切られることもあると割り切っている。、それは当たり前のことだからである。
 彼らにかわいそうなふるまいを期待するのはたぶん、いつだってこちの側なのである。
 「生活保護=こんな人」「貧困=こんな感じ」なんて図式は成立しない。1人ひとりに向き合うしかない。そして、それと同時に、制度や政策、社会の仕組みについてはある程度、普遍化していく必要がある。たとえば「○○な人が多いから××な政策を」というように、焦点を絞る必要があるのだ。
 相反するものをどうやってまとめていったらいいのか。そして、どのように貧困という目に見えない問題をとらえていけばいいのか.。
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2019年05月02日

「あんなやつら」って、誰だ?

 「生活保護、ありがとう」
 ある支援団体が主催するイベントで登壇した女性は、現在、生活保護利用中だという。彼女は震えながらも、自分の気持を壇上から伝えた。
 「私は病気になりました。支えてくれる人もいないし、頼れる人もいなかったです。だから生活保護を利用しました。生活保護に助けられて、支えられて、いま生きています。もし生活保護がなかったら、いまの私はありません。そして、この制度を必要とする人は、これからもたくさんいると思います….」
 彼女の言葉に異議を唱える人が、どれくらいいるだろうか。必要な人が必要な制度を利用する。それは、当たり前のことだ。きっと、誰もが賛同するに違いない。でも、必要か必要でないか。この2つの間に、どれほどの違いが、どれほどの差があるのだろうか。正しい線引きは、誰がしてくれるのだろう….。
 イベントが終わったあと、新宿の夜回りにそのまま参加した。すると突然、10年以上もホームレス生活をしているなじみの男性に話しかけられた。
「おお、大西、お前が出ている新聞の記事を読んだぞ。若造のくせに偉そうなことぬかしやがって。だいたいなあ、生活保護なんて怠けているやつが使ってんだ。俺はたくさんそういうやつを知ってるぞ。あんなやつらと一緒にされたらたまらねえ。だから俺は生活保護が大っ嫌いなんだ」
 彼は吐き捨てると、新宿東口のサブナードに続く階段を下っていった。酔っ払っていたのか、語気が少し荒かった。多くの人が叫ぶほど、本当にいまの生活保護制度は必要でない人が過剰に利用しているのだろうか。ほとんどの人は本当にそれが必要な状況だった。もちろん、なかには眉をしかめるたくなる人もいたけれど、それは一部も一部だし、その人にもきっと、それを必要だと思った背景や事情があったはずである。
 おじさんが言っていた「あんなやつら」って、いったい誰のことなのだろうか。彼の知っている人には、それこそ不正受給しているような「あんなやつら」がたくさんいるのだろうか…..。もし、「あんなやつら」が本当にたくさんいるのなら、それこそその人たちを取り締まり、制度設計だってきちんと適切なものにしていくべきだ。
 しかし、イベントで話していた女性のように、どうしようもない事情の人もいる。それに、彼女は持病があると言っていたが、見た目には健康そのもののようだった。生活保護の利用者であることを打ち明けられなければ、まったく気がつかなかったかもしれないのだ。
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2019年05月01日

転換点は「税と社会保障の一体改革」

 「生活保護は最後のセーフティネットだ」
 「国は当事者の声を聞け」
 生活保護バッシングが吹き荒れるなか、もやいをはじめとする支援団体、法律家などは生活保護についての誤解や偏見が広がらないようにと、さまざまなアクションを起こした。議員会館に出向いて国会議員に直接生活保護利用者の声を届ける活動をしたり、生活保護バッシングにより不安に感じている人への相談会を開いた。
 しかし、生活保護の利用者が、つまり当事者が声をあげるというのは並大抵のことではない。身近な人、近所の人に知られたら恥ずかしい、世間の目が怖い、フクシのケースワーカーにいやがらせをされるんじゃないか.….。
 彼ら・彼女らの生活を支えていたのは、まぎれもない「生活保護」そのものなのだ。だからこそ、それを支給してくれる国や納税者である世間に対して声をあげる勇気を持つ人は、本当に少なかった。
 ただ、一部のメディアは彼らの声を報道した。しかし、残念ながら、そういった声は必ずしも政策に反映されたとは言えない。
 「わかりました。いただいたご意見はしっかりと検討させていただきますから…」
 「必要な人が生活保護を受けることについては、何も反対なんかしていませんよ。あくまで、悪質な事例に対処するために生活保護制度の改革が必要なんです」
 官僚も政治家も、話は聞いた。ただし、それは本当に、聞いてくれただけだった。
 こうして2012年8月、「税と社会保障の一体改革」の名のもとに、「社会保障制度改革推進法」をはじめとする関連8法案が可決された。この法案は、日本の社会保障を、そして生活保護をはじめとした生活困窮者支援施策にとって、大きな転換点と言えるものだった。 この時ほど、自分たちの無力さを痛感した人は少なくなかった。
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2019年04月30日

「支給基準10%カット」の意味するもの

 何より大きかったのが、政治的な動きが目に見えて加速したことだ。
 この一連の生活保護バッシングに大きく関わった国会議員が所属する政党が主宰する生活保護に関するプロジェクトチームでは、生活保護に関する改革案を提言していた。そこでは、支給基準を10%カットすることや、お金ではなく食料などの現物給付にすることなどが盛り込まれたほか、議論のなかでは、就労可能な人は生活保護受給期間を有期にする、などといった話も出た。
 まず、「支給基準の10%カット」。これは、とても大変な話だ。確かに、生活保護が財政を圧迫しているという議論はある。しかし、ある日突然あなたが、会社から給料を10%カットすると言われたら、きっとたまったものではない。
 しかも、生活保護基準というのは生きていくための、ただでさえギリギリの額だ。都内で言うと、生活費だけでも1ヵ月で約7〜8万円かかるだろうか。その10%といえば、相当な重みを持ってくる。多くの人がまっさきに食費を削るだろう。冷暖房を抑えたり、外出をひかえて家に引きこもるかもしれない。高齢者や傷病・障がいを持つ人にとってみれば自体はさらに深刻で、最悪、死活問題になりかねない。
 そして、生活保護基準が下がるということは、最低賃金の下限も下がるなど、生活保護以外のほかのさまざまな制度にも大きな影響を及ぼすのだ。誰にとっても決して他人事ではない。
 次に、食料などの現物支給。これは現実には難しいはずだ。コメの配給にするのか、一部のお店でしか使えないクレジットカードのようなものにするのかわからないが、何を食べるか、食べられるかは人によって違う。それに、そういった配給のほうが間に業者が入って中間マージンをとるなど、余計なコストがかかる可能性が高い。
 最後に、就労可能な人の生活保護を有期にするというものだが、もし仕事先が見つからなかったらその人はどうなるのだろう。僕が知り合ったホームレスや生活困窮者の多くは、可能なら仕事がしたいと希望している人たちだった。しかし仕事が見つからない。有期化の議論は、結果的に生活保護が必要な人を機械的に締め出すことにつながりかねない。
 これらの提案は、あくまで1つの党のなかでの議論に過ぎなかった。しかし、メディアが煽りに煽った生活保護バッシングという潮流は、政策決定の場にまで大きな影響力を持っていくことになる。支援団体は、半ば絶望感を持ちつつも、その流れに抗おうとしていた。
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2019年04月29日

私たちは恥ずかしい存在なのでしょうか?

 メディア等で爆発的に取り上げられるようになったお笑い芸人の不正受給問題は、誰にとっても脅威以外のなにものでもなかった。
 報道合戦が連日繰り広げられ、国会議員までもがそれに参戦し、国会質問のなかでまで取り上げられるようになった。あるワイドショーでは生活保護についての街角インタビューなどもおこなわれたし、お笑い芸人の事例を超えて、生活保護という制度自体についての報道も増えていった。
 ○○市で不正受給があった、××区で生活保護受給者がタクシーで通院していたなど、実際にそれが適法なのかどうかといった検討をおこなうこともなく、「生活保護」や「不正受給」といった言葉がひたすら消費されていった。
 それにともなってか、「不正受給が増えている」「悪質な事例が増えている」「生活保護受給者は怠けている」などの言説が、ネット上にもあふれかえるようになった。
 認定NPО法人もやいが行っている居場所づくりの活動「サロン・ド・カフェこもれび」には元路上生活者や生活保護の利用者の人たちが多く訪れてくる。彼ら・彼女らは、みんな不安な声をあげていた。
 「テレビをつけるのが怖くなりました。出かける時も、周りの人に後ろ指をさされていないかが気になって。最近は引きこもりがちになりましたね......」
 「大家さんに家賃を納めに行ったら、あんたたちは社会の恥だ! って、怒鳴られちゃって......」
 「この前、テレビのクルーがD区のフクシに来ていて、支給日に並ぶ人たちを撮っていたんです。もちろん、モザイクは入るんでしょうけど、それ以来、テレビを見るのが恐ろしくなりましたよ」
 もちろん、なかには深刻に受け止めすぎていたり、なかば妄想じゃないかと思うようなものも含まれていたりしたのだが、でも、現実に彼ら・彼女らの多くが生活保護バッシングに本気で怯え、不安を覚え、日常生活に支障をきたしていた。
「担当のフクシのケースワーカーから、扶養照会について厳しくすると言われました。でも、私はDVで逃げてきたんですよ? 旦那に連絡されるんじゃないかと心配で......」
「私たちは、恥ずかしい存在なのでしょうか。迷惑な存在なのでしょうか。苦しいです」
 電話、ネット問わず、全国からも多くの声が寄せられた。なかには、「死にたい」と言ったきり電話越しで泣き崩れてしまう人もいた。統計で見ると、生活保護利用者の多くは高齢者や傷病・障がいをかかえた人たちだ。精神的な不調に悩まされている人も少なくない。過熱する報道や世間の眼差しによって、健康をより一層害してしまった人もいた。
 そして、もやいにも、「不正受給をほう助している」「生活保護の受給者を増やして税金を無駄使いしている」といった中傷が届くようになった。
「税金を使って生きているやつらを囲って金を巻き上げてるんだろう。偽善者め」
 こういった誹謗中傷は、相談窓口の電話にまで紛れ込んできた。電話対応をしているスタッフやボランティアたちも、どんどん疲弊していった。
posted by GHQ/HOGO at 06:14| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする