2018年11月08日

「一億総中流」は幻想

 高度経済成長が終わって以降の日本において、格差をめぐる階級間の対立で勝利を収め続けてきたのは特権階級の側だった。そしてこの間、日本政府が格差は深刻ではないと言い続けてきたということは、日本政府が特権階級の代弁者であり続けてきたことの、何よりの証拠である。
 1970年代の終わりには、「一億総中流」という言説が流布し、あたかも格差や貧困の問題は日本からなくなったかのような幻想が振りまかれた。たしかに当時、現在に比べれば日本の格差は小さかったが、中小零細企業や零細な農家には依然として深刻な貧困があった。
 そしてまもなく、1980年代に入ったころには格差は拡大し始めていた。しかし「一億総中流」という幻想のもと、格差拡大は放置され続けた。そればかりか、消費税の導入、高所得層の所得説率の引き下げなど、格差拡大を助長する税制の改変が行なわれた。
 1990年代に入ると、一部の経済学者や社会学者が、格差は拡大していると指摘し始めた。しかし、これらはほとんど無視され、政府は逆に格差拡大を積極的に促進するような政策をとり始めた。財界人を中心とするメンバーで構成された経済戦略会議は、日本の社会は、「行き過ぎた平等社会」だと根拠もなく断じ、富裕層減税と低所得者の増税を提言し、これが実行に移された。
 反面、非正規労働者の低賃金と不安定な身分は放置された。そのうえ規制緩和によって、非正規労働者は激増し、巨大なアンダークラスの出現へと至るのである。
 2009年から3年だけ続いた民主党政権が、遅まきながら格差が拡大し、貧困率が上昇しているという事実を認め、対策を取ると明言したこともあり、こうした事実自体は、広く認められるようになった。
 代わって格差を正当化するイデオロギーとして流布し始めたのが自己責任論、つまり収入が低いのは自己責任だから放っておけばよいとする主張である。いまのところ自己責任論の影響力は強く、これが格差縮小に向けた合意形成の最大の障害になっている。
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2018年11月07日

「格差」は隠蔽されたか?

格差・貧困に背を向けた結果、日本は「階級社会」に突入していた。これは、極めて政治的問題だ 。格差拡大が話題になり始めたころ、政府、財界、そして一部のマスコミは、躍起になって格差拡大の事実を否定しようとした。最初の段階では、都合のいい統計データを示しながら、「格差は拡大していない」と言い張った。いくつもの指標が格差拡大を示していることを否定できなくなると、「格差拡大は見せかけだ」と言いだした。
 OECDが、日本の貧困率は先進国のなかで米国に次いで高いと発表すると、「この貧困率の計算方法は日本にはあてはまらない」などと言い張った。さらに統計的な証拠が集まって、格差が実質的にも拡大していることが否定できなくなると、「格差があるのは当然だ」と開き直った。
 こうして政府が、格差拡大と貧困の増大という事実から目を背け、開き直り、対策を怠っているうちに、日本社会は取り返しがつかないほどに変質してしまった。その結果が、新しい階級社会と巨大な下層階級(アンダークラス=パート主婦を除く非正規労働者たち)の出現である。
 ここから明らかなように、格差は政治的な争点である。しかも、それは階級的な利害と密接な関係にある。
 人には日本国憲法で認められた生存権と平等権がある。だから生存権を脅かすような貧困の存在が明らかになれば、政府は対策を取らなければならない。平等権が侵されるほどに格差が拡大していることが明らかになれば、やはり政府は対策を取らなければならない。しかしそのためには、富を特権階級から下層階級へと移転させなければならない。特権階級の利害は脅かされることになる。
 だから特権階級は、貧困の存在も、また格差拡大の事実も認めたくない。特権階級は、自分たちが恵まれた立場にあることを隠すため、いまの社会では格差が小さいと主張する。そうでなくても、格差は許容範囲であり、縮小させる必要はないと主張する。
 このように貧困が存在するか否か、格差は拡大しているか否かといった、社会に対する認識自体が、階級間の対立の争点なのである。
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2018年11月06日

日本のシングルマザーの貧困率が突出して高い理由

 日本は、GDP(国内総生産)で米国、中国に次ぐ世界3位の「経済大国」だ。しかし、その陰では、「シングルマザー」世帯の貧困が先進国でも突出して深刻なのはご存じだろうか。
「経済大国」なのに…日本は豊かな国だろうか。GDPで中国に抜かれたとはいえ、まだ世界3位。れっきとした「経済大国」である。データを見ずとも、日本は先進国に数えられると考える人も多いはずだ。むろん、G7(先進7ヵ国)の中にも日本は含まれており、世界各国からもそのように認識されているだろう。しかし、データを「深読み」していくと、意外な事実が浮き彫りになる。
 厚生労働省の発表した2016年度の「全国ひとり親世帯等調査」によると、日本には約142万の「1人親世帯」がある。内訳は、父子世帯の約18万7000世帯に対し、母子世帯はその6倍以上、約123万2000世帯に上る。ひとり親世帯の9割近くが母子世帯だ。
 注目すべきは、その経済的困窮ぶりだ。OECD(経済協力開発機構)の調査では、ひとり親世帯で、なおかつ親が就業している場合の相対的貧困率(全国民の所得の中央値の半分を下回っている割合)は、日本が54.6%と先進国では頭1つ抜けている。世界でも有数の経済大国にもかかわらず、なぜここまでひとり親世帯の子供の貧困率が高いのだろうか。
 前述の厚労省の調査では、約123万2000の母子世帯のうち、81.8%の母親が就業しているという。しかし、そのうち「正規の職員・従業員」は44.2%に過ぎない。43.8%が「パート・アルバイト等」。「派遣社員」も含め、ほぼ半数の48.4%が非正規雇用だ。母子世帯全体の平均年間収入も348万円にとどまっている。
 同省が発表した16年の国民生活基礎調査によれば、全世帯でみると世帯の平均所得は545万4000円だ。児童のいる世帯に限れば707万6000円に上る。ちなみに、収入から生命保険料や確定拠出年金の掛け金など所得控除される分を差し引いた額が所得金額だ。そう考えると、いかに母子世帯の収入が低いかが分かるだろう。
さらに、15年の国勢調査を見ると、母子世帯のうち、母親の親(子供から見ると祖父母)などがいない「母子のみにより構成される母子世帯」の数は約75万世帯、世帯平均年間収入は厚労省の調査結果よりさらに低い243万円だ。
 父子世帯より母子世帯のほうが経済的に苦しいのは、むろん、就業によって得られる収入に差があるからだ。  父子世帯の場合、父親の85.4%が就業している。この数字は、母子世帯の母親の就業率(81.8%)と大きな差はないが、その中身はまるで異なる。父親の場合、就業している人のうち、18.2%が「自営業者」で、68.2%が「正規の職員・従業員」である。非正規雇用の割合は圧倒的に低く、男性と女性で稼ぐ条件に大きな差があると言わざるを得ないのだ。
 前出の1人親世帯等調査によると、1人親世帯となった時点の末子の年齢は、父子世帯の6.5歳に対し、母子世帯は4.4歳。子供が幼いので、フルタイムでの勤務が難しいという事情もありそうだ。
 「女性は離別した夫から養育費をもらうではないか」と思う人もいるかもしれない。しかし、同調査によると、離婚した父親からの養育費の受給状況で「現在も受けている」と回答したのはたった24.3%だけだ。しかも養育費の平均月額(※養育費の額が決まっている世帯)は4万3707円。収入の男女差を埋めるには明らかに少ない。
 さらに、シングルマザーの2割以上が「未婚(の母)」か「死別」だ。こうしたケースでは基本的に彼女らは養育費を受け取ることはない。この点は注意しなければいけない。
 ここまで、政府の統計データを基に、日本でシングルマザーの生活が厳しい理由を見てきた。しかし筆者は、ほかにも要因は複数あると考えている。まず、指摘したいのは日本にはベビーシッターの文化が浸透していないことがある。理由は複数あると考えられるが、何より大きいのは、ベビーシッターのサービスを受けるための価格が高いことだろう。ベビーシッターの1時間当たりの利用料は、一般的に1000〜4000円程度は相場だ。さらに、交通費などの料金が加算される。
 仮に、1時間2000円程度としよう。1日8時間、週5日間利用するとなると、交通費などを除いても1ヵ月でなんと35万円ほどかかってしまう。年間だと420万円。ほかにも家賃や食費、光熱費などの生活費がかかるだから、これでは母子世帯だけでなく、夫婦共稼ぎの世帯でも支払うのは難しい。さらに、「利用したい日の1週間前に要予約」といったケースも多く、「使いたいときにすぐ使える」サービスは少ないのが実情だ。
 行政も、これを社会問題ととらえ、東京都が待機児童となっている子供のいる家庭を対象に、ベビーシッターの利用料の大半を補助する制度をスタートしたり、企業が社員向けの補助制度を整備したりするなど、利用促進に向けた支援が拡充されつつある。
 しかしながら、筆者が実際に複数のシングルマザーにベビーシッターを活用するかどうかについて聞いてみたところ、否定的な答えが多かった。費用の面より、気持の面で活用をためらうケースも多いようなのだ。
 自分が自宅にいないとき、ベビーシッターという「他人」に子供と一緒にいてもらうことや、保育園に迎えに行ってもらうことに対し、「抵抗感がある」というのだ。
 また、日本の企業の旧態依然とした働き方も、シングルマザーの生活を苦しくしている要因といえそうだ。私が話を聞いたシングルマザーたちの中でも、若い母親たちは特にこの点を強く指摘していた。
 日本の企業では、定時の就労時間を午前9時から午後5時に設定しているケースが多い。そして、基本的には社員全員がオフィスへ出勤し、机を並べて仕事する。仕事が終わった後にも、度々職場の食事会や飲み会が開かれ、そこでのコミュニケーションが社内の人脈づくりや評価につながり、「将来の出世や昇給に響く」と感じる人は少なくない。1人親世帯の子供は、一般的に認可保育園に入りやすいケースが多いため、待機児童の問題で悩むことは少ないはずだ。しかし、シングルマザーが前述のような働き方をするのは極めて難しい。
 午前9時にオフィスに到着しなければならない。すると、午前6時には起きて子供を保育園や幼稚園に送る準備や、食事の支度をし、子どもたちを送り届けてから満員電車に乗ってオフィスへ行く。
 保育園への「お迎え」があるので、「時間短縮(時短)勤務」の制度を活用したり、夕方は定時に退社したりしなくてはならず、遅い時間に緊急の会議が開かれたとしても、出席は極めて難しい。まして仕事の後の「付き合い」などできるはずがない。
 フルタイムでの勤務自体が難しいため、なかなか昇給も昇格もせず、「ボーナスをもらえないこともある」という。収入が少ないのは、ある意味必然と言える。
 ただ、最近は「働き方改革」が進み、企業なども少しずつ変わってきている。
 フレックスタイム制を導入する企業も増えてきており、リモートワーク(在宅などによる勤務)をできる企業もある。様々な「チャットツール」や、ウェブ会議のための通信用アプリケーションも開発されており、全員がオフィスに集まる必要もなくなってきた。
 また、「副業」や「パラレルキャリア」という言葉を耳にすることが多くなってきたように、技能さえ持っていれば、フリーランスで収入源を複数確保することも可能になってきた。実力が収入につながれば、仕事のあとの宴席などを気にする必要もなくなるはずだ。
 シングルマザーの貧困が子供の貧困を招き、そして最終的に日本の国力の低下にもつながりかねない。一部の家庭の話だと切り捨てるのではなく、国を挙げて対策を検討し、早急に改善されていくことを期待したい。
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2018年10月30日

扶養義務が「義務」になったら…。援助をし続けることのリスク

 「扶養義務」の履行は決して高くはない。扶養能力というのは一概に図れるものではないし、家族関係にDVや虐待などの課題を抱え、孤立して生活保護を利用する人もいる。そして、難しいのは、多くの場合、家族や親族が頑張って援助をはじめたとして、なかなかやめられない、というのはある。
 生活保護利用者は大きく分けて、「高齢世帯」「傷病障害世帯」「母子世帯」「その他の世帯」にわけられますが、高齢世帯が約50%、傷病障害世帯は27〜28%、母子世帯は6〜7%、その他の世帯は約16%となっている。(生活保護概数調査より)
 この「その他世帯」は働ける年齢層の人たちだが、2009年の厚労省の調査では、世帯主の平均年齢は50代の後半とされていて、なかなか生活保護からの脱却が難しいのが実情である。
 特に高齢世帯などは、収入が少し家族や親族からの援助によって助かったとしても、本人たちの収入が劇的に増加することが見込めないため(労働市場に参入できにくいため)、結果的に、援助をしつづけなければならない、ということになる。
 たとえば、月に3万円援助をすると、年間で36万円。20年間で720万円に援助額の総額は達する。それだけの援助をするのは妥当なことだと思うか、親孝行な子供だ、と思うだろうか。 その720万円は自分や自分の子供の進学に使ったり、マイホームを買うために使ったほうがいいのではないか。また、援助を受けるほうも、申し訳ないという気ちになったり、精神的なストレスを感じてしまうのではないか。
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2018年10月29日

2012年の「生活保護バッシング」と生活保護法の改正

 2012年にお笑い芸人のお母様が生活保護を利用していたということでバッシングが起こったことを覚えている方も多いのではないだろうか。 その後、2013年に生活保護法の改正(63年ぶりの改正)が行われ、「不正受給対策」などと同じく「扶養義務の強化」も大きな改正点となりました。
 法改正された内容を要約すると、
 ・「扶養義務者」に対して申請があったことを、厚生労働省令で定める事情がない限りは福祉事務所が通知しなければならない。※厚生労働省令で定める事情とはDVや虐待など
 ・福祉事務所は「扶養義務者」に対して資産や収入の状況について報告を求めることができる。
 ・福祉事務所は「扶養義務者」の資産・収入等について官公署に資料の提供や報告を求めることができる。
 ・福祉事務所は、現在だけでなく過去(当時)の被保護者およびその「扶養義務者」の保護期間中の資産・収入等について、官公署に資料の提供や報告を求めることができる。
 ・官公署は上記の求めがあれば速やかに資料等の提供をおこなう
 というものである。
 見ていただければわかるように、「通知しなければならない」とか、「報告を求める」とか、「資料の提供をおこなう」という文言であって、強制的に徴収をするなどというものではない。
 これは、ある種、当たり前なのだが、生活保護利用者の家族も困窮していることもあるし、家族の世帯の状況(子育て中とか介護をしているとか病気があるとか)も違うので、一律に「あなたの収入はいくらですから○○円毎月送金してください」みたいに決められない、ということだ。
 実際にはケースバイケースで、家族が「可能な範囲」で援助をすることもあれば、それなりの収入があっても住宅ローンや子育て中などの理由を考えて、援助を求めていない場合もある。
 そして、お金の話は人間関係のこじれを生んでしまうこともあるので、各自治体でも家族関係を壊さないように、扶養義務の履行によって人間関係が断絶してしまわないように一定程度の配慮をしたうえで対応しているという。もちろん、自治体によっては個別の事情を勘案せずに「扶養調査」をしてしまうことも少なくない。
 ただ、残念ながら誰とは(どことは)言わないが、「家族で支えあう」を至上主義とする人たちからすれば、この改正は温いというか、甘いと考えるというのはあるだろう。ちょうど、そういった主張をしてきた人たちの部会で否定的な「調査」が発表されたというのもあながち繋がりがないとは言えない。
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2018年10月28日

生活保護の「扶養義務」とは?

 そもそも、生活保護の扶養義務や、「扶養調査」とは何なのか。
生活保護制度は収入や資産が基準以下(国が定めた生活保護基準。東京だと単身で約12万円くらい)の状況になったときに利用できる制度である。もちろん、家族や親族からの援助が期待できる場合にはそれを活用することが求められる。
 しかし、扶養「義務」といっても、「可能な範囲での援助を行う」というもので、法的に強制されるものではない。よく誤解されがちなのだが、扶養義務は生活保護の「要件」ではなく(収入や資産等の状況が生活保護基準を下回っていることが要件)、「可能であれば」というものなのだ。
 一般的に、生活保護の申請があった際に福祉事務所(自治体の生活保護の窓口)は、「扶養照会」といって、おもに申請者の2親等、場合によっては3親等の家族・親族に対して、「生活保護の申請があったこと」「申請者の扶養義務者として扶養して欲しい」という連絡をする。
 とはいえ、DVや虐待など、特別な事情で家族や親族と離れて暮らす必要がある場合や、連絡を取ることが良くないと判断される場合など、申請者の状況や状態、環境によっては「扶養照会」を止めてもらうことができるのだ。また、家族や親族の経済状況によっては、「扶養」ができないことも多いのが実情である。
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2018年10月25日

「反グローバリズム」で人々は幸福になるのか?

 アゴラの辻氏の記事にも引用されているが、内田樹氏の記事が話題になっている。例によってだらだらと長いが、要点は最後の数行だ。
 大阪維新の会はまさにこのグローバル企業と政官が国策的に推し進めている「国内労働者の絶対的窮乏化」路線そのものを政治綱領の前面に掲げたという点で「前代未聞の政治運動」なのである。
 維新の会が権力を掌握すれば、体制が「変わる」という点については、間違いなく変わる。それは私が保証してあげる。ただ、その「変化」は労働者の絶対的窮乏化と「グローバル企業」の収益の増大と彼らのいわゆる「国際競争力」の向上に資するものであることは告げておかなければならない。
 資本家と国家がグルになって労働者を窮乏化させている、という今どき共産党でも言わない陰謀論が出てくるのは笑わせるが、いま起こっている賃金低下は「国策」の結果ではない。それは要素価格の均等化という当たり前の経済法則の結果である。中国で時給100円でつくれるジーンズを日本で時給800円でつくる企業がいなくなるのは当然であり、国策として強要する必要なんかない。
 ところが比較優位を知らない内田樹氏にとっては、グローバル化で資本家だけが幸福になって労働者は不幸になるらしい。ここから出てくる結論は、国内に引きこもって政府がバラマキ公共事業で需要拡大しろ、という藤井聡氏や中野剛志氏の国家社会主義だが、労働者はそれで幸福になるのだろうか。
  財政のバラマキで、所得格差の拡大は止めることができる。それは貧しい人が豊かになるからではなく、みんなが平等に貧しくなるからだ。公共事業の乗数効果は最近では1以下なので、納税者の所得が土建業者に移転されるだけだ。労働人口は毎年1%ずつ減ってゆくので、反グローバリズムは縮小均衡の道である。グローバル化ですべての人が幸福になることはないが、それは反グローバリズムも同じだ。問題は国民全体としてどうなるかであり、その物差しの1つがGDPだが、グローバル化を拒否して日本のGDPが上がることはありえない。内田氏が反グローバリズムを主張するなら、それによってGDP以外の指標でみて人々が幸福になることを示すしかない。
 これはトリヴィアルな問題ではなく、たとえば幸福度といった指標で計測する試みもある。しかし幸福度の上位はニュージーランドや北欧やオランダなどグローバル化した国が多く、日本は24位である。反グローバリズムで幸福度が上がることは望めそうにない。内田氏の言うように何もしないで富を食いつぶしてゆくのは、私の世代にとっては悪くない選択だが、若者はそれでいいのだろうか。
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2018年10月24日

経済成長と貧困削減との関係

 経済成長が国内の貧困の削減や格差縮小につがなるのかどうかというのは、経済の在り方を考える上で重要な問題だ。どの国も高い経済成長を目指している。経済成長は所得の増大をもたらし、すべての人々に恩恵をもたらすことを可能とするからだ。しかし、国全体の所得の増加が、国内のすべての人々の所得の増加につながるとは限らない。経済成長が高所得層に恩恵をもたらす一方で、低所得層の所得増加につながらない場合、経済成長は格差拡大につながることになる。このような格差拡大を伴う経済成長が社会にとって望ましいものとは言えないことは想像に難くないだろう。
 まず、このような経済成長は国内に格差論争を生み出し、低所得者層を中心に政権に対する不満をもたらし社会を不安定化させることが考えられる。これは小泉政権時代にITバブルの余波を受けて国内景気が改善していったにもかかわらず、国内で格差論争が生じ一部で政権に対する反発が生み出され、その後紆余曲折を経て最終的には自民党政権の終末につながったことを思い出させる。
 また、以前ここでも書いたように、国内の経済格差の拡大が持続的な経済成長の妨げになるのであれば、格差拡大を伴う経済成長は持続可能なものではなく遠からず行き詰まりを迎えることも考えられます。
 大和総研は、フィリピンやインドでは高い経済成長が実現しているにもかかわらず、それが貧困削減につながっていないという実態を踏まえ、複数回に渡って、アジアの発展途上国における経済成長が貧困削減、国内格差に与える影響や所得格差の是正・貧困削減につながる経済成長とはどういうものなのかについて述べていこうという。
 第1回目は、経済発展と貧困削減の関係について戦後の経済開発理論の動向を踏まえたうえで述べられている。レポートの内容をまとめると、90年代以前のマクロ的な経済開発援助(大規模なインフラプロジェクトへの投資を中心とした援助)に対して、90年代以降は特定の貧困層や貧困地域を対象としたミクロ的な援助が広まり、2000年代には両者を統合した「包括的成長(Inclusive Growth)」や「貧困層を支援する成長(pro poor growth)」といった流れが生じているということらしい。
 マクロ的な経済開発援助とは、経済全体の成長を促進させることが最終的に貧困問題の解決につながると考えたものである。高成長をもたらすためにはビッグプッシュ(巨大インフラ投資による有効需要の送出と生産のボトルネックの解消)が必要であり、そのビッグプッシュに必要な国内貯蓄(資金)がない途上国に対し、経済援助によってその資金不足を補ってやれば経済は成長軌道に乗るだろうという考えだ。簡単に言うと公共投資至上主義ってところだ。
 このマクロ的な経済開発援助については、さらに2つの流れがある。戦後直後から60年代までは、政府主導による資本蓄積と輸入代替工業化を重視するという政府の役割を重視した構造主義が主流だったが、60年代から80年代に入ると、政府よりも市場を重視し、「市場化・自由化」と「輸出志向」を重視する新古典派が台頭してくる。この頃には、経済援助については、「民営化、各種の規制緩和、貿易・資本の自由化を重視し、インフレ抑制や財政赤字削減といったマクロ経済運営の管理を政策条件(conditionality)として途上国に課してインフラプロジェクトを進める」というワシントン・コンセンサスが主流を占めてくる。つまり、市場経済を推し進め、適切なマクロ経済運営を行っている国に経済援助を限定していこうという考えである。その後、東アジアの経験を踏まえ*1、両者をミックスした市場機能を補完するような形での政府の関与を積極的に評価する新開発主義が現れるが、経済援助の効果が現れそうな優秀な国に限定しながら大規模援助を与えることによって経済成長を実現していこうという考え方自体はすべてに共通していると言ってよいだろう。
 これに対し、マクロ的に高い経済成長率を実現しても必ずしも途上国の貧困層を救うことにはなっていないのではないかという考えのもと現れたのが、貧困層や貧困地域に直接限定して支援していこうというのがミクロ的な援助だ。これは、個々のプロジェクトの具体的な効果を重視していこうという考え方が元になっている。インフラプロジェクトなどのマクロ開発援助と違い、支援する対象がはっきりと見えるところもこのようなミクロ的な援助が好まれる理由だろう。
 このような動きを先進国における福祉政策の在り方と比較して考えている。先進国の中では、特定の層を対象とした社会給付といった限定的・選択的な社会福祉政策と、より普遍的・一般的な福祉政策のどちらが所得分配の平等化や貧困救済に有効かという論争がある。ミクロ的な援助は、この前者に対応している。前者の政策は、直接的な貧困問題に対処できるだけでなく、財政状況の改善から経済成長へとつながるというマクロ的な効果までも期待されている。その一方で、行政コストの高さや政治的な支持を失うことによって長期的には貧困問題の解決にはつながらないという「所得再配分のパラドクス」の問題があることが述べられている。このように考えると、ミクロ的な援助の在り方についても、その効率性について様々な議論の余地があることがわかる。
 2000年代に入ると、成長重視のマクロ経済開発援助の考え方と、貧困層に直接働きかけることを重視したミクロ的な援助の考え方をミックスした援助というものが考えられるようになる。それが「貧困層を支援する成長(pro poor growth)」や「包括的成長(Inclusive Growth)」と呼ばれるものだ。前者は「貧困層が成長に参加貢献し、貧困層の成長の果実を享受する能力を高める成長のペースとパターン」を重視するものであり、後者は「高い持続的成長率はより多くの経済機会を創出するが、広範な人々、とくに貧困層がそうした機会・市場へアクセスできるようにするための制度インフラの整備や教育投資等の政策が必要」と考えるものだが、経済成長と所得分配を両立させようということは変わらないだろう。
 このように、経済成長と貧困削減・格差縮小については両者のいずれかを重視する考え方がまず出てきたが、その後両者をミックスした考え方が出てきたというのが現状だ。これは、政府主導の構造主義と、市場経済重視の新古典派が最終的に新構造主義にミックスされたというのと同じような流れだろう。経済に対する考え方とは、このように二つの極端な考えが現れその後両者の良さをミックスした考えへと進化するものなのかもしれない。
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「貧困層」が急拡大している欧州のリアル

 40代になると人生の3大支出が現実に迫り、家計を見直す必要がある人も増える。家計のどこを見直し、未来に向けどんな取り組みをしていけばいいのか。
 先進国において貧困層が選挙結果を左右することはあまりない。だが、総選挙を終えたイタリアでは貧困層が草刈り場になったのだ。中道右派政党「フォルツァ・イタリア」を率いるシルビオ・ベルルスコーニ元首相(公職禁止の有罪判決を受けている)と、コメディアンでポピュリスト政党「五つ星運動」の党首、ベッペ・グリッロ氏がともにベーシックインカム導入を唱えたのだ。
 貧困層に毎月、気前よくおカネを支給することになるこの公約は、制度設計からして眉唾物だ。とはいえ、少なくともこれによって急速に深刻化する欧州の貧困問題に光が当たったのは事実だ。
 もちろん、貧困層の全員が悲惨な生活を送っているわけではない。が、多くは困窮しており、イタリアでは貧困層が選挙結果に与える影響は無視できないものになった。全人口の約8%、500万人近くが生活必需品すら買う余裕がなく苦しんでいる。しかも、こうした貧困層の数は、わずか10年で3倍近くに膨れ上がっているのだ。
 欧州全体の状況も、同様に深刻だ。欧州連合(EU)では1億1750万人、域内人口のおよそ4人に1人が貧困層に転落するか社会的に疎外される危機にさらされている。その人数は2008年以降、イタリア、スペイン、ギリシャにおいて600万人近く押し上げられている。フランスやドイツでも、貧困層が人口に占める割合は20%近辺で高止まりしたままだ。
 2008年のリーマンショック以降、貧困層転落のリスクは全般に高まったが、その傾向は若者において顕著だ。年金を除く社会保障給付がカットされたのに加え、既存従業員の雇用を守るために新規採用を犠牲にする労働市場のあり方にも原因がある。2007〜2015年に欧州では18〜29歳の若者が貧困化するリスクは19%から24%に上昇したが、65歳以上の高齢者については逆に19%から14%に低下した。
 確かに最近の景気拡大によって若者の貧困化リスクは多少緩和されるかもしれない。しかし、構造問題はなくならない。失業が長期化すれば、その人の職業スキルは取り返しのつかないところまで劣化してしまうかもしれない。テクノロジーの急速な進化によって、能力が時代遅れになる可能性もある。
 このままだと再就職は不可能となるか、低賃金で不安定な仕事に甘んじるか──貧困層の多くにとって選択肢はその2つだけ、ということになろう。OECDの最近の統計によれば、スペインとギリシャでは生産年齢人口の14%が、働いているにもかかわらず貧困から抜け出せずにいる。
 累進課税や、給与に上限を課すサラリーキャップなど、富の再分配を通じて不平等に対処する手段もある。だが、貧困の撲滅には再分配を超えるものが必要だ。貧しい人々は社会の周縁に追いやられているが、貧困層が世の中に再び居場所を得て活躍できるよう支援していかなければならない。これは単に政情の安定や経済の公正さの問題なのではない。人間の尊厳が問われているのである。
 この先、欧州の福祉国家モデルは改革が必要になろう。もはや欧州の高齢者は一番の経済的弱者ではないが、いまだに社会保障給付で最大の分け前を手にしている。欧州の各国政府は、老齢年金をカットし、貧困層や失業者・若者への配分を増やすべきである。
 ベルルスコーニ元首相とグリッロ氏は貧困問題に狙いを定めているが、両氏が掲げるベーシックインカムは付け焼き刃の対策でしかない。確かに貧困層の厳しい懐事情はにわかに和らぐかもしれない。だが、背後にある構造問題が解決するわけではない。
 それどころか、問題をさらに悪化させるかもしれないのだ。ベーシックインカムは失業者が職を探したり、職業訓練を受けたりするのを特に後押しするものではないため、貧困層が永遠に公的給付に依存して生きていく状況を生み出しかねない。
 欧州の政治家は貧困問題を無視し続けることはできない。ベルルスコーニとグリッロの両氏が明らかにしたのは、そのことだ。
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2018年10月22日

世界を不幸にしたグローバリズムの正体

 国連によれば一日1ドル以下の貧困層の人数は、地球の全人口の約4割もいると推測されている。この原因は、経済のグローバル化による貧困の格差がひらいたことだ。
貧困層はグローバル経済が進むとより貧困になる。アルゼンチンのがその例だ。 経済の急速な立ち上げを考え、IMFに借金を申し入れた。そして、IFM側が条件を突きつける。市場開放、規制撤廃、民営化。
 しかし競争力のある海外品に国内品は売れなくなり倒産が増える。民営化も大量倒産しただけだった。これを政府が補助しようとしたが、財政を圧迫し、財政支出のバランスをとるため、福祉を切り捨てる。
 市場競争力にすべてを任せるというのは、先進国に都合のいい理論に過ぎない。IMFの基本は市場原理主義で神の見えざる手を前提とするが、現実には、情報も富もすべての人に行き渡らないのである。
 途上国が、開放する場合、 雇用を失わず、貧困にならないようにゆっくりと開放するしかない。途上国の意志を民主的に取り込むことが必要。さもないと 世界から貧困とテロはなくならないだろう。
 国家間の競争は、厚生経済学の基本定理が働いてない。これでは、片手落ちもいいところである。酷いものだ。
posted by GHQ/HOGO at 06:21| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする