2020年04月26日

純粋機械化経済が来る? 資本主義経済が終わる?

 現在の経済では労働力(人)が機械を扱い、生産するシステムになっている(労働者+機械⇒生産)。だから、今はどれだけ高性能な機械があっても、同時に人がいなければ生産力が上がらない。
 ただ、汎用AIが入ると機械自体が労働力となり、そして機械が機械を作り出していく、生産力に上限がない(機械+増えた機械⇒生産、生産…)システムになっていく。機械は自己の判断から、労働力として新たに機械を生み出していくことが可能になり、労働力としての人が機械へと全面的に置き換わった社会を純粋機械化社会という。そして、著者はこの社会システムを変えるほどの汎用AIの性質から、次のGPTとなるのはほぼ汎用AIだろうとしている。
 加えて、このような影響の大きなGPTが生まれると、その技術を導入した国とそうでない国の間に大きなGDP格差が起きる。だから日本としても、早い段階で汎用AIを取り入れなければ国は衰退していくことになる。ラッダイト運動のような思想が大きくなることも考えられるけど、そうでなければ汎用AI導入は既定路線ではないだろうか。
 そのように純粋機械化経済が訪れると、どうなるか。まず、労働者がいなくなるので資本家が労働者を雇い、労働者が機械を使って商品を生産するような経済である現在の資本主義経済がシステムとして終わりを迎える。その後は新しい形の資本主義がくるか別の体制になるかはわからないが、人が機械へと置き換わるので、人が労働から解放される「脱労働化社会」が来る。
 そうして訪れた脱労働化社会では、労働によってに収入がほぼ得られない社会でもあるため、汎用AIを所有する資本家と、労働者の間で所得格差が広がっていく(現状でも、トマ・ピケティの論では緩やかに広がっている状態だと言う)。そうなったら労働者はどう生きていけばいいのだろうか。
 現状、手段として考えられるものには「生活保護」「社会主義経済」「ベーシックインカム(BI)」などがある。
 フランスの経済学者トマ・ピケティ。格差論について調べた彼は過去200年に遡る研究から『資本収益率(r)>経済成長率(g)』となることを見つけた。つまり、資本家が土地や機械などの何かを生み出すものにする投資の利益「資本収益率」が、経済が良くなってもらえる給料が上がる「経済成長率」よりも高くなる。これにより、徐々に労働者と資本家の格差は広がっていく。
 1つ目は現在も使われている生活保護。ただ、生活保護には資力調査という、生活保護の対象になるかどうかの調査があり、このコストが莫大にかかる。例えば、年収がゼロでも資産が2000万円ある人は保護が必要か、兄弟に3000万円の資産を持つ人は直ちに保護する必要があるか。その兄弟と一緒に住んでいる場合、縁が切れている場合…という複雑な調査になるため、コストがかかってしまう。
 2つ目は社会主義経済。民間企業を国営企業にし、中央集権的に管理して計画経済を行う社会。簡単に言うと、企業を国のものにして、国が物の生産量や値段を決める仕組み。
 中央としての政府が全国の市場を管理するこのスタイルは、ソ連で実際に運用されたもの(ソ連型社会主義)。ソ連でうまくいかなかった大きな理由は、計画経済が現場にいない人が指示を出していくようなもので、刻々と移り変わる現場に対応できなかった。現場で起きたことに即応できるようであればいいのだが、汎用AIも人とまったく同じ感性を持てるわけではないので、予測としても難しい。
 他の社会主義の形としては。全員が国営企業の株券等を持つことで、全員が資本家になるというクーポン型市場社会主義も理論上考えられているが、配当によるバラつきが出ること、それ以前にこれらの社会主義経済は、現在の資本家が国営化をそもそも受け入れないという可能性がある。
 3つ目はベーシックインカム(BI)。国民配当とも訳されるBIは、国から直接国民すべてに、最低限の生活費を給付するというもの。選別的に給付する生活保護に比べて、一括でみんなに給付するので行政コストが割安になる(給付についての事務手続きがあるのでコストはなくならないけど)。ただし、個人の生活に関わるものをひっくるめて支援する生活保護に比べ、医療や介護等の障害支援に費用がかかる人に対しては、今まで通りの社会保障制度が別に必要となる。
 BIについての問題として財政コストの問題がよく取り上げられるが、財政は増税を行って確保することで解決する。増税と聞くと拒否感のあるが、結局そうして増税されたお金が自分たちに給付されるので、戻ってくることになる。納税額が多い人は相対的に負担が大きくなるが、現在の生活保護に比べて行政コストがかからない分、社会保障としては実質的に安くなり、現実的な方法論だとしている。


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2020年04月25日

資本主義の弱点を補う政策形成が最重要課題!

 貧困家庭で暮らす子供の中には、親の意向で高校に進学させてもらえなかった子や家庭の経済事情を理由に高校を中退した子、大学に進学すると生活保護の金額が減額されるから進学を諦めた子など、高等教育を受けられない子が数多くいる。
 もちろん高等教育を受けたから良い、受けなかったから良くない、ということではないが、統計的に高卒の生涯賃金は2.4億円、大卒以上は3.2億円と大きな違いが生じている。
 貧困の連鎖を解消するためにも、いかに彼らに進学のチャンスを与えられるか。これは社会の大きな課題である。こうした問題意識から、住民税非課税世帯の生徒に対して高等教育機関の入学金や授業料を無償化する法案を国会で通した(http://tinyurl.com/y7y6ouo5)。
 また、不本意非正規をはじめ、働けど働けど貧困から抜け出すことができない人も数多くいる。ギリギリの生活の中、貯蓄もできずに齢を重ねていくことになるため、将来も年金だけでは暮らすことができない。結果、社会全体で生活保護受給者の数が急増することになる。
 これまでも官民あげて最低賃金の引上げに努めてきましたが、より思い切った対策を早期に講じなければ、大きな社会問題を人為的に生むことになる。縦割りタコツボ型の発想を排し、社会保障と雇用制度の一体改革を行わなければならないはずだ。
 また、有効求人倍率が1を超える労働者不足の現状においてすら、働く意欲はあるのに仕事に就くことができない人も少なくない。障害者はもちろんのこと、障害認定には至らないものの複雑な作業の実施や円滑なコミュニケーション等に課題を抱える人たちを社会全体でいかに包摂していくのかだ。彼らの活躍の場をいかに用意していけるのか。こういった課題にも目をそらすことなく対処すべきなのだ。
 グローバル化が進み、南北問題が解消しつつある中、資本主義システムを前提とした社会において国内格差が拡大していくのは必然の流れではないか。資本主義の弱点を補う政策形成がこれからの日本における最重要課題であり、この政策分野に力の限りを尽くさなければ日本はもはや必要ないのだ。
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2020年04月24日

生活保護の支給を役所に認めさせるには?

 世間一般が想像する、生活保護を受給している人のイメージといえば、高齢者や仕事のない人、または仕事に著しく影響の出るような障害を持った人、といった考えの方が大多数ではないか。 しかし、実際には多くの20代、30代の若者が受給しているのだ。
 例えば、正社員としての雇い口が見つからないままに生活している人、闘病をしながら一家を支えなければならない人、いわゆるワーキングプアの人たちでも、生活保護を受給することができる。不正受給の問題ばかりがクローズアップされているが、救わなければ生きていくことができない弱者が、社会には存在しているのだ。
 生活保護を受給するためにすることは、役所へ行って申請用紙を提出する。たったこれだけ。もちろん生活保護を受けるに値すると判断されるための条件は必要だが、明らかに困窮した生活を送っている人は間違いなくクリアできるような簡単なものである。昨今の不正受給による世論の風当たりや、国から支給される受給金も、4分の1は事実上自治体が捻出することになるシステムのため、役所は生活保護受給者を減らすこと、またはこれ以上増やさないようにすることに躍起になっている。そのため役所の窓口では、「若い人は受給できない」「仕事がある人は受給できない」などといった嘘をつき、申請書を渡さず門前払いをする行為がまかり通っている。こういった役所の法律違反とも呼べる対応が多くの誤解を生む原因となった。
 仕事をしながら生活保護を受給するというものがどういったことかと言うと、年収が90万円程度の人がいて、(地域によって支給額は変わるが)その人への支給額が年間140万円だったとする。その場合は、差し引き50万円を生活保護として受給することができるのだ。国民はこういった事実をほとんど知らない」。
 これは私見だが、役所はあまりにひどい不正受給者などを故意にマスコミにリークして、世論を操作することによって受給額の減額や、受給へのハードルを上げようとしているのではないかと思うことが少なくない。私利私欲のためだけの不正受給や、直接現金で渡すことによって受給者の労働意欲をなくしたり、生活保護についての正しい知識を知らない弱者が、いいように言いくるめられて、最悪の場合、餓死をしてしまう。日本が本当の意味で先進国になるには、生活保護という、国民の最後のセーフティネットをもう一度きちんと見直して整えることが、これからの日本のために無視できない問題ではないか。
 日本が、最低賃金、非正規雇用者の割合、非正規雇用者と正規雇用者との賃金格差、最低賃金の上昇率のどれをとっても先進国で最悪の低い水準ということはあまり知られていない。GDP比の生活保護支出の割合も突出して低く、経済的理由による自殺者は2万人いる。現役世代であっても、一歩間違えれば生活が困窮してしまう可能性がある。
 役所の窓口で「あなたは受給資格がない」などと言われても、実は窓口には審査をする権限などない。押し問答になって、どうしても申請用紙を渡してくれないのであれば、便せんに生活保護を希望する旨を書いて届ければいい。
 法テラスに問い合わせて、弁護士にお願いするのもお金がかからず確実な方法である。健康な若者も、ワーキングプアの人も、本当に困っている人は誰でも生活保護を受けることができる。正しい知識を持つことが、いざというときの自分の身を守る手段となるのである。
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2020年04月23日

絶対的貧困と相対的貧困−「子供の貧困」 どう可視化・共有化するか?

 貧困の概念には、「絶対的貧困」と「相対的貧困」の2つがあることはよく知られている。世界銀行によると、前者は2008年時点の購買力平価換算で1日当たりの生活費が1.25ドル未満の状態を指し、世界中で約14億人が該当するという。主として途上国にみられる貧困である。後者は、OECD等では各国の等価可処分所得の中央値の50%以下で暮らすこととされ、主に先進諸国における経済格差に基づく貧困だ。ここでは2つの貧困状態における「子供の貧困」を取り上げる。
 絶対的な子供の貧困では、安全な水や栄養のある食糧の確保、基礎的な教育環境の整備などが喫緊の課題だ。貧困に苦しむ世界の子供を支援しているNGOのWorld Visionのホームページには、『ソマリアでは、5000円で5歳未満の栄養不良の子供3人に、栄養価の高い食料を1ヵ月分支援できます』と、具体的な支援効果が記載されている。ある意味、その貧困の状況は、多くの人にとって直感的に理解でき、支援の手も差し伸べやすいかもしれない。
 一方、相対的な子供の貧困は、その状況があまり知られてはいない。たとえば日本の場合、国民1人当たりの平均年間所得は275万円(2012年実額)で絶対的には豊かだが、2012年の相対的貧困率は16.1%、子供の相対的貧困率(17歳以下)は16.3%と先進諸国の中でも極めて貧困率の高い国だ。果たして日本の子供の6人に1人が貧困状態にあるとの国民全体の認識はあるだろうか。
 先日、1人の中学生が私を訪ねてきた。学校の社会科の自由課題で「日本の子供の貧困」について調べているという。彼になぜそのテーマを選んだのかを聞くと、『日本は子供の貧困率が高い国だと本で読んだが、それが実感できない。その理由を考えてみたい』と話してくれた。この中学生の感想は、おそらく日本で暮らす多くの人が抱く感覚に近いだろう。そこにこの問題解決の難しさがある。
 日本社会では高校生が家庭の経済的事情で学校を中退した場合、将来的に安定的職業に就くことがとても難しくなる。それが世代を超えた貧困の連鎖を招くことにもつながる。相対的貧困とは経済面にとどまらず、いじめや虐待など社会の中に潜在化している場合も多く、教育、雇用、福祉等のさまざまな社会制度に基づき発生する複合的な精神的・文化的な窮乏状態だ。問題の所在や実態、因果関係、経済支援の直接効果などの把握は難しく、豊かな国ゆえの貧困問題とも言える。その解消のためには、まずは貧困の実態を可視化・共有化し、絡み合った課題を丁寧に解きほぐしつつ、1つひとつの支援策の改善効果を具体的に示す取り組みが求められているのである。
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2020年04月22日

公的扶助の国際比較

 公的扶助制度は、国によってその位置づけが大きく異なり、地方政府の責任としているところも多く、比較は難しいが、大きくは、できるだけ人々が生活困難に陥らないように「予防の」対策に力点を置く国と、予防にはあまり負担をかけないで生活困難に陥ってから救済することに重点を置く国とに分かれる。
 前者では、社会保障全体の規模は大きくなるが、公的扶助の規模は小さくなる。北欧やドイツなどヨーロッパの多くの国がこの部類に入る。後者の場合、社会保障の規模自体は大きくないが、公的扶助にはかなりの費用をかける。アメリカがその典型例であるが、イギリスもこの部類に入る。
 日本は普遍的な社会保険制度が整えられており、前者に属するが、日本の社会保障の規模は小さく、後者のイギリスをも下回っている。にもかかわらず、公的扶助の規模は厳しく抑えられ、それが少ないはずのスウェーデンやドイツをも下回っている。日本は、社会保障の規模もその中の公的扶助の規模も、ともに低い特異な国だということができる。
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2020年04月21日

増え続ける生活保護の受給者

 生活保護の費用は、国が4分の3を、自治体が4分の1を負担している。厳しい財政事情にある国も自治体も、社会保険などの普遍的な社会保障の費用を抑制するだけでなく、生活保護費も抑制してきた。人々に生活保護の申請を諦めさせたり、受けている保護を辞退させるなど、生活保護をめぐって厳しい取り扱いが問題となっている。不況が続く時期に、最後の安全網である生活保護も抑制するのでは、生存権をうたった憲法第25条が有名無実となりかねない。生活できないほどの低賃金が一般化する中では、生活保護の予算を十分に確保していくことが重要である。
 実際に生活保護を受けている人の数(保護実人員)は、1995年度の88.2万人に対し2006年度では151万人に達している。人口に占める被保護実人員の比率を保護率というが、保護率はその間に0.7%から1.2%に増加し、生活保護の総費用も、95年度の1.52兆円から05年度には2.63兆円に膨らんでいる。しかし、実際に生活保護を必要としている人はもっと多いはずなので、これでも足りないのかもしれない。そもそも日本では、生活保護を受ける人もこれにかかる費用も、先進諸国の中では最低なのである。
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2020年04月20日

機能しないセイフティーネット!

 生活保護は、他の制度がうまく機能していれば、それほど国の支出は増えない。失業率が低く、賃金が一定水準を維持し、社会保険がうまく機能している場合は、生活保護の費用はそれほどかからない。不況が長く続く場合でも、社会保険が余裕を持って運営されていれば、生活保護が必要になる前に多くの人を救済できる。したがって、生活保護を受ける人が多いということは、本来喜ぶべきことではない。よい生活保護制度を備えながら、それを必要とする人が少ないことが望ましい。反対に問題なのは、普遍的な制度が不十分で、生活保護を必要としている人が多いのに、生活保護がセイフティーネットの機能を十分に果たせず、保護を受ける人が少ないことである。セイフティーネットとは、人々の生きる権利を保障する最後の安全網である。
 最近の日本の政府は、望ましくない政策を選択してきているように思う。長引く不況で、働く人々の所得は全体として減る一方である。企業は非正規雇用を増やし、正規労働者の賃金も抑えてきた。働いても最低限度の生活が維持できない人々が増えるようになった。こうしたときにこそ、重要な役割を果たすのが社会保険であるが、これまでの社会保険は正規労働者をモデルに作られているので、非正規労働者をうまく救済することができない。弱体化した社会保険をしっかりと支えるには、政府がこれまで以上に支援しなければならないのに、政府は逆に社会保障予算を削減し続けてきた。だから普遍的な社会保障制度の網の目からこぼれ落ちる人々、すなわち生活保護を必要とする人々は確実に増えているはずである。
 生活保護の申請を辞退させられ「オニギリ腹一杯食いたい」と日記に残して餓死する人が出たり、生活苦から自殺する人が絶えない現状(自殺者は10年連続で3万人超)は、生活保護がセイフティーネットの機能を果たせていないことの現れであるといえる。
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2020年04月19日

問題は濫給ではなく漏給

 生活保護の額はある程度余裕のあるものでなければならないし、必要な人には確実に支払われなければならないものである。そのため、生活保護はさまざまな不正や犯罪の土壌となりやすい。
 生活保護の受給者に借金をさせて毎月そこからピンハネをさせる業者がいたり、医師を脅して医療費や通院交通費をせしめる者もいる。こうしたことが報道されると、多くの人は、生活扶助の基準が高すぎるとか、通院のための交通費の扶助に限度を設けるべきだなどと思いがちであるが、犯罪や不正と、生活保護の水準や扶助のあり方とは、決して混同すべきではない。
 こうした制度には、犯罪や不正はつきものである。それが起こらないように努力することは大切なことであるが、だからといって、保護水準を下げて必要な人が最低生活を維持できなくなるようなことがあってはならない。
 実際、問題は濫給ではなく漏給のほうである。生活保護を受けられるのに受けていない人が多いからである。受給できるはずの人々のうち、実際にどの程度の人が受けているかを示す数字を生活保護の捕捉率というが、日本の捕捉率は超低率である。いくつかの研究によると、受けるべき人の1割とかせいぜい2割の人しか生活保護を受けていないことが明らかにされている。
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2020年04月18日

避けては通れないミーンズテスト(資力調査)

 生活保護を受けるには、その人の実際の収入が国が定める最低生活水準にどの程度不足しているのかを詳しく調べる必要がある。年金があればその額は扶助基準の額から差し引いて、不足する分だけ支払われる。パートの賃金収入があれば、就労に伴う若干の控除(必要経費)を残しあとは扶助額から差し引かれる。それは、生活保護の保障が、最低生活までの保障に限られるからである。
 差し引かれるのは所得だけではない。貯蓄があれば、生活保護を受ける前にそれを生活維持に活用することが求められる。一般の人が持っていないような贅沢な品も、処分する必要がある。さらには、まずは親類の援助を受けるように促される。生活保護は、このように本人の生活困難の事情を細かく調査することを避けて通れない。公的扶助制度に伴うこうした調査のことを「ミーンズテスト」というが、これが公的扶助の実際の受給を難しくしている最大の原因である。実際、こうした屈辱的なミーンズテストをきらって申請しない人は多く、生活保護が受けられるのに受けていない人が多数存在している。
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2020年04月17日

格差是正、停滞脱出のカギ

 現在の経済政策の課題を「バランスシートの資産と負債の不均衡(=過剰債務)の調整」という観点から展望する。経済学の理論モデルでは「政府のバランスシートは、常に均衡する」という暗黙の仮定を置くことが多い。しかし現実の世界では、我々が過去何十年も経験しているように、政府が過剰債務に陥ってもバランスシートの均衡は簡単には回復されない。政府の債務調整には政策選択が必要であり、政策の決定にも実施にも相当な時間がかかるからだ。
 政府の過剰債務を解消するには歳出カット、増税、インフレなど様々な方法があり、どれを選ぶかで、国民のどの階層がコストを負担することになるかが大きく変わる。政府の過剰債務は、将来のコスト負担について巨大な不確実性を国民にもたらし、経済に非効率を作り出す。
 例えば通常の理論モデルで考えると、日本の政府債務は国内総生産(GDP)の240%を超え、税収の割引現在価値を大幅に上回っているので、インフレが起きるはずだと予想される。しかし、この予想は「将来、増税も歳出削減もない」と国民が確信している場合に実現する。「増税や歳出削減が将来起きるだろう」と国民が思っている限り、デフレや低インフレが続いてもおかしくはない。
 そしてデフレのもとで債務が積み上がれば、いつだれが債務コストを負担するのかという不安が膨らむ。負担増大が予想されれば企業は投資をためらうだろう。消費者が増税を予期すれば、貯蓄を増やし、消費を減らそうとする。こうして経済は停滞する。
 経済政策の選択肢は、政府のバランスシート調整の手法として次のように整理することができる。
 第1は、増税と歳出削減による「財政再建」である。財政再建はネット(純額)の税収の現在価値を増やすので、政府の資産を増やし、過剰債務を解消する。第2は、規制改革などによって生産性を上げ、経済成長率を高める「成長戦略」である。成長戦略も税収を増やすので、政府の資産を増やし、過剰債務を解消する。
 第3は、2%程度の緩やかなインフレを安定的に実現しようとする「金融緩和」である。インフレが起きれば、国債の価値は低下するので、政府の負債が減る。こうしてインフレは政府の過剰債務を解消する。第4は、政府が国債の償還をしない(できない)ことによって負債を減らすという「債務不履行(デフォルト)」である。いわゆる財政破綻がこれである。
 極端な例として、戦争による資源の破壊もバランスシート調整の1つの手法と考えることもできる。政府の資産が戦争で破壊されてゼロになれば、負債をデフォルトしてゼロにすることもやむを得ない、となる。結果として過剰債務もゼロになってバランスシート調整が完了する。
 1930年代の大恐慌が第2次世界大戦を引き起こしたとも言われるが、大恐慌後の巨大なバランスシート調整の圧力が戦争につながり、結果的に戦争による破壊が各国のバランスシートの不均衡を解消したと解釈することもできよう。
 第5が、実質金利をマイナスにして負債Aを減少させる「マイナス金利」である。先進諸国では、実質金利がマイナスになる事態が近年頻発している。2019年の論文で、米ハーバード大のローレンス・サマーズ教授らは、過去30年にわたって経済協力開発機構(OECD)諸国全体の自然利子率(総需要と総供給を一致させる実質金利の値)が低下し、現在、ほぼゼロの水準に達しつつあると指摘した。いわゆる長期停滞論である。
 実質金利がマイナスとなる状態は、インフレかつ名目金利ゼロ、と同じ効果を持つので、政府債務は減少する。日本では近年この状態が続いているが、マイナス金利の現状については、膨大に積みあがった政府債務に対し、その解消方法として機能している、と解釈できるのではないか。デフォルトや戦争による物理的な破壊でバランスシート調整を進める過去の方法に比べれば、マイナス金利による債務調整は実物的な損失を生まない、ある意味理想的な方法とも言える。
 ゼロ金利やマイナス金利が続くと「金融政策を発動する余地が狭くなる」という懸念が論じられるが、景気変動を緩和するという問題に限ってみれば、短期的な財政政策など他の手法もある。景気対策の余地を狭めるという問題を考慮に入れたとしても、マイナス金利は必ずしも悪いことではないかもしれない。
 そもそも近年、なぜ実質金利は低下し、マイナスの領域にまで至ろうとしているのだろうか。その理由は格差の拡大と関連している可能性がある。標準的なマクロ経済モデルに「個人は所得の変動にさらされ、かつ、借り入れも無制限にはできない」という現実的な制約を入れると、実質金利が低下する、ということが知られている(S・ラオ・アイアガリの1994年の論文)。
 所得の低下をカバーする保険がないので、個人は将来の所得の不確実性に備えて貯蓄を増やし、その結果、金利が低下する。このモデルで所得の変動幅が大きくなると、金利はさらに低下し、マイナスの値になることもある。所得の変動幅の増大は、データ上は所得格差の拡大として表れる。簡略化するなら「格差の拡大がマイナス金利を生み出す」と言える。格差の拡大は、個人の不確実性を増やし、長期停滞(マイナス金利とほぼ同じ)を引き起こす。
 こうしたときに金利をプラスにすることが経済の正常化だとしたら、そのためには所得格差を軽減する必要がある。言い換えれば、個人が人生で直面する不確実性を減らし、結果として社会全体の所得配分の不平等を緩和することが重要である。
 それには、根本的な社会保障制度の改革が必要だろう。新しい社会保障制度は、最新のテクノロジーを駆使することによってあらゆる階層の個人の社会的包摂を目指すものになる。長期停滞からの脱却は金融政策だけの問題ではない、というべきではないだろうか。
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