2019年05月22日

働かない受給者が増えている!?

 近年の「生活保護叩き」の先入観とは異なり、生活保護の支給率が低く、不正受給も少ないことは、多少とも知識のある人は誰でも知っている。日本の生活保護は、1980年代から窓口レベルで受給規制を厳しくしていたため、貧困者に対する受給者の比率(捕捉率)は約2割である。スウェーデンは82%、フランスは91%、ドイツは65%だ。不正受給率は金額ベースで0.38%。受給世帯は高齢者世帯で43%で最多、さらに障害・疾病者世帯が33%、母子世帯が8%である。
 とはいえ受給者は95年の約88万人から、今年で約20万人になっている。受給世帯も「その他」、つまり稼働年齢で障害者でも母子家庭でもない世帯が急増し、2010年には前年比32%増の16%に至った。「働かない受給者が増えている」という見方も、傾向としては間違ってはいない。
 これに対し貧困対策の運動関係者は、それは景気の悪化のため失業者や貧困者が増加しているためであり、生活保護受給が悪いのではないと主張する。それも正しくはあるのだが、ここで踏まえておくべきなのは、前提としての制度設計である。
 そもそも日本では、最低賃金>年金>生活保護という、社会保障の基本が成立していない。より正確には、公務員や大企業正社員は賃金>年金>生活保護なのだが、その枠外の人間は生活保護>最低賃金>年金なのだ。公務員や正社員が加入する共済年金や厚生年金はたいてい月額20万円ほどになるが、国民年金は満額でも6万円あまりである。前者は自分で納入する以外に、勤務先が保険料を納めてくれるからだ。これで高齢になったら、生活保護に流れ込まないほうがおかしい。雑誌『G2』11号で、アメリカの社会保障専門家は、こうコメントしている。
 「日本で生活保護受給者が増えているのは怠け者が多いからではなく、社会保障制度設計が悪いからです。日本の年金制度は上(高所得者)にやさしく、下(低所得者)に厳しい仕組みになっています。これではどんどん生活保護に行ってしまう」
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2019年05月21日

厚労省の統計不正問題で考える―「生活保護統計」は大丈夫か?

 2004年以降に行われた不適切な勤労統計調査が明らかになり、厚労省内で22人が処分された。原因は、COBOL言語で作成されたプログラムが厚労省職員によって改変されており、改変内容や結果のチェックがされていなかったことにあった。
 かつて広く使用されていたCOBOL言語の技術者不足は、2000年前後から問題になり続けている。いずれにしても、体制の問題は、最新のプログラム言語や環境を導入しても解決しない。
 そうこうするうち、問題は厚労省内のみに留まらなくなってきた。総務省は、政府の基幹統計56種類のうち22種類に誤りがあったことを発表している。その中には、総務省の全国消費実態調査も含まれている。生活保護基準の決定は、5年に1回行われる全国消費実態調査の結果を参照して行われることになっている。
 生活保護に関する数値は、大丈夫だろうか。毎日のように生活保護関連の数値を眺めている筆者としては、「たぶん、あまり大丈夫じゃない」と即答せざるを得ないのだ。
 まずは、現在進行中の問題から見てみよう。
 生活保護で暮らす人々を2013年以来苦しめ続けているのは、“物価偽装”問題だ。具体的には2013年1月、厚労省が突如として発表した「生活扶助相当CPI」だ。「CPI」とは「Consumer Price Index」、すなわち物価指数のことだ。なお、“物価偽装”とは、この問題に最初に気づいた中日新聞記者(当時)・白井康彦氏の表現である。
 日本の消費者物価指数は、総務省によって計算されてきた。しかし厚労省は2013年、独自に「生活保護世帯にとっての物価指数」として、「生活扶助相当CPI」を作成して発表した。そして「約5%の物価下落が見られた」とし、これを理由として生活保護費の生活費分を平均6.5%削減した。しかしこの期間、実際に起こっていたのは物価上昇であった。
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2019年05月20日

「絶対的な最低生活費」から「一般国民との比較」へ

 生活扶助は、食事、衣類、光熱水道費をはじめ、通信費、交通費、教養費、交際費、耐久財の買い替えなどにあてるものだ(住宅、教育、医療、介護などは別の扶助)。
 では、その基準をどうやって決めるのか。時代とともに国民の生活水準は変わり、最低限度の生活の水準も変化する。歴史的には、絶対的な最低生活費を算出する方式から、一般国民と比較する相対的な決め方に移ってきたことが窺える。
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2019年05月19日

3分の2は給付ダウン

 生活保護費の給付水準の見直しによって、生活扶助の基準額が具体的にどう変わるのか。厚労省の資料をもとに、主な世帯タイプ別の影響を考えた。生活保護制度では、物価水準の違いを考慮して市町村ごとに6種類の級地に分けているのだが、厚労省は、代表として3種類の級地の試算を示している。
 大まかに見ると、大都市部、高齢単身者、子供の多い世帯はもっぱらマイナスになり、地方の郡部、夫婦だけの世帯、子供1人の世帯ではプラスの傾向である。それで全体としてダウンするのは、生活保護世帯は大都市圏に多く、しかも高齢単身者が多いからなのだ。厚労省の推計によると、生活扶助額が上がる世帯は26%、変わらない世帯が8%、下がる世帯が67%となっている。
 全体の金額で影響を見ると、3段階の見直しが完了した段階で、生活扶助の本体部分の国負担額は年間でマイナス180億円、子供のいる世帯への加算額の見直しがプラス20億円。差し引きマイナス160億円となっている。実際の生活扶助費の総額は年間213億円のマイナスになる。それだけでなく、基準が下がると保護対象となる世帯が減るので、削減額はさらに大きくなるのだ。
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2019年05月18日

低所得化に合わせて基準を下げてよいのか?

 生活保護の8種類の扶助のうち、主たる生活費である生活扶助の基準の見直しを厚生労働省が決めた。2018年10月から実施され、20年10月にかけ、3段階に分けられている。
 見直しの影響は、世帯の人数、年齢構成、居住地域によって異なり、今より基準額が増える世帯もあるのだが、減る世帯のほうがはるかに多く、最大では5%下がることになる。生活扶助の総額で見ると、1.8%のマイナス。13年8月から15年4月にかけて平均7.3%(最大10%)の大幅引き下げが行われたのに続くダウンになる。
 ではなぜ、そうしたのか。
 簡単に言うと、低所得層(消費支出が最下位10%の世帯)の消費水準に合わせて基準を見直した結果なのだ。しかし、国民の生活水準が全般に低下してきた中で、貧しい層の動向に合わせるというやり方で、「健康で文化的な最低限度の生活」は守られるのだろうか。
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2019年05月17日

責任は「本国」にあり!

 判決文に戻ろう。判決には次のような部分もある。
 「社会保障は、その社会を構成する者に対し、実施されるべきであるとの一面を有しているが、そのことをもって、国籍の有無に関係なく、在留外国人も自国民と全く同一の社会保障を受ける権利を有しているとまではいえない。また、仮に、在日韓国・朝鮮人が、その本国政府から何らかの救済措置を講じられないとしても、そのことをもって、日本が、原告ら在日韓国・朝鮮人に対し日本国民とまったく同一の社会保障を与える法的義務があると解する理由とはならず…」
 「日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」のであり、「仮に、在日韓国・朝鮮人が、その本国政府から何らかの救済措置を講じられない」のであれば、日本政府の取るべきは、韓国政府に対して在日韓国人の無年金者の救済を行うよう要請することではないか。韓国併合百年に当たっておかしな謝罪談話を出すことよりも、現に困窮している無年金者を救済することこそが先決ではないか。また、被告らの支援者も国籍を無きものとするというイデオロギーは差し置いて、被告らを救済すべく韓国政府に働きかけることではないか。
 韓国はかつての貧しい韓国ではない。経済的にも豊かになっている。韓国政府に対し、在日韓国人の社会保障について第一次的に責任を負う存在としてしかるべき対応をするよう、日本政府も在日韓国人の諸団体も日本の支援者も働きかける必要があるのではないか。それをしないで「国籍差別」であるとして我が国政府に日本国民と同一の待遇を求めるのは筋違い以外の何ものでもない。
 参政権との関係でもしばしば問題とされることだが、判決は社会保障と税金の納付との関係についても述べている。
 「在日韓国・朝鮮人が、日本に対し、租税を納付しているとしても、租税は、国または地方公共団体が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてではなく、これらの団体の経費に充てるための財源調達の目的をもって、法律の定める課税要件に該当するすべての者に対し、一般的標準により、均等に賦課する金銭給付であり、租税の納付と社会保障の享受とは直接の対価関係にはない」「租税を納付していることをもって、日本が、在日韓国・朝鮮人に対し日本国民とまったく同一の社会保障を与える法的義務があるということはできない」
 税金が行政サービスの対価であり、外国人にも自国民と等しく適用されるのに対して、社会保障はあくまで第一義的には自国民を対象にしたものであり、外国人に自国民と同一の社会保障を受けさせる権利を保障したものではないということだ。政府や地方自治体の関係者にはここで示された考えを正確に理解してもらいたい(判決の「社会保障」は「参政権」と言い換えられることはいうまでもない)。
 こうして日本国民と同一の年金の保障を受けたいという彼らの要求はこのような判決もあってひとまずは阻止されている。ところが、彼らは一方で全国の地方自治体に対して、在日韓国・朝鮮人に年金の代わりとして「福祉給付金」ないし「特別給付金」を支給するよう働きかけている。民団が組織として行っていることもあって現在、全国で800以上の自治体が支給している。金額は月額5千円から3万数千円(神戸市)までである。
 いっそう問題なのは、在日韓国・朝鮮人の無年金者が、年金が受給できないとなると今度は生活保護の申請をし、そのほとんどが受理されていることである。大阪市では外国人の受給者が2010年に1万人を突破したが、その92%が在日韓国・朝鮮人である。国民年金に加入していない「無年金世代」が高齢化したことがその理由と見られている。
 また、生活保護受給者が、まじめに保険料を納めた年金受給者よりも国から多額の資金を受け取るという不公平な実態も浮かび上がっている(『産経新聞』6月14日付電子版)。これは在日中国人による生活保護不正受給よりも、人数においても金額においても深刻な問題である。
 繰り返すが、在日韓国人の社会保障は第一義的には本国である韓国政府が行うべきことだ。日本政府にはこの件について韓国政府と早急に話を付けて欲しい。在日中国人の生活保護不正受給には毅然とした対応をした大阪市にも在日韓国・朝鮮人の問題でも改めて国に要請してもらいたい。
 政府は事業仕分けでみみっちく歳出を削るのもいいが、本来は本国が行うべき社会保障の費用が国費から莫大な金額で失われていることにもっと留意すべきだ。さもなければ、我が国は在留外国人によって食い潰されることになる。
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2019年05月16日

見え隠れする朝鮮総連の影

 国民年金法は農業者、自営業者等を対象にした制度として昭和34年11月1日に施行されたもので、老齢、障害または死亡について必要な給付を行う社会保険制度である。
 日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民が原則として被保険者とされ、被保険者が保険料を納付し、それを主な財源として拠出するという拠出制を前提としていたが、国庫も毎年度、国民年金事業に要する費用に当てるため一定額を負担することにされていた。
 昭和60年の国民年金法改正により、国民年金の適用は全国民に拡大され、全国民共通の基礎年金を国民年金制度から支給することとし、その上に厚生年金や共済年金の被用者年金制度から所得比例等の年金を上乗せするという「2階建て」の体系に公的年金制度が再編、統一された。
 ここで問題となるのは在留外国人に対する対応である。発足当時の国民年金制度は、被保険者の資格については「日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民は、国民年金の被保険者とする」(国民年金法第7条第1項)と規定し、日本国籍のない在留外国人を老齢年金の支給対象から除外していた。昭和56年、「難民の地位に関する条約」を批准したことに伴って制定された関連法規の「整備法」により、「日本国民」の文言が「者」に改められ、国籍条項が撤廃された。これは難民に限って国民年金法を適用することは公平の観点から適当でないことに鑑みて在留外国人にも適用されたものである。
 しかし、他方、整備法附則四項では国籍条項が撤廃された効果は過去にまで遡及されないことも明記された。
 以上のような経緯の中で、一部の在日韓国・朝鮮人が、国民年金に加入しなかったことから無年金状態となり、国民年金が支給されないのは「国籍差別」であるとして国に対して各地で裁判を起こした。
 2009年2月3日、一連の裁判のうち最後に最高裁で判決が確定した事案では、原告5人のうち3人は整備法の施行日である昭和57年1月1日当時および新国民年金法の施行日である昭和61年4月1日当時、既に60歳以上で、20歳以上60歳未満という被保険者の資格要件を充たさなかったために、国籍条項の撤廃後も国民年金に加入することができなかった。残る2人は国籍条項撤廃後、年齢の上では国民年金の被保険者資格を有していたが、国民年金に加入しなかったというものである。
 国民年金の保険金を一切払うことなく、年金だけはもらいたいというのは虫が良すぎるし、それが適わないと「国籍差別」だと主張するというのでは余りに身勝手というものだ。またはじめから、保険金を払う気もなかったのに「国籍条項」で加入できなかったと主張するもの後から取って付けた理由だというしかない。
 この裁判の最高裁確定判決(原審・京都地方裁判所、平成19年2月23日、控訴審・大阪高等裁判所、平成20年4月25日)を見てみよう。そこでは原告らの主張を退ける理由を前記の塩見訴訟判決を踏まえながら次のように言ってのけている。 なお、この一連の裁判には朝鮮総連の姿が見え隠れしている。「在日外国人高齢者・障がい者無年金問題のページ」を運営する「都市問題研究所・日朝友好促進京都婦人会議」(京都市左京区)のホームページには「日朝友好」の言葉や「共同アピール 民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう!朝鮮学校攻撃を許さない!」というスローガンが掲載されている。共同アピールには朝鮮総連の友好団体や個人が名を連ねている。
 彼らはただただ日本政府に日本国民と同一の社会保障を与える法的義務があると主張するだけである。そして裁判所に退けられると次には日弁連に人権救済申し立てを行い、それを受けて日弁連は2010年4月7日、厚生労働大臣、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長に会長名で勧告書を提出している。また、国連人権委員会でのロビー活動も活発化させている。 
 しかし、被告らは韓国政府にはそのようなことを求めない。韓国では1988年に国民年金制度が始まっているが、彼らはそれに加入することも求めない。また、被告らを支援していると思われる民団なり朝鮮総連なりが在日韓国・朝鮮人を対象にした独自の共済年金制度を設けているという話も聞かない。 なかなか思い切ったことをいった判決である。
 確かに「日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」。その通りである。日本の政府が行っている社会保障は第一義的には当然、日本国民を対象にしているのであって、在留外国人を対象にしているのではない。韓国籍の人々の社会保障について第一次的に責任を負っているのは韓国政府である。当然のことである。
 「憲法25条2項は、その性質上、日本の在留外国人にも一定の限度で適用され得るものであるが、他方で、日本国民の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは日本であるのに対し、日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国であるから、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、日本は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うにあたり、日本国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されると解される」
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2019年05月15日

社会保障で国民と在留外国人を区別するもの?

 日本国民と在留外国人たる在日韓国人の社会保障上における法的地位を平等に扱えという訴訟があった。しかし、最高裁は、社会保障はあくまで国家を前提として国家が積極的な福祉的給付を行うことであるから、国家の構成員である自国民と在留外国人は区別せざるを得ないと判断した。
 これは地球の上に国境があり、誰もがどこかの国家に帰属し、その国籍を有するという近代社会における論理的な帰結である。また、本来、社会保障というのは、「国民の共同連帯」によって成り立つものでもある。この塩見訴訟の判決でも最高裁は国民年金制度について次のように述べている。
 「国民年金制度は、憲法25条2項の規定の趣旨を実現するため、老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によって防止することを目的とし、保険方式により被保険者の拠出した保険料を基として年金給付を行うことを基本として創設されたものである」
 ここでいう「国民の共同連帯」は単に同じ地域に住んでいるということから生じるものではない。あえていえば、防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員として他の者と連帯し、相互扶助を行うということから生じると考えるべきだ。防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員とは、「その国のために死に得る存在」であるということであり、その国に「国防の義務」を負う存在であるということでもある。そして防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員であることの指標が国籍ということなのである。
 ようするに国籍を有するということからその国家への共同防衛の義務が生じ、その共同連帯の対価として社会保障の権利が保障されると考えるべきなのである。そのことは我が国においても近代的社会保障が明治8年の軍人に対する年金制度に始まり、それが徐々にその対象を軍人から民間人へと広げていったことからも分かる。
 同じ地域に住みながらも国籍によって自国民には国防の義務が生じ、在留外国人にはその国への国防の義務が生じないのと同様に、社会保障においても自国民と在留外国人は区別されなければならないのである。それはその在留外国人の生活の本拠が我が国にだけあるだとか、母国語はできず、日本語しかできないとか、交友関係が日本人だけだとかといった個々の事情とは何の関係もないことである。近代社会における国籍が異なることから生じる論理必然の帰結なのである。
 在日韓国・朝鮮人のことを「外国籍を持ちながら外国人意識が稀薄であるという国籍ボケ」と断じたのは首都大学東京教授の鄭大均氏だが(『在日韓国人の終焉』文春新書)、この訴訟も「国籍ボケ」以外の何ものでもない。国籍が何を意味するのか、国籍が異なることからどのようなことが生じるのかということについての理解がまるでなされていない。
 このことはなにもこの女性に限られたことではない。本国への帰属意識を強烈に持つ一部の者を除く圧倒的多数の在日韓国・朝鮮人もそうだし、当の日本国民にしても「日本国籍を持ちながら日本人意識が稀薄であるという国籍ボケ」に陥っている。生活に困窮する外国人に慈しみの心をもって生活保護や年金などの生活扶助が必要と考えるのは日本の優しい国民性の現われだが、在留外国人を日本国民と同様に考え、両者の区別を「国籍差別」や「民族差別」と理解する日本国民も多い。しかし、それこそが「国籍ボケ」というべきものである。
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2019年05月14日

国家責任、最低生活保障、自立助長

 生活保護法は、目的について、こう定めている。
 第1条 この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
  ここで明示しているのは、まず「国家責任」。生活保護制度を実際に運用するのは、地方自治体の福祉事務所だが、責任は国にあるということ。保護にかかった費用の4分の3は、国が負担する。残り4分の1も、自治体が受け取る地方交付税の額の計算に入る。
 次に「最低限度の生活保障」。すべての国民に最低限度の生活を保障するという考え方は「ナショナル・ミニマム」と呼ばれる。19世紀末にイギリスのウェッブ夫妻が提唱したもので、やがてイギリスの福祉国家の基本政策になった。
 日本の憲法、生活保護法も、その考え方を採用したわけだ。そして、保障すべきレベルは、ただ生きていればよいというものではなく、「健康で文化的な生活水準」とされている。現代日本に暮らす社会人にふさわしい生活ができる金額(保護基準)でないといけないわけである。
 生活保護法による保護基準は、ナショナル・ミニマムを示す意味を持っており、実際、最低賃金制度の設定をはじめ、ほかの社会制度の線引きにも、いろいろ使われている。
 さらに「自立の助長」も法律の目的になっている。これは、なるべく早く保護から抜け出すように受給者の尻をたたくという意味ではない。
 就労による経済的自立だけでなく、健康の回復・維持や生活管理などを自分の意思で行うこと(日常生活自立)や、社会とのつながりを回復・維持すること(社会生活自立)も含まれると解釈されている(2004年12月、生活保護制度の在り方に関する専門委員会報告)。
 そのための対人的な援助(ケースワーク)や、自立に役立つ給付(たとえば高校就学費用の生業扶助など)も行うことができる。
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2019年05月12日

恩恵ではなく、権利である

 憲法25条は、次のように定めている。
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」
 いわゆる「生存権」の規定で、それを具体化したのが1950年に制定された生活保護法である。
 憲法が保障する権利である、ということは、2つの意味を持っている。
 1つは、「恩恵」ではないということ。国のお情け、お恵みではなくて、権利である。したがって、生活に困って生活保護を利用するのに、負い目を感じる必要はない。小中学生が、学校へ通えるのは慈悲深い首相のおかげ、と有難がる必要はないし、選挙で投票できることを政府に感謝するいわれもない。
 なぜ、生存権が権利になったのか。それは国家が何のために存在するのか、ということと関係している多くの学者は、。明治憲法では、天皇が国の主権者で、国民は、その支配下にある臣民であり、これに対し、戦後の憲法は、国民主権に転換したという(これは明治憲法の読み違いなのだが…)。国のいろいろな機構は、国民がつくるものだから、国民の幸福を図るためにとされる。であれば、主人公である国民は、生存はもちろん、人間らしい生活の保障を要求する権利があり、国家にはその責務があるということになる。
 国家の役割について、そういう考え方が登場した背景には、先進諸国で資本主義が発達するにつれて、失業・貧困・過酷な労働などが深刻になったことがある。資本主義経済を自由にまかせて放任するのでなく、社会的・経済的弱者を助けるために、国家が介入する必要があるという思想(積極的国家観)が20世紀になって、国際的に広がったのはたしかだ。
 それまでも17世紀に始まるイギリスの救貧法など、税財源による公的扶助制度はあったのだが、基本的には恩恵的なもので、貧困を個人の責任ととらえ、迷惑な貧民を取り締まるという発想を伴って。それに対して、貧困は社会の問題だという見方が提起され、労働運動・社会運動の強まりもあって、国家が社会政策を進めるようになっていった。あまり言及されていないが、旧ソ連という社会主義国が生まれたことの影響も大きかったということにされている。だが旧ソ連では社会保障制度など考えられたことはなかったのだが…。
 人権についてのとらえ方も、自由権(国家による制約からの自由)だけでなく、社会権(国家に積極的配慮を求める権利)も必要だという方向に発展してきたとされている。そうした国際的動向の中で、憲法25条の規定が設けられ(GHQに社会主義者まがいの人間がいたからなのだが…)、生活扶養制度が出てきたのである。
 戦前の日本にあった救護法(1929年制定)、戦後すぐの1946年につくられた旧生活保護法は、権利性がなく、貧困状態の人々が十分に救済されていなかったという経緯もある。
 「権利」のもう1つの意味は、行政の決定に不服があれば、法的に争えること。生活保護を申請したけれど認められなかった、保護の支給額を減らされた、保護を打ち切られたといった福祉事務所の決定に対し、都道府県知事への審査請求、さらに厚生労働大臣への再審査請求ができることになっている。福祉事務所が行うべき決定をしないときも審査請求できる。それらの結果(裁決)に不満なら、行政訴訟を起こして裁判所の判断を求めることができる。
 ただし、外国籍の人については、最高裁が2014年7月18日の判決で「権利性」を否定した。これは、外国人だと生活保護を受けられないという意味ではないが、生活保護法は条文上、「国民」だけを対象にしており、外国人への生活保護は、同法ではなく、旧厚生省社会局長の通知による行政措置として行われているので、生活保護法による法的手続では争えない――というのが最高裁の判断なのだ。とはいえ、生死にかかわることもある行政手続なのに、まったく争えないとすることには批判がある。最高裁判決の下でも、局長通知による行政措置に関する不服の手続としてなら法的に争えると見る法律家も少なくない。
 なお、法的に争うと言っても、当事者はほとんどお金がないだが、民事法律扶助の制度を使えば、弁護士や司法書士による無料法律相談を利用でき、書類作成、交渉・審査請求・訴訟などの代理も頼める。生活に困窮していれば、立て替え金の返還は猶予・免除になるので、実質的に費用はかからないことになる。
 生活保護の申請や、福祉事務所との緊急の交渉をしたい場合も、高齢・障害・病気・ホームレス状態といった人なら、日本弁護士連合会の法律援助制度を使える(通常は無料)。
 いずれも、つてのある弁護士や司法書士に直接連絡するか、「法テラス」(0570・078374)に相談すれば、利用できる。
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