2017年07月02日

貧困ビジネスに手を染める業者の言い分は暴論でしかない

 悪質な貧困ビジネスは“住まい”をターゲットにしている。住まいとは、言うまでもなく生活の基本であり、人はその基盤を失うと途端に生きる気力をなくしてしまうとも言われているほどだ。
 そこに目をつけた卑しい輩が、「低額宿泊施設」を運営したりホームレスを囲い込んだりして生活保護費を不正に搾取したこと、「追い出し屋」が暴力的な取り立てをしたことが問題なのだ。言わば、人の弱み(=住まいを失うこと)につけ込んで力で支配しようとすることが、貧困ビジネスの本質とも言えるのではないか。
 いずれも、多くは過去に問題視され、逮捕や営業停止処分を受けた事業者が出た。当時の調査の結果を見返してみると、処分を受けた事業者は口をそろえて「本人が望んだから住まいを提供しただけ」「イヤなら出て行けば良かった」「保証人になってあげているのだから、逆に喜ばれている」などと言っていた。
 暴論としか言いようがない。そんなことを言い出したら、例えばだが時給100円で働かせておいて「時給0円よりはマシだ。イヤなら辞めろ」といった理屈でも通ってしまうし、最低賃金など労働基準法が意味を失くしてしまう。そのように考えると、「貧困ビジネス」は認められるべきではなく、社会問題として取り上げなければならないものであるのだ。
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2017年07月01日

1億総下流老人社会と「リスクを取らないリスク」

 年齢を問わず、低賃金で不安定な仕事に従事している貧困層は、日々の生活を送るだけで精一杯だ。このまま少数の勝ち組(富裕層)と大多数の負け組(貧困層)の2極化が進めば、「1億総下流老人社会」が到来する。
「貯蓄」から「投資」へのシフトチェンジは、富裕層よりも貧困層にこそ必要な発想の転換なのだ。確かに投資には自己資金を失うリスクがある。しかし、一番恐ろしいリスクは「リスクを取らないリスク」だ。
 アベノミクスで富裕層は、より大きは富と豊かさを手にいれ、失うリスクを恐れてアベノミクス相場で投資の世界に足を踏み入れなかった貧困層は、何の恩恵も受け取れず、格差だけが無慈悲に拡大して行ったのだ。
 自身に余程の技能・スキル・コネクションがあれば、人生の逆転のチャンスを掴めるかも知れないが、もし、「自分には何もない」と言うのなら、投資と向き合って、リスクを取って、「お金でお金を稼ぐ」「お金に働かせる」ことを実践しなければ、ジリ貧状態を受け入れる以外に道はなくなる。気がついたときには若さも希望も失って、生活保護を受給する以外に、生きる術のない人生を送ることになる。
 自分のことを「何も有さない貧困層」である、と言う認識が持てるのなら、下流老人になる前に、「投資」について真剣に向き合うべきだ。
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2017年06月30日

ghhjjjj

qwwweee
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複雑に影響しあう「貧困・不登校・ひきこもり」

 社会的コストとは税金のような金銭的な負担だけではない。教育が十分に行われなかったために子供が十分な就労スキルを身につけられず社会全体の生産性が落ちたり、警察的機能が働かないために犯罪が増え、市民の安全が脅かされるような状態になることも、社会的コストの増大なのである。
 逆に、一時的な支援コストを支払い、進学や就労支援などを通じて高いスキルを身につけた子供を育てれば、将来、高い収入を得て納税などの社会貢献を行うことが期待できる。社会的コストという視点から、将来の日本社会像と併せ、どのように描くか、そんな長期的な視野でも考えてみる必要がある。
 将来的に社会的コストを増大させるリスク要因として、家庭の貧困、不登校、ひきこもりの三者を取り上げた。これらは単独の問題ではなく、お互いに重複し影響しあって問題を難しくしている。
 社会的コストとして今、生活保護費の増大がクローズアップされている。しかし、そこから見えてくるものは何か、その実情を考えてみよう。
 大阪府のある定時制高校で、母親と二人暮らしの由梨(仮名)が学んでいる。母親は障害者で生活保護費の支給を受けている。由梨は短大への進学を希望しているが、奨学金がなければとても無理だ。担任の教員と地域のコミュニティソーシャルワーカー(CSWr)が話し合って、入学時には、社会福祉協議会の教育支援資金(年間最大122万円<月6万+50万>)を無利子の貸付を受ける方向で話が進んでいた。
 ところが、生保の担当ケースワーカーに相談すると、(1)生活保護費が減額になるか、(2)世帯分離のいずれかを選ばなければならない、と言われたと言う。生保の担当者とすると、「進学できるなら働けるはず」「短大に通いながらアルバイトをせよ」となるだろうが、由梨自身も障害(手帳を申請中)を抱えている状況で、通学とアルバイトの両立はとても負担が大きくできそうもない。
 担任の教員は、「夢を求めて進学することが2〜4年先の自立へ向けた確かな道だと思うのですが、生保家庭の子が大学や短大、専門学校に進学することは贅沢なのでしょうか」 と疑問を投げかける。
 ある市の生活保護担当者はこう説明する。「奨学金を収入としてみなすために保護費が削減されるのではなく、18歳を過ぎると、現行の保護制度上、 その子も働いて生活費を稼ぐ対象として見られているため、被保護世帯の対象者から外れることにより、母親の保護費が減る」。
 しかし、このケースは、一時的な社会的コストの抑制によって、貧困の再生産を促し社会の生産性を低下させるという意味で、長期的な社会的コストを増大させ、社会的ベネフィットを損ねる典型的な例である。結果として社会を弱体化させていると言えないだろうか。しかも経済的な困難、障害などを持つ若者たちが 自立しようという意欲を失わせる制度的な欠陥とも言えよう。
 事実、国の社会保障審議会でも、大学進学と生活保護制度について、現状の生活保護行政が批判をうけている。
 では、生活保護受給世帯とはどのような家族なのか。子供たちに焦点を当てて考えたい。
 板橋区の調査によると、生活保護受給世帯の子供は11.58%だったのに対して、生活保護・就学援助のいずれも受給していない生徒の発生率は2.4%である。被保護世帯の不登校発生率は安定した家庭の4.8倍であり、飛び抜けて高い。文部科学省の調査ばかりでなく他の多くの調査でも、不登校の背後に貧困があるというエビデンスは少なくない。
 貧困の中で疲弊する親や、ネグレクトなどで子供に必要な食生活をはじめとする日常生活を送らせることができないということが、不登校そして高校中退の背景の1つにある。
 生活保護費を受給していなくても、経済的な困難を抱える低所得層(とりわけ一人親世帯)の家庭生活には様々なリスク要因が内在している。そのような世帯の子供たちの不登校リスクが高いのは否めない。しかし、未だに「不登校は子どもの心の問題」という受け止め方が大勢である。
 文部科学省の調査、「不登校状態が継続している又は継続していた理由」を見ると、「不安などの情緒的混乱」が33.3%で最も多く、2番目は「無気力」(29.2%)である。
 しかし、「あそび・非行」(11.9%)は、子供を養育する家庭環境が脆弱なところで発生していることは想像することは可能だが、教員の目からは、「無気力」と見える不登校の内実が、実はネグレクトに近い親からの無関心、家庭と学校での排除の積み重ねによる子供の意欲の喪失など、貧困、虐待、 障害の放置など生育期における長く、厳しい家庭環境の結果であることが想定される。不登校問題は決して「心の問題」にとどまるものではないのである。
 子供が抱えるリスクの実状は多様であって、その対応にはまさにさまざまな専門家が必要だが、現在は心理相談に偏りすぎている。したがって心理相談を担当するスクールカウンセラー(SCr)だけでなく、スクールソーシャルワーカー(SSWr)のような包括的な支援につなぐことができる専門家が学校に存在する必要もあろう。 スクールソーシャルワーカー(SSWr)は、行政の福祉担当者や障害者支援センター、医療関係者、児童相談所などと連絡を取り合い、子供と子供を育てる家庭が必要な支援を受けられるように、さまざまな専門機関の間にネットワークをつくり上げる。そのような支援が求められているといえるだろう。
 内閣府の調査(「若者の意識に関する調査<ひきこもりに関する調査>」)によると、「ひきこもり」の若者は1.79%とされる。15〜39歳人口は3,880万人なので、広義のひきこもりの推計数は(3,880万人×1.79%=)69.6万人とされる。ひきこもり親和群は 155万人(推計数は3,880万人×3.99%=155万人)で合計すれば約220万人に上る。
 ・内閣府の定義では、狭義の「ひきこもり」は、「自室からは出るが自宅からは出ない。近所のコンビニには出かける」「趣味の用事の時にも出かける」「そんな状態が6ヵ月以上続いている」若者をいう。
 ・同定義では、「ひきこもり親和群」を「家や自室に閉じこもっていて外に出ない人たちの気持がわかる」「自分も、家や自室に閉じこもりたいと思うことがある」「嫌な出来事があると外に出たくなくなる」「理由があるなら家や自室に閉じこもるのも仕方がないと思う」と答えた若者をいう。
 社会的コストとは税金のような金銭的な負担だけではない。教育が十分に行われなかったために子供が十分な就労スキルを身につけられず社会全体の生産性が落ちたり、警察的機能が働かないために犯罪が増え、市民の安全が脅かされるような状態になることも、社会的コストの増大なのである。
 逆に、一時的な支援コストを支払い、進学や就労支援などを通じて高いスキルを身につけた子供を育てれば、将来、高い収入を得て納税などの社会貢献を行うことが期待できる。社会的コストという視点から、将来の日本社会像と併せ、どのように描くか、そんな長期的な視野でも考えてみる必要がある。
 将来的に社会的コストを増大させるリスク要因として、家庭の貧困、不登校、ひきこもりの三者を取り上げた。これらは単独の問題ではなく、お互いに重複し影響しあって問題を難しくしている。
 社会的コストとして今、生活保護費の増大がクローズアップされている。しかし、そこから見えてくるものは何か、その実情を考えてみよう。
 大阪府のある定時制高校で、母親と二人暮らしの由梨(仮名)が学んでいる。母親は障害者で生活保護費の支給を受けている。由梨は短大への進学を希望しているが、奨学金がなければとても無理だ。担任の教員と地域のコミュニティソーシャルワーカー(CSWr)が話し合って、入学時には、社会福祉協議会の教育支援資金(年間最大122万円<月6万+50万>)を無利子の貸付を受ける方向で話が進んでいた。
 ところが、生保の担当ケースワーカーに相談すると、(1)生活保護費が減額になるか、(2)世帯分離のいずれかを選ばなければならない、と言われたと言う。生保の担当者とすると、「進学できるなら働けるはず」「短大に通いながらアルバイトをせよ」となるだろうが、由梨自身も障害(手帳を申請中)を抱えている状況で、通学とアルバイトの両立はとても負担が大きくできそうもない。
 担任の教員は、「夢を求めて進学することが2〜4年先の自立へ向けた確かな道だと思うのですが、生保家庭の子が大学や短大、専門学校に進学することは贅沢なのでしょうか」 と疑問を投げかける。
 ある市の生活保護担当者はこう説明する。「奨学金を収入としてみなすために保護費が削減されるのではなく、18歳を過ぎると、現行の保護制度上、 その子も働いて生活費を稼ぐ対象として見られているため、被保護世帯の対象者から外れることにより、母親の保護費が減る」。
 しかし、このケースは、一時的な社会的コストの抑制によって、貧困の再生産を促し社会の生産性を低下させるという意味で、長期的な社会的コストを増大させ、社会的ベネフィットを損ねる典型的な例である。結果として社会を弱体化させていると言えないだろうか。しかも経済的な困難、障害などを持つ若者たちが 自立しようという意欲を失わせる制度的な欠陥とも言えよう。
 事実、国の社会保障審議会でも、大学進学と生活保護制度について、現状の生活保護行政が批判をうけている。
 では、生活保護受給世帯とはどのような家族なのか。子供たちに焦点を当てて考えたい。
 板橋区の調査によると、生活保護受給世帯の子供は11.58%だったのに対して、生活保護・就学援助のいずれも受給していない生徒の発生率は2.4%である。被保護世帯の不登校発生率は安定した家庭の4.8倍であり、飛び抜けて高い。文部科学省の調査ばかりでなく他の多くの調査でも、不登校の背後に貧困があるというエビデンスは少なくない。
 貧困の中で疲弊する親や、ネグレクトなどで子供に必要な食生活をはじめとする日常生活を送らせることができないということが、不登校そして高校中退の背景の1つにある。
 生活保護費を受給していなくても、経済的な困難を抱える低所得層(とりわけ一人親世帯)の家庭生活にはさまざまなリスク要因が内在している。そのような世帯の子供たちの不登校リスクが高いのは否めない。しかし、未だに「不登校は子どもの心の問題」という受け止め方が大勢である。
 文部科学省の調査、「不登校状態が継続している又は継続していた理由」を見ると、「不安などの情緒的混乱」が33.3%で最も多く、2番目は「無気力」(29.2%)である。
 しかし、「あそび・非行」(11.9%)は、子供を養育する家庭環境が脆弱なところで発生していることは想像することは可能だが、教員の目からは、「無気力」と見える不登校の内実が、実はネグレクトに近い親からの無関心、家庭と学校での排除の積み重ねによる子供の意欲の喪失など、貧困、虐待、 障害の放置など生育期における長く、厳しい家庭環境の結果であることが想定される。不登校問題は決して「心の問題」にとどまるものではないのである。
 子供が抱えるリスクの実状は多様であって、その対応にはまさにさまざまな専門家が必要だが、現在は心理相談に偏りすぎている。したがって心理相談を担当するスクールカウンセラー(SCr)だけでなく、スクールソーシャルワーカー(SSWr)のような包括的な支援につなぐことができる専門家が学校に存在する必要もあろう。 スクールソーシャルワーカー(SSWr)は、行政の福祉担当者や障害者支援センター、医療関係者、児童相談所などと連絡を取り合い、子供と子供を育てる家庭が必要な支援を受けられるように、さまざまな専門機関の間にネットワークをつくり上げる。そのような支援が求められているといえるだろう。
 内閣府の調査(「若者の意識に関する調査<ひきこもりに関する調査>」)によると、「ひきこもり」の若者は1.79%とされる。15〜39歳人口は3,880万人なので、広義のひきこもりの推計数は(3,880万人×1.79%=)69.6万人とされる。ひきこもり親和群は 155万人(推計数は3,880万人×3.99%=155万人)で合計すれば約220万人に上る。
 ・内閣府の定義では、狭義の「ひきこもり」は、「自室からは出るが自宅からは出ない。近所のコンビニには出かける」「趣味の用事の時にも出かける」「そんな状態が6ヵ月以上続いている」若者をいう。
 ・同定義では、「ひきこもり親和群」を「家や自室に閉じこもっていて外に出ない人たちの気持がわかる」「自分も、家や自室に閉じこもりたいと思うことがある」「嫌な出来事があると外に出たくなくなる」「理由があるなら家や自室に閉じこもるのも仕方がないと思う」と答えた若者をいう。
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自分は若いから大丈夫?

 若年層の貧困問題は、いずれ下流老人問題に繋がる。若い時は、貧困状態であっても「将来への希望や期待」があるので、切実さは緩和される。しかし、「自分は若いから、まだ大丈夫だ」とタカをくくって貧困状態を楽観的に放置していると、やがて年齢を重ね、40歳や50歳を過ぎ、そして老後を迎えた際の生活状況が悲惨なものとなる。
 一方、「ミニマリスト」という言葉が流行語になるくらいに、既に消費活動を極限にまで抑えて、「人生の生きる楽しみ」を悲観している若者も多い。NHKの番組等で下流老人の惨めな生活実態をテレビで見れば、将来への期待が持てる20代は良いが、30代は人生を憂い、40代以上は生きることに絶望感すら感じてしまっている。
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2017年06月29日

社会保障制度改革推進法の低所得者対策への影響

 所得の低い世帯を支援するさまざまな施設は、生活保護基準額を目安に行っているものが多い。なので、生活保護基準額の減額によって、それまで利用できていた人の中には、利用できなくなる人がでてくるだろう。
 ・国民健康保険料の減免、同じく一部負担金の減免が利用できなくなる人がでてきまる
 ・介護保険料・同サービス利用料には、境界層該当制度といって、生活保護に至らないように利用率を下げる減額制度がある。また、障害者サービスにおいても同様の制度があるが、基準額の減額によって利用できなくなる人がでる
 ・学校教育法による就学援助は、義務教育にかかる費用、学用品代、虫歯治療費、給食費、就学旅行費等を支給する制度で、生活保護基準額の1.0〜1.3倍以下に設定されている。基準額の減額によって利用できなくなる子供も出てくる
 ・低所得者向けの貸付制度である生活福祉資金は、対象者を、低所得者または生活保護基準のおおむね1.7〜1.8倍以下、障害者・高齢者は2倍としているところが多い。そして、教育支援資金(無利子)が45%を占めているが、引き下げによって利用できなくなる人がでる
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2017年06月28日

貧困層が増加している!

 生活保護制度は、憲法第25条の生存権の規程に基づき、国民の最後のセーフネットとしての機能を持つ制度である。長期にわたる経済不況や雇用環境の悪化などの影響によって、貧困層が大幅に増大している。年齢別では60歳以上の高齢者の増加が大きく、生活保護利用者のうち、全体の約51%が60歳以上となっている。
 このような事態に対し、社会保障制度改革推進法の附則においては、生活困窮者対策と生活保護制度の見直しに、総合的に取り組むことが明記された。改革に向けた具体的検討は、保護基準の検討を行う「生活保護基準部会」と、生活保護改正法も視野に入れた貧困・低所得者対策の抜本的な見直しを図る「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会)」で行われている。そして、基準部会からは生活保護基準引き下げについての報告が、特別部会からは「生活困窮者対策の見直し」と「生活保護制度の見直し」の2点に渡っての報告書が出されている。
 また、特別部会の報告では、生活困窮者対策について、複合的な課題を抱える生活困窮者に対する新たな相談支援体制の構築の必要性が示され、すでに地域包括支援センターに設置している自治体も増えてきた。
社会保障制度改革推進法の生活保護利用者への影響としては、以下のことが考えられる。
 ・生活費が減額され、生活が苦しくなる。
 ・収入が現行の生活保護基準に近い人は、保護基準額の減額によって生活保護が利用できなくなるす。
 ・生活保護が廃止された場合は、新たに国保等の医療保険に加入したことによる保険料の支払、無料であった保育料や介護保険料・同一部負担金などの福祉サービス、地方税、NHK受信料等の支払などが発生する。
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2017年06月27日

試されているのは共同体意識

 社会保障はそもそも何のためにあるのか。人生では、いろいろなことが起きる。病気、障害、育児、離婚、失業、高齢、介護など、何らかの困難に遭ったとき、生活の維持や向上を公的に助けるのが社会保障であり、社会福祉である。自分も家族も絶対にどれにも関係しない、どんなときでも自力だけで生きていく、と言える人がいるだろうか。生活保護をむやみに攻撃する人は、自分は絶対に受けない、身内が困ったときも自分がすべて面倒をみる、と宣言できるだろうか。
 いま試されているのは、日本社会で暮らす人々すべてを一応の仲間と見るか、という共同体意識ではないか。共同体の中に弱い人、困っている人がいれば助ける、自分が困ったときには助けてもらう。その役割を果たすことが、現代の国家の重要な機能であるはずだ。社会保障制度を維持するために社会保障を抑え込むというのでは、目的と手段が逆立ちしている。何の社会保障もない弱肉強食社会を望む人も、日本にはほとんどいないだろう。
 日本社会の貧富の差が大きくなる中で、かつて分厚かった中間層の崩壊が進み、没落の不安にかられた中間層がバッシング行動に出ているという見方もある。それが正しいかどうか、材料不足なのだが、階層的な対立が底流にあることは確かではないか。
 考えたいのは、限られたパイの奪い合いしかないのか、という点である。どの領域にどれだけ課税するかを含め、社会保障に必要な財源は本当に確保できないのか、利益や資産をため込みすぎている人や組織はないのか、ほかの分野への財政支出は妥当か、生活保障をしっかりやって消費購買力を高めるほうが経済は好転するのではないか、貧困層に限定して給付する「選別主義」の政策より、社会の全員に生活に必要な公的サービスの費用負担を減らす「普遍主義」の政策がよいのではないか……。
 社会保障費の負担と配分という狭い土俵だけでなく、広い視野と柔軟な発想で社会・経済・財政を議論することが、ギスギスした争いを減らすために必要なのだ。
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2017年06月26日

社会保障費をめぐる「奪い合い」

 社会保障費が増大すると財政負担になる、すると、自分が納める税金や社会保険料の負担が増えるから、気に入らない、だから社会保障費を食いつぶしている連中をやっつけろ――という発想である。
 背景には、日本経済が大局的に見て20年以上にわたって停滞を続け、人口も減少に向かい、パイが大きくならないこと、高齢化・少子化の進行によって社会保障の受け手が増え、支え手が減ったこと、しかも経済的な格差が拡大してきたことがある。
 この間、多くの勤労者にとっては、賃金水準が下がる一方、所得税・住民税・消費税が上がり、社会保険料の負担、医療・介護を利用する時の自己負担も、どんどん上がった。教育費の負担も大きくなった。その結果、自由に使えるお金が減り、生活が苦しくなってきたわけだ。
 一方で、国家財政の借金はふくれあがっている。自分が公的にもらえるお金が期待できず、むしろ社会保障制度によって自分の負担が増えるなら、使っている側を減らそう、そういう奪い合いの意識がさまざまな攻撃・非難のベースにあるのではないか。
 標的の1つにされたのが生活保護である。攻撃する側は、怠けている連中が多いから安易に受けさせるな、という見方をしている。ヘイトスピーチをする連中は、在日外国人は生活保護から排除せよ、と主張している。
 高齢者もターゲットである。高齢者の年金、医療、介護の費用が財政を圧迫している、と政府・財務省・厚生労働省はいつも強調している。高齢者は肩身の狭い気持になるはずだ。高齢者に無駄な医療費が使われている、寝たきりになったら医療で長引かせずにさっさと死なせろという議論は以前からあった。最近登場した超高額の抗がん剤について、高齢者には使用を制限せよと主張した医師もいる。
 病人も標的になる。長谷川豊というアナウンサーが、自堕落な生活で糖尿病から人工透析になった人は自業自得だから、高額の透析医療費は全額自己負担にせよ、それが無理なら殺してしまえ、という趣旨の文章をブログに書いて、問題になった。
 貧困者・障害者に対しては、もともとの差別意識もある。生活に困って路上や公園で暮らしているホームレス状態の人々は、迷惑で汚い存在だ、そんな生活を好きでやっている怠け者だ、と白眼視され、「役に立たない存在」と見た少年たちなどから襲撃を受けて、各地で相次いで殺されてきた。
 それに加えて社会保障の費用負担を理由に、社会的に弱い人々をお荷物のように見る風潮が強まっているのだ。重度障害者はいなくなったほうがいい、という考えから大量殺害に及んだ相模原の事件も、そういう社会風潮が動機形成の根底にあるのではないか。
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2017年06月25日

他人を妬む「ジェラシー心理」

 「生活保護の利用者に対しては、働かずにお金をもらえていいなあ」、「自己負担なしで医療を受けられていいなあ」と見る人たちがいる。自分たちは懸命に働いてお金をかせぎ、その中からさまざまな負担もして大変なのに、というわけだ。
 そんなに生活保護がよければ、自分も申請して、積極的に利用してはどうか。これはイヤミではない。働いていても年金があっても、その世帯の保護基準より収入が少なく、資産も乏しければ、不足分を補う形で保護の給付を受けられるのである。医療費がかさむ場合、それも保護基準に含まれるので、医療扶助だけを受けることもありえる。実際には、生活保護世帯の8割は高齢・障害・傷病などによって働くことの困難な世帯で、残り2割のうち半分は現に働いている。働く能力があれば活用することは保護の要件になっており、そんなに甘く運用されているわけではない。
 ただし、やっかみには、理由のある部分もある。所得水準が保護基準より少し上、あるいは若干の資産があって、保護の対象にならない低所得層の人々は、生活が苦しいのだ。
 生活保護になれば、医療や介護の自己負担はなく、税金や、年金・健康保険・介護保険などの公的保険料、保育・障害者福祉のような公的サービスの利用料も原則としてかからない。自治体によっては水道料が減免される。一方、生活保護より少し上の層には、それらの負担が軒並み生じるので、実質的に見た生活費(自由に使えるお金)に逆転現象があるのだ。
 それらの層の人たちが生活保護を攻撃しているのかどうかは不明確だが、もしそうだとしたら、見当違いだ。かりに保護基準が下がれば、各種の負担軽減制度の適用基準が連動して下がり、自分たちも苦しくなる。収入が減って生活に困ったときに保護を受けにくくなる。
 低所得層の保険料、利用料、公共料金の負担を、幅広く軽減するか無料にすることによって、ギャップの解消をはかるべきではないか。とりわけ医療費の自己負担と、低所得層にとって高すぎる国民健康保険料の軽減を急ぐべきである。
posted by GHQ/HOGO at 08:39| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする