2018年05月21日

多くの政策は「思い込み」で実行される

 今、世界で最も注目される開発経済学者の1人であるエステル・デュフロ氏は、MIT(マサチューセッツ工科大学)のチームの仲間たちと一緒に、ランダム化比較実験(RCT)を世界各地で実践している。RCTの基本はシンプルである。特定の政策の対象になるグループと対象にならないグループをランダムに分けて、政策の効果を客観的に計測するのだ。たとえば、子供を予防接種会場に連れてきた親に、1キロのレンズ豆(インドでは主食の一部)というささやかな報償を与えることにする。
 さて、接種率はどのくらい向上するだろうか。調査協力者をランダムに選び、一方のグループ(処置群)では親にレンズ豆を与え、別のグループ(対照群)には与えない。そして、処置群のほうで予防接種率が向上したとしたら、それは純粋にレンズ豆の報償の効果だったことがわかる。
 日本のような先進国でも、同じような実験を考えることができる。禁煙の促進、出生率の向上、自殺率の低下、女性の地位向上、学力の向上、生活習慣病の予防、より一般的に各種の補助金の効果など、多様な政策への応用が考えられる。
 商品のマーケティングにも応用できるだろう。たとえば、ランダムに選んだ顧客グループごとにダイレクトメールの内容を変えて、反応の違いを統計的に観察してみるわけである。市民や顧客に何を提案したら目標を達成できるのか、科学的に効果を計測しよう、ということだ。
 発展途上国でも日本でも、多くの政策は「思い込み」や「期待」だけで実行に移され、客観的な効果は検証されないままである。しかし、デュフロ氏たちのチームの活発な活動が推進力となって、途上国のあちこちでRCTが大規模に実施されるようになってきた。
 2010年以降も、デュフロ氏のチームは世界で実験を繰り返している。デュフロ氏のホームページを訪問すると、すべて英語ではあるが、彼女が執筆に参加した論文の多くをダウンロードして読むことができる(https://economics.mit.edu/faculty/eduflo/papers)。実験がどこまで広がっているか、どのような結果が報告されているか、ワンクリックで最新の状況がわかる時代になった。このようにRCTが普及してきた今だからこそ、RCTには何ができて、何ができないかを整理しておくことが大切だろう。
 デュフロ氏は貧困を解消する「魔法の杖は存在しない」というメッセージで締めくくられているが、最近は、RCTが万能の魔法の杖だと勘違いする人も増えている気がする。
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多くの政策は「思い込み」で実行される

 今、世界で最も注目される開発経済学者の1人であるエステル・デュフロ氏は、MIT(マサチューセッツ工科大学)のチームの仲間たちと一緒に、ランダム化比較実験(RCT)を世界各地で実践している。RCTの基本はシンプルである。特定の政策の対象になるグループと対象にならないグループをランダムに分けて、政策の効果を客観的に計測するのだ。たとえば、子供を予防接種会場に連れてきた親に、1キロのレンズ豆(インドでは主食の一部)というささやかな報償を与えることにする。
 さて、接種率はどのくらい向上するだろうか。調査協力者をランダムに選び、一方のグループ(処置群)では親にレンズ豆を与え、別のグループ(対照群)には与えない。そして、処置群のほうで予防接種率が向上したとしたら、それは純粋にレンズ豆の報償の効果だったことがわかる。
 日本のような先進国でも、同じような実験を考えることができる。禁煙の促進、出生率の向上、自殺率の低下、女性の地位向上、学力の向上、生活習慣病の予防、より一般的に各種の補助金の効果など、多様な政策への応用が考えられる。
 商品のマーケティングにも応用できるだろう。たとえば、ランダムに選んだ顧客グループごとにダイレクトメールの内容を変えて、反応の違いを統計的に観察してみるわけである。市民や顧客に何を提案したら目標を達成できるのか、科学的に効果を計測しよう、ということだ。
 発展途上国でも日本でも、多くの政策は「思い込み」や「期待」だけで実行に移され、客観的な効果は検証されないままである。しかし、デュフロ氏たちのチームの活発な活動が推進力となって、途上国のあちこちでRCTが大規模に実施されるようになってきた。
 2010年以降も、デュフロ氏のチームは世界で実験を繰り返している。デュフロ氏のホームページを訪問すると、すべて英語ではあるが、彼女が執筆に参加した論文の多くをダウンロードして読むことができる(https://economics.mit.edu/faculty/eduflo/papers)。実験がどこまで広がっているか、どのような結果が報告されているか、ワンクリックで最新の状況がわかる時代になった。このようにRCTが普及してきた今だからこそ、RCTには何ができて、何ができないかを整理しておくことが大切だろう。
 デュフロ氏は貧困を解消する「魔法の杖は存在しない」というメッセージで締めくくられているが、最近は、RCTが万能の魔法の杖だと勘違いする人も増えている気がする。
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多くの政策は「思い込み」で実行される

 今、世界で最も注目される開発経済学者の1人であるエステル・デュフロ氏は、MIT(マサチューセッツ工科大学)のチームの仲間たちと一緒に、ランダム化比較実験(RCT)を世界各地で実践している。RCTの基本はシンプルである。特定の政策の対象になるグループと対象にならないグループをランダムに分けて、政策の効果を客観的に計測するのだ。たとえば、子供を予防接種会場に連れてきた親に、1キロのレンズ豆(インドでは主食の一部)というささやかな報償を与えることにする。
 さて、接種率はどのくらい向上するだろうか。調査協力者をランダムに選び、一方のグループ(処置群)では親にレンズ豆を与え、別のグループ(対照群)には与えない。そして、処置群のほうで予防接種率が向上したとしたら、それは純粋にレンズ豆の報償の効果だったことがわかる。
 日本のような先進国でも、同じような実験を考えることができる。禁煙の促進、出生率の向上、自殺率の低下、女性の地位向上、学力の向上、生活習慣病の予防、より一般的に各種の補助金の効果など、多様な政策への応用が考えられる。
 商品のマーケティングにも応用できるだろう。たとえば、ランダムに選んだ顧客グループごとにダイレクトメールの内容を変えて、反応の違いを統計的に観察してみるわけである。市民や顧客に何を提案したら目標を達成できるのか、科学的に効果を計測しよう、ということだ。
 発展途上国でも日本でも、多くの政策は「思い込み」や「期待」だけで実行に移され、客観的な効果は検証されないままである。しかし、デュフロ氏たちのチームの活発な活動が推進力となって、途上国のあちこちでRCTが大規模に実施されるようになってきた。
 2010年以降も、デュフロ氏のチームは世界で実験を繰り返している。デュフロ氏のホームページを訪問すると、すべて英語ではあるが、彼女が執筆に参加した論文の多くをダウンロードして読むことができる(https://economics.mit.edu/faculty/eduflo/papers)。実験がどこまで広がっているか、どのような結果が報告されているか、ワンクリックで最新の状況がわかる時代になった。このようにRCTが普及してきた今だからこそ、RCTには何ができて、何ができないかを整理しておくことが大切だろう。
 デュフロ氏は貧困を解消する「魔法の杖は存在しない」というメッセージで締めくくられているが、最近は、RCTが万能の魔法の杖だと勘違いする人も増えている気がする。
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2018年05月20日

低所得化に合わせて基準を下げてよいのか?

 生活保護の8種類の扶助のうち、主たる生活費である生活扶助の基準の見直しを厚生労働省が昨年12月に決めた。2018年10月から20年10月にかけ、3段階に分けて実施される。
 見直しの影響は、世帯の人数、年齢構成、居住地域によって異なり、今より基準額が増える世帯もあるが、減る世帯のほうがはるかに多く、最大では5%下がる。生活扶助の総額で見ると、1.8%のマイナス。13年8月から15年4月にかけて平均7.3%(最大10%)の大幅引き下げが行われたのに続くダウンになる。
 なぜ、そうしたのか。簡単に言うと、低所得層(消費支出が最下位10%の世帯)の消費水準に合わせて基準を見直した結果だ。国民の生活水準が全般に低下してきた中で、貧しい層の動向に合わせるというやり方で、「健康で文化的な最低限度の生活」は守られるのか。
 見直しによって、生活扶助の基準額が具体的にどう変わるのか。大まかに見ると、大都市部、高齢単身者、子どもの多い世帯はもっぱらマイナスになり、地方の郡部、夫婦だけの世帯、子供1人の世帯ではプラスの傾向である。それで全体としてダウンするのは、生活保護世帯は大都市圏に多く、しかも高齢単身者が多いからである。厚労省の推計によると、生活扶助額が上がる世帯は26%、変わらない世帯が8%、下がる世帯が67%となっている。
 全体の金額で影響を見ると、3段階の見直しが完了した段階で、生活扶助の本体部分の国負担額は年間でマイナス180億円、子供のいる世帯への加算額の見直しがプラス20億円。差し引きマイナス160億円となっている。18年度予算の概算要求で生活扶助の国負担見込み額は9056億円なので、それと比べると1.8%のダウン。生活保護費の国の負担割合は4分の3なので、実際の生活扶助費の総額は年間213億円のマイナスになる。それだけでなく、基準が下がると保護対象となる世帯が減るので、削減額はさらに大きくなる。
 生活保護の基準は厚労省が告示で定めている。どういう方式で生活扶助の基準を改定するか、ルールは決まっていないのだ。今回、現行の基準が適切かどうかの検証作業は、16年5月から社会保障審議会生活保護基準部会で行われたが、多くの委員から「新たな検証方式を考えるべきだ」といった意見が出た。しかし、事務局の厚労省保護課が主導して「水準均衡方式」で検証作業を進めた。
 水準均衡方式でも、どの層の消費実態を参照するかはいくつかの選択肢があるのだが、用いたのは最下位10%の層だ。総務省の全国消費実態調査のデータ(14年調査分)で、消費支出が最も低い10%の世帯(うち生活保護と見られる世帯は除外)の消費支出の状況を見て、それを生活扶助の基準と比べたのである。その検証結果をあてはめて生活扶助の基準を修正すると、最大13.7%の減額になる世帯が出るところだが、厚労省は影響の大きさを考えて、下げ幅にキャップをかぶせ、最大5%に抑えることにして公表した。
 ただし、 基準部会の報告書 は、検証結果を1つの試算として示しただけで、基準をどうするべきだという意見は述べていない。厚労省による最終的な基準改定の内容も、基準部会には諮られていない。つまり今回の見直しは、基準部会の委員になった専門家の合意を経た内容ではなく、あくまでも厚労省による政策決定なのだ。
 最下位10%の層に合わせる水準均衡方式には、大きな問題がある。最も貧しい層の中には、最低限度を下回る暮らしの世帯が相当含まれるからなのだ。生活保護の要件を収入・資産の両面で満たす世帯のうち、実際に保護を利用している割合(捕捉率)は2〜3割と見られる。恥の意識、福祉事務所の冷たい対応、保護を受けるために自動車を手放すと暮らせないといった事情で、厳しい生活に耐えている貧困層。その低すぎる生活水準に生活保護を合わせることになりかねない。
 そして、国民の生活水準の低下傾向が続く中で、最も貧しい層との比較を続けると、保護基準が際限なく下がり続けてしまう。「健康で文化的な最低限度の生活」に必要と考えられる費目を積み上げるマーケットバスケット方式を改めて用いるなど、何らかの形で絶対的なラインを設定するべきではないだろうか。この問題は、基準部会の報告書も強調している。
 生活保護の基準の改定は、政府が国民に最低保障する生活水準(ナショナルミニマム)が変わるということです。いま安定した暮らしの人でも、病気、けが、死別、失業など何らかの事情で生活に困る可能性があります。そのとき基準額が下がっていると、政府が確保してくれる生活水準が低くなるわけです。具体的には、三つの面で影響が生じます。
  第1に、現に生活保護を利用している世帯が受け取る額が減る。
  第2に、生活保護を利用できるラインが下がる。収入が基準額より少し低い水準の世帯は、これまでなら利用できた保護を受けられなくなる。
  第3に、保護基準の引き下げは、他の制度にも影響する。
 住民税の非課税限度額、就学援助の基準、最低賃金、大学の授業料・入学金の減免などは保護基準を参照して決められる。介護保険料の区分、介護施設入所中の食費・居住費も保護基準に連動する部分がある。また、住民税の非課税限度額が下がると、医療保険の高額療養費制度、入院中の食費、障害者福祉、障害者や難病患者の医療費、保育料など、数多くの制度の負担区分に影響が及び、これまでより負担の増える世帯が出てくる。保護を受けていない人々にとっても他人事ではないのだ。

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低所得化に合わせて基準を下げてよいのか?

 生活保護の8種類の扶助のうち、主たる生活費である生活扶助の基準の見直しを厚生労働省が昨年12月に決めた。2018年10月から20年10月にかけ、3段階に分けて実施される。
 見直しの影響は、世帯の人数、年齢構成、居住地域によって異なり、今より基準額が増える世帯もあるが、減る世帯のほうがはるかに多く、最大では5%下がる。生活扶助の総額で見ると、1.8%のマイナス。13年8月から15年4月にかけて平均7.3%(最大10%)の大幅引き下げが行われたのに続くダウンになる。
 なぜ、そうしたのか。簡単に言うと、低所得層(消費支出が最下位10%の世帯)の消費水準に合わせて基準を見直した結果だ。国民の生活水準が全般に低下してきた中で、貧しい層の動向に合わせるというやり方で、「健康で文化的な最低限度の生活」は守られるのか。
 見直しによって、生活扶助の基準額が具体的にどう変わるのか。大まかに見ると、大都市部、高齢単身者、子どもの多い世帯はもっぱらマイナスになり、地方の郡部、夫婦だけの世帯、子供1人の世帯ではプラスの傾向である。それで全体としてダウンするのは、生活保護世帯は大都市圏に多く、しかも高齢単身者が多いからである。厚労省の推計によると、生活扶助額が上がる世帯は26%、変わらない世帯が8%、下がる世帯が67%となっている。
 全体の金額で影響を見ると、3段階の見直しが完了した段階で、生活扶助の本体部分の国負担額は年間でマイナス180億円、子供のいる世帯への加算額の見直しがプラス20億円。差し引きマイナス160億円となっている。18年度予算の概算要求で生活扶助の国負担見込み額は9056億円なので、それと比べると1.8%のダウン。生活保護費の国の負担割合は4分の3なので、実際の生活扶助費の総額は年間213億円のマイナスになる。それだけでなく、基準が下がると保護対象となる世帯が減るので、削減額はさらに大きくなる。
 生活保護の基準は厚労省が告示で定めている。どういう方式で生活扶助の基準を改定するか、ルールは決まっていないのだ。今回、現行の基準が適切かどうかの検証作業は、16年5月から社会保障審議会生活保護基準部会で行われたが、多くの委員から「新たな検証方式を考えるべきだ」といった意見が出た。しかし、事務局の厚労省保護課が主導して「水準均衡方式」で検証作業を進めた。
 水準均衡方式でも、どの層の消費実態を参照するかはいくつかの選択肢があるのだが、用いたのは最下位10%の層だ。総務省の全国消費実態調査のデータ(14年調査分)で、消費支出が最も低い10%の世帯(うち生活保護と見られる世帯は除外)の消費支出の状況を見て、それを生活扶助の基準と比べたのである。その検証結果をあてはめて生活扶助の基準を修正すると、最大13.7%の減額になる世帯が出るところだが、厚労省は影響の大きさを考えて、下げ幅にキャップをかぶせ、最大5%に抑えることにして公表した。
 ただし、 基準部会の報告書 は、検証結果を1つの試算として示しただけで、基準をどうするべきだという意見は述べていない。厚労省による最終的な基準改定の内容も、基準部会には諮られていない。つまり今回の見直しは、基準部会の委員になった専門家の合意を経た内容ではなく、あくまでも厚労省による政策決定なのだ。
 最下位10%の層に合わせる水準均衡方式には、大きな問題がある。最も貧しい層の中には、最低限度を下回る暮らしの世帯が相当含まれるからなのだ。生活保護の要件を収入・資産の両面で満たす世帯のうち、実際に保護を利用している割合(捕捉率)は2〜3割と見られる。恥の意識、福祉事務所の冷たい対応、保護を受けるために自動車を手放すと暮らせないといった事情で、厳しい生活に耐えている貧困層。その低すぎる生活水準に生活保護を合わせることになりかねない。
 そして、国民の生活水準の低下傾向が続く中で、最も貧しい層との比較を続けると、保護基準が際限なく下がり続けてしまう。「健康で文化的な最低限度の生活」に必要と考えられる費目を積み上げるマーケットバスケット方式を改めて用いるなど、何らかの形で絶対的なラインを設定するべきではないだろうか。この問題は、基準部会の報告書も強調している。
 生活保護の基準の改定は、政府が国民に最低保障する生活水準(ナショナルミニマム)が変わるということです。いま安定した暮らしの人でも、病気、けが、死別、失業など何らかの事情で生活に困る可能性があります。そのとき基準額が下がっていると、政府が確保してくれる生活水準が低くなるわけです。具体的には、三つの面で影響が生じます。
  第1に、現に生活保護を利用している世帯が受け取る額が減る。
  第2に、生活保護を利用できるラインが下がる。収入が基準額より少し低い水準の世帯は、これまでなら利用できた保護を受けられなくなる。
  第3に、保護基準の引き下げは、他の制度にも影響する。
 住民税の非課税限度額、就学援助の基準、最低賃金、大学の授業料・入学金の減免などは保護基準を参照して決められる。介護保険料の区分、介護施設入所中の食費・居住費も保護基準に連動する部分がある。また、住民税の非課税限度額が下がると、医療保険の高額療養費制度、入院中の食費、障害者福祉、障害者や難病患者の医療費、保育料など、数多くの制度の負担区分に影響が及び、これまでより負担の増える世帯が出てくる。保護を受けていない人々にとっても他人事ではないのだ。

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低所得化に合わせて基準を下げてよいのか?

 生活保護の8種類の扶助のうち、主たる生活費である生活扶助の基準の見直しを厚生労働省が昨年12月に決めた。2018年10月から20年10月にかけ、3段階に分けて実施される。
 見直しの影響は、世帯の人数、年齢構成、居住地域によって異なり、今より基準額が増える世帯もあるが、減る世帯のほうがはるかに多く、最大では5%下がる。生活扶助の総額で見ると、1.8%のマイナス。13年8月から15年4月にかけて平均7.3%(最大10%)の大幅引き下げが行われたのに続くダウンになる。
 なぜ、そうしたのか。簡単に言うと、低所得層(消費支出が最下位10%の世帯)の消費水準に合わせて基準を見直した結果だ。国民の生活水準が全般に低下してきた中で、貧しい層の動向に合わせるというやり方で、「健康で文化的な最低限度の生活」は守られるのか。
 見直しによって、生活扶助の基準額が具体的にどう変わるのか。大まかに見ると、大都市部、高齢単身者、子どもの多い世帯はもっぱらマイナスになり、地方の郡部、夫婦だけの世帯、子供1人の世帯ではプラスの傾向である。それで全体としてダウンするのは、生活保護世帯は大都市圏に多く、しかも高齢単身者が多いからである。厚労省の推計によると、生活扶助額が上がる世帯は26%、変わらない世帯が8%、下がる世帯が67%となっている。
 全体の金額で影響を見ると、3段階の見直しが完了した段階で、生活扶助の本体部分の国負担額は年間でマイナス180億円、子供のいる世帯への加算額の見直しがプラス20億円。差し引きマイナス160億円となっている。18年度予算の概算要求で生活扶助の国負担見込み額は9056億円なので、それと比べると1.8%のダウン。生活保護費の国の負担割合は4分の3なので、実際の生活扶助費の総額は年間213億円のマイナスになる。それだけでなく、基準が下がると保護対象となる世帯が減るので、削減額はさらに大きくなる。
 生活保護の基準は厚労省が告示で定めている。どういう方式で生活扶助の基準を改定するか、ルールは決まっていないのだ。今回、現行の基準が適切かどうかの検証作業は、16年5月から社会保障審議会生活保護基準部会で行われたが、多くの委員から「新たな検証方式を考えるべきだ」といった意見が出た。しかし、事務局の厚労省保護課が主導して「水準均衡方式」で検証作業を進めた。
 水準均衡方式でも、どの層の消費実態を参照するかはいくつかの選択肢があるのだが、用いたのは最下位10%の層だ。総務省の全国消費実態調査のデータ(14年調査分)で、消費支出が最も低い10%の世帯(うち生活保護と見られる世帯は除外)の消費支出の状況を見て、それを生活扶助の基準と比べたのである。その検証結果をあてはめて生活扶助の基準を修正すると、最大13.7%の減額になる世帯が出るところだが、厚労省は影響の大きさを考えて、下げ幅にキャップをかぶせ、最大5%に抑えることにして公表した。
 ただし、 基準部会の報告書 は、検証結果を1つの試算として示しただけで、基準をどうするべきだという意見は述べていない。厚労省による最終的な基準改定の内容も、基準部会には諮られていない。つまり今回の見直しは、基準部会の委員になった専門家の合意を経た内容ではなく、あくまでも厚労省による政策決定なのだ。
 最下位10%の層に合わせる水準均衡方式には、大きな問題がある。最も貧しい層の中には、最低限度を下回る暮らしの世帯が相当含まれるからなのだ。生活保護の要件を収入・資産の両面で満たす世帯のうち、実際に保護を利用している割合(捕捉率)は2〜3割と見られる。恥の意識、福祉事務所の冷たい対応、保護を受けるために自動車を手放すと暮らせないといった事情で、厳しい生活に耐えている貧困層。その低すぎる生活水準に生活保護を合わせることになりかねない。
 そして、国民の生活水準の低下傾向が続く中で、最も貧しい層との比較を続けると、保護基準が際限なく下がり続けてしまう。「健康で文化的な最低限度の生活」に必要と考えられる費目を積み上げるマーケットバスケット方式を改めて用いるなど、何らかの形で絶対的なラインを設定するべきではないだろうか。この問題は、基準部会の報告書も強調している。
 生活保護の基準の改定は、政府が国民に最低保障する生活水準(ナショナルミニマム)が変わるということです。いま安定した暮らしの人でも、病気、けが、死別、失業など何らかの事情で生活に困る可能性があります。そのとき基準額が下がっていると、政府が確保してくれる生活水準が低くなるわけです。具体的には、三つの面で影響が生じます。
  第1に、現に生活保護を利用している世帯が受け取る額が減る。
  第2に、生活保護を利用できるラインが下がる。収入が基準額より少し低い水準の世帯は、これまでなら利用できた保護を受けられなくなる。
  第3に、保護基準の引き下げは、他の制度にも影響する。
 住民税の非課税限度額、就学援助の基準、最低賃金、大学の授業料・入学金の減免などは保護基準を参照して決められる。介護保険料の区分、介護施設入所中の食費・居住費も保護基準に連動する部分がある。また、住民税の非課税限度額が下がると、医療保険の高額療養費制度、入院中の食費、障害者福祉、障害者や難病患者の医療費、保育料など、数多くの制度の負担区分に影響が及び、これまでより負担の増える世帯が出てくる。保護を受けていない人々にとっても他人事ではないのだ。

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 生活保護の8種類の扶助のうち、主たる生活費である生活扶助の基準の見直しを厚生労働省が昨年12月に決めた。2018年10月から20年10月にかけ、3段階に分けて実施される。
 見直しの影響は、世帯の人数、年齢構成、居住地域によって異なり、今より基準額が増える世帯もあるが、減る世帯のほうがはるかに多く、最大では5%下がる。生活扶助の総額で見ると、1.8%のマイナス。13年8月から15年4月にかけて平均7.3%(最大10%)の大幅引き下げが行われたのに続くダウンになる。
 なぜ、そうしたのか。簡単に言うと、低所得層(消費支出が最下位10%の世帯)の消費水準に合わせて基準を見直した結果だ。国民の生活水準が全般に低下してきた中で、貧しい層の動向に合わせるというやり方で、「健康で文化的な最低限度の生活」は守られるのか。
 見直しによって、生活扶助の基準額が具体的にどう変わるのか。大まかに見ると、大都市部、高齢単身者、子どもの多い世帯はもっぱらマイナスになり、地方の郡部、夫婦だけの世帯、子供1人の世帯ではプラスの傾向である。それで全体としてダウンするのは、生活保護世帯は大都市圏に多く、しかも高齢単身者が多いからである。厚労省の推計によると、生活扶助額が上がる世帯は26%、変わらない世帯が8%、下がる世帯が67%となっている。
 全体の金額で影響を見ると、3段階の見直しが完了した段階で、生活扶助の本体部分の国負担額は年間でマイナス180億円、子供のいる世帯への加算額の見直しがプラス20億円。差し引きマイナス160億円となっている。18年度予算の概算要求で生活扶助の国負担見込み額は9056億円なので、それと比べると1.8%のダウン。生活保護費の国の負担割合は4分の3なので、実際の生活扶助費の総額は年間213億円のマイナスになる。それだけでなく、基準が下がると保護対象となる世帯が減るので、削減額はさらに大きくなる。
 生活保護の基準は厚労省が告示で定めている。どういう方式で生活扶助の基準を改定するか、ルールは決まっていないのだ。今回、現行の基準が適切かどうかの検証作業は、16年5月から社会保障審議会生活保護基準部会で行われたが、多くの委員から「新たな検証方式を考えるべきだ」といった意見が出た。しかし、事務局の厚労省保護課が主導して「水準均衡方式」で検証作業を進めた。
 水準均衡方式でも、どの層の消費実態を参照するかはいくつかの選択肢があるのだが、用いたのは最下位10%の層だ。総務省の全国消費実態調査のデータ(14年調査分)で、消費支出が最も低い10%の世帯(うち生活保護と見られる世帯は除外)の消費支出の状況を見て、それを生活扶助の基準と比べたのである。その検証結果をあてはめて生活扶助の基準を修正すると、最大13.7%の減額になる世帯が出るところだが、厚労省は影響の大きさを考えて、下げ幅にキャップをかぶせ、最大5%に抑えることにして公表した。
 ただし、 基準部会の報告書 は、検証結果を1つの試算として示しただけで、基準をどうするべきだという意見は述べていない。厚労省による最終的な基準改定の内容も、基準部会には諮られていない。つまり今回の見直しは、基準部会の委員になった専門家の合意を経た内容ではなく、あくまでも厚労省による政策決定なのだ。
 最下位10%の層に合わせる水準均衡方式には、大きな問題がある。最も貧しい層の中には、最低限度を下回る暮らしの世帯が相当含まれるからなのだ。生活保護の要件を収入・資産の両面で満たす世帯のうち、実際に保護を利用している割合(捕捉率)は2〜3割と見られる。恥の意識、福祉事務所の冷たい対応、保護を受けるために自動車を手放すと暮らせないといった事情で、厳しい生活に耐えている貧困層。その低すぎる生活水準に生活保護を合わせることになりかねない。
 そして、国民の生活水準の低下傾向が続く中で、最も貧しい層との比較を続けると、保護基準が際限なく下がり続けてしまう。「健康で文化的な最低限度の生活」に必要と考えられる費目を積み上げるマーケットバスケット方式を改めて用いるなど、何らかの形で絶対的なラインを設定するべきではないだろうか。この問題は、基準部会の報告書も強調している。
 生活保護の基準の改定は、政府が国民に最低保障する生活水準(ナショナルミニマム)が変わるということです。いま安定した暮らしの人でも、病気、けが、死別、失業など何らかの事情で生活に困る可能性があります。そのとき基準額が下がっていると、政府が確保してくれる生活水準が低くなるわけです。具体的には、三つの面で影響が生じます。
  第1に、現に生活保護を利用している世帯が受け取る額が減る。
  第2に、生活保護を利用できるラインが下がる。収入が基準額より少し低い水準の世帯は、これまでなら利用できた保護を受けられなくなる。
  第3に、保護基準の引き下げは、他の制度にも影響する。
 住民税の非課税限度額、就学援助の基準、最低賃金、大学の授業料・入学金の減免などは保護基準を参照して決められる。介護保険料の区分、介護施設入所中の食費・居住費も保護基準に連動する部分がある。また、住民税の非課税限度額が下がると、医療保険の高額療養費制度、入院中の食費、障害者福祉、障害者や難病患者の医療費、保育料など、数多くの制度の負担区分に影響が及び、これまでより負担の増える世帯が出てくる。保護を受けていない人々にとっても他人事ではないのだ。

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2018年05月19日

「生活保護費」を搾取する貧困ビジネスが横行、行政も黙認…返還命令判決が一石投じた

「貧困ビジネス」で生活保護費を搾取されたとして、男性2人がかつて入居していた宿泊施設側に対して、保護費の返還などを求めた訴訟の判決がさいたま地裁であった。脇由紀裁判長は「生活保護法の趣旨に反し、違法性が高い」として、施設の経営者に計約1580万円の支払いを命じた。
 路上生活をしていた男性2人は、2005年から2010年にかけて、この経営者が運営する埼玉県内の宿泊施設に入居した。生活保護費を施設側にわたす代わりに食事の提供を受けたが、手元には月2万円ほどの小遣いしか残されなかった。また、6畳程度の部屋を2人で使用し、食事は安価で栄養バランスを欠いたものだったという。
裁判で被告となった埼玉県内にある『株式会社ユニティー』は、有名な悪徳貧困ビジネス業者。
『救済係』と呼ばれる従業員が、東京都の新宿や上野などで、路上生活者らに対し、『埼玉に福祉の寮があるので来ませんか』『1日500円あげるよ』『3度の食事は心配しなくていい』などと声をかけて、勧誘していた。
 それに応じた路上生活者らは、埼玉県内にあるユニティーの寮に連れて来られて、そこから福祉事務所に生活保護を申請し、ユニティーの寮で生活をしていた。
 しかし、生活保護費はすべてユニティーが没収し、入所者には1日500円が渡されるだけ。食事や居住環境も劣悪で、食事の材料のお米はくず米といっていいほど、粗末なものだった。」
判決では、生活保護が憲法25条に基づいて「健康で文化的な最低限度の生活」を保障していることを確認したうえで、「被告は、原告らから生活保護費を全額徴収しながら、原告らに対して、生活保護法に定める健康で文化的な最低限度の生活水準に満たないサービスしか提供せず、その差額をすべて取得していたのであり、かかる被告の行為は、生活保護法の趣旨に反し、その違法性は高い」と断じた。
 さらに、『結局、被告の本件事業は、生活保護費から利益を得ることを目的とし、路上生活者らを多数勧誘して被告寮に入居させ、生活保護費を受給させた上でこれを全額徴収し、入居者らには生活保護基準に満たない劣悪なサービスを提供するのみで、その差額を収受して不当な利益を得ていたと認めた。
 そのような内容の契約は公序良俗に反し無効であり、被告がおこなったことは「原告らの最低限度の生活を営む権利を侵害」しているとして損害賠償の支払を命じたのである。
 また、原告のうち1名は、被告が経営する工場で働かされていた際、指を切断する大ケガをしたことから、この点についても被告に責任があるとして、損害賠償の支払が認められた。
 この判決は、生活保護の利用者を食い物にしている貧困ビジネス業者の行為を「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を侵害する違法なものと断じた点で画期的なものである。
 そして、このような業者が大手を振って存在していることを黙認(場合によっては積極的に利用)している福祉事務所(行政)に対しても、警鐘を鳴らすものといえるのだ。
 公園や駅構内などで、路上生活を余儀なくされている人に対して、いわゆる貧困ビジネス業者が声をかけ、生活保護を受給させたうえで、保護費の大半をピンハネする被害が相次いでいる。
 このような業者は、住まいやお金がなく生活をしていくのが困難な人に対して、あたかも救済してあげるかのようなそぶりをみせながら、実際には劣悪な施設に住まわせ、食事なども粗末なものしか提供しないなど、貧困状態にある人々を食い物にしているのである。
 貧困ビジネス業者からしてみれば、「野宿するよりましじゃないか」「食事も住む場所も提供しているのに文句を言うな」とでも思っているのかもしれないが、法律にしたがって生活保護制度を受給すれば、ピンハネされることなく生活保護を受給でき、アパートに住むことも可能なのだ。
 わざわざ貧困ビジネス業者のお世話になる必要はまったくない。貧困状態にある人を食い物にする貧困ビジネス業者が跋扈することを許さないためにも、生活保護制度をはじめとする制度を周知し、使いやすくすることが重要なのである。
 今回の件は、貧困ビジネスをおこなう民間の悪徳業者の責任が問われた。ただ、忘れてはならないのは、こういった貧困ビジネス業者の存在を許し、場合によっては積極的に利用している行政(福祉事務所)の存在である。
 生活保護制度は、この判決がいうように、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』(憲法25条)を保障するための制度であり、生活に困窮したら誰でも、貧困になった理由に関係なく、いつでも「権利」として利用することが可能な制度なのである。
 住まいのない人に対しては、個室のアパート等の安心できる住居を保障することが国家の責任として定められている(居宅保護の原則)。にもかかわらず、現状では、ホームレス状態の人が、生活保護を申請してもアパートへの入居を認めずに、劣悪な施設への入所を行政(福祉事務所)が積極的にすすめているという実態がある。今回の判決は、このような施設収容を前提とした生活保護行政のあり方にも一石を投じたという意味でも、非常に画期的だったのではないか。
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「生活保護費」を搾取する貧困ビジネスが横行、行政も黙認…返還命令判決が一石投じた

「貧困ビジネス」で生活保護費を搾取されたとして、男性2人がかつて入居していた宿泊施設側に対して、保護費の返還などを求めた訴訟の判決がさいたま地裁であった。脇由紀裁判長は「生活保護法の趣旨に反し、違法性が高い」として、施設の経営者に計約1580万円の支払いを命じた。
 路上生活をしていた男性2人は、2005年から2010年にかけて、この経営者が運営する埼玉県内の宿泊施設に入居した。生活保護費を施設側にわたす代わりに食事の提供を受けたが、手元には月2万円ほどの小遣いしか残されなかった。また、6畳程度の部屋を2人で使用し、食事は安価で栄養バランスを欠いたものだったという。
裁判で被告となった埼玉県内にある『株式会社ユニティー』は、有名な悪徳貧困ビジネス業者。
『救済係』と呼ばれる従業員が、東京都の新宿や上野などで、路上生活者らに対し、『埼玉に福祉の寮があるので来ませんか』『1日500円あげるよ』『3度の食事は心配しなくていい』などと声をかけて、勧誘していた。
 それに応じた路上生活者らは、埼玉県内にあるユニティーの寮に連れて来られて、そこから福祉事務所に生活保護を申請し、ユニティーの寮で生活をしていた。
 しかし、生活保護費はすべてユニティーが没収し、入所者には1日500円が渡されるだけ。食事や居住環境も劣悪で、食事の材料のお米はくず米といっていいほど、粗末なものだった。」
判決では、生活保護が憲法25条に基づいて「健康で文化的な最低限度の生活」を保障していることを確認したうえで、「被告は、原告らから生活保護費を全額徴収しながら、原告らに対して、生活保護法に定める健康で文化的な最低限度の生活水準に満たないサービスしか提供せず、その差額をすべて取得していたのであり、かかる被告の行為は、生活保護法の趣旨に反し、その違法性は高い」と断じた。
 さらに、『結局、被告の本件事業は、生活保護費から利益を得ることを目的とし、路上生活者らを多数勧誘して被告寮に入居させ、生活保護費を受給させた上でこれを全額徴収し、入居者らには生活保護基準に満たない劣悪なサービスを提供するのみで、その差額を収受して不当な利益を得ていたと認めた。
 そのような内容の契約は公序良俗に反し無効であり、被告がおこなったことは「原告らの最低限度の生活を営む権利を侵害」しているとして損害賠償の支払を命じたのである。
 また、原告のうち1名は、被告が経営する工場で働かされていた際、指を切断する大ケガをしたことから、この点についても被告に責任があるとして、損害賠償の支払が認められた。
 この判決は、生活保護の利用者を食い物にしている貧困ビジネス業者の行為を「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を侵害する違法なものと断じた点で画期的なものである。
 そして、このような業者が大手を振って存在していることを黙認(場合によっては積極的に利用)している福祉事務所(行政)に対しても、警鐘を鳴らすものといえるのだ。
 公園や駅構内などで、路上生活を余儀なくされている人に対して、いわゆる貧困ビジネス業者が声をかけ、生活保護を受給させたうえで、保護費の大半をピンハネする被害が相次いでいる。
 このような業者は、住まいやお金がなく生活をしていくのが困難な人に対して、あたかも救済してあげるかのようなそぶりをみせながら、実際には劣悪な施設に住まわせ、食事なども粗末なものしか提供しないなど、貧困状態にある人々を食い物にしているのである。
 貧困ビジネス業者からしてみれば、「野宿するよりましじゃないか」「食事も住む場所も提供しているのに文句を言うな」とでも思っているのかもしれないが、法律にしたがって生活保護制度を受給すれば、ピンハネされることなく生活保護を受給でき、アパートに住むことも可能なのだ。
 わざわざ貧困ビジネス業者のお世話になる必要はまったくない。貧困状態にある人を食い物にする貧困ビジネス業者が跋扈することを許さないためにも、生活保護制度をはじめとする制度を周知し、使いやすくすることが重要なのである。
 今回の件は、貧困ビジネスをおこなう民間の悪徳業者の責任が問われた。ただ、忘れてはならないのは、こういった貧困ビジネス業者の存在を許し、場合によっては積極的に利用している行政(福祉事務所)の存在である。
 生活保護制度は、この判決がいうように、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』(憲法25条)を保障するための制度であり、生活に困窮したら誰でも、貧困になった理由に関係なく、いつでも「権利」として利用することが可能な制度なのである。
 住まいのない人に対しては、個室のアパート等の安心できる住居を保障することが国家の責任として定められている(居宅保護の原則)。にもかかわらず、現状では、ホームレス状態の人が、生活保護を申請してもアパートへの入居を認めずに、劣悪な施設への入所を行政(福祉事務所)が積極的にすすめているという実態がある。今回の判決は、このような施設収容を前提とした生活保護行政のあり方にも一石を投じたという意味でも、非常に画期的だったのではないか。
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「生活保護費」を搾取する貧困ビジネスが横行、行政も黙認…返還命令判決が一石投じた

「貧困ビジネス」で生活保護費を搾取されたとして、男性2人がかつて入居していた宿泊施設側に対して、保護費の返還などを求めた訴訟の判決がさいたま地裁であった。脇由紀裁判長は「生活保護法の趣旨に反し、違法性が高い」として、施設の経営者に計約1580万円の支払いを命じた。
 路上生活をしていた男性2人は、2005年から2010年にかけて、この経営者が運営する埼玉県内の宿泊施設に入居した。生活保護費を施設側にわたす代わりに食事の提供を受けたが、手元には月2万円ほどの小遣いしか残されなかった。また、6畳程度の部屋を2人で使用し、食事は安価で栄養バランスを欠いたものだったという。
裁判で被告となった埼玉県内にある『株式会社ユニティー』は、有名な悪徳貧困ビジネス業者。
『救済係』と呼ばれる従業員が、東京都の新宿や上野などで、路上生活者らに対し、『埼玉に福祉の寮があるので来ませんか』『1日500円あげるよ』『3度の食事は心配しなくていい』などと声をかけて、勧誘していた。
 それに応じた路上生活者らは、埼玉県内にあるユニティーの寮に連れて来られて、そこから福祉事務所に生活保護を申請し、ユニティーの寮で生活をしていた。
 しかし、生活保護費はすべてユニティーが没収し、入所者には1日500円が渡されるだけ。食事や居住環境も劣悪で、食事の材料のお米はくず米といっていいほど、粗末なものだった。」
判決では、生活保護が憲法25条に基づいて「健康で文化的な最低限度の生活」を保障していることを確認したうえで、「被告は、原告らから生活保護費を全額徴収しながら、原告らに対して、生活保護法に定める健康で文化的な最低限度の生活水準に満たないサービスしか提供せず、その差額をすべて取得していたのであり、かかる被告の行為は、生活保護法の趣旨に反し、その違法性は高い」と断じた。
 さらに、『結局、被告の本件事業は、生活保護費から利益を得ることを目的とし、路上生活者らを多数勧誘して被告寮に入居させ、生活保護費を受給させた上でこれを全額徴収し、入居者らには生活保護基準に満たない劣悪なサービスを提供するのみで、その差額を収受して不当な利益を得ていたと認めた。
 そのような内容の契約は公序良俗に反し無効であり、被告がおこなったことは「原告らの最低限度の生活を営む権利を侵害」しているとして損害賠償の支払を命じたのである。
 また、原告のうち1名は、被告が経営する工場で働かされていた際、指を切断する大ケガをしたことから、この点についても被告に責任があるとして、損害賠償の支払が認められた。
 この判決は、生活保護の利用者を食い物にしている貧困ビジネス業者の行為を「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を侵害する違法なものと断じた点で画期的なものである。
 そして、このような業者が大手を振って存在していることを黙認(場合によっては積極的に利用)している福祉事務所(行政)に対しても、警鐘を鳴らすものといえるのだ。
 公園や駅構内などで、路上生活を余儀なくされている人に対して、いわゆる貧困ビジネス業者が声をかけ、生活保護を受給させたうえで、保護費の大半をピンハネする被害が相次いでいる。
 このような業者は、住まいやお金がなく生活をしていくのが困難な人に対して、あたかも救済してあげるかのようなそぶりをみせながら、実際には劣悪な施設に住まわせ、食事なども粗末なものしか提供しないなど、貧困状態にある人々を食い物にしているのである。
 貧困ビジネス業者からしてみれば、「野宿するよりましじゃないか」「食事も住む場所も提供しているのに文句を言うな」とでも思っているのかもしれないが、法律にしたがって生活保護制度を受給すれば、ピンハネされることなく生活保護を受給でき、アパートに住むことも可能なのだ。
 わざわざ貧困ビジネス業者のお世話になる必要はまったくない。貧困状態にある人を食い物にする貧困ビジネス業者が跋扈することを許さないためにも、生活保護制度をはじめとする制度を周知し、使いやすくすることが重要なのである。
 今回の件は、貧困ビジネスをおこなう民間の悪徳業者の責任が問われた。ただ、忘れてはならないのは、こういった貧困ビジネス業者の存在を許し、場合によっては積極的に利用している行政(福祉事務所)の存在である。
 生活保護制度は、この判決がいうように、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』(憲法25条)を保障するための制度であり、生活に困窮したら誰でも、貧困になった理由に関係なく、いつでも「権利」として利用することが可能な制度なのである。
 住まいのない人に対しては、個室のアパート等の安心できる住居を保障することが国家の責任として定められている(居宅保護の原則)。にもかかわらず、現状では、ホームレス状態の人が、生活保護を申請してもアパートへの入居を認めずに、劣悪な施設への入所を行政(福祉事務所)が積極的にすすめているという実態がある。今回の判決は、このような施設収容を前提とした生活保護行政のあり方にも一石を投じたという意味でも、非常に画期的だったのではないか。
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「生活保護費」を搾取する貧困ビジネスが横行、行政も黙認…返還命令判決が一石投じた

「貧困ビジネス」で生活保護費を搾取されたとして、男性2人がかつて入居していた宿泊施設側に対して、保護費の返還などを求めた訴訟の判決がさいたま地裁であった。脇由紀裁判長は「生活保護法の趣旨に反し、違法性が高い」として、施設の経営者に計約1580万円の支払いを命じた。
 路上生活をしていた男性2人は、2005年から2010年にかけて、この経営者が運営する埼玉県内の宿泊施設に入居した。生活保護費を施設側にわたす代わりに食事の提供を受けたが、手元には月2万円ほどの小遣いしか残されなかった。また、6畳程度の部屋を2人で使用し、食事は安価で栄養バランスを欠いたものだったという。
裁判で被告となった埼玉県内にある『株式会社ユニティー』は、有名な悪徳貧困ビジネス業者。
『救済係』と呼ばれる従業員が、東京都の新宿や上野などで、路上生活者らに対し、『埼玉に福祉の寮があるので来ませんか』『1日500円あげるよ』『3度の食事は心配しなくていい』などと声をかけて、勧誘していた。
 それに応じた路上生活者らは、埼玉県内にあるユニティーの寮に連れて来られて、そこから福祉事務所に生活保護を申請し、ユニティーの寮で生活をしていた。
 しかし、生活保護費はすべてユニティーが没収し、入所者には1日500円が渡されるだけ。食事や居住環境も劣悪で、食事の材料のお米はくず米といっていいほど、粗末なものだった。」
判決では、生活保護が憲法25条に基づいて「健康で文化的な最低限度の生活」を保障していることを確認したうえで、「被告は、原告らから生活保護費を全額徴収しながら、原告らに対して、生活保護法に定める健康で文化的な最低限度の生活水準に満たないサービスしか提供せず、その差額をすべて取得していたのであり、かかる被告の行為は、生活保護法の趣旨に反し、その違法性は高い」と断じた。
 さらに、『結局、被告の本件事業は、生活保護費から利益を得ることを目的とし、路上生活者らを多数勧誘して被告寮に入居させ、生活保護費を受給させた上でこれを全額徴収し、入居者らには生活保護基準に満たない劣悪なサービスを提供するのみで、その差額を収受して不当な利益を得ていたと認めた。
 そのような内容の契約は公序良俗に反し無効であり、被告がおこなったことは「原告らの最低限度の生活を営む権利を侵害」しているとして損害賠償の支払を命じたのである。
 また、原告のうち1名は、被告が経営する工場で働かされていた際、指を切断する大ケガをしたことから、この点についても被告に責任があるとして、損害賠償の支払が認められた。
 この判決は、生活保護の利用者を食い物にしている貧困ビジネス業者の行為を「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を侵害する違法なものと断じた点で画期的なものである。
 そして、このような業者が大手を振って存在していることを黙認(場合によっては積極的に利用)している福祉事務所(行政)に対しても、警鐘を鳴らすものといえるのだ。
 公園や駅構内などで、路上生活を余儀なくされている人に対して、いわゆる貧困ビジネス業者が声をかけ、生活保護を受給させたうえで、保護費の大半をピンハネする被害が相次いでいる。
 このような業者は、住まいやお金がなく生活をしていくのが困難な人に対して、あたかも救済してあげるかのようなそぶりをみせながら、実際には劣悪な施設に住まわせ、食事なども粗末なものしか提供しないなど、貧困状態にある人々を食い物にしているのである。
 貧困ビジネス業者からしてみれば、「野宿するよりましじゃないか」「食事も住む場所も提供しているのに文句を言うな」とでも思っているのかもしれないが、法律にしたがって生活保護制度を受給すれば、ピンハネされることなく生活保護を受給でき、アパートに住むことも可能なのだ。
 わざわざ貧困ビジネス業者のお世話になる必要はまったくない。貧困状態にある人を食い物にする貧困ビジネス業者が跋扈することを許さないためにも、生活保護制度をはじめとする制度を周知し、使いやすくすることが重要なのである。
 今回の件は、貧困ビジネスをおこなう民間の悪徳業者の責任が問われた。ただ、忘れてはならないのは、こういった貧困ビジネス業者の存在を許し、場合によっては積極的に利用している行政(福祉事務所)の存在である。
 生活保護制度は、この判決がいうように、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』(憲法25条)を保障するための制度であり、生活に困窮したら誰でも、貧困になった理由に関係なく、いつでも「権利」として利用することが可能な制度なのである。
 住まいのない人に対しては、個室のアパート等の安心できる住居を保障することが国家の責任として定められている(居宅保護の原則)。にもかかわらず、現状では、ホームレス状態の人が、生活保護を申請してもアパートへの入居を認めずに、劣悪な施設への入所を行政(福祉事務所)が積極的にすすめているという実態がある。今回の判決は、このような施設収容を前提とした生活保護行政のあり方にも一石を投じたという意味でも、非常に画期的だったのではないか。
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2018年05月18日

責任は「本国」にあり

 在日が訴えた訴訟の判決には次のような部分もある。
 「社会保障は、その社会を構成する者に対し、実施されるべきであるとの一面を有しているが、そのことをもって、国籍の有無に関係なく、在留外国人も自国民と全く同一の社会保障を受ける権利を有しているとまではいえない。また、仮に、在日韓国・朝鮮人が、その本国政府から何らかの救済措置を講じられないとしても、そのことをもって、我が国が、原告ら在日韓国・朝鮮人に対し日本国民と全く同一の社会保障を与える法的義務があると解する理由とはならず…」
 「日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」のであり、「仮に、在日韓国・朝鮮人が、その本国政府から何らかの救済措置を講じられない」のであれば、日本の政府が動かざるを得ないが、それはあくまでも本筋ではない。韓国併合百年に当たっておかしな謝罪談話を出すことよりも、現に困窮している無年金者を救済することこそが先決ではないか。また、被告らの支援者も国籍をなきものとするというイデオロギーは差し置いて、被告らを救済すべく韓国政府に働きかけることではないか。
 韓国はかつての貧しい韓国ではない。経済的にも豊かになっている。韓国政府に対し、在日韓国人の社会保障について第一次的に責任を負う存在としてしかるべき対応をするよう、日本政府も在日韓国人の諸団体も日本の支援者も働きかける必要があるのではないか。それをしないで「国籍差別」であるとして日本の政府に日本国民と同一の待遇を求めるのは筋違い以外の何ものでもない。
 参政権との関係でもしばしば問題とされることだが、判決は社会保障と税金の納付との関係についても述べている。
「在日韓国・朝鮮人が、日本に対し、租税を納付しているとしても、租税は、国又は地方公共団体が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてではなく、これらの団体の経費に充てるための財源調達の目的をもって、法律の定める課税要件に該当するすべての者に対し、一般的標準により、均等に賦課する金銭給付であり、租税の納付と社会保障の享受とは直接の対価関係にはない」「租税を納付していることをもって、我が国が、在日韓国・朝鮮人に対し日本国民と全く同一の社会保障を与える法的義務があるということはできない」
 税金が行政サービスの対価であり、外国人にも自国民と等しく適用されるのに対して、社会保障はあくまで第一義的には自国民を対象にしたものであり、外国人に自国民と同一の社会保障を受けさせる権利を保障したものではないということだ。政府や地方自治体の関係者にはここで示された考えを正確に理解してもらいたい(判決の「社会保障」は「参政権」と言い換えられることはいうまでもない)。
 こうして日本国民と同一の年金の保障を受けたいという彼らの要求はこのような判決もあってひとまずは阻止されている。ところが、彼らは一方で全国の地方自治体に対して、在日韓国・朝鮮人に年金の代わりとして「福祉給付金」ないし「特別給付金」を支給するよう働きかけている。民団が組織として行っていることもあって現在、全国で800以上の自治体が支給している。金額は月額5千円から3万数千円(神戸市)までである。
 いっそう問題なのは、在日韓国・朝鮮人の無年金者が、年金が受給できないとなると今度は生活保護の申請をし、そのほとんどが受理されていることである。大阪市では外国人の受給者が2010年に1万人を突破したが、その92%が在日韓国・朝鮮人である。国民年金に加入していない「無年金世代」が高齢化したことがその理由と見られている。
 また、生活保護受給者が、まじめに保険料を納めた年金受給者よりも国から多額の資金を受け取るという不公平な実態も浮かび上がっている。これは在日中国人による生活保護不正受給よりも、人数においても金額においても深刻な問題である。
 繰り返すが、在日韓国人の社会保障は第一義的には本国である韓国政府が行うべきことだ。日本政府にはこの件について韓国政府と早急に話を付けて欲しい。在日中国人の生活保護不正受給には毅然とした対応をした大阪市にも在日韓国・朝鮮人の問題でも改めて国に要請してもらいたい。
 政府は事業仕分けでみみっちく歳出を削るのもいいが、本来は本国が行うべき社会保障の費用が国費から莫大な金額で失われていることにもっと留意すべきだ。さもなければ、我が国は在留外国人によって食い潰されることになる。
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責任は「本国」にあり

 在日が訴えた訴訟の判決には次のような部分もある。
 「社会保障は、その社会を構成する者に対し、実施されるべきであるとの一面を有しているが、そのことをもって、国籍の有無に関係なく、在留外国人も自国民と全く同一の社会保障を受ける権利を有しているとまではいえない。また、仮に、在日韓国・朝鮮人が、その本国政府から何らかの救済措置を講じられないとしても、そのことをもって、我が国が、原告ら在日韓国・朝鮮人に対し日本国民と全く同一の社会保障を与える法的義務があると解する理由とはならず…」
 「日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」のであり、「仮に、在日韓国・朝鮮人が、その本国政府から何らかの救済措置を講じられない」のであれば、日本の政府が動かざるを得ないが、それはあくまでも本筋ではない。韓国併合百年に当たっておかしな謝罪談話を出すことよりも、現に困窮している無年金者を救済することこそが先決ではないか。また、被告らの支援者も国籍をなきものとするというイデオロギーは差し置いて、被告らを救済すべく韓国政府に働きかけることではないか。
 韓国はかつての貧しい韓国ではない。経済的にも豊かになっている。韓国政府に対し、在日韓国人の社会保障について第一次的に責任を負う存在としてしかるべき対応をするよう、日本政府も在日韓国人の諸団体も日本の支援者も働きかける必要があるのではないか。それをしないで「国籍差別」であるとして日本の政府に日本国民と同一の待遇を求めるのは筋違い以外の何ものでもない。
 参政権との関係でもしばしば問題とされることだが、判決は社会保障と税金の納付との関係についても述べている。
「在日韓国・朝鮮人が、日本に対し、租税を納付しているとしても、租税は、国又は地方公共団体が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてではなく、これらの団体の経費に充てるための財源調達の目的をもって、法律の定める課税要件に該当するすべての者に対し、一般的標準により、均等に賦課する金銭給付であり、租税の納付と社会保障の享受とは直接の対価関係にはない」「租税を納付していることをもって、我が国が、在日韓国・朝鮮人に対し日本国民と全く同一の社会保障を与える法的義務があるということはできない」
 税金が行政サービスの対価であり、外国人にも自国民と等しく適用されるのに対して、社会保障はあくまで第一義的には自国民を対象にしたものであり、外国人に自国民と同一の社会保障を受けさせる権利を保障したものではないということだ。政府や地方自治体の関係者にはここで示された考えを正確に理解してもらいたい(判決の「社会保障」は「参政権」と言い換えられることはいうまでもない)。
 こうして日本国民と同一の年金の保障を受けたいという彼らの要求はこのような判決もあってひとまずは阻止されている。ところが、彼らは一方で全国の地方自治体に対して、在日韓国・朝鮮人に年金の代わりとして「福祉給付金」ないし「特別給付金」を支給するよう働きかけている。民団が組織として行っていることもあって現在、全国で800以上の自治体が支給している。金額は月額5千円から3万数千円(神戸市)までである。
 いっそう問題なのは、在日韓国・朝鮮人の無年金者が、年金が受給できないとなると今度は生活保護の申請をし、そのほとんどが受理されていることである。大阪市では外国人の受給者が2010年に1万人を突破したが、その92%が在日韓国・朝鮮人である。国民年金に加入していない「無年金世代」が高齢化したことがその理由と見られている。
 また、生活保護受給者が、まじめに保険料を納めた年金受給者よりも国から多額の資金を受け取るという不公平な実態も浮かび上がっている。これは在日中国人による生活保護不正受給よりも、人数においても金額においても深刻な問題である。
 繰り返すが、在日韓国人の社会保障は第一義的には本国である韓国政府が行うべきことだ。日本政府にはこの件について韓国政府と早急に話を付けて欲しい。在日中国人の生活保護不正受給には毅然とした対応をした大阪市にも在日韓国・朝鮮人の問題でも改めて国に要請してもらいたい。
 政府は事業仕分けでみみっちく歳出を削るのもいいが、本来は本国が行うべき社会保障の費用が国費から莫大な金額で失われていることにもっと留意すべきだ。さもなければ、我が国は在留外国人によって食い潰されることになる。
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2018年05月17日

見え隠れする朝鮮総連の影

 在留外国人の無年金問題もある。国民年金法は農業者、自営業者等を対象にした制度として昭和34年11月1日に施行されたもので、老齢、障害または死亡について必要な給付を行う社会保険制度である。
 日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民が原則として被保険者とされ、被保険者が保険料を納付し、それを主な財源として拠出するという拠出制を前提としていたが、国庫も毎年度、国民年金事業に要する費用に当てるため一定額を負担することにされていた。
 昭和60年の国民年金法改正により、国民年金の適用は全国民に拡大され、全国民共通の基礎年金を国民年金制度から支給することとし、その上に厚生年金や共済年金の被用者年金制度から所得比例等の年金を上乗せするという「2階建て」の体系に公的年金制度が再編、統一された。
 ここで問題となるのは在留外国人に対する対応である。発足当時の国民年金制度は、被保険者の資格について前記のように「日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民は、国民年金の被保険者とする」(国民年金法第7条第1項)と規定し、日本国籍のない在留外国人を老齢年金の支給対象から除外していた。昭和56年、「難民の地位に関する条約」を批准したことに伴って制定された関連法規の「整備法」により、「日本国民」の文言が「者」に改められ、国籍条項が撤廃された。これは難民に限って国民年金法を適用することは公平の観点から適当でないことに鑑みて在留外国人にも適用されたものである。
 しかし、他方、整備法附則4項では国籍条項が撤廃された効果は過去にまで遡及されないことも明記された。
 以上のような経緯の中で、一部の在日韓国・朝鮮人が、国民年金に加入しなかったことから無年金状態となり、国民年金が支給されないのは「国籍差別」であるとして国に対して各地で裁判を起こした。
 2009年2月3日、一連の裁判のうち最後に最高裁で判決が確定した事案では、原告5人のうち3人は整備法の施行日である昭和57年1月1日当時および新国民年金法の施行日である昭和61年4月1日当時、既に60歳以上で、20歳以上60歳未満という被保険者の資格要件を充たさなかったために、国籍条項の撤廃後も国民年金に加入することができなかった。残る2人は国籍条項撤廃後、年齢の上では国民年金の被保険者資格を有していたが、国民年金に加入しなかったというものである。
国民年金の保険金を一切払うことなく、年金だけはもらいたいというのは虫が良すぎるし、それが適わないと「国籍差別」だと主張するというのではあまりに身勝手というものだ。またはじめから、保険金を払う気もなかったのに「国籍条項」で加入できなかったと主張するもの後から取って付けた理由だというしかない。
 この裁判の最高裁確定判決(原審・京都地方裁判所、平成19年2月23日、控訴審・大阪高等裁判所、平成20年4月25日)を見てみよう。そこでは原告らの主張を退ける理由を前記の塩見訴訟判決を踏まえながら次のように言ってのけている。 なお、この一連の裁判には朝鮮総連の姿が見え隠れしている。「在日外国人高齢者・障害者無年金問題のページ」を運営する「都市問題研究所・日朝友好促進京都婦人会議」(京都市左京区)のホームページには「日朝友好」の言葉や「共同アピール 民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう!朝鮮学校攻撃を許さない!」というスローガンが掲載されている。共同アピールには朝鮮総連の友好団体や個人が名を連ねている。
 彼らはただただ日本政府に日本国民と同一の社会保障を与える法的義務があると主張するだけである。そして裁判所に退けられると次には日弁連に人権救済申し立てを行い、それを受けて日弁連は2010年4月7日、厚生労働大臣、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長に会長名で勧告書を提出している。また、国連人権委員会でのロビー活動も活発化させている。 
 しかし、被告らは韓国政府にはそのようなことを求めない。韓国では1988年に国民年金制度が始まっているが、彼らはそれに加入することも求めない。また、被告らを支援していると思われる民団なり朝鮮総連なりが在日韓国・朝鮮人を対象にした独自の共済年金制度を設けているという話も聞かない。なかなか思い切ったことをいった判決である。確かに「日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」。その通りである。日本政府が行っている社会保障は第一義的には当然、日本国民を対象にしているのであって、在留外国人を対象にしているのではない。韓国籍の人々の社会保障について第一次的に責任を負っているのは韓国政府である。当然のことである。
「憲法25条2項は、その性質上、我が国の在留外国人にも一定の限度で適用され得るものであるが、他方で、日本国民の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは我が国であるのに対し、日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国であるから、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、我が国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うにあたり、日本国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されると解される」
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見え隠れする朝鮮総連の影

 在留外国人の無年金問題もある。国民年金法は農業者、自営業者等を対象にした制度として昭和34年11月1日に施行されたもので、老齢、障害または死亡について必要な給付を行う社会保険制度である。
 日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民が原則として被保険者とされ、被保険者が保険料を納付し、それを主な財源として拠出するという拠出制を前提としていたが、国庫も毎年度、国民年金事業に要する費用に当てるため一定額を負担することにされていた。
 昭和60年の国民年金法改正により、国民年金の適用は全国民に拡大され、全国民共通の基礎年金を国民年金制度から支給することとし、その上に厚生年金や共済年金の被用者年金制度から所得比例等の年金を上乗せするという「2階建て」の体系に公的年金制度が再編、統一された。
 ここで問題となるのは在留外国人に対する対応である。発足当時の国民年金制度は、被保険者の資格について前記のように「日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民は、国民年金の被保険者とする」(国民年金法第7条第1項)と規定し、日本国籍のない在留外国人を老齢年金の支給対象から除外していた。昭和56年、「難民の地位に関する条約」を批准したことに伴って制定された関連法規の「整備法」により、「日本国民」の文言が「者」に改められ、国籍条項が撤廃された。これは難民に限って国民年金法を適用することは公平の観点から適当でないことに鑑みて在留外国人にも適用されたものである。
 しかし、他方、整備法附則4項では国籍条項が撤廃された効果は過去にまで遡及されないことも明記された。
 以上のような経緯の中で、一部の在日韓国・朝鮮人が、国民年金に加入しなかったことから無年金状態となり、国民年金が支給されないのは「国籍差別」であるとして国に対して各地で裁判を起こした。
 2009年2月3日、一連の裁判のうち最後に最高裁で判決が確定した事案では、原告5人のうち3人は整備法の施行日である昭和57年1月1日当時および新国民年金法の施行日である昭和61年4月1日当時、既に60歳以上で、20歳以上60歳未満という被保険者の資格要件を充たさなかったために、国籍条項の撤廃後も国民年金に加入することができなかった。残る2人は国籍条項撤廃後、年齢の上では国民年金の被保険者資格を有していたが、国民年金に加入しなかったというものである。
国民年金の保険金を一切払うことなく、年金だけはもらいたいというのは虫が良すぎるし、それが適わないと「国籍差別」だと主張するというのではあまりに身勝手というものだ。またはじめから、保険金を払う気もなかったのに「国籍条項」で加入できなかったと主張するもの後から取って付けた理由だというしかない。
 この裁判の最高裁確定判決(原審・京都地方裁判所、平成19年2月23日、控訴審・大阪高等裁判所、平成20年4月25日)を見てみよう。そこでは原告らの主張を退ける理由を前記の塩見訴訟判決を踏まえながら次のように言ってのけている。 なお、この一連の裁判には朝鮮総連の姿が見え隠れしている。「在日外国人高齢者・障害者無年金問題のページ」を運営する「都市問題研究所・日朝友好促進京都婦人会議」(京都市左京区)のホームページには「日朝友好」の言葉や「共同アピール 民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう!朝鮮学校攻撃を許さない!」というスローガンが掲載されている。共同アピールには朝鮮総連の友好団体や個人が名を連ねている。
 彼らはただただ日本政府に日本国民と同一の社会保障を与える法的義務があると主張するだけである。そして裁判所に退けられると次には日弁連に人権救済申し立てを行い、それを受けて日弁連は2010年4月7日、厚生労働大臣、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長に会長名で勧告書を提出している。また、国連人権委員会でのロビー活動も活発化させている。 
 しかし、被告らは韓国政府にはそのようなことを求めない。韓国では1988年に国民年金制度が始まっているが、彼らはそれに加入することも求めない。また、被告らを支援していると思われる民団なり朝鮮総連なりが在日韓国・朝鮮人を対象にした独自の共済年金制度を設けているという話も聞かない。なかなか思い切ったことをいった判決である。確かに「日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」。その通りである。日本政府が行っている社会保障は第一義的には当然、日本国民を対象にしているのであって、在留外国人を対象にしているのではない。韓国籍の人々の社会保障について第一次的に責任を負っているのは韓国政府である。当然のことである。
「憲法25条2項は、その性質上、我が国の在留外国人にも一定の限度で適用され得るものであるが、他方で、日本国民の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは我が国であるのに対し、日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国であるから、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、我が国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うにあたり、日本国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されると解される」
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見え隠れする朝鮮総連の影

 在留外国人の無年金問題もある。国民年金法は農業者、自営業者等を対象にした制度として昭和34年11月1日に施行されたもので、老齢、障害または死亡について必要な給付を行う社会保険制度である。
 日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民が原則として被保険者とされ、被保険者が保険料を納付し、それを主な財源として拠出するという拠出制を前提としていたが、国庫も毎年度、国民年金事業に要する費用に当てるため一定額を負担することにされていた。
 昭和60年の国民年金法改正により、国民年金の適用は全国民に拡大され、全国民共通の基礎年金を国民年金制度から支給することとし、その上に厚生年金や共済年金の被用者年金制度から所得比例等の年金を上乗せするという「2階建て」の体系に公的年金制度が再編、統一された。
 ここで問題となるのは在留外国人に対する対応である。発足当時の国民年金制度は、被保険者の資格について前記のように「日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民は、国民年金の被保険者とする」(国民年金法第7条第1項)と規定し、日本国籍のない在留外国人を老齢年金の支給対象から除外していた。昭和56年、「難民の地位に関する条約」を批准したことに伴って制定された関連法規の「整備法」により、「日本国民」の文言が「者」に改められ、国籍条項が撤廃された。これは難民に限って国民年金法を適用することは公平の観点から適当でないことに鑑みて在留外国人にも適用されたものである。
 しかし、他方、整備法附則4項では国籍条項が撤廃された効果は過去にまで遡及されないことも明記された。
 以上のような経緯の中で、一部の在日韓国・朝鮮人が、国民年金に加入しなかったことから無年金状態となり、国民年金が支給されないのは「国籍差別」であるとして国に対して各地で裁判を起こした。
 2009年2月3日、一連の裁判のうち最後に最高裁で判決が確定した事案では、原告5人のうち3人は整備法の施行日である昭和57年1月1日当時および新国民年金法の施行日である昭和61年4月1日当時、既に60歳以上で、20歳以上60歳未満という被保険者の資格要件を充たさなかったために、国籍条項の撤廃後も国民年金に加入することができなかった。残る2人は国籍条項撤廃後、年齢の上では国民年金の被保険者資格を有していたが、国民年金に加入しなかったというものである。
国民年金の保険金を一切払うことなく、年金だけはもらいたいというのは虫が良すぎるし、それが適わないと「国籍差別」だと主張するというのではあまりに身勝手というものだ。またはじめから、保険金を払う気もなかったのに「国籍条項」で加入できなかったと主張するもの後から取って付けた理由だというしかない。
 この裁判の最高裁確定判決(原審・京都地方裁判所、平成19年2月23日、控訴審・大阪高等裁判所、平成20年4月25日)を見てみよう。そこでは原告らの主張を退ける理由を前記の塩見訴訟判決を踏まえながら次のように言ってのけている。 なお、この一連の裁判には朝鮮総連の姿が見え隠れしている。「在日外国人高齢者・障害者無年金問題のページ」を運営する「都市問題研究所・日朝友好促進京都婦人会議」(京都市左京区)のホームページには「日朝友好」の言葉や「共同アピール 民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう!朝鮮学校攻撃を許さない!」というスローガンが掲載されている。共同アピールには朝鮮総連の友好団体や個人が名を連ねている。
 彼らはただただ日本政府に日本国民と同一の社会保障を与える法的義務があると主張するだけである。そして裁判所に退けられると次には日弁連に人権救済申し立てを行い、それを受けて日弁連は2010年4月7日、厚生労働大臣、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長に会長名で勧告書を提出している。また、国連人権委員会でのロビー活動も活発化させている。 
 しかし、被告らは韓国政府にはそのようなことを求めない。韓国では1988年に国民年金制度が始まっているが、彼らはそれに加入することも求めない。また、被告らを支援していると思われる民団なり朝鮮総連なりが在日韓国・朝鮮人を対象にした独自の共済年金制度を設けているという話も聞かない。なかなか思い切ったことをいった判決である。確かに「日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」。その通りである。日本政府が行っている社会保障は第一義的には当然、日本国民を対象にしているのであって、在留外国人を対象にしているのではない。韓国籍の人々の社会保障について第一次的に責任を負っているのは韓国政府である。当然のことである。
「憲法25条2項は、その性質上、我が国の在留外国人にも一定の限度で適用され得るものであるが、他方で、日本国民の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは我が国であるのに対し、日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国であるから、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、我が国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うにあたり、日本国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されると解される」
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 在留外国人の無年金問題もある。国民年金法は農業者、自営業者等を対象にした制度として昭和34年11月1日に施行されたもので、老齢、障害または死亡について必要な給付を行う社会保険制度である。
 日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民が原則として被保険者とされ、被保険者が保険料を納付し、それを主な財源として拠出するという拠出制を前提としていたが、国庫も毎年度、国民年金事業に要する費用に当てるため一定額を負担することにされていた。
 昭和60年の国民年金法改正により、国民年金の適用は全国民に拡大され、全国民共通の基礎年金を国民年金制度から支給することとし、その上に厚生年金や共済年金の被用者年金制度から所得比例等の年金を上乗せするという「2階建て」の体系に公的年金制度が再編、統一された。
 ここで問題となるのは在留外国人に対する対応である。発足当時の国民年金制度は、被保険者の資格について前記のように「日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民は、国民年金の被保険者とする」(国民年金法第7条第1項)と規定し、日本国籍のない在留外国人を老齢年金の支給対象から除外していた。昭和56年、「難民の地位に関する条約」を批准したことに伴って制定された関連法規の「整備法」により、「日本国民」の文言が「者」に改められ、国籍条項が撤廃された。これは難民に限って国民年金法を適用することは公平の観点から適当でないことに鑑みて在留外国人にも適用されたものである。
 しかし、他方、整備法附則4項では国籍条項が撤廃された効果は過去にまで遡及されないことも明記された。
 以上のような経緯の中で、一部の在日韓国・朝鮮人が、国民年金に加入しなかったことから無年金状態となり、国民年金が支給されないのは「国籍差別」であるとして国に対して各地で裁判を起こした。
 2009年2月3日、一連の裁判のうち最後に最高裁で判決が確定した事案では、原告5人のうち3人は整備法の施行日である昭和57年1月1日当時および新国民年金法の施行日である昭和61年4月1日当時、既に60歳以上で、20歳以上60歳未満という被保険者の資格要件を充たさなかったために、国籍条項の撤廃後も国民年金に加入することができなかった。残る2人は国籍条項撤廃後、年齢の上では国民年金の被保険者資格を有していたが、国民年金に加入しなかったというものである。
国民年金の保険金を一切払うことなく、年金だけはもらいたいというのは虫が良すぎるし、それが適わないと「国籍差別」だと主張するというのではあまりに身勝手というものだ。またはじめから、保険金を払う気もなかったのに「国籍条項」で加入できなかったと主張するもの後から取って付けた理由だというしかない。
 この裁判の最高裁確定判決(原審・京都地方裁判所、平成19年2月23日、控訴審・大阪高等裁判所、平成20年4月25日)を見てみよう。そこでは原告らの主張を退ける理由を前記の塩見訴訟判決を踏まえながら次のように言ってのけている。 なお、この一連の裁判には朝鮮総連の姿が見え隠れしている。「在日外国人高齢者・障害者無年金問題のページ」を運営する「都市問題研究所・日朝友好促進京都婦人会議」(京都市左京区)のホームページには「日朝友好」の言葉や「共同アピール 民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう!朝鮮学校攻撃を許さない!」というスローガンが掲載されている。共同アピールには朝鮮総連の友好団体や個人が名を連ねている。
 彼らはただただ日本政府に日本国民と同一の社会保障を与える法的義務があると主張するだけである。そして裁判所に退けられると次には日弁連に人権救済申し立てを行い、それを受けて日弁連は2010年4月7日、厚生労働大臣、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長に会長名で勧告書を提出している。また、国連人権委員会でのロビー活動も活発化させている。 
 しかし、被告らは韓国政府にはそのようなことを求めない。韓国では1988年に国民年金制度が始まっているが、彼らはそれに加入することも求めない。また、被告らを支援していると思われる民団なり朝鮮総連なりが在日韓国・朝鮮人を対象にした独自の共済年金制度を設けているという話も聞かない。なかなか思い切ったことをいった判決である。確かに「日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」。その通りである。日本政府が行っている社会保障は第一義的には当然、日本国民を対象にしているのであって、在留外国人を対象にしているのではない。韓国籍の人々の社会保障について第一次的に責任を負っているのは韓国政府である。当然のことである。
「憲法25条2項は、その性質上、我が国の在留外国人にも一定の限度で適用され得るものであるが、他方で、日本国民の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは我が国であるのに対し、日本に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国であるから、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、我が国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うにあたり、日本国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されると解される」
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2018年05月16日

国民と在留外国人を区別するもの

 「日本国民と在留外国人たる在日韓国人の社会保障上における法的地位を平等に扱え」
これが在日の主張である。しかし、最高裁は、社会保障はあくまで国家を前提として国家が積極的な福祉的給付を行うことであるから、国家の構成員である自国民と在留外国人は区別せざるを得ないと判断したのである。
 これは地球の上に国境があり、誰もがどこかの国家に帰属し、その国籍を有するという近代社会における論理的な帰結である。また、本来、社会保障というのは、「国民の共同連帯」によって成り立つものでもある。
塩見訴訟の判決でも最高裁は国民年金制度について次のように述べている。
「国民年金制度は、憲法25条2項の規定の趣旨を実現するため、老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によって防止することを目的とし、保険方式により被保険者の拠出した保険料を基として年金給付を行うことを基本として創設されたものである」
 ここでいう「国民の共同連帯」は単に同じ地域に住んでいるということから生じるものではない。敢えていえば、防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員として他の者と連帯し、相互扶助を行うということから生じると考えるべきだ。防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員とは、「その国のために死に得る存在」であるということであり、その国に「国防の義務」を負う存在であるということでもある。そして防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員であることの指標が国籍ということなのである。
 要するに国籍を有するということからその国家への共同防衛の義務が生じ、その共同連帯の対価として社会保障の権利が保障されると考えるべきなのである。そのことは日本においても近代的社会保障が明治8年の軍人に対する年金制度に始まり、それが徐々にその対象を軍人から民間人へと広げていったことからも分かる。
 同じ地域に住みながらも国籍によって自国民には国防の義務が生じ、在留外国人にはその国への国防の義務が生じないのと同様に、社会保障においても自国民と在留外国人は区別されなければならないのである。それはその在留外国人の生活の本拠が日本にだけあるだとか、母国語はできず、日本語しかできないとか、交友関係が日本人だけだとかといった個々の事情とは何の関係もないことである。近代社会における国籍が異なることから生じる論理必然の帰結なのである。
 在日韓国・朝鮮人のことを「外国籍を持ちながら外国人意識が稀薄であるという国籍ボケ」と断じたのは首都大学東京教授の鄭大均氏だが(『在日韓国人の終焉』文春新書)、塩見訴訟の原告の女性も「国籍ボケ」以外の何ものでもない。国籍が何を意味するのか、国籍が異なることからどのようなことが生じるのかということについての理解がまるでなされていない。
 このことは何もこの女性に限られたことではない。本国への帰属意識を強烈に持つ一部の者を除く圧倒的多数の在日韓国・朝鮮人もそうだし、当の日本国民にしても「日本国籍を持ちながら日本人意識が稀薄であるという国籍ボケ」に陥っている。生活に困窮する外国人に慈しみの心をもって生活保護や年金などの生活扶助が必要と考えるのは日本の優しい国民性の現われだが、在留外国人を日本国民と同様に考え、両者の区別を「国籍差別」や「民族差別」と理解する日本国民も多い。しかし、それこそが「国籍ボケ」というべきものである。
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国民と在留外国人を区別するもの

 「日本国民と在留外国人たる在日韓国人の社会保障上における法的地位を平等に扱え」
これが在日の主張である。しかし、最高裁は、社会保障はあくまで国家を前提として国家が積極的な福祉的給付を行うことであるから、国家の構成員である自国民と在留外国人は区別せざるを得ないと判断したのである。
 これは地球の上に国境があり、誰もがどこかの国家に帰属し、その国籍を有するという近代社会における論理的な帰結である。また、本来、社会保障というのは、「国民の共同連帯」によって成り立つものでもある。
塩見訴訟の判決でも最高裁は国民年金制度について次のように述べている。
「国民年金制度は、憲法25条2項の規定の趣旨を実現するため、老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によって防止することを目的とし、保険方式により被保険者の拠出した保険料を基として年金給付を行うことを基本として創設されたものである」
 ここでいう「国民の共同連帯」は単に同じ地域に住んでいるということから生じるものではない。敢えていえば、防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員として他の者と連帯し、相互扶助を行うということから生じると考えるべきだ。防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員とは、「その国のために死に得る存在」であるということであり、その国に「国防の義務」を負う存在であるということでもある。そして防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員であることの指標が国籍ということなのである。
 要するに国籍を有するということからその国家への共同防衛の義務が生じ、その共同連帯の対価として社会保障の権利が保障されると考えるべきなのである。そのことは日本においても近代的社会保障が明治8年の軍人に対する年金制度に始まり、それが徐々にその対象を軍人から民間人へと広げていったことからも分かる。
 同じ地域に住みながらも国籍によって自国民には国防の義務が生じ、在留外国人にはその国への国防の義務が生じないのと同様に、社会保障においても自国民と在留外国人は区別されなければならないのである。それはその在留外国人の生活の本拠が日本にだけあるだとか、母国語はできず、日本語しかできないとか、交友関係が日本人だけだとかといった個々の事情とは何の関係もないことである。近代社会における国籍が異なることから生じる論理必然の帰結なのである。
 在日韓国・朝鮮人のことを「外国籍を持ちながら外国人意識が稀薄であるという国籍ボケ」と断じたのは首都大学東京教授の鄭大均氏だが(『在日韓国人の終焉』文春新書)、塩見訴訟の原告の女性も「国籍ボケ」以外の何ものでもない。国籍が何を意味するのか、国籍が異なることからどのようなことが生じるのかということについての理解がまるでなされていない。
 このことは何もこの女性に限られたことではない。本国への帰属意識を強烈に持つ一部の者を除く圧倒的多数の在日韓国・朝鮮人もそうだし、当の日本国民にしても「日本国籍を持ちながら日本人意識が稀薄であるという国籍ボケ」に陥っている。生活に困窮する外国人に慈しみの心をもって生活保護や年金などの生活扶助が必要と考えるのは日本の優しい国民性の現われだが、在留外国人を日本国民と同様に考え、両者の区別を「国籍差別」や「民族差別」と理解する日本国民も多い。しかし、それこそが「国籍ボケ」というべきものである。
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国民と在留外国人を区別するもの

 「日本国民と在留外国人たる在日韓国人の社会保障上における法的地位を平等に扱え」
これが在日の主張である。しかし、最高裁は、社会保障はあくまで国家を前提として国家が積極的な福祉的給付を行うことであるから、国家の構成員である自国民と在留外国人は区別せざるを得ないと判断したのである。
 これは地球の上に国境があり、誰もがどこかの国家に帰属し、その国籍を有するという近代社会における論理的な帰結である。また、本来、社会保障というのは、「国民の共同連帯」によって成り立つものでもある。
塩見訴訟の判決でも最高裁は国民年金制度について次のように述べている。
「国民年金制度は、憲法25条2項の規定の趣旨を実現するため、老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によって防止することを目的とし、保険方式により被保険者の拠出した保険料を基として年金給付を行うことを基本として創設されたものである」
 ここでいう「国民の共同連帯」は単に同じ地域に住んでいるということから生じるものではない。敢えていえば、防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員として他の者と連帯し、相互扶助を行うということから生じると考えるべきだ。防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員とは、「その国のために死に得る存在」であるということであり、その国に「国防の義務」を負う存在であるということでもある。そして防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員であることの指標が国籍ということなのである。
 要するに国籍を有するということからその国家への共同防衛の義務が生じ、その共同連帯の対価として社会保障の権利が保障されると考えるべきなのである。そのことは日本においても近代的社会保障が明治8年の軍人に対する年金制度に始まり、それが徐々にその対象を軍人から民間人へと広げていったことからも分かる。
 同じ地域に住みながらも国籍によって自国民には国防の義務が生じ、在留外国人にはその国への国防の義務が生じないのと同様に、社会保障においても自国民と在留外国人は区別されなければならないのである。それはその在留外国人の生活の本拠が日本にだけあるだとか、母国語はできず、日本語しかできないとか、交友関係が日本人だけだとかといった個々の事情とは何の関係もないことである。近代社会における国籍が異なることから生じる論理必然の帰結なのである。
 在日韓国・朝鮮人のことを「外国籍を持ちながら外国人意識が稀薄であるという国籍ボケ」と断じたのは首都大学東京教授の鄭大均氏だが(『在日韓国人の終焉』文春新書)、塩見訴訟の原告の女性も「国籍ボケ」以外の何ものでもない。国籍が何を意味するのか、国籍が異なることからどのようなことが生じるのかということについての理解がまるでなされていない。
 このことは何もこの女性に限られたことではない。本国への帰属意識を強烈に持つ一部の者を除く圧倒的多数の在日韓国・朝鮮人もそうだし、当の日本国民にしても「日本国籍を持ちながら日本人意識が稀薄であるという国籍ボケ」に陥っている。生活に困窮する外国人に慈しみの心をもって生活保護や年金などの生活扶助が必要と考えるのは日本の優しい国民性の現われだが、在留外国人を日本国民と同様に考え、両者の区別を「国籍差別」や「民族差別」と理解する日本国民も多い。しかし、それこそが「国籍ボケ」というべきものである。
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