2019年10月18日

「自己責任」では解決できないその現実

 正規労働者が、経営者に同調して非正規労働者を雇用の調整弁として切り捨てるとき、それは“NOと言えない”労働者を生み出すことで、結果的に自分たち自身の雇用の安定を掘り崩していることに気づくべきなのだ。それは決して自分たちの利益にかなった行為ではない。その証拠に、正規労働者は今まさに「既得権益の(不当な)受益者」としてターゲットにされているである。
 セーフティネットの穴が広がり続ければ、いつかは自分の足元にも及ぶ。イスが減り続ければ、また減らなくても自分の体力(“溜め”)が落ち続ければ、いずれは自分も座れなくなる。そのときになって「あれは座れなかった人間が悪い、という話じゃなかった」と気づいても、もう遅い。
 総合研究開発機構(NIRA)は08年4月、就職氷河期世代に対して今のように何の実効性もない就労支援策でお茶を濁しているだけだと、将来的な生活保護費の増額分は17〜19兆円に上る、という試算を発表した(現在の生活保護費は2.6兆円)。
 しかし、その人たちが“NOと言えない”労働者となって労働市場全般、ひいては社会全般の土台を掘り崩すのだとしたら、社会の損失は文字通り計り知れない金額に達するだろう。日本社会はこの間、目先の財政均衡のために、先々の決定的な財政不均衡に向かって突き進んできた。今こそ、自身のために、アメリカ追随一辺倒の構造改革路線から決別すべきではないだろうか。
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2019年10月17日

放置すれば社会の弱体化を招く!

 なぜ貧困が「あってはならない」のか。それは、貧困の放置は社会の弱体化を招くからだ。これは道徳的・抽象的な意味ではない。
 貧困状態に放置された人たちが、どうやって生きていくかを考えてみればいい。多くの人たちは、家族の支えも公的な保障も受けられない中で、生きるために労働市場にしがみつくことになるだろう。そのとき、人々は“溜め”を失い、食っていけない状態で労働市場に(再)参入するため、「どんな低賃金でも、どんな条件でも働きます」という“NOと言えない”労働者となって戻るからだ。冒頭に紹介した、働かなければ今日の宿も失う、子どもを路頭に迷わせてしまうという状態にある人たちが、労働条件について会社に異議申し立てができるかを考えてみれば、答えは明らかだろう。
 この間、貧困が拡大してきたのは、労働市場の崩壊という原因が大きい。しかし、貧困に対する(自己責任論による)放置は、それに止まらない。それは“NOと言えない”労働者を大量に生み出し、それによって労働市場を崩壊させる。つまり、貧困は労働市場崩壊の結果であると同時にその原因でもあり、両者は相互に悪影響を及ぼし合う。これを「貧困化スパイラル」という。
 官民にわたるワーキング・プアの増大は、貧困をその手前で止めなかった社会が“NOと言えない”労働者を大量に生み出したことの帰結であり、それはまた、コインの半面の問題として正規労働者の労働条件を切り崩さずにはおかない。低処遇労働者が増えれば増えるほど、安定処遇の人たちもそれとの均衡で低処遇化していくか、または安定処遇に見合った高い生産性を要求されるからだ。それは、総務省の就業構造基本調査結果が明らかにしたように、短時間就業と長時間就業の二極化を促進するだろう。「過労死か貧困か」という究極の二者択一を迫られる、ということである。
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2019年10月16日

日本社会に広がる貧困

 「メールにて失礼いたします。現在45歳 男 ○○○○ともうします。北海道から東京に体1つで上京しネットカフェなどに寝泊まりしながら派遣の日雇いの仕事をする毎日、派遣先は主に重労働の建築現場で経験も体力もない自分にとっては毎日が苦痛で精神面も不安定な状態になりつつあります。正直その日暮らし的な今の生活に限界を感じています。自分には中学生の息子がいるので、東京で一稼ぎして仕送りを考えていましたが現状では仕送りどころか自分の生活も困難です。是非お力添えをしていただきたくメールいたしました。どうぞよろしくお願いします」
 貧困は、かつては、元日雇いの野宿者や母子世帯が大多数だったが、今は若者や一般世帯にも広がっている。とくに増えているのは20〜30歳代の働き盛りでありながら、「働いているのに/働けるのに、食べていけない」という人たちだ。
 上記の事例は、しばしば反発を招く。好ましくない結果をもたらしたのは、何よりも本人の努力不足が原因という自己責任論が根強いからだ。それは、貧困問題に永遠について回る偏見である。イス取りゲームにおいて、イスに座れなかった人たちに着目すれば、批判は容易である。「スタートダッシュが遅かった」「ぼーっとしていた」「動きが緩慢だった」と、まるでプロ野球観戦でもするように、人々は冗舌になれるだろう。
 しかし、ひとたびイスの数に目を転じれば、事態の様相はがらりと変わる。イスの数が足りなければ、ましてや減っていけば、必然的に座れない人たちは増えていく。そのとき問題の根幹は、座れなかった人たちの自己責任論議から、イスの数、つまり人々の生活を支える諸々のセーフティネットの議論へと転換するだろう。
 普通の人々が普通に暮らせる社会のために必要な視点はどちらなのか。その綱引きが今も繰り広げられている。
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2019年10月15日

貧困率を押えておこう!

 貧困率とは、所得が国民の「平均値」の半分に満たない人の割合を言う。一般には、経済協力開発機構(OECD)の指標に基づく「相対的貧困率」のこと。ここでの「平均値」とは、世帯の可処分所得を世帯人員数の平方根で割って調整した所得(等価可処分所得)の中央値。この50%に達しない世帯員の割合が「相対的貧困率」である。
 2010年10月、民主党の長妻昭厚生労働大臣が、政府として初めて貧困率を発表し、にわかに注目を浴びることとなった。07年の国民生活基礎調査(対象年は06年)を元に、OECDの計算式で算出した数値で、日本の相対的貧困率は15.7%、子供(18歳未満)の相対的貧困率は14.2%。OECD加盟30か国の平均値10.2%を大きく上回る結果となった。また、2000年代半ばでも、OECDが発表している日本の相対的貧困率は14.9%(04年調査)で、メキシコ、トルコ、米国に次いで4番目の高い数字である。
厚生労働大臣の発表によって、この時点からさらに日本の貧困が進んでいることが浮き彫りになった。およそ日本国民の7人に1人が「貧困状態」に置かれていることになり、政府の発表は、貧困問題に積極的に取り組む決意とも解釈されるだろう。相対的貧困率15.7%に含まれる国民の中には、生存に必要な最低限の収入も得られない「絶対的貧困」者が増えている、という指摘もある。
 ただし、相対的貧困率は貧窮の度合いを示すものではなく、国民の収入の格差を示す指標と見るのが妥当。格差拡大の背景には、ワーキングプアや非正規労働者の増加、長引く不況による失業者の増加があるが、高齢化の進行で単身の年金生活者が増えたという社会構造の変化も挙げられる。また、計算式の可処分所得に資産は含まれておらず、相対的貧困率が国民生活の実態をそのまま反映しているかどうかについては、疑問の声も多い。
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2019年10月14日

貧困は「戦略的リスク」である!

 公的保健制度がきちんと機能し、利用することができたら、基本的な人間の安全保障という大きな安心感をもたらすことができる。そして、貧しい家庭の親も子供も満足できるような無償の国民教育が行われれば、より良い未来への希望という大きな喜びを彼等に与えることができる。貧困を経験したことのない者にはなかなか理解できないが、公的保健制度や公教育がもたらす安心感と希望は、これまでずっとこうした「贅沢」とは無縁だった人々の暮らしに大きな幸福感を与えることができるのである。
 その安心感や希望が職権乱用によって踏みにじられていること、そして、多くの場合において貧しい人々の声を政治の場で代弁すべき立場にある者が職権乱用の張本人であることは、南アジアの貧しい人々の知る事実である。保健や教育における悪い統治が問題となっている国々においては、これはもはや偶発的な事件ではない。長年にわたり組織的な不正が行われ、何百万人もの貧しい人々を苦しめ、その裏側で、さまざまな不正行為に絡む金銭の額はますます高くなっている(ある国では、教育担当大臣が交代するたび教科書の値段が1円相当額引上げられることで知られているが、これは選挙活動費用を賄って余りある額である)。いくつかの国々では政党に対する資金提供が日常的に行われるまでに不正が組織化しており、犯罪組織が関係している場合すらある。
 このように、悪い統治が貧しい人々に与える心理的な影響、彼等の不満や怒りは、いかに誇張しても誇張しすぎることはない。すさまじいほど強烈な自主独立の精神を持つ南アジアの貧しい人々についてはなおさらである。
 「開発」の結果、南アジア諸国では、人口の若年化(その多くは失業者)が進み、持てる者と持たざる者の格差が広がり、(テレビやその他の通信手段により)情報の入手が容易くなった。
 こうした要因が重なり合うことによって、貧しい人々の不満と怒りはますます高められる傾向にある。彼らは、罠にはめられ、取り残され、二流市民の烙印を押されたかのような屈辱感と現状を変えることのできない無力感に苛まれているのである。
 何世代にもわたり蔓延し、放置されてきたこの状況が政治的・宗教的過激主義者を生み出す絶好の温床となった。こうして貧困は「戦略的リスク」となった。そして、そのリスクとは国家が財政的または政治的に混乱するかもしれないリスクなのである。だからこそ、南アジアの思慮深い指導者たちは貧困削減に戦略的に取組んでいる。そして、これがまさしく、全世界が貧困を心配しなければならない理由なのである。国際的なテロ組織を通してなのか、より良い生活を求めて国境を越える移民を通してなのかはさておき、いかなる国の安全保障も一国のみで確保しうるものではなく、他の国々の運命と密接に絡み合っている。9月11日に起こったことは、この事実を世界中の人々に思い知らせたのである。
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2019年10月13日

貧困をもたらす根本的な原因は悪い統治である―悪い統治の実態

 世界の貧困人口の半数が南アジアに居住しているが、その大部分はこの地域で最も人口の多い3ヵ国、具体的には、バングラディシュ(2005年の人口1億5000万)、インド(同11億)、パキスタン(同1億6100万)に集中している。しかし、貧困そのものの大きさゆえに、貧困問題が日本と日本国民にとって戦略的重要課題となっているわけではない。
 南アジアの多くの地域においては、貧困は何世代にもわたる抑圧と同義であり、おそらく他のどの地域に比べてもその傾向が強い(南アジアの国でこうした傾向及び以下に述べる特徴の見られないのは、ブータンとおそらくモルディブの2ヵ国のみである)。ときとして抑圧は、たとえばカースト、人種、宗教に基づく差別がそうであるように、社会的な性格を持つ。こうした社会的抑圧は女性に対して過酷であり、家庭生活や子供の幸せを左右するさまざまな世代間関係に対する影響をもたらしてきた。さらに、地主が君臨する政治構造、あるいは、汚職だらけの役人と不正な選挙によってもたらされる政治的な抑圧もある。
 社会的なものであろうと政治的なものであろうと、貧困をもたらす根本的な原因は、あらゆる種類の悪い統治(bad governance)とこれに伴う職権乱用である。貧しい人々もそう考えている。
 悪い統治が具体的な問題として表面化したものとして、特に注目すべきものが2つある。貧しい人々の助けとなる代わりに、権力ある者たちをさらに豊かにするための仕掛けと化した公的保健制度と教育制度である。こうした制度における統治の問題は、南アジアの多くの国々において、貧しい人々の最悪の恐怖と唯一の希望を食い物にし、貧困が「戦略的リスク」となる事態を招いている。
 男女を問わず貧しい大人は誰しも、何ものにも増して大きな1つの不安を抱えている。病に倒れ、貧しく粗末な生活すら立ち行かなくなるかも知れないという不安である。日々の畑仕事、あるいは、水汲みや薪、飼料を集めるのに費やす時間(1日平均6〜8時間)を考えると、彼らは病に伏している余裕などない(「選択」2005年4月号参照)。貧しい家庭の稼ぎ手にとって、病に倒れることは人間としての基本的尊厳を失うこと、つまり、貧困生活から極貧状態に陥ってしまうことを意味する。
 債務不履行による債務労働(現代における奴隷制度)、闇手術による臓器(腎臓、眼球)の売却、売春のための子供の売買、物乞い、犯罪、ときには餓死さえも、彼らにとってはほんの些細な不幸な出来事によって起こりうる紙一重の現実なのである。にもかかわらず、南アジアの多くの国々における公的保健制度は、こうした貧しい人々に救いの手を差し伸べるよりも、官僚や政治家のみならず看護婦や医師までも含む権力者たちをさらに富ませる仕組みになっている例が多い。こうした悪い統治によってもたらされる非道は、たとえば、以下のようなものである。
•病院・診療所の入札および建設における不正(リベート、収賄)
•医療器具、医療車両、医薬、その他の医療用品の調達における不正(リベート、収賄)
•公的医療施設の私的流用(農村部の診療所を穀物倉庫として使用する等)
•公的に調達された医薬品の横領及び売却
•違法な臓器売却(輸出を含む)
•「幽霊医者」(公的医療機関から給与を受け取っているにもかかわらず実際にはその機関で働かず、別の場所で個人開業している医者)
•無断欠勤(農村部の医療機関から都市部の医療機関に転任するために政治家に賄賂を贈る医者)
 貧しい人々も、裕福な人々と同じ希望や願望を抱いている。貧しい大人たちは誰しも、ある1つの切なる願いのために苦難を耐え忍んでいる。自分たちと同じ苦労をしなくていいように、子供たちに教育を受けさせたいという願いである。
 しかし、南アジアの多くの国々では、公教育制度もまた、貧しい人々のたった1つの願いを叶えるより、富める者をさらに富ませる仕組みになっていることが多い。公教育における悪い統治の事例として以下のものが挙げられる。
•学校の入札および建設における不正(リベート、収賄)
•教科書、学校用家具、学校給食、その他の教育用備品の調達における不正(リベート、収賄)
•公立学校施設の私的流用(小学校の校舎を住居または政治活動拠点として使用する等)
•教科書印刷・配布における組織的な贈収賄
•「幽霊教師」(公立学校の教員として給与を受け取っているにもかかわらず実際には教えていない、主に好条件の年金を受け取る目的で教員資格のない者が教員ポストを買い取る等)
•無断欠勤(農村部の学校から都市部の学校に転任するために政治家に賄賂を贈る教師)
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2019年10月12日

貧困問題とは何か?

 貧困povertyとは、一般に低所得・低消費の生活状態であって、低所得のために生活必需品の欠乏をきたし、物質的ならびに社会・文化的な一定の生活水準以下に陥っている状態をさす。資本主義社会においては、資本主義的蓄積の結果、必然的に階級対立が呼び起こされ、一方で富が蓄積される反面、他方では相対的過剰人口や被救恤的窮民が生み出されていく。とくに資本主義の初期においては、窮乏化法則(資本主義生産とその発展のもとでの労働者階級は窮乏化せざるをえないという法則)により労働者階級の悲惨なまでの貧困な生活状態が現出され、労働者の肉体的能率を維持するための最低限以下の「絶対的貧困」が焦点の問題であった。しかし、資本主義の発展の過程で、労働者階級内部に階層分化が進むにつれ、諸階層間の生活水準の格差からくる「相対的貧困」が問題とされるようになった。今日のように資本主義も高度な発展を遂げると、一方では、賃金や社会保障給付の一定の改善の結果、貧困問題は解消しつつあるという見方も生じるが、他方では、一般大衆の所得水準、消費水準の上昇に伴う生活様式の全般にわたる変化により、あらゆる階層にさまざまな形の深刻な生活問題がおこるとともに、都市問題、公害問題などが顕在化するようになると、これらの社会問題との関係で生ずる国民全体の生活のバランスの失調状態を「現代的貧困」あるいは「新しい貧困」と称して問題にする場合もある。
 しかし、「国民的最低限」としての貧困は現に存在しており、それは紛れもなく被保護層やボーダーライン層(被保護層の境界線にある層)、あるいは不安定・低所得層などの貧困諸階層の生活に典型的にみられる。それらの諸階層の層化と層としての長期的再生産の事実のなかに、また、それぞれの社会階層内部における貧困層への「転落」や社会階層間の移動、とくに、下の階層への「没落」などを通じておこる全般的な貧困化の事実のなかに貧困の実体は存するのである。それは、「経済的不安定」として把握されるものであって、経済構造、社会構造ならびに生活構造を貫く動的なものとして構造的に組み込まれているのである。それゆえ、貧困問題は貧困者あるいは貧困層だけの問題ではなく、労働者階級全体の問題であることを認識する必要がある。
 したがって、貧困問題の解決のためには、救貧ならびに防貧の対策としての社会保障制度の整備拡充も重要ではあるが、とりわけ少子化・高齢化社会の進展、科学技術の急速な進歩、コンピュータ化、さらには国際化、グローバル化などの今日的状況の進行のなかにあっては、それらはおのずから限界をもたざるをえない。それゆえ、国内的には、社会の全構造的関連性のなかでの貧困者自身ならびに国民それぞれの主体的な取り組みと相互の連帯による解決こそが志向されなければならないであろう。
 国際的にみると、一般的には北の国々の開発という名の収奪による、南の国々の貧困が論じられる。しかし、1990年代以降、一部の投資家やヘッジファンドが引き起こす通貨危機が一国の危機をも招きかねないような国際経済のなかにあって、北の豊かな国々のなかでも、激しい経済競争や民族紛争、あるいは人種差別による貧富の差の拡大などを原因とする重大な貧困問題が存在し、逆に、経済的には極貧とされる地域で、精神的、文化的には豊かな生活が営まれている所も存在することが明らかにされている。他方、現代社会の経済的、政治的、社会的な危機的状況を招いた近代化の過程を根本的に見直し、現代社会の複雑かつ急速で、しばしば予期せざる結果を生む変化の過程を「再帰的近代化」としてとらえ、希少性をめぐる激しい競争を不可避としている資本主義経済と市場社会の矛盾を超えた新しいシステムを「ポスト希少性システム」ととらえて、その構築によって危機を乗り越えようとする理論がある。したがって、世界的な貧困問題の解決の方途は、そのようなシステムの実現を通してみいだしていくのがもっとも有効な方法であろう。
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2019年10月11日

紋切型の「自己責任論」

 格差拡大の事実を認めるか否か。格差拡大を是正すべきと考えるか否か。貧困を自己責任として切り捨てるか否か。これらは、現代日本における階級対立の主要な争点である。
 一方に、格差拡大は事実であり、これは是正される必要があり、貧困は自己責任ではなく社会の問題だと考える立場がある。これは下層階級の、そして下層階級の人々に共感と同情を抱く人々の政治的立場の表明である。
 反対に、格差拡大と深刻ではなく、是正の必要はなく、貧困は自己責任だと切り捨てる立場がある。これは特権階級の人々の、そして格差拡大を放置し拡大させてきた政府や企業を擁護する人々の政治的立場の表明にほかならない。
 さらに重要な争点を1つ付け加えよう。それは、現代の日本社会が階級社会であることを認めるか否かである。
 2015年に全国の1万6000人、2016年に首都圏に住む6000人を対象に行なった調査の結果にもとづいて、現代日本の危機的な状況について論じた『日本の新・階級社会』(講談社現代新書)に示されたように、今日の日本は「格差社会」などという生ぬるい言葉で表現すべき段階にはない。
 明らかな「階級社会」、しかも900万人にも及ぶ新しい下層階級(アンダークラス)を底辺におき、これに犠牲を強いる、新しい階級社会だと考えるべきである。
 かつてフランスの社会学者ピエール・ブルデューは、「階級が存在するかしないかということは、政治闘争の主要な争点の1つである」と指摘した。現実には格差や貧困があるに「日本には階級がない」と考えるのは、格差と貧困の深刻さから目を背けることであり、人々の間に対立関係はないと言い張ることにほかならない。
 今日の日本社会が、アンダークラスに苛烈な境遇を押しつける階級社会だという現実を認めることこそが、貧困のない、より平等な実現するための一歩になるのではないか。
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2019年10月10日

「一億総中流」は幻想

 高度経済成長が終わって以降の日本において、格差をめぐる階級間の対立で勝利を収め続けてきたのは特権階級の側だった。そしてこの間、日本政府が格差は深刻ではないと言い続けてきたということは、日本政府が特権階級の代弁者であり続けてきたことの、何よりの証拠である。
 1970年代の終わりには、「一億総中流」という言説が流布し、あたかも格差や貧困の問題は日本からなくなったかのような幻想が振りまかれた。たしかに当時、現在に比べれば日本の格差は小さかったが、中小零細企業や零細な農家には依然として深刻な貧困があった。
 そしてまもなく、1980年代に入ったころには格差は拡大し始めていた。しかし「一億総中流」という幻想のもと、格差拡大は放置され続けた。そればかりか、消費税の導入、高所得層の所得説率の引き下げなど、格差拡大を助長する税制の改変が行なわれた。
 1990年代に入ると、一部の経済学者や社会学者が、格差は拡大していると指摘し始めた。しかし、これらはほとんど無視され、政府は逆に格差拡大を積極的に促進するような政策をとり始めた。財界人を中心とするメンバーで構成された経済戦略会議は、日本の社会は、「行き過ぎた平等社会」だと根拠もなく断じ、富裕層減税と低所得者の増税を提言し、これが実行に移された。
 反面、非正規労働者の低賃金と不安定な身分は放置された。そのうえ規制緩和によって、非正規労働者は激増し、巨大なアンダークラスの出現へと至るのである。
 2009年から3年だけ続いた民主党政権が、遅まきながら格差が拡大し、貧困率が上昇しているという事実を認め、対策を取ると明言したこともあり、こうした事実自体は、広く認められるようになった。
 代わって格差を正当化するイデオロギーとして流布し始めたのが自己責任論、つまり収入が低いのは自己責任だから放っておけばよいとする主張である。いまのところ自己責任論の影響力は強く、これが格差縮小に向けた合意形成の最大の障害になっている。
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2019年10月09日

「格差」は隠蔽されたか?

 格差拡大が話題になり始めたころ、政府、財界、そして一部のマスコミは、躍起になって格差拡大の事実を否定しようとした。最初の段階では、都合のいい統計データを示しながら、「格差は拡大していない」と言い張った。いくつもの指標が格差拡大を示していることを否定できなくなると、「格差拡大は見せかけだ」と言いだした。
 OECDが、日本の貧困率は先進国のなかで米国に次いで高いと発表すると、「この貧困率の計算方法は日本にはあてはまらない」などと言い張った。さらに統計的な証拠が集まって、格差が実質的にも拡大していることが否定できなくなると、「格差があるのは当然だ」と開き直った。
 こうして政府が、格差拡大と貧困の増大という事実から目を背け、開き直り、対策を怠っているうちに、日本社会は取り返しがつかないほどに変質してしまった。その結果が、前回の記事(平均年収186万円…日本に現れた新たな「下層階級」の実情:これがニッポン「階級社会」だ)で書いた、新しい階級社会と巨大な下層階級(アンダークラス=パート主婦を除く非正規労働者たち)の出現である。
 ここから明らかなように、格差は政治的な争点である。しかも、それは階級的な利害と密接な関係にある。
 人には日本国憲法で認められた生存権と平等権がある。だから生存権を脅かすような貧困の存在が明らかになれば、政府は対策を取らなければならない。
 平等権が侵されるほどに格差が拡大していることが明らかになれば、やはり政府は対策を取らなければならない。しかしそのためには、富を特権階級から下層階級へと移転させなければならない。特権階級の利害は脅かされることになる。
 だから特権階級は、貧困の存在も、また格差拡大の事実も認めたくない。特権階級は、自分たちが恵まれた立場にあることを隠すため、いまの社会では格差が小さいと主張する。そうでなくても、格差は許容範囲であり、縮小させる必要はないと主張する。
 このように貧困が存在するか否か、格差は拡大しているか否かといった、社会に対する認識自体が、階級間の対立の争点なのである。
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2019年10月08日

世界で最も腐敗している国 ワースト29

 世界経済フォーラムは、その年次報告書『世界競争力報告(Global Competitiveness Report)』の中で、腐敗指数を公表した。
 世界各国の腐敗や汚職を監視するNGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」の腐敗認識指数と関連した方法を使って、 世界経済フォーラムは140の国について、その腐敗度を100点満点で評価、ランク付けした。
 スコアが高いほど腐敗度は低く、スコアが低いほど腐敗度は高い。Business Insiderでは、スコアが30以下の国をリストにまとめた。
 腐敗度の高い国は、司法制度や統治制度が弱く、貧困が蔓延したアフリカ、中米、中東に多い。だが、中にはその経済力で世界トップ20に入る国もランクインしている。
 以下、世界で最も腐敗した国を見ていこう。
 29位同率) イラン −− 30.0
 29位(同率) ウクライナ −− 30.0
 29位(同率) ガンビア −− 30.0
 22位(同率) ロシア −− 29.0
 22位(同率) パラグアイ −− 29.0
 22位(同率) メキシコ −− 29.0
 22位(同率) ラオス −− 29.0
 22位(同率) キルギスタン −− 29.0
 22位(同率) ドミニカ共和国 −− 29.0
 22位(同率) ホンジュラス −− 29.0
 17位(同率) グアテマラ −− 28.0
 17位(同率) バングラデシュ −− 28.0
 17位(同率) モーリタニア −− 28.0
 17位(同率) レバノン −− 28.0
 17位(同率) ケニア −− 28.0
 15位(同率) ギニア −− 27.0
 15位(同率) ナイジェリア −− 27.0
 13位(同率) ウガンダ −− 26.0
 13位(同率) ニカラグア −− 26.0
 11位(同率) カメルーン −− 25.0
 11位(同率) モザンビーク −− 25.0
 8位(同率) ハイチ −− 22.0
 8位(同率) ブルンジ −− 22.0
 8位(同率) ジンバブエ −− 22.0
 5位(同率) コンゴ民主共和国 −− 21.0
 5位(同率) カンボジア −− 21.0
 5位(同率) タジキスタン −− 21.0
 4位 チャド −− 20.0
 3位 アンゴラ −− 19.0
 2位 ベネズエラ −− 18.0
 1位 イエメン −− 16.0
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2019年10月07日

給付抑制をめざす社会保障改革のリスク

 生活保護基準の削減などによる給付抑制と併せて実施された生活困窮者自立支援制度は、自治体ごとに事業の導入実績が異なり、また事業の民間委託化にともなう必要充足(当事者の「声」に応えているか)などの課題が今後明らかになっていくだろう。福祉事務所の機能がアウトソーシング(外部委託化)されたということでもあり、民間事業者に貧困対策をゆだねていくことは、公的サービスの縮小あるいは公的責任の回避と見ることもできる。憲法の生存権規定との関連性が明白な生活保護法に対して、生活困窮者自立支援法は生存権保障を約束しておらず、最低生活保障を受ける権利を体現しているとはいえない。
 イアン・ファーガスンは、1990年代以降のグローバル市場経済の拡大を背景にして、ネオリベラルな社会保障改革が進められていることを危惧している。各国政府は社会保障の給付抑制を図り、サービスに経営論的な転回をもたらしている。その特徴は、@費用対効果の考え方で利用者を合理的に管理する「マネジメント主義」、A福祉の民営化や「根拠に基づく(evidence-based)実践」を強調することによる「規制」、そしてB個人に主体的にリスクを管理させ、それぞれの必要や負担能力に応じて「セルフケア」でサービスを契約(購入)させる「消費者主義」だという。
 日本の社会保障改革もまさに財源調達と給付抑制、資源分配の効率性を重視する議論が主軸となっている。これらを強調してきたのは経済財政諮問会議と「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」が掲げる政策理念だといえる。骨太の方針にもとづき、生活保護および生活困窮者自立支援制度でも「KPI(Key Performance Indicators)」を活用した「費用対効果」の分析が重視され、生存権保障という観点からではなく、経営論的な観点による「自立支援」が導入されてきた。
 生活困窮者自立支援によって、住民が生活困窮者の支援に直接関わる機会が増え、そのことによる地域活性化や「共生」のコミュニティーづくりといった新たな効果が生まれていることは確かだ。そのことを評価しつつ、政府には貧困・生活困窮者の生存権および幸福追求権を保障する義務があることをあらためて確認しなければならない。そして、生活保護基準の引き下げなどによる生活保護の給付抑制、および生活困窮者自立支援制度による過剰な「マネジメント主義」や「消費者主義」が貧困対策として何ら有益ではないことを確認していくことが求められる。今後も最低生活保障の確立に向けて住民および生活に困窮する当事者の「声」を言葉にし、政治に反映させていく必要がある。
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2019年10月06日

生活保護から生活困窮者自立支援へでよいのか?

 生活保護から締め出された「低所得層」に対して、政府は2015年から生活困窮者自立支援法にもとづく総合相談支援や就労準備支援などのサービスをスタートさせた。同制度は、各自治体の必須事業としての自立相談支援と住居確保給付金の支給事業、そして任意事業としての就労準備支援、一時生活支援、家計相談支援、学習支援などで構成されており、事業の多くは自治体直営というより民間委託によって実施されている。
 この生活困窮者自立支援制度の導入によって相対的貧困率が改善されたと見る向きもある。ところが、同法の事業の多くは任意事業となっており、その実施については大きな地域格差が生じている。厚生労働省の集計によると、就労準備支援、一時生活支援、家計相談支援、学習支援という4つの任意事業を導入実施している自治体の割合は(4事業の全国平均で)ほぼ40%にとどまっている。
 こうして、政府は生活保護基準の引き下げなどによって給付の対象を狭める一方で、「生活困窮者」に対しては一定の支援を行う枠組みを提供してきた。しかしその実施は任意であり、全国で約4割の自治体でしか事業を実施できていないのだ。
 さらに、同集計によれば、相談自立支援と4つの任意事業の約70%が民間への事業委託によって実施されている。自治体がどのようにして民間事業者を入札・評価しているのか、そして長期的に慎重な関わりが必要な生活困窮者に対して民間事業者はどのような支援を保障できているのかが問われている。たとえば、自治体の委託を受けた民間事業者は、低予算のなかで最大の「コスト・パフォーマンス」を発揮することを期待され、実績を上げなければ次年度の継続が危ぶまれる状態に置かれている。現場ではこうしてPDCAによる事業評価と改善を求められ、費用対効果による成果を示すことを迫られる。したがって短期間で「成果」が見込まれない「支援困難ケース」は支援対象から排除される可能性がある。
 民間事業者の多くが効果測定や「成果」にこだわるあまり事業や支援がパターナリズムを帯びる可能性が高まり、支援者は被支援者をコントロールしようとしがちになる。制度にシステム化されケアマネジメントの手法が導入されると、管理統制主義(managerialism)や成果主義に導かれやすくなるということである。その結果、民間事業者であるにもかかわらず独自性や先駆性を失い、事業の責任を負う支援者は利用者に規格化されたサービスをあてがい管理統制する暴力装置となる可能性をはらんでいるのだ。
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2019年10月05日

貧困を見えなくする基準改定

 政府は相次いで生活保護基準の引き下げを行ってきた。このことは、日本で貧困が減少したと見られていることと深い関連をもっている。
 生活保護基準(とくに冬季加算や住宅扶助)の大幅引き下げがおこなわれた2013年と2015年に次いで、2018年の生活保護の見直しでは、大学進学などのための進学準備給付金の創設のほか、生活扶助(母子加算、3歳未満の児童養育加算など)、教育扶助(学習支援費の実費支給化など)、医療扶助などの見直しがあった。
 生活保護基準が引き下げられたということは、日本の貧困の基準が狭められたことを意味する。生活保護基準の引き下げと同時期に、生活保護率(受給率)も低下している。すなわちそれは生活保護を必要とする人々が減少したというよりも、生活保護から「外された」人々が増えた結果だと考える必要がある。
 政府が生活保護基準を引き下げた根拠は、生活保護を受けない低所得層(第1・十分位層)の消費水準と比較して生活保護世帯の消費水準が高いことが確認され、それでは正義にかなわないので引き下げるのが妥当であるという考え方、すなわち「劣等処遇論」(保護をする者の生活水準をできるだけ低位に押しとどめる)が政治理念として導入されたことにある。
 非正規雇用を背景としたワーキングプアが増加しているなかで、いわゆるワーキングプアを含む「低所得層」の消費水準は低下しつづけている。いったん生活保護基準が引き下げられれば、生活保護から締め出された人々が「低所得層」となり、その層の消費水準をいっそう低下させる。こうして生活保護が受けられず生活費を切り詰めざるを得なくなった低所得層の消費水準は極端に下降し、それを根拠に再び「劣等処遇」が求められるという負のスパイラルにおちいることになる。
 低所得層の消費生活水準に照らして生活保護基準を設定することの無意味さは、多くの研究者が指摘する。失業率を改善するためにワーキングプアのような「低所得層」が政策的に生み出されてきた。意図して消費生活水準の低い層を増やし、それを根拠に生活保護基準を引き下げるというのは、まさに茶番劇だ。好景気によって生活保護受給者が減ったかのように見せて、保護を受けられない人々を「低所得層」に追いやったとしても、彼らの「貧困」は何ら解決されていない。貧困は温存され、隠蔽されたといわざるを得ない。
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2019年10月04日

増え続けるワーキングプアと住居喪失

 貧困をとらえるいくつかの一般的な統計において、貧困問題はたしかに改善の兆しを見せている。しかし、以下ではもう少し別の角度から貧困の新たな広がりを確認し、これまでとは異なる形で貧困が潜在化している現実をとらえてみる。
 その1つが、非正規労働者の数と無業者の数の推移だ。この間、失業率が改善され就業者人口が増えたものの、就業者に占める非正規労働者の割合は増加の一途をたどってきた。2017年の被雇用者に占める非正規雇用率は37.3%であり、また2018年6月に発表された内閣府の『子供・若者白書』では、いわゆる「ニート」に該当する「若年無業者」が71万人であることが示されている。非正規労働者と若年無業者の多くが「ワーキングプア」(就労する低所得者)となって増えつづけており、賃金労働に就きながら貧困状態におちいるという現実が日本で一般化していることがわかる。
 これまで非正規労働者や若年無業者が「貧困者」として認識されることは一般的でなかった。フリーターと呼ばれる者の多くが若年層であると見られてきたため、問題の焦点は彼らに対する教育訓練と就労支援だと考えられてきた。貧困という観点から彼らの生活保障にスポットがあたる機会は少なかったといえる。しかし2000年代の「就職氷河期」に大学などの卒業を迎えた若年層がもはや40代に突入しはじめ、また彼らを扶養してきた親世代が高齢化するなかで、家族丸ごと貧困化するケースがじわじわと増えつづけている。
 さらに、賃金労働者の給与実態を年齢別に見ると、賃金労働をしながら低所得である「ワーキングプア」の多くが24歳以下の若年層と60歳以上の高齢者層(とくに女性)に表れていることがわかる。つまり、ワーキングプアによる貧困の問題は、若年層のフリーターだけの問題ではなく、(年金だけは暮らせない)女性高齢者の所得保障の問題としても理解しなければならないということだ。
 もう1つ、「広義のホームレス」に関する統計も現代の貧困が多様な形態をもって拡大していることを表している。東京都が2018年に公表した「住居喪失不安定就労者等の実態に関する調査」によると、インターネットカフェ・漫画喫茶・サウナなどの「オールナイト」利用者のうち25.8%が「住居喪失」の状態にあり、すなわち東京都内で約4000人が「住居喪失者」であるという推計が示されている。年齢は「30〜39歳」(38.6%)が最も多く、次が「50〜59歳」(28.9%)となっていて、いわゆる「ネットカフェ生活者(難民)」の多くがすでに高年齢化していることがわかる。
 全国には約5000人の「ホームレス(路上・野宿生活者)」が暮らしていることが確認されているが、この東京都の調査はネットカフェ生活者が東京都内だけで推計約4000人いることを示している。彼らは貧困状態にありながら社会保障制度の「網」にかかることなく、孤立したままその日暮らしをしている。
 路上・野宿生活者が減少する一方で、ネットカフェ生活者のような住居喪失者が拡大しており、さらにその背後に膨大な数の「家賃滞納者」が存在している。そのような人々は多重債務やホームレスの予備軍であると考えられる。そして家賃滞納によって住居を追い出された人々の一部は、居候はもちろん、住み込みのできる性産業(性風俗業)や暴力団などに関わることも多くあり、離脱を困難にさせていく。
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2019年10月03日

「改善」された数字

 統計によれば、2003年から増加の一途をたどってきた日本の「相対的貧困率」は、2012年に16.1%まで上昇し、その後2015年には15.7%に改善されました。同様にこの間、子供の貧困率も16.3%(2012年)から13.9%(2015年)に低下したとされてい。
 また生活保護受給者の数は、1995年から約20年にわたって増加の一途をたどってきたが、2015年3月の217万4335人をピークに減少に転じた。2018年7月には209万8973人まで減って、1.71%まで達した保護率は1.66%に下がっている。高齢化率が世界一を記録し、要扶養高齢者人口を多く抱えるなかで、生活保護率は下降しはじめたという。
 失業率の改善を示す統計も注目されている。リストラや「年越し派遣村」が注目された2009年に5.5%あった完全失業率は、2018年8月次に2.4%まで低下し、完全失業者数は170万人にとどまるようになった。2%台となった失業率を見る限り、バブル崩壊以降、長らく日本を脅かしてきた失業問題はもはや過去のものとなった感がある。
 ホームレス(路上・野宿生活者)の統計も劇的な変化を示している。2018年1月に実施された「ホームレスの実態に関する全国調査」で確認された全国の「ホームレス」の人数は4977人(前年より10.1%の減少)で、2万5296人を数えた2003年の約5分の1にまで減少している。かつてターミナル駅や河川敷で暮らしていたホームレスの多くは、社会復帰もしくは生活保護や社会福祉施設によって救済されるに至ったと見られている。
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2019年10月02日

社会保障改革が潜在的な貧困を拡大?

 好景気と社会保障改革によって日本の「貧困問題」は解消されてきたと見られているのだが、生活保護基準の引き下げや給付抑制によって貧困が見えなくなり、またワーキングプアをはじめとする新たな貧困問題が潜在的に拡大しているのだ。2015年に導入された生活困窮者自立支援制度は、新たに住民参加のもとで就労支援や社会参加支援を展開する有意義な制度であるものの、各種事業の多くは自治体の任意事業であり、かつ過剰な「費用対効果」による評価を伴う形で民間事業委託化されている。そのため生活困窮者の必要や声に応えるサービスを展開できていない。そして同制度は生存権にもとづいて「最低生活保障」を行うものではなく、生活保護の給付抑制とセットでこうした生活困窮者自立支援制度を展開していくことにはリスクが伴う。あらためて最低生活保障の意義を確認しなければならないのだ。
 日本の貧困・生活困窮問題が好景気にともなう雇用の拡大や新しい貧困対策の導入によって解決の途にあるとする見方を退け、むしろ貧困が形を変えて多様性をもって広く社会に潜在化するようになった。また、政府の社会保障改革によってむしろ新たな貧困が生み出され、かつ貧困が社会保障の対象から締め出されている現実がある。これらを考えると、政府が進める社会保障改革が貧困の解消という観点から見て望ましくない方向に進んでいるのは明らかだ。
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2019年10月01日

貧困とDV、精神疾患は関係しているのか? その解決策は?

 「貧困の認識」という点では、ある論者は「貧困」の「貧と困を分けて考える」ことの重要性を訴えている。貧とは、貧しいけど心身は正常な状態にある人。一方で、困は心身の問題のような社会的困窮や生活問題を抱えていて、ブラック企業での就業による精神疾患などが原因で、働きたくても働けなくなった人、DVなどの後遺症に悩まされて働けない、といった人も含まれる。そして、それぞれにおいて、対策を分けて考えることが求められているという。
 一方で、ある論者は、貧困層に対する誤認識が世に蔓延していると指摘する。その代表例が「貧困=シングルマザーや20代までの若年女子」という認識だ。データによれば、貧困は「二人親家庭、中年女性、高齢者」のほうが、数的には多いのが現状だという。
 論者2人の共通認識としては、若年にせよ中年にせよ、貧困女性の多くには、親や配偶者からの心身へのDV問題とその後遺症が見られるという。
 一方が「シングルマザーになった後に、セックスワーカーになった女性の精神疾患率の高さに驚いた」と言えば、一方、統計データを引いて「母子世帯の母親の抑うつ傾向は35%。二人親世帯の母親は16%」と、シングルマザーの抱える抑うつリスクの高さを補足し、「DVをもっと大きな社会問題として取り上げるべきだ」と訴求する。
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2019年09月30日

生きがいをもって働ける喜びある人生を?

 生活保護のセーフティーネットは最低限度の生活を守るために必要という前提の上で、人間の労働意欲を根本から壊している現行の制度を改革していかなければならない。
 現状の受給者に関しては、自立支援プログラムを促しながら、期限を設置し、働ける人は、生活保護を抜け出せる仕組みをつくることが必要だ。
 また、生活保護を受ける前の政策として、生活保護を全額支給するのではなく、給付金を払うなどして、生きがいを失わせない方向に導いていくことが重要である。
 自立や能力を生み出し、働く生きがいをつかむ人が増える社会をつくっていくことこそ日本のこれからの社会保障を解決する道。
 こんなきれいごとでは何も解決しない。こんなことを滔々と述べている政党には投票してはいけないのだ。
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2019年09月29日

高齢化への対応の必要性

 EUの高齢化率は、2010年の0.26から、2020年には0.3、2050年には0.5へと急速に上昇すると予測されている。労働力人口の高齢化は、出生率のさらなる低下とあいまって重大な財政的リスクとなりうるため、高齢者の就業促進を図る必要がある。EU全体では、高齢者の就業率はここ10年の間に37%から46%超に増加しており、平均引退年齢も60歳弱から61歳に上昇したが、やはり加盟国毎に状況が異なり、例えば引退年齢はスウェーデンの64歳超に対して、スロヴァキアでは59歳を下回っている。
 高齢者の就業促進に向けた方策としては、就労による金銭的なデメリットの除去や早期退職をしにくくするだけでなく、例えば教育訓練を通じた技能の陳腐化の防止や、失業期間の長期化の防止、高齢者に適した労働条件の奨励(パートタイム労働など)、健康の維持や介護の提供などの支援策が考慮されるべきである。
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