貧困がテロリズムの温床になる、という議論もしばしば耳にする。しかし、テロリズムの首謀者は必ずしも貧困層ではないのではないか。2001年の同時多発テロ事件を指導したオサマ・ビン・ラディンがサウジアラビアの裕福な家庭の出身であったことはよく知られている。
この問題を考えるためには、今日の紛争やテロリズムがどのような性格のものなのかを理解する必要があるのではないか。今日の紛争は、ほとんどの場合国内紛争(内戦)だ。つまり、国家の統治のあり方をめぐって、突き詰めれば誰が国家権力を握るのかをめぐって、紛争が起こる。アフリカで典型的に見られることだが、植民地列強によって恣意的につくられた国家が独立したとき、国民の間には国家を運営していくための共有されたルールが欠如していることが少なくないのだ。そうしたなか、政治指導者の間で国家権力をめぐる争いが起きれば、権力闘争は容易に武力紛争へと発展してしまう。紛争は、国家統治の脆弱性に由来するのである。
一般にテロリズムという手法が選択されるのは、正規戦では勝ち目がない相手に自分の存在を認めさせ、譲歩を引き出すためだ。今日最も深刻なテロリズムは、アルカーイダなどイスラーム急進主義によるものが多い。この種のテロリズムが伸張した理由も複雑だが、根幹にあるのは不正義の認識ではないだろうか。米国を中心とする国際社会の中東政策やヨーロッパにおける移民の処遇が、結果として多くの人々に不正義だと受け取られてしまったことが、この種のテロリズムの伸張を促したのではないか
紛争やテロリズムに対処するため、国際社会は軍事、外交、開発という3つの方向から平和構築の政策を講じてきたのは確かだ。政策の手段として、抑止のための軍事力、政治交渉のための外交、そして人々の生活を改善するための開発がいずれも欠かせない。テロリズムをめぐる議論では、相手の暴力に引き摺られて、軍事的、懲罰的な措置に焦点が当たりがちなのだが、外交的な対応はもとより、国家統治のあり方や人々の生活向上、そして不正義と認識される政策の是正など、多面的なアプローチが必要なことを忘れてはならないのではないか。