2019年08月16日

生活保護の「最低限度の生活」とは?

 ここ日本は、資本主義経済の一員。計画経済を行っている国とは違う。一定のルールの下、自由に商売をすることができる。ただ、そのまま放置しておくと、富める者とそうでない者との格差は、どんどん広がっていく。また、何かの拍子に、病気やトラブルなどにあって、突如生活に困窮することもあるだろう。
 そこで憲法第25条第1項では、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
 と規定している。ただし、この規定は、国の責務を宣言したにとどまる。だから、具体的権利として、「生活保護法」が別途作られており、このことで権利として主張することができる。
 ところで憲法は、終戦後GHQがつくったため、生まれながらにして英文がある。 例えば今回の憲法25条の場合は、
  「All people shall have the right to maintain the minimum standards of wholesome and cultured living.」
  「すべての人々には、健康的で文化的生活の最低水準を維持する権利がある」
 さて、ここで問題となってくるのが、生活保護の基準となる「健康で文化的な最低限度の生活」というもの…。 実はこれには有名な「朝日訴訟」というものがある。 朝日茂氏が、兄からちょっとした日用品の仕送りを受けたら、生活扶助の保護が打ち切られたため、争ったものだ。最高裁大法廷は傍論で、生活保護基準の考え方を下記の通り示した。
 『健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴って向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。
 したがって、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨 目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない』
 つまり、「最低限度の生活」の判断は、国に広い裁量権の余地があるということだ。
posted by GHQ/HOGO at 06:31| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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