2019年08月14日

伝統的家族主義では説明できない運命共同体というフィクションを被せられ、より一層強い衝迫の源泉となる家族

 最後のセーフティネット役割を負わされた家族が、その現実態ではもはや「安全でいられる場」としての役割を果たしにくくなっているがゆえに、運命共同体というフィクションを被せられた家族像が、「そうでなければならない現実」のように思いなされているのではないか。
 自民党家庭支援法案のように右翼的な家族主義を家族像の範型とする政策がこれに無縁でないのはもちろんだが、頑強な信念といってよいほど強力な運命共同体家族の像に現れた家族主義は、伝統的家族主義の枠組みだけでは説明できないように感じる。
 社会的次元を切り落とされた個体の位置に家族がおかれる構図は新自由主義的であり、有責の構造上に家族が立たされることもそうである。運命共同体がフィクションであることは、そういう場に立たされた家族関係が瓦解するというリアルな結果によって実証される。運命共同体であるなどと信じられないからこそ、そうした不安定さの実存が家族紐帯の強度を求める、より一層強い衝迫の源泉となる――このメカニズムを解くことによって、今日の家族主義に特有のすがたが浮かび上がるのではないだろうか。
 成人式の晴れ着のように、一生に一度のイベントを用意することは親、家族の務めとなり、不運な(と認定された)事態でこれが叶わなかった者にはさまざまに支援の手が差しのべられる。卒業式、成人式の晴れ着も入学時のランドセルも、家庭の事情で最初から用意できない者には、それでは、どのような手が差しのべられているか。
 新自由主義的な社会体制・秩序とそこから生い育つ感覚とによって抑えつけられ逼塞している心情は何か、それを明るみに出してゆくやり方はどんなものか――目を向け社会的注意を払うべきは、「福祉国家的エートス」の居所を探り当てようとする多様な試みと努力ではないだろうか。
posted by GHQ/HOGO at 06:13| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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