2019年08月11日

徹底した社会的排除の状態におかれる若者たち

 そもそも福祉国家の制度価値が共有されるほど十分な制度枠組みと制度実践のない社会で「福祉国家的エートス」の涵養を問うことに無理があると言われれば、議論はそれで終わりである。
 しかし、福祉国家型の諸施策をふくめ、社会の連帯的なあり方を体制として構築しようとする運動は、それぞれの社会に特有の歴史的・社会的環境に培われた社会紐帯のポテンシャルを無視することはできず無視すべきでもない。
 たとえば、エミリア・ロマーニャ州を中心とするイタリアのスローフード(スローシティ)運動が反ファシズムの伝統を社会文化的に継承していたように、ある社会や地域に歴史的、社会的に堆積してきた種々の関係資源は、総じて、反新自由主義的な社会の構築に有用たりうる。
 正しく新自由主義的と呼ぶべき社会紐帯の切断(無縁社会化)の振る舞いを見逃さず、具体的に対処してゆく必要があるのはそのためだ。「死にたい」とつぶやく若者たち――それは本音ではないとの評言があるが、社会退出のアクティベーションとして十分にリアルで「実行可能」な望みである――のすがたは社会病理として語られるが、それは一面的に過ぎる。現実に起きているのは、推測するに100万人を優に超える若者たちが、現実的にも内面機制の上でも、徹底した社会的排除の状態におかれていることであり、膨大な「死にたい」つぶやきはそのリアルな反映に他ならない。
posted by GHQ/HOGO at 06:37| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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