2018年10月16日

「新自由主義」は本当に効率的なのか?

 人間とは生きているだけでコストのかかる存在である。しかし、効率重視と言われる新自由主義が、人間のコストパフォーマンスを真剣に検討してきたかと言えば、はなはだ疑わしい。新自由主義とは、1980年代以降、イギリス、アメリカから世界に広がってきた経済路線である。社会保障支出を最小限に抑える一方、企業活動を制限する規制を緩和することで、経済を効率化できるとする考え方だ。日本では小泉純一郎政権などが推し進めた。だが現実には、新自由主義は人間のコストパフォーマンスという視点を軽視し続け、その点でむしろ、非効率的な社会を作り上げてきてしまったのではないか。
 コストパフォーマンスは「自助」によって図られるべきものだ、とよく言われる。しかしそれで片付くのであれば、企業に対する経済産業省も、人間に対する厚生労働省も不要だろう。そんな単純なものではないからこそ、試行錯誤を繰り返し、制度や行政機構は今の形に至っている。
 新自由主義とは、実は大変非効率な経済学だったのではないか、という反省が経済学自身の中から生まれてこなければならないはずだ。そして、人々がそれぞれに生きている実態に即して、人間の生存を確保するほうが、はるかに高いコストパフォーマンスを実現することを、数値的にも立証すべきではないか。それは、「貧困対策は最大の景気対策だ」ということになる。
 製造業派遣に従事していて「派遣切り」にあったある日系ブラジル人労働者が集会で言っていた。「私たちはいい消費者だったはずだ。しかしもう消費もできない」と。労働を掘り崩し、消費を低下させ、生存コストのみを負担させる社会に未来があるのか。どんなハンデを背負っていても、その人を生かすことのできる社会がもっともコストパフォーマンスのいい社会ではないのか。
 人間の生存コストをきちんと勘案できる、まがいものでない経済理論の再生が必要だ。
posted by GHQ/HOGO at 06:16| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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