2018年09月29日

貧困の拡大と社会の不安定化―自己責任社会を極めたアメリカの姿, 社会民主主義的福祉の効用

貧困に2種類ある。絶対的貧困と相対的貧困である。生死にかかわる絶対的貧困は途上国の問題と言える。他方、相対的貧困とは、たとえば「携帯電話は持っていても、新しい服など買ったことがない」というたぐい。つまり所得格差の問題であり、先進国の課題に違いない。他人事ではない。日本がそうだ。
現代の貧困は思わぬ形で若者、中年、女性にも襲いかかる。学用品を買えぬ子、暗黒企業で疲弊の社員、介護離職で親子共倒れ、風俗で稼ぐ女子大生等々。
「貧困クライシス」をそのままを描いて話題の映画がある。「わたしは、ダニエル・ブレイク」(I, Daniel Blake 英仏ベルギー合作、16年)だ。「ラ・ラ・ランド」や「君の名は。」の観客動員数とは比ぶべくもない。その意味では関心が非常に高いとも言えない。人間、万事に関心を払うことはできないし、払うべきでもない。だが、何に無関心かによって社会の質が決まる。これが社会の質であり、国民の質でもあるだろう。
 今のところ。所得格差の拡大、あるいは貧困層の増大が論じられるとき、最近は<自己責任><自業自得>といったフレーズが以前にも増して使われるようになった。以前は、といったのは、例えば、中東などの戦乱地域へフリーランスのカメラマンや、ジャーナリストが外務省の警告を聴かずに潜入、人質になったり、死亡する事件で、このフレーズが使われたことはあったが、貧困にまつわる話題で用いられることはなかったからだ。この変化をらどう考えればいいのか。
 ご承知のとおり、<中東の戦乱⇒ 欧州への難民流入⇒ 欧米における難民排斥とナショナリズムの高まり ⇔ 経済グローバリズムと貿易拡大による製造業の疲弊>これらが輻輳・混在する社会の不安定化。これが先進国を中心に広がっている。
 皮肉なことに、<アメリカンドリーム>とは<能力と努力次第で出世>の意味あいよりも、一皮むけば<何事も自己責任で>という精神を言い換えた峻厳なルールであったことに、人々は今さらのように気づいたわけだ。  国民皆保険を目指したオバマケアの全否定が良い例だ。
 しかし、である。かつては社会党や共産党の代名詞的であった社会福祉政策で生活保護をはじめ、所得分配の不均衡を人為的にならそうとする思想を嫌う集団である保守派を代表する自民党でさえ、政権を担う以上、貧困者増大がもたらす社会不安を回避するためには社会民主主義的手段を採用せざるをえない。 
 いわゆる『以て他山の石とすべし』で、日本は<自己責任>フレーズを推進すると社会全体がどうなるか、アメリカを反面教師にすべきだろう。
posted by GHQ/HOGO at 07:56| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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