誰もが当然のこと信じたいクリストフ氏の現実に対する解釈は、さらに深くさらに暗い真実を隠している。貧困削減において確かにいくつかの面で注目すべき進展があったことを認めることは可能だし、認めるべきかもしれないが、全体的に「世界は改善している」という判断を正当化するという考えは、残念だが、根本的にあやふなやなデータの大変部分的解釈に基づいているため正直さを欠いているのだ。真実は、(健康的生活を営むための絶対最小限としてUNCTADが定義する、1日5ドル基準によって測定されているように)貧困で生活する人々の数は1980年代以来10%、飢餓は9%増えたと同時に、世界のGDPが驚くべき271%の増加をみたのである。
現時点では、世界銀行のデータベースによると41億人−人類の半分以上−が貧困状態で生活している。したがって、実は誰の懐がこのすべての集約された経済成長と同調しているのか。この語り口はまた、この成長が大規模な環境破壊を起こし、人々を長期的な貧困生活に捉えるための罠をかける経済活動に依存してきたという事実をも覆い隠している。最終的にこの話の最悪の側面は、その実際の嘘ではなくそれが隠すものである。それは、すべてが改善しており、したがって貧困を根絶するためには今までと同じことをもっとすればいいだけだと人々に信じさせるのである。次々に展開する第6次大量絶滅期的事象、中央集権化する大規模な富と権力分布パターン、そして底知れない構造的貧困と不平等さを持って、新たな状況へと押しやった新自由主義的「すべてを犠牲にしての自己資本の増加」システムをもっとやれということなである。
真実をすべて正直に言ってしまったほうが、それが実際に貧困を克服するための必要部分に集中する可能性があるからよっぽどいいはずだ。経済システムの根本的機能原則は、「すべてを犠牲にしていつでもどこでも物質的成長を遂げる」がまず第一である。残念ながらそうするための政治的・社会的義務は、クリストフ氏偽造の「すべては素晴らしく、さらに素晴らしくなっている」という語り口とはまさに噛み合わない類のものなのである。