2018年03月21日

“平等神話” の「ツケ」は重い

 多くの先進諸国に比べると、日本の子供の貧困対策はまだまだ途上であると言わざるを得ない。多少の拡充となった奨学金事業としても、まず、第一に日本においては貸付型の奨学金(通常 “student loan” と呼ばれるもの)制度しかなく、給付型の奨学金(通常 “scholarship” と呼ばれるもの)は存在していない。OECD諸国の中で、高等教育における家庭負担の割合が最も高い国の1つが日本である。
 また、児童扶養手当の拡充にしても、そもそも日本の手当はそれだけで生活することは不可能な額(満額だとしても月4.2万円+子供が2人の時は5千円の加算、3人目以降は3千円の加算)である。1人親世帯(ほとんどは母子世帯)の母親の8割以上は就労しているが、それにもかかわらず貧困率が5割を超えるのである。別れた父親から養育費を受けているのも2割に満たない。養育費を公的に取り立てる手段がないからである。
 生活保護率は増加しているとはいえ人口の2%程度であり、普遍的な児童手当の額も少なく、住宅扶助や食料費扶助などの他国に存在する低所得者を支援するさまざまな制度も存在しない。一方で、国民年金や国民健康保険など非正規労働者や自営業者が加入する社会保険においての、社会保険料負担は逆進的な設定となっている。
 これらはすべて日本が長い間「貧困問題」を無視し続けてきた結果であり、社会のさまざまな制度において低所得層に対する配慮の視点がなかったことによる。貧困対策について、日本は他の先進諸国から大きく遅れをとっている。一時的にでも「平等」であったことの「ツケ」がこのような形で現れるのは皮肉である。
posted by GHQ/HOGO at 06:40| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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