NPO法人自立生活サポートセンター・もやいには、このような相談メールが毎日のように届いている。かつては、元日雇いの野宿者や母子世帯が大多数だったが、今は若者や一般世帯にも広がっている。とくに増えているのは20〜30歳代の働き盛りでありながら、「働いているのに/働けるのに、食べていけない」という人たちだ。
35歳男性は、妻と子3人を抱えて、寮に住みながら派遣会社で働いていたが、収入は月額20万円程度しかなかった。寮費・水光熱費が割高に設定されている中で、20万円では5人は食っていけない。
こういう事例は、しかし、しばしば反発を招く。好ましくない結果をもたらしたのは、何よりも本人の努力不足が原因という自己責任論が根強いからだ。それは、貧困問題に永遠について回る偏見である。イス取りゲームにおいて、イスに座れなかった人たちに着目すれば、批判は容易である。「スタートダッシュが遅かった」「ボーっとしていた」「動きが緩慢だった」と、まるでプロ野球観戦でもするように、人々は冗舌になれるだろう。
しかし、一度イスの数に目を転じれば、事態の様相はがらりと変わる。イスの数が足りなければ、ましてや減っていけば、必然的に座れない人たちは増えていく。そのとき問題の根幹は、座れなかった人たちの自己責任論議から、イスの数、つまり人々の生活を支える諸々のセーフティネットの議論へと転換するだろう。
普通の人々が普通に暮らせる社会のために必要な視点はどちらなのか。その綱引きが今も繰り広げられている。