2017年09月25日

85 年は女性の貧困元年?

 均等法はなぜ、歯止めにならなかったのだろうか。それは、「平等を求めるなら男性並みに働くべきだ」との経済界の求めに応じ、均等法が、女性保護の撤廃と引き替えに導入されたからだ。日本では、労働基準法36条の規定で、労使協定があれば事実上「青天井」の残業が可能だ。そのため、均等法前まで、女性は休日労働や10時以降の就労を禁止されていた。これは、男女分業を前提にし、育児や家事の時間を女性にだけ確保することで社会生活を持続可能なものにしようとする策だった。
 そもそも、日本の男性が、青天井で長時間労働できるのは、家庭に主婦という女性がいて、仕事以外の労働を担ってくれるからにすぎない。また、女性の低賃金を補って「妻子を扶養」するために、男性は青天井で働くことを拒めない。保護抜きの均等法は、「妻つき男性モデル」ともいえるこうした働き方を正社員の標準として改めて定式化した。おかげで、「妻」を持てない多数の女性は、出産後は正社員にはとどまれず、非正規労働者への道を歩むことになった。
 欧州では、雇用平等を進める過程で、男女双方の労働時間規制を強化し、両立モデルを働き方の標準とすることで女性の経済力を高めた。日本は、男女両方の労働時間規制緩和という形で「均等」を進めたことが、女性の急速な非正社員化を招いたということになる。85年は同時に、「主婦年金」といわれる第3号被保険者制度と、労働者派遣法も導入された年でもあった。第3号被保険者制度は、配偶者の扶養下にある人の保険料を免除するものだが、扶養からやっと抜け出る程度の低賃金では、保険料負担で世帯収入がむしろ減ってしまう場合がある。
 そのため、自主的に収入制限をするパート女性も多く、これもパートの低賃金が続く原因になった。こうした働き方は、夫の年金に頼れない女性たちを極端な低年金、または無年金に置くことになり、高齢社会の無年金女性問題というもう1つの貧困を生む結果となった。労働者派遣法も、「均等法後は正社員の長時間労働に耐えられない女性の増加が見込まれるため、その受け皿として、パートより専門的で時給の高い仕事が必要だった」(高梨昌・信州大名誉教授)として、導入された。
 こちらはその後、「年越し派遣村」などに象徴される貧困のもとになった。藤原千沙・岩手大准教授は、均等法・第3号被保険者制度・労働者派遣法を、その後の女性の貧困を深刻化した3点セットとし、「85年は女性の貧困元年」と呼んでいる。
posted by GHQ/HOGO at 07:26| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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