2017年07月23日

日本の貧困問題を考える上で重要な分野は?

 貧困には2つ考えがある。1つは相対的貧困、もう1つは絶対的貧困である。これは「衣食や医療を経済的な理由で躊躇う」ことを指す。感覚的にはこちらのほうが近いかも知れない。
 例えば核家族より大家族のほうが世帯事の貧困率は低くなる傾向がある。所得の少ない若者を高齢者がカバーする体制になるからだ。日本が公的扶助が少ない理由の1つは こうした地縁血縁のカバー体制があった点は指摘できる。また生活保護制度の捕捉率とかの問題もある。問題が多岐にわたり「○○すればいい」とは一概に言えない。
 私たちもときどきは金欠に陥るもの。それは個人による経験だ。それは貧困の社会問題とは別のものだ。金銭は富の尺度であり、金欠は貧しさの尺度である一方、それは貧困の社会問題ではない。
 社会問題としての貧困は深い傷のようであり、文化や社会のすべての側面を蝕む。それは共同体の市民の長期に及ぶ低い収入といったことである。またそれは教育・市場・医療などのサービスの提供の欠乏、意思決定の能力の欠乏、公共設備(水、衛生、道路、交通、通信)の欠乏といったことも含む。さらにそれは共同体の市民たちの間に絶望、無関心、臆病を生み出す。貧困、特にその要因は、社会的な問題であり、その解決法も社会的である。
 貧困はその症状を軽くするのではなく、その要因を退治することでしか対抗されないのである。単なる金銭の寄付は、たとえそれが貧困の被害者に対してでも、貧困を減らしたり撲滅させない。それは短期的に貧困の症状を軽くするだけなのである。それは長期的な解決にはならない。社会問題である貧困は社会的な解決方法を必要とする。
posted by GHQ/HOGO at 09:19| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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