2017年06月13日

「明日の生活への不安」という暴力

 明日の生活への不安や日々の迫り来る支払いという大きなストレスに追われることは、いわば見えない暴力や恫喝に耐え続けるようなもので、その間が長ければ長いほど、貧困の「困」が深まり、脳にダメージを負っていく。そのダメージが深まってからでは、生活保護などの支援・扶助にたどり着いた後に、再び働「ける」ようになるまで大幅な休養(というよりは治癒)の期間が必要になってしまう。ようやく生活保護にたどり着いた時点では、もうズタズタになっている。
 この状態はいわば、「病院がめちゃ遠い」状態だ。ケガをして病院に歩いて向かうが、その病院が遠くて、乗せて行ってくれる車もなくて、自力で歩いているうちにどんどん悪化し、全治までの時間が当初のケガよりも大幅に伸びてしまったような。これがおそらく、現状の生活保護と貧困者の最大の距離感と感じている。
 ならば、このように傷を深める前に支援の手につなげるようなポイントを考えるべきだと思うのだ。
 貧困リスクの高い層の捕捉は、それほど難しい話ではない。
 たとえば失業保険受給者に、「万が一、生活保護を受ける際のわかりやすいガイドライン」を手渡す。ハローワークにもそうした相談部署があってしかるべきだ。精神科と貧困支援の窓口が併設されていないのは、どう考えても大きすぎる手落ちだ。
 こうした捕捉のポイントは、これまでさんざん見世物コンテンツとして消費されてきた貧困当事者のケースワークからでも容易に考えつく。貧困転落リスクが高い者の特徴は、再三コンテンツ化されてきているからだ。
 たとえば未婚で妊婦検診を受ける女性、DV被害から離婚を選んだ女性、過去に虐待や育児放棄環境で育ったエピソードを持つ若者。学校で給食費などの滞納や学用品の購入困難がある家庭、医療の窓口で支払い困難がある者、各種税の滞納者。
 こうしたポイントで捕捉できた者たちに「いざ困ったときにはこうしたらいいですよ」と伝えることが、逆に差別的であるとか失礼なおせっかいのように言われるなら、その時点で貧困者を差別する社会から脱却できていないと自認すべきだ。
 足にケガをした子供をみて「あんたケガして転びやすいんだから気をつけなさいよ」と親が手を握ってあげて、それを責める者はいるだろうか。先ほどの病院が遠い例と同じで、これは甘やかしではない。そこで転んでケガを深めたら、余計に回復、つまり社会に復帰して生産人口として社会に貢献することが遅れるならば、それは個人ではなく社会全体の損失だからだ。
 最後に、結果としてすでに貧困に陥り、生活保護受給などにたどり着いた成人について。
 現状の制度やアウトリーチ(積極的に当事者へアプローチする支援)のレベルでは、そもそも公的扶助の受給にたどり着いた時点で、もうしばらく立ち上がれません、働「け」ませんというケースが大半であり、ここはまず、就業支援より「休養」だ。さらにこの休養とは、単なる現金の給付と心の痛みの緩和的、対症療法的な精神科通院と薬の処方だけではなく、貧困の過大なストレスでダメージを負った脳のケア、つまり子どもの療育ケアで提言したようなリハビリ的なケアにつなげたい。
 現状で医療として受けられるのは認知行動療法ぐらいだし、精神科作業療法という分野もあるが、これはかなり重い精神障害以外では活用されていない。こうした医療を貧困者支援へと拡大していく可能性や、各所のプロをつないでいくことについては、僕をはじめとしてメディアの人間も動く必要があるだろう。
posted by GHQ/HOGO at 06:15| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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