2017年06月11日

「発達の機会を失った子供」に必要なケア

 子供の利用したい形での「安全な居場所の提供」ができたなら、ここで加えたいのが「療育ケア」だ。十分な時間と手間を与えられない貧困世帯や虐待家庭などに育つことで、子供に非定型発達(発達遅延)が表れ、それがその後の人生の貧困リスクを高めることや、そのことが世代間を連鎖する貧困の正体の1つなのだ。
 現状で療育と言えば、幼児期に発達障害と判断された子供に対して作業療法や言語療法などリハビリテーションの技能で発達支援をする現場を指すが、そもそも子供が発達障害と診断されて療育センターに子供を通わせている親は、きちんと子供をケアしているし見ている(決して楽だとか貧困じゃないとか言っているわけじゃない)。だが療育の現場に従事するセラピストたちの技能は、上記のような「発達の機会を失った」子供たちにこそ、いっそう必要になるケアである。ケアの効果が見込めるのは、不登校児、保健室通学児童、そして児童養護施設や児童自立支援施設、少年院で過ごす子供たちに対してだって、その能力は大きく機能するはずだ。
 苦言を呈せば、現状、この療育の専門性を発揮できるはずのリハビリテーションのセラピストたちは、その多くが高齢者のためのサービスに従事している。特に脳卒中後の高齢者がそのまま寝たきりとなって病院に居続けて医療費を増大させないための、家庭復帰を目指すためのリハビリに、最もその人材が集中しているのが現状だ。
 批判覚悟で言うならば、ケアしてもすでに生産の現場には戻らない高齢者と、今後の日本の生産活動を支える子供と、どちらを優先すればいいのかは一目瞭然ではないか。
 ということで、居場所ケアと療育(発達支援)ケアは、必ず連係・両立してほしい。療育については現状、圧倒的に人的資本が足りない(というか高齢者ケアに集中している)うえに、専門医がその子供を発達障害と診断しないかぎりサービスを受けられないので、医師の診断を必要とする法的根拠そのものに斬り込むと同時に人件費の財源確保という大問題も立ちふさがる。本音を言えば「子供の貧困対策法」を根拠にざっくり財源確保してほしいとも思うのだが……。
 現状の子供の貧困ケア改革でどうしても外せない最後の一要素、これが非常に提案しづらい部分だ。ざっくり言えば「義務教育世代から始める、就業ベースの教育」である。
 昨今、子供の貧困に対してさまざまな社会的な動きが活発化して、大変有難いと思うが、その一方でちょっと無視できない論が流布しつつあるように感じている。まず現行の「子供の貧困対策法」の大綱は、教育支援、生活支援、保護者の就労支援、経済的支援だったはずだが、予算がついたのはほとんど「貧困世帯の子供の遅れがちな学習を取り戻す」、つまり教育支援に限定されていたように思う。
 教育政策で救えるのは勉強が得意な子だけで、そこに集中した支援は結局「知の格差」を広げることにもつながりかねない。加えてそれ以上に主張したいのは、昨今この論は、子供の貧困というキーワードをビジネスソースにしようとしている産業に利用されているように思えてならない。
posted by GHQ/HOGO at 07:35| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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