2017年06月10日

低所得世帯の親の帰宅は、遅い

 低所得世帯の親の帰宅はまずもって遅い。働かないから貧困ではなく、働いても稼げなくて貧困な親の世帯ほど問題が深い。低所得者ほど長時間労働だったりダブルワーカー、トリプルワーカーなのは各種データのとおりだが、夜9時、10時となって帰宅して、子供に当たり散らしたり、夫婦間の諍いが始まったり。これが虐待のゴールデンタイムだ。そんな状況に、幼い彼ら彼女らは耐えられずに家を飛び出したり、追い出されたりする。
 どこに行こう、向かう先が、夕方までいた学童保育だったり児童館だ。だけど、暗い夜道を歩いてたどり着いた学童は門が閉ざされ電気も落とされ、静まり返った施設を前に、子供は絶望し立ちすくむ。
 これが「24時間やってる学童」が欲しい理由。行き場がなくなったときにちょっと立ち寄って、親から距離を置いたり、空腹を満たすことができたり、親が落ち着いて迎えに来るのを待てるような場所だ。
 一方で「ゲーセンみたいな学童」は、彼ら、彼女らが小学校高学年以上になって求めるもの。上記のような家庭環境の少年少女らだが、そうした環境が継続する中で年を重ねると、それなりに居場所を得ていくことになる。それが、遅くまでいても文句を言われないゲーセン(2000年代中盤の条例改正でほぼなくなったが)、育児放棄状態で親は帰宅しないがカネと食べ物だけは用意してある地元の友達の家、そしてもう1つが「コンビニとファミレスの駐車場」だ。
 こうした場所を転々としながら、ほかの育児放棄だけどカネは渡されているという子供にタカったり、渡されたカネを譲り合ったりで飢えをしのぐというのもまた、定番ケース。そこで知り合った「悪い先輩」たちの影響で売春や盗みの世界に入っていくというのも、これまた定番ケースだ。
 そうして触法を重ね、補導を重ねるうちに、彼ら、彼女らは地元の児童福祉に敵対感情を持つようになり、支援者につながりづらくなり、濃厚な貧困リスクを抱えたままで年を重ねていくことになる。
 そんな彼らにとって、欲しかったのはゲーセンや漫画喫茶に食事ケアや簡易的な宿泊施設がついたもの。そこに住むのではなく、決められて通うのでもなく、居場所がなくなったときに立ち寄って利用できる、したくなるような居場所ケアというわけだ。
 さて、随分と昨今議論されている居場所ケアとは毛色が違う。子供食堂的な食事ケアはすばらしいが、一方で拡充が検討されている学童は、あくまで「学校の延長線上」であり、「ちゃんとできる子」向けである。だが、親が「ちゃんとしなさい」の「ちゃんと」の枠の中にハマる教育すら受けさせられないから、それを子供に与える時間すらないから、貧困なのだ。放課後になってまで机に向かっての勉強タイムがあったり、持ち込む私物によっては没収があったりするような学校的な学童よりは、子供は友人宅やゲーセン的な場所を選ぶ。
 禅問答のようだが、支援者の支援の枠にハマる子供だけが支援されるなどという支援は、支援ではない。
posted by GHQ/HOGO at 07:12| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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