2017年01月25日

生きやすい社会を目指して−最低限度の生活とは もはや「個人の問題」ではない

 仕事が見つからないのは「個人の努力不足」、自殺するのは「個人の責任」、豊かな社会は「個人の心の持ち方次第」。日本はいつのまにか自己責任社会になってしまった。日本の 治安は世界的に見れば良いほうで「安全」かもしれない。けれども、「安心」して生活できる国ではなくなった。なぜなら、雇用不安、生活不安、将来不安に絶えず悩まされているからだ。これらは少なからず「個人の問題」 ではなく、「社会の問題」として捉えなければならない。雇用や社会保障といったセーフティネットの崩壊、資本主義国としての日本の社会構造の欠陥が引き起こした問題なのだ。 そもそも、福祉という社会の共有財産である生活基盤やセーフティネットを整備することは、「国を強める」という目的を持っている。セーフティネットがちゃんと張られているからこそ、思い切ったチャレンでき、社会に活力が生まれる。足元の不安を解消し、社会の活気を促進して支えることがセーフティネットの役割なのである。
しかし、これら は国民の税金によってまかなわれている。そのために、「貧困に陥ったのは個人の問題なのに、なぜ自分たちがお金を出さなければならないのだ」と言われる。セーフティネットを単なる「負担」ではなく国民に対する直接の「投資」と考え方を転換する必要がある。 さて、これらの解決には政府・自治体・民間団体・NPO などさまざまなレベルでの連携が必要不可欠である。自殺を考えている人は誰にもその悩みを打ち明けようとしない場合が多い。そうした人々の相談できる場としての「いのちの電話」や NPO 法人の「東京自 殺防止センター」。労働者のための「反貧困たすけあいネットワーク」といって活動団体がある。また、日本社会では自殺者とその家族に対する偏見は根強い。残された子供の就 職や結婚に影響するのではないか、兄弟親戚に迷惑がかかるだろうと案じ、死因を隠し続けている遺族も多い。自殺は当人ばかり注目されがちだが、こうした遺族の心のケアや 支援をする団体も存在する。問題はこうした支援団体の存在が、それを必要としている人々 に認知されていないことにある。
 個人の幸福を主観的なもの、として片づけることは最も簡単な片づけ方であるが、個人の幸福には、他人にも共通し、影響しあう共通部分がある。たとえば子供の教育問題 がその一例である。詰め込み教育からの転換を図るために導入されたゆとり教育では、学校は週 5日制になり授業時間は減らされた。しかし、それは同時に授業の質の低下も招き、受験勉強や十分に理解できなかった部分を補うために、塾に通う子供たちが増えた。ゆとりを育むどころか、逆に奪ってしまったのである。
posted by GHQ/HOGO at 07:57| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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