2015年08月14日

生活保護バッシングに対してどう考えるか?

 『小六法』を引っ張り出してページを繰ってみると、開いてまもなく、憲法25条【生存権、国の社会的使命】の2項に「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。これが生活保護の裏付けとなっている法律(憲法の条文)であり、国民の権利なのだ。また、これは国民の権利のうちでも請求権の部類にあり、国はこれを実現するため、憲法の精神にのっとって必要な法律を整備しなければならないのだ。
 さまざまな事情により生活保護の受給者となってしまった人たちは、憲法25条の1項が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができるよう補助を請求することができる。ここにバッシングをうけなければならない理由は1つもない。
政策として生活保護費が減額されているが、本来、それを決定した政治家には減額しなければならない正当な根拠を示さなければならない責任があるはずだ。減額の理由として低賃金で生活する人たちの年収を引き合いにだすことがあるが、それが生活保護費を減額していい理由にはならないはずである。その水準が「健康で文化的な最低限度の生活」を営む費用よりも低いのであれば、むしろ、低賃金で生活する人たちの給与を引きあげる施策を考えるべきなのだ。低賃金労働者も保護すべきだと考えるのが法治国家の政治家の発想のはずだ。
 また、こうした議論は、停滞する日本の経済をどうするかという議論とは関連して考えるべきではない。こちらが足りないから、こちらを減らすという貧困な発想では国家という大きな船の舵がとれるはずはない。
posted by GHQ/HOGO at 09:05| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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