2019年10月16日

日本社会に広がる貧困

 「メールにて失礼いたします。現在45歳 男 ○○○○ともうします。北海道から東京に体1つで上京しネットカフェなどに寝泊まりしながら派遣の日雇いの仕事をする毎日、派遣先は主に重労働の建築現場で経験も体力もない自分にとっては毎日が苦痛で精神面も不安定な状態になりつつあります。正直その日暮らし的な今の生活に限界を感じています。自分には中学生の息子がいるので、東京で一稼ぎして仕送りを考えていましたが現状では仕送りどころか自分の生活も困難です。是非お力添えをしていただきたくメールいたしました。どうぞよろしくお願いします」
 貧困は、かつては、元日雇いの野宿者や母子世帯が大多数だったが、今は若者や一般世帯にも広がっている。とくに増えているのは20〜30歳代の働き盛りでありながら、「働いているのに/働けるのに、食べていけない」という人たちだ。
 上記の事例は、しばしば反発を招く。好ましくない結果をもたらしたのは、何よりも本人の努力不足が原因という自己責任論が根強いからだ。それは、貧困問題に永遠について回る偏見である。イス取りゲームにおいて、イスに座れなかった人たちに着目すれば、批判は容易である。「スタートダッシュが遅かった」「ぼーっとしていた」「動きが緩慢だった」と、まるでプロ野球観戦でもするように、人々は冗舌になれるだろう。
 しかし、ひとたびイスの数に目を転じれば、事態の様相はがらりと変わる。イスの数が足りなければ、ましてや減っていけば、必然的に座れない人たちは増えていく。そのとき問題の根幹は、座れなかった人たちの自己責任論議から、イスの数、つまり人々の生活を支える諸々のセーフティネットの議論へと転換するだろう。
 普通の人々が普通に暮らせる社会のために必要な視点はどちらなのか。その綱引きが今も繰り広げられている。
posted by GHQ/HOGO at 06:12| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする