2019年09月05日

選択の自由は二重の豊かさをもたらす

 中央集権的な生産活動を行っている限り、個々の消費者の特殊な需要に適合した商品を生産することはできない。それどころか、極端な共産主義経済では、全く需要がない生産が行われることもある。大躍進の時、毛沢東は、全人民に鉄増産のノルマを課したが、このノルマをこなしても、前近代的な小型土法炉を用いたため、何の役にも立たない屑鉄の山ができるだけだった。一般的に言って、社会主義的な経済では、企業は、消費者のためではなく、中央の権力のために競争する。消費者主権でないところが社会主義経済の根本的な問題である。
 安価で画一的な商品を大量生産する経済も、人口が増加する限り成長することができる。だが、資源的環境的制約でそれができなくなると、1人当たりの支出と収入を増やさなければ、経済は成長しなくなる。1970年代以降、大きな政府が機能しなくなり、規制緩和の必要性が指摘され始めたのは、このためである。
 規制緩和をめぐっては、賛成派と反対派で次のような議論が行われることが多い。
 賛成派:規制緩和が行われれば、企業は値下げ競争を行い、物価が下落して、消費者の実質所得が増える。
 反対派:値下げ競争が激化すると、競争力のない中小企業が淘汰され、大企業が市場を独占するので弊害が大きい。
 賛成派も反対派も、規制緩和の目的を値下げ競争としているところが問題である。通常、規制緩和の賛成者には反社会主義者が多く、反対者には社会主義者が多いのだが、もしも、この賛成派が主張するように、商品の価格が下がることが望ましいのなら、物価水準が低い社会主義の方が望ましいということになるし、もしも、反対派が主張するように、市場の独占が好ましくないなら、政府による市場の独占(市場の消滅)はもっと望ましくないことになる。議論が逆転している。
 規制緩和が、企業の値下げ競争を促進することがあるのは確かである。しかし企業は、単純な値下げ競争を続けることは、自分で自分の首を絞めるに等しいことぐらいはわかっているので、商品を差別化し、価格だけでは比較できないようにする。中小企業も、競争の激化で必ずしも淘汰されるわけではなく、大企業が手をつけられないニッチを見つけて、そこへ特化していく。規制緩和が目指す効果は、値下げ競争による生産者の共倒れではなくて、多様化による生産者どうしの棲み分けであり、消費者余剰を増やすことによって減らすことではなく、消費者余剰を減らすことによって増やすことなのだ。
 高級品というと、金持ちのために奢侈品と誤解されやすい。しかし、大阪型消費者と京都型消費者のモデルを見るとわかるように、全ての消費者の収入が同じであったとしても、高級品を作ることは必要なのである。私たちは、関心のない分野では節約し、自分の人生にとって本質的な分野には大金を投じる。自分にぴったりの商品を見つけることができて、しかも所得水準が高い経済は、二重の意味で豊かな社会と言うことができる。
posted by GHQ/HOGO at 05:06| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする