わかりやすい例として、ゴミに関する町内会のルールを考えてみよう。
「ゴミを収集所に出すのは午前7時以後」といったルールは、7時より前に家を出なくてはならない会社員を、しばしば困惑させる。そのようなルールがすでにあると知らずに賃貸住宅に転居してきて、風紀委員のようなご近所さんに厳しくチェックされて不快な思いをしても、多額の初期費用をすぐに用意して転居するわけにはいかない場合が多いだろう。ルールを変えたいと思っても、賃貸住宅の入居者は町内会員にしない町内会もある。参入できたとしても、多数決で敗北する可能性が高い。すると、不平不満を抱えながら次の転居の機会を待つしかない。
しかし、同じルールの作成に自分自身を含む多様な人々が加わっているとすれば、状況はまったく異なる。「午前7時」という時刻は、望ましい到達目標や当面の落とし所として決められるだろう。人により家庭により、事情がそれぞれ異なることは承知の上で定められるルールに対して、「厳守!」と叫ぶ声は上がりにくい。
とはいえ、「守らなくてもよいルール」というわけではない。「午前7時」という時刻は、カラスなどによる被害を最小限に食い止めるために定められたはずだ。「午前6時40分が許されるのなら、午前6時30分でも大して変わらないはず。大して変わらない10分を積み上げていけば、前の晩の午後7時でも大丈夫」というわけにはいかない。「午前7時」はゴミ収集車の来る時刻、カラスの活動状況、「みんな」の都合などの要因を考慮して一応決めたラインだ。「みんな」がおおむね守れば、「みんな」が幸せになれるはずだ。
国連という「国際町内会」には、条約・規約など数多くのルールがある。それらは、トップダウンで勝手に決められたルールではなく、国際「ご町内」のみんな、各国政府・各国NGOなど多数の参加で、時間をかけて決められている。また、それらのルールを取り入れるかどうかは、各国に任せられている。あるルールを受け入れるにあたって、強制力の内容や程度を選択できる場合もある。
そもそも、「国際町内会」への参加のあり方が国ごとに異なる。「とりあえず加盟だけ」から「費用をたっぷり拠出し、条約をたくさん締結し、前提となる国内法も整備して」までのバリエーションがある。しかし「とりあえず加盟だけ」でも、1948年に定められた「世界人権宣言」に従う約束はすることになる。
世界人権宣言には、以下のように書かれている(下線部は筆者による)。
「基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認」
「一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意」
「加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約」
「権利および自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要」
この対話は成長するチャンス 日本は世界の知恵を集められるか
国連の特別報告者たちは、世界人権宣言、および日本が締結してきた国際人権規約、女性差別撤廃条約、子供の権利条約、障害者権利条約など多数の条約に基づいて、日本政府に対話を求めている。とはいえ日本は、各条約を「一応、守ります。実施状況の定期審査も受けます」という形で締結しているに過ぎない(例外は子供の権利条約の一部)。
「やる気」がもう少しあれば、「ちゃんと守ります、違反したら、国民がそちらに通報してくれます」という形で、具体的には「選択議定書」を含めて締結するはずだが、そこまでの「やる気」は見せていない。だから日本は、無視を決め込むことができる。「内政干渉、激おこぷんぷん!」とブチ切れ、対話を拒否することもできる。
しかし、この対話の機会を逃すのは、日本にとって「損」ではないだろうか。しかも、北朝鮮が対話に応じようとしている歴史的な時期なのだ。北朝鮮と比較して「日本って?」という印象を持たれたら、少なくとも国際社会で「得」はしないだろう。
もちろん、「わかってます」「やってます」だけであれば、特別報告者たちの鋭いツッコミや調査の前にタジタジするだけだ。しかし、「すみません、わかってませんでした」「申し訳ない、できてませんでした」と認め、どうすれば「わかっている」「できている」に近づけるのか、アドバイスを受けることもできる。
国家財政の事情を含め、日本の数多くの「わが町の事情」をどのように扱えば、国家の破綻を起こさずに社会保障を充実させられるのか、世界の知恵を集めて解決に向かうこともできるだろう。
posted by GHQ/HOGO at 06:03| 埼玉 ☔|
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