1990年初頭のバブル経済崩壊以降、路上生活者など生活に困窮する人の数は増加の一途をたどっていたが、当時はそのことを国内の貧困問題として認識する人はほとんどいなかった。
貧困が注目され、可視化されるようになったきっかけは、皮肉にもその存在を否定しようとした当時の大臣の発言である。
2006年6月16日付け「朝日新聞」朝刊に掲載されたインタビューの中で、小泉政権の経済政策を担ってきた竹中平蔵総務大臣(当時)は「社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはない」と明言したのだ。
今から見ると、噴飯ものの発言だが、ただ、こうした認識は2006年時点では珍しくなかった。
当時、NPO法人もやいには、NHKの『ワーキングプア』取材班など、複数のテレビ局チームが常時、生活困窮者支援の現場の取材に来ていたが、その取材クルーが苦労していたのは、それぞれの局の上層部に「日本で貧困が広がっている」ということを前面に打ち出した番組を放映することを認めさせることだったのだ。
政治家だけでなく、マスメディアの関係者の間でも2006年の時点では、「国内に深刻な貧困問題は存在しない」という認識が一般的だったからである。
竹中発言に憤りを覚えたもやい事務局長(当時)の湯浅誠は、国内の貧困問題を可視化するための新たな運動を始めることを決意し、「反貧困」をスローガンとした社会運動を展開していくことになった。
そして、それが2008〜2009年の「年越し派遣村」につながる動きへと発展し、ようやく貧困が政治の場で議論される状況が生まれていった。
その意味で、今年の夏は日本社会で貧困が「再発見」されてから、ちょうど10年という節目の年にあたると言える。
この10年間、国内に貧困問題が存在することは誰の目にも明らかになったのではないか。子供の貧困対策法や生活困窮者自立支援法といった貧困対策を打ち出した法律も制定された(特に後者の法律にはさまざま問題があるのだが…)。
しかし、貧困対策の要である生活保護の基準は引き下げられ、アベノミクスは国内の格差と貧困をさらに拡大させているのだ。
この10年の間に、国内の貧困はどのように変化し、貧困対策はどこまで進んだのか。参議院選挙を通して問うべきではないか。