2018年12月31日

「格差」は隠蔽されたか?

 格差拡大が話題になり始めたころ、政府、財界、そして一部のマスコミは、躍起になって格差拡大の事実を否定しようとした。最初の段階では、都合のいい統計データを示しながら、「格差は拡大していない」と言い張った。いくつもの指標が格差拡大を示していることを否定できなくなると、「格差拡大は見せかけだ」と言いだした。
 OECDが、日本の貧困率は先進国のなかで米国に次いで高いと発表すると、「この貧困率の計算方法は日本にはあてはまらない」などと言い張った。さらに統計的な証拠が集まって、格差が実質的にも拡大していることが否定できなくなると、「格差があるのは当然だ」と開き直った。
 こうして政府が、格差拡大と貧困の増大という事実から目を背け、開き直り、対策を怠っているうちに、日本社会は取り返しがつかないほどに変質してしまった。その結果が、平均年収186万円…日本に現れた新たな「下層階級」の実情:これがニッポン「階級社会」だ。新しい階級社会と巨大な下層階級(アンダークラス=パート主婦を除く非正規労働者たち)の出現である。
 ここから明らかなように、格差は政治的な争点である。しかも、それは階級的な利害と密接な関係にある。
 人には日本国憲法で認められた生存権と平等権がある。だから生存権を脅かすような貧困の存在が明らかになれば、政府は対策を取らなければならない。平等権が侵されるほどに格差が拡大していることが明らかになれば、やはり政府は対策を取らなければならない。しかしそのためには、富を特権階級から下層階級へと移転させなければならない。特権階級の利害は脅かされることになる。
 だから特権階級は、貧困の存在も、また格差拡大の事実も認めたくない。特権階級は、自分たちが恵まれた立場にあることを隠すため、いまの社会では格差が小さいと主張する。そうでなくても、格差は許容範囲であり、縮小させる必要はないと主張する。このように貧困が存在するか否か、格差は拡大しているか否かといった、社会に対する認識自体が、階級間の対立の争点なのである。
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2018年12月30日

本当に怖いのは東京オリンピック閉幕後だ!

 2020年8月開催の東京オリンピックを前に、日本は建設業を中心に好景気が続いている。また、12年に始まった景気拡大は、高度成長期の「いざなぎ景気」を超えたとも言われている。一方で、東京オリンピック閉幕後の雇用悪化や景気落ち込みが今から話題になっている。これはオリンピック特需が終わるからだが、さらに懸念されるのは、21年までに実施される各種財政維持のための引締対策である。
  生活保護基準の引き下げを含めて、今後、次の4つが実施されル。
 (1)年金改革法によるキャリーオーバー制の導入(2018年4月〜)
 16年12月に成立した年金改革法では、年金給付の水準を調整する「マクロ経済スライド」方式の見直しが決まッテイル。これまでは、賃金や物価の上昇が小さく、スライド調整率を適用すると前年度の年金額を下回ってしまう場合、下回った分のスライド調整率は適用されず、年金額が下がらないように調整されてきた。
 しかし、18年4月以降は、前年度の年金額を下回る分のスライド調整率は、これまで通り適用はされナイが、持ち越されることになり、賃金や物価が大きく上昇したときに、その年のスライド調整率に加えて改定率を決めるキャリーオーバー制が導入された。これによって、景気が大きく上昇しても年金支給額はこれまでのようには上がらず、低く抑えられることになル。
 (2)生活保護基準を最大で5%引き下げ(2018年10月〜)
 17年の生活保護基準の引き下げは、すぐに実施されるわけではない。18年10月から3年をかけて段階的に行われ、最終的に20年に最大で5%が引き下げられる。生活保護世帯の約67%が減額される想定だが、オリンピックの年が最も厳しくなる。
 (3)消費税率が10%に(2019年10月〜)
 19年10月に消費税率が10%に引き上げられる。
 これによって約5兆円の増収が見込まれルすが、このうち約2兆円は国の借金返済に使われ、2兆円は教育無償化などに、1兆円が社会保障費に使われるとされていル。この増税に対して、自由民主党と公明党以外は反対または凍結を主張しており、また延期するのではないかとの声も聞こえてくる。
 これまでは消費税率が上がるとき、消費に大きな影響が出ないように生活保護基準も引き上げるような対応もされてきたが、今回は低所得者対策として食品などの軽減税率の導入も検討されている。しかし、消費税は低所得者ほど所得に占める生活必需品の割合が高くなるので税負担が重くなると言う、消費税の逆進性が指摘されている。
 (4)年金改革法による「賃金・物価スライド」の新ルール(2021年4月〜)
 16年12月の年金改革法では、もう1つ、毎年行われる年金額の改定ルールが変更になった。これまでは、物価が上がったのに賃金が下がった場合は年金額は据え置き、賃金と物価の両方が下がった場合は物価の下げ幅に合わせて年金額が下がったが、21年4月以降は、すべて賃金の下げ幅に合わせて引き下げられる。つまり物価が上がっても賃金が下がった場合は賃金の下げ幅に合わせて下がり、物価よりも賃金の下落が大きい場合も賃金の下げ幅に合わせて年金支給額は下がるのだ。これによって現役世代の年金はある程度確保されるが、年金受給者にとっては支給額の減額になる。
 このように、20年東京オリンピック景気の盛り上がりの影で実施されるのは、財政を維持しつつ、少子高齢化でかさむ社会保障費を抑制するための政策である。続く25年には、団塊の世代が75歳以上になり、35年には国民の3人に1人が65歳以上の高齢者になる。社会保障費は雪だるま式に増えていくとはいえ、どこまで削減を続けていくのだろうか。
 全国を回ってみてわかったことだが、すでに高齢化率30~40%という地域も少なくない。こうしたところでは年金と生活保護支給が経済の資本になっている。その支給額を減らすということは、地方経済にとっても大きな打撃である。
 17年にOECDが発表した調査結果では、日本の貧困率は12年の16.1%から15年には15.6%と少し下がったた。しかし、貧困ラインは122万円のまま変わらず、貧困率もOECD(経済協力開発機構)加盟国の平均11.4%よりも高いままだ。貧困率は、その対策に予算をかけない限り、決して下がることはない。具体的には、所得再分配政策、つまり税金を上げてその分を再分配しない限り、貧困率は下がらないのだ。
 しかし、政府は大きな反発を恐れて税金を上げられない。財政危機で配分する予算がないので、いまある予算のどこかを削るしかない。どこを削るか、常に足の引っ張り合いだ。今回の生活保護基準引き下げは貧困率を下げるどころか逆行している。これがさらなる悪循環を生み、格差拡大を加速する契機になる。もはや「一億総貧困」が大げさなあおりではないところまできているのである。
 とはいえ、以前に比べて、生活保護受給者に対するバッシングが減ってきているのは救いであり希望である。社会保障費がどんどん削られてきて、限界が近づいているからだろうか。政府は世論の方向性を見ている。今回も最初に厚生労働省が提示した13%引き下げが5%に下位修正された。これをさらに4%や3%に下げていくことは不可能ではない。
 そのためには、声を上げることだ。たとえば、Twitterで生活保護費や社会保障費の削減に反対する意見をリツイートするだけでもいい。近いところから「まずいよね」と声を上げる人が増えていくことで世界は変わるはずだと思いたい。
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17年の改正の影響は最低賃金にも出てくる

 所得の高低に関係なく影響が出る制度がある。「最低賃金」だ。生活保護基準は最低賃金とも連動しており、双方の整合性が常に問われている。近年、最低賃金は政策によって上がる傾向にあるが、生活保護基準が下がれば今後は上がりにくくなるかもしれない。また、最低賃金は時間給のパートやアルバイトだけではなく、月給をもらっている社員にも関係する。時間給に換算して月額給与に適用されるので、給与も上がりにくくなる。決して、生活保護世帯だけの問題ではない。
 2012年以降、緩やかに景気は回復していると言われているが、実感がない人の方が多いのではないだろうか。実際、生活保護基準以下またはそれよりも少し上という低所得層の増加傾向は変わらず、さらに拡大を続けている。15年の1年の所得が200万円以下の世帯は19.6%、300万円以下の世帯は33.3%で、平均所得(545万8000円)を下回る世帯が全世帯の60%以上にのぼった(厚生労働省「平成28年度 国民生活基礎調査」より)。シングルマザーや高齢者世帯、非正規雇用の若者など、働いていても収入が生活保護レベルを超えない世帯は年々増加しており、かなり厚い低所得者層が形成されている。
 12年に起きた生活保護バッシングを覚えているか。
 長引く不況から、生活保護費より低い生活費で暮らしている人たちが多く存在することが明るみに出た。政府はこれを改善することはせずに、逆にこれまでにない大幅な生活保護費の削減を実施し、15年までに生活扶助費が最大で10%削減された。
 それまで、一般世帯や収入下位20%の一般世帯、生活保護世帯のそれぞれの消費額と比較して決められていた生活扶助費の額の算定方法を、下位10%の低所得者層との比較に変更したのがこのときだ。これによって出した数字を根拠に10%の削減が決められたのだ。当時も、生活保護基準以下の低所得世帯の消費額と比較することの意味が大きく問われ、これを違法として国を訴える裁判が現在でも全国各地で行われている。
 そして、今回、さらに追い打ちをかける生活扶助費5%の引き下げである。これがどのような結果をもたらすのかは明らかではないだろうか。
 はじめに、生活保護基準とは、生きていく上での最低限必要な生活費の水準だが、それは、「ぎりぎり死なない程度に食事が取れればいい」という意味ではない。憲法25条で保障しているのは、「健康で文化的な最低限度の生活」ができる水準なのだ。誰かとたまには映画を観たり、外食したりできる暮らしである。「生活保護費は高いから下げろ。最低賃金を上げろ」という主張は矛盾しており、結果的に自分の首を絞めていくことになるのだ。
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2018年12月28日

なぜ生活保護基準の引き下げは問題なのか?

 生活保護基準とは、生きていく上での最低限必要な生活費の水準を指す。生活保護費のうち、食費や衣服費など日々の生活に必要な生活費を「生活扶助」といい、5年ごとに見直しがされている。2017年、その生活扶助の見直しが行われ、同年12月、最大5%の引き下げが決まってしまった。
 生活保護世帯は、2017年10月時点で約164万世帯、延べ人数で約212万人になっている。生活保護を受けていなくても、所得が少なくなった場合に利用できる制度はいろいろあるとされるが、その多くの受給要件が生活保護基準をもとに決められている。
 自治体によって異なるのだがが、例えば、小学校や中学校への就学援助を受けられる世帯は、所得水準が生活保護基準の1.3倍以下などと決められている。つまり、生活保護基準が引き下げられれば、就学援助が受けられる所得水準も引き下げられ、これまで受けていた就学援助を受けられなくなる世帯が出てくるのだ。
 また、住民税の非課税基準も同様に下がるため、今まで課税されなかった人が課税されることにもる。加えて、保育料や医療費、介護保険料などの非課税世帯に対する優遇措置も対象から外れるので、さらに負担は増えることになる。
 昨年の生活保護基準の見直しで影響が出るとされる制度は国だけで30以上あり、各自治体の独自制度を含めると数はさらに増える。
 このように、生活保護基準の見直しは、生活保護世帯に対する影響はもちろんなのだが、関連制度利用者への影響の大きさも注意すべきなのだ。これによって生活に影響が出る人は、生活保護受給者を含めて、約3000万人にも及ぶことになる。生活保護基準を下げることは、支援の対象者を減らすことであり、生活が苦しくても法的には困窮者とは認められなくなることを意味するす。
 昨年の改正によって、額面で160億円ほどの財源が浮くと試算されているのだが、関連する制度の引き下げ分も加えると、さらにその10〜20倍になってくる。まさに、政府の狙いは、対象者の少ない生活保護基準を引き下げることで関連制度の基準も引き下げ、社会保障費全体を削ることなのである。
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2018年12月27日

日本における「3つの貧困層」

 日本の主たる貧困層が諸外国にはない大きな特徴を持っている。
 日本には主に、次の3つの貧困層が存在する。一番割合が大きいのは、ひとり暮らしの高齢女性である。昔の女性は専業主婦が多かったため、配偶者が亡くなった後は、国民年金だけで生活している人も少なくない。日本では、そうした人たちが貧困に陥るケースが非常に多く、日本の貧困の典型的な形といえる。
 その次に多いのが、若い人たちの中で、自由を求めて定職に就かない人たちが貧困に陥るケース。フリーターなどを続ける若者などが、その典型である。さらには、数としては少ないものの、シングルマザーによる貧困問題も深刻である。シングルマザーの場合には、子育てと仕事を両立させるために、パートタイマーなどを選ばざるをえないため、貧困に陥る可能性が非常に高くなるという傾向がある。しかし、彼らの性質上、なかなか暴動を起こす存在にはなりにくいといえる。
 確かに、高齢の女性が、生活が苦しいからといって、積極的に暴動を起こす存在になるかといえば、それは考えにくい。自由を求めてあえて定職に就かなかった若者たちは、自分の意思決定の結果として貧困に陥ったともいえるため、社会に対する大きな不満を持ちにくいのも理解できる。3番目の貧困であるシングルマザーの場合、子育てと仕事に追われており、そもそも暴動を起こす余裕などない、ということなのだ。
 しかし、日本銀行がデフレ脱却の目標として掲げた「物価上昇率2%」というインフレが日本でもし本当に実現したとしたら、いったいどうなるのだろうか。賃金が上がらない庶民や貧困層の生活が今よりもさらに苦しいものとなることは確実ではないか。
 2018年12月時点でも、物価上昇率2%というインフレ目標には、ほど遠い状況にある。ところが、これから本格的なインフレが進行するとすれば、貧困問題は、今よりさらに深刻になる可能性がある。今の状態でギリギリやっていけているという人たちからすると、食料品や家賃が本格的に値上がりをはじめたら、生活はますます苦しいものになっていく。貧困層の間からは、それこそ我慢の限界を超えて、悲鳴が上がることになってくる。
 実際、2015年の半ばに1ドル125円を超える円安が進行した際、あちこちから『生活が苦しい』という声が出た。ただ、当時はその後に為替が円高方向に反転し、さらに昨年はじめには原油価格や食料価格が大きく下がり、物価が下落に転じたこともあって、大きな社会問題とはならなかった。
 つまり、皮肉なことに、日本銀行が望むインフレにはなっていないことが、逆に貧困層の救いになっているのだ。しかし、日本で今後、本格的なインフレが進行することになれば、これまで我慢を重ねてきた貧困層も、ついに我慢の限界に達して立ち上がり、日本でもいよいよ暴動が起こるかもしれない。そうした事態を引き起こさないためにも、政府や日本銀行は、単に『物価上昇率2%』目標にこだわるばかりでなく、今からしっかりとした対策を考えておくべきなのである。
 このまま無策のまま本格的なインフレが進行してしまえば、日本でも貧困層による暴動が起きるかもしれないのだ。
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貧困、消費低迷、少子化の要因

 派遣社員やパートなど非正規労働者の増加が、社会保障制度を揺るがしている。低賃金と不安定雇用が、社会保障の支え手である現役世代に貧困層を拡大させ、少子化の要因ともなっている。年金や医療保険でも正社員との格差は大きく、十分なセーフティーネットがない。非正規労働者の生活を守る仕組み作りが急務だ。
 東京都葛飾区に住む独身男性のAさん(42)は、派遣社員として都内の大企業で働く。月収17万円。月7万円の家賃を払うと生活はギリギリだ。わずかな貯金を取り崩すことも多い。
 1年ほど前、それまでの会社が業績悪化で行き詰まり、派遣社員になってしまった。いつ契約を打ち切られるかがわからない。老後の年金はどうなるか。そんな不安も強く、何とか正社員になろうと、週末ごとにハローワークに通う。これまで20社以上の面接を受けたが、いずれも不採用。「年金が少ないので貯金したいけれど、逆に減る一方。このままでは生きていけなくなる。正社員との格差はあまりに大きい」と嘆く。
 1990年代以降、景気低迷や国際競争の激化を受けて企業の人件費削減が進み、派遣やパートなどの非正規労働者が増えた。今では雇われて働く人の35%を占める。20〜30代の若者も多くなった。
 以前のように家計補助的な主婦パートだけでなく、家計の担い手が非正規で働くケースも目立つ。正社員になれなかった「不本意就業」も増え、派遣では4割超に上る。しかも、いったん非正規になると教育訓練の機会も少なく、抜け出すのが困難だ。
 この結果、ワーキングプアなど現役世代の貧困が社会問題化してきた。厚生労働省の調査によれば、正社員の平均月収が約31万円なのに対し、非正規は約20万円。勤続年数が長くなっても賃金は上がらず、格差が開いていく。
 かつては、終身雇用を基本とする日本型雇用のなかで、会社が家族手当や住宅手当などの現役支援を担った。このため、国の社会保障は年金など高齢者向けに重点化された。だが、日本型雇用が崩れ、非正規雇用が増えた現在も、社会保障における現役支援は手薄なままだ。
 経済的理由から結婚しない人も多く、少子化を加速させている。非正規で働く30〜34歳男性の既婚率は28%で、正社員の59%を大幅に下回る。
 社会保障の支え手である現役世代を低賃金・不安定雇用に落とし込み、結婚や子育ても困難な状況に追いやって少子化を加速させることは、社会保障はもちろん、日本の将来そのものを危うくしている。
 非正規問題は正社員にとっても無縁ではない。正社員は雇用の安定と引き換えに長時間労働を強いられ、疲弊している。遠隔地への単身赴任も一般化し、仕事と家庭の両立は困難だ。
 過重労働の正社員か、貧困の非正規か。若者たちはその二者択一を迫られているのが実情だ。「賃金の改善と現役の貧困層への支援拡充をセットで行い、非正規でも夫婦で働けば子育てができ、教育費を支払える社会にする必要がある。非正規から正社員への転換を支援し、安定雇用につなげる仕組みも欠かせない」と、湯浅事務局長は強調する。
 具体的に、どんな対策が求められるのか。
 まず、賃金などの処遇で正社員との不当な格差をなくす。行政や業界団体が教育訓練の機会を提供し、正社員や希望の職種へのキャリアアップを支援する。
 正社員の働き方の見直しも合わせて進める必要がある。今のような過重労働では、正社員への転換をためらう非正規も多い。「正社員を多様化し、一般よりも勤務時間が短い短時間正社員や転勤のない地域限定正社員など、様々な働き方を用意することも有効。子育て期の女性なども正社員としてのキャリアを継続できるし、非正規からも移行しやすい」と、樋口美雄・慶応大教授は話す。
 年金などの社会保険でも正社員との格差解消が急務だ。給付が手厚い厚生年金や企業の健康保険はパートなどを対象外にしており、非正規の半数が加入できずにいる。その場合、多くは国民年金や国民健康保険に加入するが、低所得者にとっては保険料が割高で、未納が目立つ。将来は無年金・低年金になる恐れがあるし、無保険は命にかかわる。そればかりか、こうした制度自体が、企業が保険料負担を逃れるために非正規を増やす動きを助長している。
 非正規労働者の増加によって、消費が冷え込み、経済が低迷し、さらに非正規の増加を招くという悪循環に陥っているのが現状。雇用の安定と適正な賃金の確保こそが『安心』の基本であり、持続的な経済成長や社会保障制度の維持のために欠かせないのではないか。
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2018年12月25日

生活保護の現物給付と現金給付においては、なぜ現金給付のほうが優れているのか?

 生活保護を受けるような貧しい人々に対し、現金を給付するのか、それとも現物給付(サービスそのもの)をするのか、どちらが望ましいのかという話がある。そもそも「現物給付」と「現金給付」は、次のように分別される。
・現金給付:そのまま現金を渡すこと。現金の使い道はもらった人が自由に決めてよい
 ・現物給付:診療や検査、投薬、入院など「医療サービス」や「食料」など、サービスそのものを渡すこと。
 アメリカで広く採用され、日本でも大阪において社会実験が行われた「フードスタンプ」や「バウチャー」は、金銭に近い存在ながら大まかな範囲で使途を限定しているので、現金給付と現物給付の折衷案と言える。感覚的には現物給付(サービスそのもの)のほうが良さそうに感じるし、実際、洋の東西を問わず政治的には現物給付のほうが人気がある。
 「ミクロ経済学」というものがある。経済学というと「お金儲けのための学問」というイメージがあるが、実際はそうではなく、現実の資源状況(お金なり何なり)の下において人々の幸福(効用と呼ばれる)を、どのようにすれば最大にできるのかを数学を用いて考える学問だ。
 「限りある資源について、どのように分配すれば皆が幸せになるのかを、数学を用いて出来る限り厳密に考える分野」
 と言いかえてもいい。
 だから「限りある財源の中で、現金給付か現物給付のどちらを採用すれば良いのか」など、現実社会を分析する道具として、コレはうってつけのものとなる。そしてミクロ経済学のオーソドックスな分析に従えば、「現金給付(現金配布)」が支持される。ここにおいては、現金給付にすることで、人々(例えば生活保護受給者)の幸福は最大限しつつも、国費を抑えることが可能となることが導かれる。すなわちサービスそのものを渡すより、現金をそのまま渡した方が、効果的かつ効率性に優れているのだ。
【ポイント:現金給付と現物給付、ミクロ経済学での分析はどちらが支持されるのか】
 ・ミクロ経済学による分析では、「現物給付(現金配布)」が支持され、現金をそのまま渡した方が、効果的かつ効率性に優ると結論付けられる
 ・ただミクロ経済学の分析ではとらえられない「穴」があるのも確かである
 しかしながら、ミクロ経済学の分析にも穴がないわけではない。物事には効率性以外の側面があるからだ。
 現金給付の(直感的にわかる)欠点は、次の2つ。冒頭に書いたように、一般的な感覚としては次のような点で現金給付が嫌われ、現物給付が支持されることが多い。次の2点が主な理由としてあげられる。
 @ 生活保護をパチンコに使うことは人々の支持を得るのか
 これは生活保護に対する批判としてよく言われることだが、例えば生活保護費のお金でパチンコ通いや競馬通いは認められるのか。一方で「そんなの、お金を何に使おうが本人の勝手でしょ」という声があり、確かにその通りだと個人的には思うけれど、現実問題として生活保護費の使い道に寛容になれない人は多く存在し、その場合は民主主義の制度上、現金給付制度の継続が困難になる。
 ただ、これはそもそもにして藁人形論法、すなわち「貧困者に対する差別意識が原因のデマ」である可能性もある。くわしくは後述するが、「生活保護をもらってもパチンコや競馬などの遊興費やぜいたく品の購入品に用いることはそれほど多くない」ということが多くの実証研究で明らかになっている。
 A 制度を悪用する人間が出てくること
 例えば現金を給付する場合、もらったお金は何にでも使うことは可能だから、お金を目当てに「当たり屋」のような人が出てくることは否めない。すなわちお金を目当てとして、わざとケガをする人が出てくるかもしれない。
 もともと戦中期において生じた「苦しんでいる同胞を助けてあげよう」なる感情がもとになって生まれたのが現在の社会扶助なり公的扶助なのだから、制度を悪用なり本来の適正な使い方をしない人が出てくると、不公平感を生み、社会扶助システムそのものが不可能になることは十分に考えられる。現実、「不公平感」をバカにすることはおろそかにできず、それを蔑ろにすることは制度そのものを破滅させるケースが多い。
 『近代国家において革命が生じるのは、警察権力の不当な乱用と課税権力の濫用である』とはよく言ったもので、税金の使い道に対する不公平感が元でシステムがひっくり返ってしまうのは、フランス革命など各種革命、ユーゴスラヴィア内戦など各種戦争・内戦、独裁政権の転覆など枚挙にいとまがない。なお『独裁者のためのハンドブック』という本において語られるのは、結局、「金の切れ目が縁の切れ目」ということである。独裁者は権力維持のために「仲間」への金集めに苦心する。
 革命まで大規模なものでなくても、日本含め先進国に共通してみられる「都市と地方への格差を抑えるための国税 (地方交付税交付金) 使用に対する都市市民の不満」や、「定期的に発生する公務員叩き」の背景に不公平感があるのは確かだろう。
 ところで最近の実証研究が示すところでは、実際のところ生活保護費をタバコやアルコールなど「ぜいたく品」「嗜好品」の購入に使う人は少ない。
 例えば世界銀行のデイビット・エバンス、スタンフォード大学のアンナ・ポポバ両氏が19の計量研究をメタ分析したところ、公的扶助など現金給付において、「ぜいたく品」「嗜好品」の購入増は認められず、むしろ購入減(支出を減らす)ことが認められた。
 なお「メタ分析」とは、統計的分析のなされた複数の研究を収集し、統計学的知見を活かして統合したり比較する研究法のこと。
 生活保護に関するデマは古今東西、幅広く見られるものであり、例えば80年代のアメリカ大統領・レーガンは州知事時代から「ウェルフェアクイーン(公的扶助受給の黒人マザー)がキャデラック(高級車)を乗り回しているぞ!」との怪気炎をあげていた。
 実際問題として、そんな”マザー”が存在しなかったことは、言うに及ばない。が、当時から現在に至るまで、この言葉は一種のスローガンとなってアメリカ社会に定着し浸透している。
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2018年12月24日

人口増加による貧困の警戒?

 21世紀の先進国は基本的に『人口減少社会』としての特徴を持ち、日本も少子高齢化・超高齢化が進んで財政負担が大きくなり、『社会保障の持続可能性+社会保障維持のための増税』が深刻な社会問題として認識されやすくなっている。
 ロバート・マルサスを嚆矢とする『人口学』では、その社会の人口支持力(人口を養う力)によって人口が増減すると考える。産業革命後の経済の近代化による飛躍的な生産力の上昇と雇用の増加・個人所得の上昇・平均学歴の低さ(子供の教育費の低さ)は、そのまま『社会の人口支持力の増加』につながっていたから、20世紀半ばまでの先進国はどこも人口成長を続けていた。
人口が社会の人口支持力の限界に到達すれば、当然ながら人口学的均衡によって『人口停滞』が起こり、産業構造の転換による雇用減や高齢化のコスト増加によって人口支持力がさらに落ちれば『人口減少』になっていくというのが人口学の説明になる。
  無論、経済・産業・雇用・所得による人口支持力の高低だけで、現代の日本のような先進国の人口減少や未婚化晩婚化を説明しつくすことはできず、異性選択(あるいは異性不選択の独身)の心理的要因も関係してくるが、『経済的・資源的要因に基づく人口支持力の影響』はどの文明社会の人口動態にも必ずあるものである。
 マルサスの『人口論』におけるそれ以上は人口が増えないという『人口学的均衡』は、人口増加が続いて食糧・生活の資源が不足するようになり、ぎりぎりの最低限の生活しかできない『最低生存費水準』に至る時に起こるとされる。
人口が増加しても最低限の生活水準を維持できないほどに食糧・生活の資源が不足していると、『貧困による人口調節』によってそれ以上は人口がもう増えなくなるという人口学的均衡に到達するというわけである。最低生存費水準よりも下の水準は、生まれて間もなく餓死・凍死などに陥ることを意味するので、人は基本的に多くの子供を持とうとはしなくなるのである。
 マルサスは男女の子作りの生殖行為を(あまり相手を選別せずに適齢期にどんどん子供を産むという意味で)自然的・本能的で際限のないものと前提していて、『人口増加傾向に対して食糧資源の不足が起こること(人口が増えすぎて貧困化すること)』を少子化よりもむしろ問題視していた。
  男・女が相手の選り好みによって妥協せずに誰も配偶者を得ないということ(未婚化・妊娠回避)は想定外であり、男女が夫婦として生活をともにすれば自然にどんどん妊娠して子供が増えると前提していたことから、現代の先進国というか近代以降の社会においてはそのまま適用できない理論であることもまた明白である。
 マルサスは人口抑制策こそが社会の貧困化を防ぐと信じていたが、キリスト教徒であるため、基本的には人間はすべて結婚して子供を儲けることが当たり前(男女が夫婦として一緒にいれば自然に子供は産まれるだけ産まれてくる)という価値観であり、避妊・堕胎のような結婚後の産児制限策(当時は確実な避妊法もないが)については『道徳的・宗教的な罪』であるとして否定的でもあった。
  中国の最近までの『一人っ子政策』という産児制限政策は有名であるが、戦後間もなくの一昔前の日本でも人口減少による経済縮小よりも、むしろ食べていけない貧困層が増大して悲惨な事態が蔓延する人口増加のほうが警戒されていて、世界規模では現時点でも『人口爆発による資源不足』のほうが現実的な危険性として認識されている。
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2018年12月23日

生活保護の捕捉率は20%程度とされ、他の先進諸国と比べて低水準

 日本政府は現在、捕捉率を調べていない。複数の研究者が独自に試算した結果はいずれも10〜20%程度。これに対し、日本弁護士連合会が各国の似た制度を調べたとこめ、英国が87%、ドイツが85〜90%などと高かった。吉永・花園大教授は「生活保護の捕捉率を調査、公表することは生活保護の要件緩和や運用の改善につながる」と指摘する。
 「本当に必要でない人」にお金が渡ってしまう一方で、(本来僕たちが望んでいるはずの、)「本当に必要な人」にお金が届いていないという問題がある。捕捉率が2割だとすると、残り8割の本来制度によって救われるべき人が見落とされてしまっている。むしろこちらのほうがずっと重大な問題なのだ。
 低捕捉率の要因の1つには、生活保護の申請を窓口で拒否する「水際作戦」の問題が指摘されている。「本当に必要な人」だったとしても、窓口で「適格者」と判断してもらえない限り、審査が通らないのだ。この審査の厳格さには、もちろん不正受給防止に対する国民の要求が大きく影響している。
 また仮に申請が通っても、実際に給付が開始されるのに1ヵ月ほどのタイムラグが発生する(役所の手続ではよくあることだけど…)。貧困状態が明確に証明されない限り給付の許可はおりない。でも本当に死にかけた状態まで待っていたら、給付がおりる前に死んでしまう。そんなジレンマがあるわけなのだ。
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2018年12月22日

生活保護受給者のうち、75%が働けない世帯

 平成23年11月に保護を受けた類型別世帯数は、 高齢者世帯=637,584、母子世帯=114,909、障害者世帯=170,948、傷病者世帯=321,905、その他の世帯=256,218となっていた。このうち、高齢者・障害者・傷病者は「働けない」と推定されるので、割合を算出すると(637584+170948+321905)/1507940×100=約75.0%。4分の3が働けない世帯と推定される。少なくとも「在日と介護とかその他もろもろの理由なしに働こうともしない奴が9割くらい」ということはありえない。
 生活保護を受けている人のうち、4分の3が働けない世帯。つまり給付をカットされると即生命の危機に繋がる人たちである。メディアがお好きな「素行不良の不正受給者」報道は、こうした事実を(意図的/非意図的に関わらず)隠蔽することになり、大きな問題だ。
 税金の無駄遣いとか、公務員無能とかとまったく一緒で、一部のモラルハザードを起こしている人々を喧伝して、それを解決すれば財政が改善するかのような錯覚を喚起する言説は大嫌いだ。リーマン後でも、働ける年代の生活保護受給は増えているが、依然割合は13.5%程度に過ぎない。
 不正受給は許されない行為だ。ただ客観的に見て、不正受給を今以上に厳しく取り締まっても、財政的な改善はさほど見込めない。それもまた事実なのだ。
 不正受給の厳罰化を求める人たちがよく使うフレーズで「本当に必要な人に」というのがある。完全に同意できるが、「本当に必要な人」を正しく見分けるのは、きわめて大変だ。そのためのコストだって当然かかるはずだ。個人的には、現状の「不正受給 0.4%」という数字自体、相当に健闘しているようにさえ思える。どうだろうか。
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2018年12月21日

生活保護費のうち、不正受給の割合は0.4%

 生活保護費の不正受給が2010年度に約2万5千件(前年度比29%増)、総額は約129億円(同26%増)にのぼったことが、厚生労働省のまとめで分かった。件数、総額ともに過去最悪だった。厚労省が1日、全国の担当課長会議で集計結果を示した。毎年、この程度なのだ。
 10年度の生活保護費は総額3兆3300億円で、不正受給分はこの約0.4%にあたる。不正の中で、生活保護を受けられる基準から外れたとして、保護の中止や減額につながったのは約7千件だった。
 不正受給の内訳では、働いて得た収入があるのに申告しなかったケースが最も多く43.5%。次いで年金の無申告が27.7%だった。このほか、借金先の消費者金融から過払い金を取り戻せたのに申告していなかった例もあった。
 「過去最悪」「129億円」と聞けば、確かについカッとなってしまうわけだが、「不正受給分129億円は、生活保護費は総額3兆3300億円の約0.4%に相当する」のだということに気づく。一般的な感覚でいって、相当低い割合なのだ。
 不正受給はたしかに許せない行為だが、ここからゼロに向けてもう一段減らす努力のためにはかなりのパワーが要りそうな感じだ。この数字を巡っては、「本当はもっといるはずなのに、すべてが把握できていないからこんなに低いんだ」という声も多い。でも、とにかく現状で国が認識している不正受給者の割合はこの程度の数字だということである。
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2018年12月20日

途上国の絶対的貧困層は減少傾向

 「貧困率」については、世界銀行が策定している「絶対的貧困率」もある。こちらの尺度で見ると、日本などOECD諸国とはまるで異なる貧困の実態が浮かび上がる。
 世界銀行の定義では、1日の所得が1.25ドル相当額(貧困線)未満で生活する人を「絶対的貧困層」としている。十分な所得がないため最低限の生活必需品を購入できない人の割合で、発展途上国の貧困状態を示すのに使われる。
 世銀統計によると、1日当たり1.25ドル(世界の最貧国10〜20カ国の貧困線の平均、世銀が2008年に設定)未満で生活している貧困層は2008年時点で12億9000万人(発展途上国の人口の22%に相当)と推定されている。ただし、この人数は1981年の19億4000万人に比べると大きく減少している。世界的に見ると、世銀などの取り組みの結果、絶対的貧困層は減少傾向にあるが、先進国では貧困層と富裕層の格差が広がっている。
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2018年12月19日

政府も「子供の貧困対策」に本腰?

 子供の貧困率が過去最悪の16.3%になったのを受けて、政府は2014年8月、「子どもの貧困対策大綱」を初めて策定した。親から子への貧困の連鎖を防ぐため、教育費の負担軽減や親の就労支援などに乗り出す方針だとされた。しかし、…。
 日本での貧困問題は、衣食住に不自由した戦後の混乱期を経て、その後の経済成長とともに改善した。1970年代以降、国民の多くが「一億総中流」と意識するまでに至った。しかし、バブル経済崩壊後の1990年代には、経済の長期低迷の中でリストラや非正規社員の増加などにより所得格差が拡大。世の中には“勝ち組、負け組“なる言葉も生まれた。
 日本の貧困率は、国際比較で見ても高い。OECDの統計によれば、2000年代半ばの時点でOECD加盟国30か国のうち、相対的貧困率が最も高かったのはメキシコ(約18.5%)、次いで2番目がトルコ(約17.5%)、3番目が米国(約17%)で、4番目に日本(約15%)が続いた。貧困率が最も低かったのはデンマーク(約5%)だった。日本の相対的貧困率は、2000年代中ごろから一貫して上昇傾向にあり、OECD平均を上回っている。
 日本の「公正」に関する指標は、「所得分配と機会の平等および個人の社会的自立の程度を反映して、全般的に低いパフォーマンスを示している」(厚労省白書)。所得格差を含めた経済格差の解決には、雇用の在り方とともに生活保護、公的年金、最低賃金などを含めた総合的な検討が求められる。格差社会の進行を食い止める対策は、今や日本にとって喫緊の課題の1つだが、一向に先が見えない。
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2018年12月18日

日本人の6人に1人が「貧困層」

 貧困率は、低所得者の割合を示す指標。厚生労働省がまとめた「国民生活基礎調査」によると、等価可処分所得の中央値の半分の額に当たる「貧困線」(2012年は122万円)に満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」(※2)は16.1%だった。これらの世帯で暮らす18歳未満の子どもを対象にした「子供の貧困率」も16.3%となり、ともに過去最悪を更新した。
 これは、日本人の約6人に1人が相対的な貧困層に分類されることを意味する。この調査で生活意識が「苦しい」とした世帯は59.9%だった。貧困率が過去最悪を更新したのは、長引くデフレ経済下で子育て世帯の所得が減少したことや、母子世帯が増加する中で働く母親の多くが給与水準の低い非正規雇用であることも影響した、と分析されている。
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生活保護より貧しい人がちゃんと生活しているから保護費を下げる?

 生活保護の生活費は最低限度の生活を営むのに必要な水準が支給され、生活保護を受けていない低所得世帯と同じ生活水準になるよう算出。5年に1度見直している。今生活保護家庭がもらっているお金は、生活保護ではない低所得世帯より高いということで減額されるとのこと。つまり貧乏な家庭のお金で健康で文化的な最低限の生活ができていると政府は判断したのだろう。
 正直今まで生活保護問題については書いてきましたが、病院にかかる生活保護患者というバイアスがあったことを考え、態度が悪いとか、不正しているとかいう感覚は一部の悪しき人だからと理解してきました。

ただこの減額含めて一体基準は何?苦しい生活と生活保護を受けなければいけない生活との違いは?以前の記事でも書いた内容です。それだけデフレがまだ解消されていない?
>大都市部では多くは減額になるが、地方都市では増額となるケースもある。
なんか複雑なんですよね。結局個別の対応が必要なんですが、なんかお金の額ばかり取り上げられて、「健康で文化的な生活とは」にもっと真摯に向き合ってくれないかな。貧乏自慢してもしょうがないだろうに。
貧困線の設定は政治的地雷原? 1
 格差問題と貧困問題はしばしば同次元の問題として語られることが多いが、この2つの問題をどう捉えているだろうか。餓死レベルの貧困をほぼ撲滅し、かつては「1億総中流」などと言われた日本だが、長い不況を経て右肩上がりの経済でなくなってしまったため、多くの人は「隣人との差」に対してより敏感になっているのかもしれない。所得の上昇とともに幸福感や生活満足度が必ずしも上昇しない現象はイースタリン・パラドックスとして知られているが、だからといって、主観要素の大きい生活満足度と、公共政策として撲滅を目指す貧困を混同して議論すべきではないだろう。
 日本において絶対基準に基づく貧困測定は存在しない。「ワーキングプア」にも厳密な定義はない。生活保護世帯の支給額を基準にすることもあるだろうが、この基準も中位世帯の消費水準のほぼ6割というような相対的基準のようだ。実際、この生活保護水準を1日・1人当たりにすると、国際貧困線として広く利用されている1日1人当たり1ドル(1985年価格)、もしくは1.25ドル(2005年価格)の少なくとも数倍以上に相当しそうだ。
 途上国一般に適用されている貧困線は、単純化すると、その国の典型的な貧困家計が生きていくのに最低限必要な食料をぎりぎり購入できる所得水準の家計の、衣・住など生活必需品への支出額を加えた支出総額として「絶対的」貧困線を算出する。世界銀行がこのように定義される世界の貧困国の貧困線を購買力平価でドル換算、,平均的な金額を求めた結果が「国際」貧困線である。
 一方,先進国の集まりであるOECD(経済開発協力機構)が定義する貧困線は「その国の中位所得の世帯の半分の金額」という「相対的」貧困線を適用し、国際比較をしている。この指標は貧困指標というよりも不平等指標だと筆者は考える。国民の平均的な生活水準が快適レベルに達した先進国において格差問題が注目を浴びやすいのは仕方ないことかもしれないが、途上国と先進国を区別して、概念が異なる貧困線の定義を併用することには違和感を覚える。OECDの基準(現在の日本の1人当たり中位所得の半額は年120万円程度で、ちょうど単身の生活保護世帯くらいだろうか)では、日本の貧困者比率は15%程度で、OECD諸国約30ヵ国のなかで、アメリカに次ぐ貧困大国だということになってしまう。そういう貧困線に日本国民が納得、それ以下の人々が存在してはいけないという国民的コンセンサスが得られていれば、それでもいいのかもしれないが、そうした議論が正面からなされていないように思う。相対的貧困線は以下の点で怪しいと思える。
・国全体が豊かになって絶対的貧困を撲滅できたとしても、相対的貧困は永遠に撲滅不可能である。
・所得水準が異なる国の間で相対的貧困率を比較して、A国はB国より貧困度が深刻あるいは軽いといった解釈はできないはずである。
・不平等指標としてさえもうまく機能しない可能性が高い。例えばA国の所得分布[5、5、5、8、20、40、60]では貧困線は中位所得の半額なので4であるから貧困率は0%であるのに対し、B国の所得分布[10、10、20、30、40、40、60]では貧困線は15であるから貧困率は29%になってしまう。
 家計調査や貧困分析の権威で2015年のノーベル経済学賞を受賞したアンガス・ディートンの著作『大脱出:健康,お金,格差の起源』(2013, pp.197−203)には、アメリカの貧困線について以下の興味深い紹介がある。
 1960年代前半、社会保障庁の依頼を受けた経済学者モリー・オーシャンスキーがアメリカの貧困線を最初に設定した。成人2人と子供2人から成る4人家族がぎりぎり生きていくために必要な食費を計算し、一般的な家計では所得の約3分の1を食費に充てるという前提に基づいて、その食費を3倍した結果、1963年価格で年間所得3,165米ドルを貧困線として提示した。1969年,この数字が正式にアメリカの貧困線として定められた。その後、物価の上昇に価格調整を除き、この実質貧困線価格が維持されたという。オーシャンスキーが最初に行った計算は農務省の低価格食糧購入計画に基づいて4000ドル強の金額を算出した、もっと厳しい経済的食糧計画の基準では3000ドルに近かったことと、ギャラップ社の世論調査で貧困線はいくらにすべきかという質問に対し、平均的な回答が3000ドルだったことから、この3,165ドルが採用されたということだ。かなり恣意的なプロセスだが、貧困層に対する所得移転政策を国民に受け入れてもらうためには、世論調査の結果を馬鹿にはできないとディートンは解説する。現代の日本でも、貧困度を議論するなら、せめてこの程度のプロセスを経る必要があろう。
 ただし、ディートンの説明に筆者が違和感を覚えるのは以下のくだりである。
「人間が生きていくために必要な物品の内訳がきっちり定義されていれば、絶対的貧困は理にかなっている……この手法はアフリカや南アジアなどの貧困国では理にかなっているかもしれないが、……アメリカにおける貧困の現実は,社会に本格的に参画するために必要な財源が十分にないことと、家族とその子供たちが隣人や友人に囲まれて人並みの暮らしを送れる状況にないことが問題だ。人並みに生活するという社会水準を満たせていない状態は絶対的貧困、この絶対的貧困を避けるためには、現地の水準に合わせた調整が必要だという点で相対的な金額が必要になる。アメリカのように裕福な国で、相対的な貧困以外は妥当とは考えられない……一般的な生活水準が上がっている世界で絶対的貧困線を採用すると、貧困層が社会の主流からどんどん低い位置へと流れ落ちてしまう」(p.200)
 ディートンにしてさえ、貧困の定義に相対基準を持ち込み、先進国の貧困と途上国の貧困に異なる定義を適用してもよいと考えているらしい。さらに自身が世界の貧困について語る個所では「世界の貧困は国際的な概念であって、その測定も国際的基準で行われるべきだ」(p.268)と述べていることと矛盾する。
 結局のところ、以下のディートンのくだりに、一貫した科学的根拠に基づいた貧困線を設定するのは困難だという諦観が表れている。
「貧困線をどう更新していくかという問題は難しい。これは1つには哲学的・政治的思想の違いがあるためだが、もう1つには貧困線の定義を変えることで、貧困対策の恩恵を受ける対象も変わることになり、そうなると得をするものと損をする者が出てくるためでもある。貧困の計測方法を変えると……政治的な反対運動が起こるのは間違いない。貧困に関する統計は国家が統治するための道具の1つだ……測定がなければ統治が難しいのと同様に、政治がなければ測定は存在しない。Statistics(統計)という単語にStat(国家)という言葉が含まれているのは偶然ではないのだ」(p.203)。
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2018年12月16日

日本の社会保障の行方

 生活保護が必要な人のうち、実際に利用している人の割合を示す捕捉率はわずか2割ほど。8割の人は生活保護以下の生活をしているにもかかわらず、利用できずに放置されている。自助∞共助≠押しつけ、弱い者同士を互いに対立させ、国は責任を放棄している。
 社会保険料の負担率は年収200万円以下が最も高いとのデータもある。少なくとも所得税並みの累進で低所得者の負担率を下げ、高所得者が相応に負担すれば、保険の財政問題も解決できる。
 厳しい財政の中、医療費は無料であるイタリアのある行政官の言葉である。
「応益負担で痛い目を見るのは貧困層。彼らを医療から遠ざければ、国民全体の健康を損なう。そんな政策は政治家として最も愚策だ。医療財政が厳しいなら、医療とはどうあるべきかを国民に正面から問うべきだ」
 日本は、こんな社会保障でいいのだろうか―。
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2018年12月15日

医療にも差別をもちこむ

 安倍政権は生活保護法そのものも改悪した。6月1日に成立した生活保護「改正」法では、医療扶助で後発(ジェネリック)医薬品の使用を「原則とする」とした。「劣等処遇」を正当化する、差別医療へ向けた一歩であり、日本の医療の根本を覆すものだ。お金のあるなしで受けられる医療が変わる、医療の哲学が変わる深刻な問題と捉えるべきである。
 また厚労省は3月、生活保護利用者だけに薬局一元化を推進することを決めた。複数の病気を抱え最も選択の幅を用意すべき生活保護利用者だけ、自己決定権を否定し、薬局を制限する。
 福岡の民医連の病院には、お薬手帳を持参しない生活保護利用者を福祉事務所に通告するよう協力依頼が来たと聞きました。法的根拠はあるのか、協力は任意か強制か、このような通告の効果の査定方法に合理性はあるのか、ぜひ問い質し、撤回を求めるべきだと思う。見せしめのように生活保護利用者をねらい撃ちにすることは明らかな差別医療である。貧困と不健康には密接な関係があり、最も必要な人に給付しない医療では意味がある。
 日本政府が行う生活保護制度の改悪は、国連の人権専門家からも「国際人権法に違反する不当な差別」などと指摘されるほど、重大な人権侵害だ。
 今年2月、福岡医療団から全日本民医連に衝撃の情報提供があった。「生活保護利用者がお薬手帳を持参しない場合、医療機関と調剤薬局は福祉事務所に報告するよう」福岡市保護課から医師会を通じ、同市にある千鳥橋病院に協力を求める通知が届いた。「お薬手帳の活用推進と医療扶助費の適正化が目的」と説明している。
 千葉県船橋市では7月、福祉事務所から、「医療扶助でC型肝炎新薬の処方せんが持ち込まれた場合は、担当ケースワーカーに連絡するよう」協力依頼がきた。理由は一昨年6月、神奈川県相模原市で生活保護利用者が高額なC型肝炎新薬をだまし取ったとして逮捕された事件があったからとしている。
 千葉民医連は常任理事会で議論し、福祉事務所に対し依頼撤回を求める要請行動を決めた。県に対し、撤回の指導や他自治体の動向把握などを求める行動も他団体と調整中である。今後も福岡や千葉のような事例が予想され、注意が必要である。
 一方、長野県では6月、飯綱町と信濃町議会が、生活保護基準の引き下げ中止を求める国あての意見書を採択した。意見書では、「住民全般の生活水準の引き下げにもつながる」「現行でも、生活保護受給者の生活は決して楽ではない」としている。長野地区社保協の請願に応えたもの。
 国際人権規約の社会権規約12条は、いわゆる健康権≠保障し、世界医師会が1981年に保障している。
 一方、日本の医療は戦後、「いのちと健康は平等」をめざし国民皆保険制度を築いてきた。根本には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を国の責任で保障する憲法二五条がある。これに基づき生活保護制度は、無差別平等(2条)、最低生活保障(3条)の原理を定めている。
 こうした規定を見れば、「生活保護は劣等処遇でいい」などという考えは出てくるはずがない。憲法の理念や、医療の根本を理解していない考えである。なぜ生活保護の利用者だけが、いのちを我慢しなければならないのか。
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2018年12月14日

今年の10月から生活保護基準がさらに引き下げ!

 21世紀に入り生活保護基準は引き下げ続きであるす。2004再び廃止の標的とされるようになった。13年8月から3年間かけて、生活扶助基準は平均6.5%、最大10%、670億円も削減された。15年からは住宅扶助と冬期加算も引き下げ。5年ごとの生活扶助基準見直しの年に当たる今年10月から、3三年間でさらに平均1.8%、最大5%、年額160〇億円もの引き下げを決めている。
 それでは、なぜ生活保護はねらわれるのか。それは、制度に対する偏見があり攻撃しやすく、権利として請求できると胸を張れない、この国の利用者心理に付け込めるからだ。また、生活保護制度は多くの制度に連動しているため、これを引き下げることは自動的に各種制度の引き下げにつながり、財政の圧縮に効果的だからである。
 生活保護基準の引き下げは、生活保護を利用しない人にも影響する。近年、基準引き下げや働ける年齢層への締め付けのため利用者数が減少する中、高齢者と障害者の利用は増えている。年金を引き下げ生活保護に追いやりながら、執拗なバッシングで肩身の狭い思いをさせ、制度の利用を控えさせる。このような政治家こそ倫理観が欠如しているのではないか。
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生活保護費の引き下げはなぜ許されるのか?

 いま生活保護制度は、1950年の制度創設以来、最大の危機に直面しているのかもしれない。
 政治的な事情により、「必要即応」「無差別平等」という生活保護制度の原則が徹底されなくなったのは、1954年(昭和29年)のことだった。戦後の混乱期、生活保護を必要とする人々の急増により、生活保護費は増大する一方だった。大蔵省(当時)はこのことを問題視し、厚生省(当時)は抵抗した。
 4年間にわたったバトルは、結局、厚生省が生活保護の「適正化」を受け入れることで決着した。ここで言う「適正化」とは、生活保護の申請を抑制すること、すでに生活保護で暮らしている人々を対象外とすることだった。この「適正化」路線は、程度の強弱や内容の違いはあるものの、現在まで続いている。
 2000年代の「適正化」の特徴は、人数・世帯数の増加を抑制することに加えて、個々の世帯に給付される生活保護費の金額を縮小させ始めたことだ。生活費に関しては、世帯類型ごとの特徴に対する「加算」が最初の削減ターゲットとなった。
 まず、高齢世帯に対する「老齢加算」が廃止され(2004年度より、2007年度に完全廃止)、ついで、子どもがいるけれども両親の片方または両方がいない世帯に対する「母子加算」(2005年〜2008年、2009年度に完全廃止)が廃止された。このうち母子加算は、2009年12月、民主党政権下で復活した。
 民主党政権から自民党政権への政権交代を経た2013年以後は、生活費(生活扶助)本体の削減(2013年〜2015年、平均6.5%)、冬季の暖房費補助(冬季加算)の削減(2015年より)、住宅費(住宅扶助)の上限額削減(2015年より)と、大きな影響をもたらす引き下げが相次いでいる。
 この他、多人数世帯に対する「スケールメリット」を反映した「逓減率」も見直された。スケールメリットの過剰見積もりとなっており、多人数世帯に大きな打撃を与えている。心が痛むのは、これらの引き下げから最も大きな影響を受けているのは、複数の子供がいる生活保護世帯であることだ。
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2018年12月12日

受給中の生活保護が「廃止」される場合と、「停止」の場合の違い

・生活保護が廃止される場合
 廃止理由は下記の通り。
 <生活保護廃止理由>
 ・世帯主の傷病治癒
 ・世帯員の傷病治癒
 ・死亡
 ・失そう
 ・働きによる収入の増加・取得
 ・働き手の転入
 ・社会保障給付金の増加
 ・仕送りの増加
 ・親類・縁者等の引取り
 ・施設入所
 ・医療費の他法負担
 ・その他理由
 最後の「その他理由」はケースワーカーの指示に従わなかった場合や不正受給であった場合などが考えられる。生活保護受給者にはケースワーカーと呼ばれる福祉事務所の職員がついて、定期的に家庭訪問を行い、収入や資産のチェック・生活について把握したり、不正受給をしたりしていないかチェックをする。
 例えば、病気によって働けない方が病院に行っていなく、ケースワーカーに「病院に行きなさい」と指導されたと再三口頭や文書で注意を受けたとする。しかし、それにも関わらず指示に従わなかった場合、生活保護が最終的に廃止されることもある。パチンコなどを過度にやり過ぎて生活に支障が出ている場合なども、ケースワーカーが注意するだろう。ただ、原則的には生活保護者でもパチンコをやってよいことになっているので、多少やるくらいなら大丈夫だと思うが…。
 もしあなたが現在生活保護を受給していて受給廃止されては困る場合は、ケースワーカーの指示に従う、もしくは従えなかった理由のある場合はその理由をきちんとケースワーカーに説明する必要がある。また、世帯別廃止理由とその数を見ると傷病者世帯・高齢者世帯を除けば、世帯主の収入の増加・取得が生活保護廃止理由のトップである。
 1度生活保護になっても、生活保護受給者から抜け出すために努力されている方が多くいることは、日本の社会はまだまだ健全である。税金を納める立場からしても納得感がある状況だ。
・生活保護の停止とは
 また生活保護には廃止のほかに、「生活保護の停止」があることを知っているか。停止、というだけあって、一時的に生活保護費を止めることだ。生活保護を廃止された場合、再度生活保護を受けるにはもう1度最初から申請する必要があるが、停止の場合は異なる。停止の場合は、臨時収入などで一時的に生活保護費がなくても生活できるようになった方などが対象である。臨時収入ではいつかは資金が尽きてしまうので、あらかじめその資金がなくなったらすぐに再開することが可能な制度となっている。
 では、生活保護廃止に返還する義務はあるか。生活保護が廃止になったからと言って、これまでもらってきた保護費を返納する必要はない。生活が成り立たないから保護されてきたのに、その期間のお金を返せるわけもない。ただ、保護費に過払いがあった場合は、生活保護の返納金として返す必要がある。そのため、不正受給であった場合は徴収金を払う義務がある。そのため、特に過払いがなかった場合はもちろん返還する必要はないが、不正受給していたら返納しなくてはならない。生活できる資産や収入があるにも関わらず生活保護費を受給する、不正受給への批判はもっともだ。
 不正受給している人の割合は、かなり小さい(まあ、見つかった案件だけ表に出てきているわけなので、氷山の一角とも言えるが…)。
 以上をまとめてみると以下の通りとなる。
 •生活保護が受給できなくなる状況には、廃止と停止の二種類ある
 •廃止は恒久的な生活保護受給の取りやめ、停止は一時的な取りやめ
 •生活保護が廃止になっても、基本的には返納しなくて良い
 •ただし、過払い、不正受給があった場合は返納が生活保護費の必要になる
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2018年12月11日

なぜ貧困はなくならないのか?

 自由、平等で世界一金持ちといわれるこの日本で貧困に苦しむ人たちがいるなんて不思議ではないか。年間3万人もの自殺者のうちその大半は経済的理由。当たり前と思っている資本主義の仕組みに何か大きな間違いがあるのではないか。まずは資本主義の本質を理解するためにモノポリーで考えてみる。複雑に見える経済のしくみもシンプルなゲームに当てはめてみると本当の姿が見えてくる。
モノポリーのゲームを始めるとき4人のプレイヤーはみんな平等である。その4人がサイコロを振りながら土地や家屋の権利を買い、投資を繰り返していくわけだが、テクニックと運によって次第に1人のプレイヤーに富が偏っていく。結局は1人のプレイヤーがほとんどの利権を買い占めてしまい、他の3人はまったく太刀打ちができなくなったところでゲームセットとなるはずだ。まったく平等な4人が完全に自由な競争をしたとしても必ず結果は1人の勝者に富が独占され、他のプレイヤーを破産に追い込むことになる。
 つまり自由にまかせているだけでは経済活動はやがて破局を迎えることになる。新自由主義者と呼ばれる人たちは自由な競争を促進し、あらゆる規制を撤廃すれば経済が成長を続けると信じ込んでいるようだが、大間違いであることがモノポリーをやってみるとよくわかる。金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏人は永久に貧困から抜け出せず貧富の差が拡大していく法則がゲームの中にはっきりと見てとれる。自由に任せておくだけではゲームを続けていくことができない。そこでゲームを終了するか、さもなければルールを改正する必要がでてくる。
 モノポリーの限界に気が付いた4人は相談してゲームの世界に政治を導入し、ルールを改正していくことを思いつく。選挙を行い政治家を1人選出することにしたのだ。経済の世界に政治が持ち込まれるといったいどんなことがおきるのか。経済と政治を融合させれば世の中の縮図ができあがる。4人で選挙を行って政治家を選出するのだが、この場合当然これまでゲームをリードしてきた大金持ちは選ばれない。なぜなら1人の金持ちと3人の貧乏人が投票するわけだから代表者は3人の貧乏人の中から選ばれることになる。1人1票ずつの民主主義だから当然である。選挙で選ばれた政治家はモノポリーのルールを貧乏人が有利になるようにどんどん変えていく。
トップのプレイヤーからごっそり税金を徴収し、貧しい他のプレイヤーに再配分していく。富の再分配が行われるわけだ。しかし、トップのプレイヤーにしてみればたまったものではない。せっかくここまで溜め込んだ富がすべて平等に分配されてしまえば、これまでの努力が水の泡になってしまう。
 そのことに気がついた金持ちプレイヤーは政治家を買収することを思いたつ。政治家はもともと貧しいプレイヤーの出身だったわけですから最初は抵抗するが、結局お金持ちの言うとおりにしたほうが得だということに気がつく。表面上は貧乏なプレイヤーの味方のようなふりをしながら票を集め政治家になり、少数派の金持ちに
有利な仕組みをつくり資金提供を受けることで他のプレイヤーより裕福になる。これが財界と政界の癒着だ。政治家が金持ちによって買収されている状態は今の日本の政治とまったく同じである。いや世界共通と言って良いだろう。一般庶民より貧しい政治家は皆無だ。政治家は金持ちから政治献金(実質上の賄賂)を受けながら金持ちに都合の良い政策を実行することで(程度の差はあれ)私腹を肥やしているのだ。
 金持ちや権力者にとって富を平等に配分しようとする共産主義はもっとも警戒すべき敵である。何としても叩き潰さなければいけない。もし貧しい人間が政治に目覚め、多数決で平等な社会をつくろうとすればそれはできる。不公平な社会は解消され、たちまち金持ちの優位性は失われてしまう。そこで金持ちたちはマスメディアや大学教授までも味方に付けて、『共産主義は危険な発想だ』とすべての国民を洗脳しようとする。今の日本人を見てみるとどんな貧しい人ですら、共産主義は駄目だと考えている。これがまさに金持ちの思うツボで、洗脳が見事に成功しているわけだ。
 では社会のシステムはどうあるべきなのか。この世界から貧困を排除して経済的格差を緩和するべきではないか。努力してコツコツ頑張る人が報われるような社会でなければいけないのではないか。しかしまったく平等であっても労働意欲が沸いてこないものだ。一生懸命働いた人と朝から晩までお酒を飲んで働かなかった人が同じ給料だとするとバカバカしく思えてくるものだ。かつてソ連や中国、北朝鮮などで共産主義への取り組みが行われた。多くの人が地上の楽園の誕生を信じて一生懸命頑張った。しかし結果は意外なことに生産性が著しく低くなり、資本主義との競争に敗れてしまった。
 モノポリーでも富の再分配をどんどん推し進めていけば確かに平等な社会が実現されるのだが、4人が平等になってしまうと今度は逆にわざわざゲームをやろうという意欲が失われてしまうわけだ。経済をうまく循環させるためにはある程度の経済格差も必要なのかもしれない。水は高いところから低いところへ流れる。そしてそれがエネルギーを生む。お金も同じことでこの高低差がなければ流通しないのだ。しかし今問題になっているのはその格差の程度である。たとえばプロ野球の選手がいくら一流だからと言って何億円も報酬を受ける必要があるのか。大企業の社長が一般社員の何百倍もの給料をもらうほど本当に価値ある仕事をしているのか。物や価値を生み出さず、お金だけを動かすビジネスが社会を支配することが許されるのか。資本主義の競争の原動力を残しながらできるだけ平等な社会を実現するという異なる命題のバランスをうまくとることが必要なのだが…。
 具体的に言えば、高額所得者の上限を青天井にするのではなく、低額所得者と高額所得者の格差をせいぜい10倍ぐらいに制限しておくことが必要ではないかということになるが、そんなことは無理なことかもしれない。
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2018年12月10日

生活保護制度に対する各政党のスタンス

 @ 適正化積極派(自民党、日本維新の会、みんなの党、国民民主党等)
 自民党は不正受給への厳格な対処、生活保護水準、医療費扶助の適正化を進め、給付水準の10%引き下げを主張し、適正化の方向性を最も強く打ち出す。日本維新の会も支給基準の見直しや医療扶助の自己負担導入などによる適正化を主張する。みんなの党は不公正、不正の是正を主張し、最終的には基礎年金と統合したミニマムインカム制度の創設を掲げる。民主党も調査権限の強化、罰則の厳格化など不正受給対策を進める。
 A 中間派(公明党)
 公明党は職業訓練や就労体験(中間的就労等)を通じた就労支援や就労促進のための積立金制度の創設など、生活保護から脱却、自立できるよう支援を強化を目指す一方で医療扶助の不正受給の防止・適正化を進める。
 B 生活保護維持・拡充派(共産党、社民党、立件民主党等)
 共産党は生活保護が必要とされるすべての人に保障することを重視し、保護費の切り下げにも反対する。社民党も保護が必要な人が保護が受けられていないことこそが問題とし、機能強化を主張する。
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日本の生活保護制度とは?

生活保護は「資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する方に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度」とされており、収入や資産の有無などを鑑み、世帯ごとに給付を受けることができる。
給付のメニューは生活費となる生活扶助に始まり、住宅扶助や医療扶助から葬祭扶助まで幅広く用意されている。この生活扶助は居住している地域や世帯員の年齢に伴って基準が異なっており、できるだけ世帯の実態に即して必要十分な給付がなされるようになっている。
この窓口となるのは居住する地域の福祉事務所(原則として市部では市、町村部では都道府県が設置し、一部の町村部では町村が設置している)であり、保護を希望する者はまずは相談をする必要がある。そして、収入が無く就労も難しいこと、預貯金や生命保険などの資産がないこと、年金や児童扶養手当などの他のセーフティーネットの活用ができないこと、親族などの扶養義務者からの仕送りを受けられないことといった事項についての調査を受けた末に、保護の開始が決定される。
 まず、生活保護をめぐる昨今の実態として、ここ数年来の給付総額急増があげられる。そもそも、生活保護は困窮するすべての者に給付されるという性質を持つが、実際には生活保護法(第四条一項)に「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」と規定された「補足性原理」から、勤労能力を持つ壮年世代への給付は窓口で拒まれていた。
しかし、平成20年のリーマンショックと前後して「ワーキングプア」「派遣切り」といった労働者・失業者の困窮が社会問題となり、平成21年3月の厚生労働省内で「単に稼働能力があることをもって保護の要件を欠くものではない」という通達が出され、各自治体で稼働世代への給付が行われるようになった。
 その結果、被保護世帯数において4倍増となった稼働世代が全体の生活保護受給者数・給付総額を押し上げ、戦後最高値を更新した給付総額は3億円を超えてなお膨れ上がり、4億円に迫っている。
こうした現状に対し、厚生労働省の社会保障審議会において「生活保護基準部会」が設置され、生活保護の給付水準についての議論が行われた。そして、平成23年4月から平成25年1月にかけての全12回の会議を経て、一般の低所得者世帯の消費実態と生活保護の給付基準との間に乖離があり、世帯構成によっては給付水準の方が上回っている場合もあるという結論が出された。
この結論を受けて政府は給付水準の見直しを検討し、平成25年1月27日には生活扶助を本年8月から3年かけて740億円削減していくことを発表した。また、この給付水準の見直しや「税と社会保障の一体改革」に代表される社会保障制度全体の見直しの機運を受け、同じく社会保障審議会に「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」が設置され、平成24年4月から平成25年1月にかけてのこちらも全12回の会議を経て、報告書が提出された。この報告書においては、「生活保護の受給に至る前の就労への支援」の大切さを説き、「中間的就労」の可能性が言及されている。
 また、生活保護の給付額の拡大とともにその不正受給も件数・金額ともに拡大傾向にあり、平成22年度においては平成17年度(12,535 件)の倍の25,355 件、金額にして約128 億円の不正受給が明らかになっている。これらの不正受給の内訳をみると、平成22 年度の不正内容は稼働収入の無申告・過小評価が51.6%、各種年金等の無申告が27.7%であり、また、福祉事務所による課税調査などによって発見されたものが約9割となっている。不正受給は個人によるものと組織的なものとに分類でき、偽装離婚や他人名義の口座を利用した虚偽申告、また、不正であるかの判断は分かれるが医療費扶助の不適正利用などは個人的なものと推測される。
しかし、昨今では組織ぐるみの不正受給の存在が明らかになっており、前述の医療機関の事例やホームレスに生活保護の申請をさせて保護費をピンハネする事例などが問題となっている。このような貧困ビジネスは暴力団の新たな資金源となっていることが多く、組織的な囲い込みではないにしても、生活保護受給者が医療費扶助によって入手した精神薬の横流しを担う、といったように生活保護が食い物にされている事例は多い。
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2018年12月06日

生活保護・児童扶養手当受け取り状況が変わってくる3つのケース

 生活保護や児童扶養手当は所得の変動や、再婚など生活環境の変化により減額・打ち切りを行っている。ここでは生活保護や児童扶養手当の受け取り状況や金額が変わってくる3つのケースを紹介してみよう。
 1:働いて所得が上がったケース
 働いて所得が上がった場合、生活保護が打ち切られる or 減額となることがある。児童扶養手当は本来なら18歳までの受け取りが可能だが、所得が上がった場合18歳未満であっても打ち切られる。
 児童扶養手当がなくなっても、『児童手当』を受け取ることができるのでご安心していい。こちらは、所得制限を超えた場合でも受け取れる。詳細については各市区町村に相談することだ。
 2:再婚したケース
 収入がある人と結婚した場合、生活保護・児童扶養手当が打ち切り・減額となることがある。仮に相手配偶者等から金銭的支援を受けていることを隠して受給し続けていると不正受給として全額返金を要求されるかもしれない。
 また、再婚相手も生活保護を受けている場合は、生活保護について見直しとなることもある。
 3:子供が18歳を超えたケース
 子供が18歳を超えた場合、児童扶養を受け取ることはできなくなる。生活保護を受け続けることはできるが、子供が働いているような場合は、世帯収入があるため生活保護費の打ち切り・減額の対象になるだろう。
 児童扶養手当を受けることで合計が大きく変わることはないが、万が一生活保護が減額された場合の保険になる可能性がある。
 また、生活保護より審査が厳しくないし、一部でも支給してもらうことで生活が楽になるだろう。


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2018年12月05日

本来あるべき生活保護制度とは?

 息子と同居している方に、こんなことがあった。息子の勤務する会社から、「残業を頼んだら保護費が貰えなくなるから、と断られた」と連絡があったのだ。
 本来ならば働いても生活するために不足があり、それを補うためのものが保護費である。しかし、それが貰えなくなるから働かないというのでは本末転倒だ。この際にはケアマネジャーから双方に説明し、きちんと働くということになった。しかし、保護するというところにばかり目がいってしまい、自立を助長するという部分が見落とされがちになっているのではないか。
 近年の生活保護受給者の特徴として、若年層の増加と受給期間の長期化がある。ストレス過多の現代社会において、就労困難な人が増えているのだろう。しかし1度このような保護を受けてしまい「自分で何とかしなければ…」という気力が薄れてしまっているとは考えられないか。
 不慮の事故や予期せぬ難病にかかってしまい働くことができなくなってしまったというような場合には、社会全体として支える仕組みは必要なことであり安心なことである。しかし、税金や年金を未納状態にしたまま、生活が困窮したからといってすべての人に対し“同様に”受給資格があるというのは、果たして平等といえるのか。「努力しなかったのだから、放っておけばいい」などとは言わない。しかし、これだけ人数が増えてしまったのでは、行政の目も行き届かなくなる。
 旧生活保護法にあった「欠格条項」が正しかったとは考えないが、まずは「自助」、次に「共助」、そして「公助」ではないか。社会全体の仕組みとして、「生活保護は楽でいいよね」では困りもの。もう1度、工夫と見直しが必要になってきた制度なのではないか。
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2018年12月04日

日本における生活保護の現状

 旧生活保護法には、「能力があるにもかかわらず勤労の意思のない者、勤労を怠る者その他生計の維持に勤めない者や素行不良な者を除く」という欠格条項が存在した。この欠格条項が除かれた理由の1つは、「貧困は個人のみの責任、個人のみの問題ではなく社会全体の問題であり責任でもある」という捉え方にある。
 生活保護被保護人数は現在約215万人以上、世帯数は約150万世帯。1996年以降の世界的不況を背景に生活に困窮する人数が増えているのは、日本に限ったことではない。世界的な現象であることは誰もが周知のことだろう。
 介護の仕事に携わっていると、必ず生活保護世帯と関わることになる。訪問介護では金銭の管理は行わないので、どれくらいの金額を受給しているのかは不明であり、その管理を行うのは子供たち。制度の細かな内容は市町村によって異なるが、「医療と介護」について現物支給であるのは全国統一項目である。
 医療はいつ、どのくらいの頻度で医者にかかり、どれだけ多くの薬を処方されても、本人は窓口で料金を支払う必要がない。介護でも、デイサービスやショートステイ利用時の食費を除いて、自己負担はない。つまり、費用を心配することなく医療も介護も受けられるということ。また、限度額はあるが、家賃を支払うこともない。その他に、「生活扶助」として現金が支給される。細かいことまで挙げれば、ごみ出しに使用する指定ごみ袋まで支給されるのである。
 こういった家では、もし病気になってしまったら、「辛い」という他に「治療費が……」という懸念が頭を過義るが、その心配や不安は今のところない。
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2018年12月03日

なぜ「格差拡大」は「経済成長」を損なうのか? .

 経済協力開発機構(以下、OECD)は、ワーキングペーパー「所得格差の動向と経済成長への影響」を発表しているが、それによると、多くの国において所得格差が経済成長を損なっており、その主な要因は貧困層への教育投資不足であることがわかった。
 推計によると、メキシコとニュージーランドでは、格差拡大が過去20年間の成長率を2000年代後半の経済危機までに10%以上押し下げた。また、イタリア、英国、米国では、所得格差が拡大していなければ累積成長率は6〜9%高くなっていたという。一方、スペイン、フランス、アイルランドでは、経済危機前の格差縮小が1人当たりのGDPの増加に寄与していた。
 OECDは、所得格差が縮小している国は拡大している国より速く成長すると分析。経済成長にとって最大の問題は、下位中間層および貧困世帯とそれ以外の社会層との格差が拡大していることだとし、重要なのは教育で、格差が成長を損なう主な要因は貧困層の教育不足だと指摘している。
 新たな研究結果によると、貧困家庭の子供の教育機会が損なわれることで社会的流動性が低下し、技能開発が阻害され、経済成長に影響を及ぼすことが判明。低学歴の両親を持つ場合、格差が拡大するにつれ、教育成果が悪化するのに対し、中学歴または高学歴の両親を持つ場合は、格差が拡大してもほとんどあるいは全く影響を受けないという。
 また、経済成長への影響は下位40%の所得層との格差からも発生しており、貧困防止対策だけでなく、現金移転や公共サービスへのアクセス拡大も機会均等化を進めるための重要な社会的投資だと指摘。なお、適切かつ対象を絞った政策の下で実施される限り、再分配政策が経済成長を損なうことはないとしている。
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2018年12月01日

「あんなやつら」って、誰だ?

 「生活保護、ありがとう」
 ある支援団体が主催するイベントで登壇した女性は、現在、生活保護利用中だという。彼女は震えながらも、自分の気持を壇上から伝えた。
 「私は病気になりました。支えてくれる人もいないし、頼れる人もいなかったです。だから生活保護を利用しました。生活保護に助けられて、支えられて、いま生きています。もし生活保護がなかったら、いまの私はありません。そして、この制度を必要とする人は、これからもたくさんいると思います......」
 彼女の言葉に異議を唱える人が、どれくらいいるだろうか。必要な人が必要な制度を利用する。それは、当たり前のことだ。きっと、誰もが賛同するに違いない。でも、必要か必要でないか。この2つの間に、どれほどの違いが、どれほどの差があるのだろうか。正しい線引きは、誰がしてくれるのだろう......。
 イベントが終わったあと、新宿の夜回りにそのまま参加した。すると突然、10年以上もホームレス生活をしているなじみの男性に話しかけられた。
 「おお、大西! お前が出ている新聞の記事を読んだぞ。若造のくせに偉そうなことぬかしやがって。だいたいなあ、生活保護なんて怠けているやつが使ってんだ。俺はたくさんそういうやつを知ってるぞ。あんなやつらと一緒にされたらたまらねえ。だから俺は生活保護が大っ嫌いなんだ」
 彼は吐き捨てると、新宿東口のサブナードに続く階段を下っていった。酔っ払っていたのか、語気が少し荒かった。その日の夜回りのあいだ、ずっと僕は彼の言葉を反芻していた。
 多くの人が叫ぶほど、本当にいまの生活保護制度は必要でない人が過剰に利用しているのだろうか。僕が相談を受けている限り、ほとんどの人は本当にそれが必要な状況だったと思う。もちろん、なかには眉をしかめるたくなる人もいたけど、それは一部も一部だし、その人にもきっと、それを必要だと思った背景や事情があったはずだ。
 さっきおじさんが言っていた「あんなやつら」って、いったい誰のことなのだろう。彼の知っている人には、それこそ不正受給しているような「あんなやつら」がたくさんいるのだろうか......。もし、「あんなやつら」が本当にたくさんいるのなら、それこそその人たちを取り締まり、制度設計だってきちんと適切なものにしていくべきだろう。
 でも、今日のイベントで話していた女性のように、どうしようもない事情の人だっている。それに、彼女は持病があると言っていたが、見た目には健康そのもののようだった。生活保護の利用者であることを打ち明けられなければ、まったく気がつかなかったかもしれない。
posted by GHQ/HOGO at 10:34| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする