コストパフォーマンスは「自助」によって図られるべきものだ、とよく言われる。しかしそれで片付くのであれば、企業に対する経済産業省も、人間に対する厚生労働省も不要だろう。そんな単純なものではないからこそ、試行錯誤を繰り返し、制度や行政機構は今の形に至っている。
新自由主義とは、実は大変非効率な経済学だったのではないか、という反省が経済学自身の中から生まれてこなければならないはずだ。そして、人々がそれぞれに生きている実態に即して、人間の生存を確保するほうが、はるかに高いコストパフォーマンスを実現することを、数値的にも立証すべきではないか。それは、「貧困対策は最大の景気対策だ」ということになる。
製造業派遣に従事していて「派遣切り」にあったある日系ブラジル人労働者が集会で言っていた。「私たちはいい消費者だったはずだ。しかしもう消費もできない」と。労働を掘り崩し、消費を低下させ、生存コストのみを負担させる社会に未来があるのか。どんなハンデを背負っていても、その人を生かすことのできる社会がもっともコストパフォーマンスのいい社会ではないのか。
人間の生存コストをきちんと勘案できる、まがいものでない経済理論の再生が必要だ。