2018年10月30日

扶養義務が「義務」になったら…。援助をし続けることのリスク

 「扶養義務」の履行は決して高くはない。扶養能力というのは一概に図れるものではないし、家族関係にDVや虐待などの課題を抱え、孤立して生活保護を利用する人もいる。そして、難しいのは、多くの場合、家族や親族が頑張って援助をはじめたとして、なかなかやめられない、というのはある。
 生活保護利用者は大きく分けて、「高齢世帯」「傷病障害世帯」「母子世帯」「その他の世帯」にわけられますが、高齢世帯が約50%、傷病障害世帯は27〜28%、母子世帯は6〜7%、その他の世帯は約16%となっている。(生活保護概数調査より)
 この「その他世帯」は働ける年齢層の人たちだが、2009年の厚労省の調査では、世帯主の平均年齢は50代の後半とされていて、なかなか生活保護からの脱却が難しいのが実情である。
 特に高齢世帯などは、収入が少し家族や親族からの援助によって助かったとしても、本人たちの収入が劇的に増加することが見込めないため(労働市場に参入できにくいため)、結果的に、援助をしつづけなければならない、ということになる。
 たとえば、月に3万円援助をすると、年間で36万円。20年間で720万円に援助額の総額は達する。それだけの援助をするのは妥当なことだと思うか、親孝行な子供だ、と思うだろうか。 その720万円は自分や自分の子供の進学に使ったり、マイホームを買うために使ったほうがいいのではないか。また、援助を受けるほうも、申し訳ないという気ちになったり、精神的なストレスを感じてしまうのではないか。
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2018年10月29日

2012年の「生活保護バッシング」と生活保護法の改正

 2012年にお笑い芸人のお母様が生活保護を利用していたということでバッシングが起こったことを覚えている方も多いのではないだろうか。 その後、2013年に生活保護法の改正(63年ぶりの改正)が行われ、「不正受給対策」などと同じく「扶養義務の強化」も大きな改正点となりました。
 法改正された内容を要約すると、
 ・「扶養義務者」に対して申請があったことを、厚生労働省令で定める事情がない限りは福祉事務所が通知しなければならない。※厚生労働省令で定める事情とはDVや虐待など
 ・福祉事務所は「扶養義務者」に対して資産や収入の状況について報告を求めることができる。
 ・福祉事務所は「扶養義務者」の資産・収入等について官公署に資料の提供や報告を求めることができる。
 ・福祉事務所は、現在だけでなく過去(当時)の被保護者およびその「扶養義務者」の保護期間中の資産・収入等について、官公署に資料の提供や報告を求めることができる。
 ・官公署は上記の求めがあれば速やかに資料等の提供をおこなう
 というものである。
 見ていただければわかるように、「通知しなければならない」とか、「報告を求める」とか、「資料の提供をおこなう」という文言であって、強制的に徴収をするなどというものではない。
 これは、ある種、当たり前なのだが、生活保護利用者の家族も困窮していることもあるし、家族の世帯の状況(子育て中とか介護をしているとか病気があるとか)も違うので、一律に「あなたの収入はいくらですから○○円毎月送金してください」みたいに決められない、ということだ。
 実際にはケースバイケースで、家族が「可能な範囲」で援助をすることもあれば、それなりの収入があっても住宅ローンや子育て中などの理由を考えて、援助を求めていない場合もある。
 そして、お金の話は人間関係のこじれを生んでしまうこともあるので、各自治体でも家族関係を壊さないように、扶養義務の履行によって人間関係が断絶してしまわないように一定程度の配慮をしたうえで対応しているという。もちろん、自治体によっては個別の事情を勘案せずに「扶養調査」をしてしまうことも少なくない。
 ただ、残念ながら誰とは(どことは)言わないが、「家族で支えあう」を至上主義とする人たちからすれば、この改正は温いというか、甘いと考えるというのはあるだろう。ちょうど、そういった主張をしてきた人たちの部会で否定的な「調査」が発表されたというのもあながち繋がりがないとは言えない。
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2018年10月28日

生活保護の「扶養義務」とは?

 そもそも、生活保護の扶養義務や、「扶養調査」とは何なのか。
生活保護制度は収入や資産が基準以下(国が定めた生活保護基準。東京だと単身で約12万円くらい)の状況になったときに利用できる制度である。もちろん、家族や親族からの援助が期待できる場合にはそれを活用することが求められる。
 しかし、扶養「義務」といっても、「可能な範囲での援助を行う」というもので、法的に強制されるものではない。よく誤解されがちなのだが、扶養義務は生活保護の「要件」ではなく(収入や資産等の状況が生活保護基準を下回っていることが要件)、「可能であれば」というものなのだ。
 一般的に、生活保護の申請があった際に福祉事務所(自治体の生活保護の窓口)は、「扶養照会」といって、おもに申請者の2親等、場合によっては3親等の家族・親族に対して、「生活保護の申請があったこと」「申請者の扶養義務者として扶養して欲しい」という連絡をする。
 とはいえ、DVや虐待など、特別な事情で家族や親族と離れて暮らす必要がある場合や、連絡を取ることが良くないと判断される場合など、申請者の状況や状態、環境によっては「扶養照会」を止めてもらうことができるのだ。また、家族や親族の経済状況によっては、「扶養」ができないことも多いのが実情である。
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2018年10月25日

「反グローバリズム」で人々は幸福になるのか?

 アゴラの辻氏の記事にも引用されているが、内田樹氏の記事が話題になっている。例によってだらだらと長いが、要点は最後の数行だ。
 大阪維新の会はまさにこのグローバル企業と政官が国策的に推し進めている「国内労働者の絶対的窮乏化」路線そのものを政治綱領の前面に掲げたという点で「前代未聞の政治運動」なのである。
 維新の会が権力を掌握すれば、体制が「変わる」という点については、間違いなく変わる。それは私が保証してあげる。ただ、その「変化」は労働者の絶対的窮乏化と「グローバル企業」の収益の増大と彼らのいわゆる「国際競争力」の向上に資するものであることは告げておかなければならない。
 資本家と国家がグルになって労働者を窮乏化させている、という今どき共産党でも言わない陰謀論が出てくるのは笑わせるが、いま起こっている賃金低下は「国策」の結果ではない。それは要素価格の均等化という当たり前の経済法則の結果である。中国で時給100円でつくれるジーンズを日本で時給800円でつくる企業がいなくなるのは当然であり、国策として強要する必要なんかない。
 ところが比較優位を知らない内田樹氏にとっては、グローバル化で資本家だけが幸福になって労働者は不幸になるらしい。ここから出てくる結論は、国内に引きこもって政府がバラマキ公共事業で需要拡大しろ、という藤井聡氏や中野剛志氏の国家社会主義だが、労働者はそれで幸福になるのだろうか。
  財政のバラマキで、所得格差の拡大は止めることができる。それは貧しい人が豊かになるからではなく、みんなが平等に貧しくなるからだ。公共事業の乗数効果は最近では1以下なので、納税者の所得が土建業者に移転されるだけだ。労働人口は毎年1%ずつ減ってゆくので、反グローバリズムは縮小均衡の道である。グローバル化ですべての人が幸福になることはないが、それは反グローバリズムも同じだ。問題は国民全体としてどうなるかであり、その物差しの1つがGDPだが、グローバル化を拒否して日本のGDPが上がることはありえない。内田氏が反グローバリズムを主張するなら、それによってGDP以外の指標でみて人々が幸福になることを示すしかない。
 これはトリヴィアルな問題ではなく、たとえば幸福度といった指標で計測する試みもある。しかし幸福度の上位はニュージーランドや北欧やオランダなどグローバル化した国が多く、日本は24位である。反グローバリズムで幸福度が上がることは望めそうにない。内田氏の言うように何もしないで富を食いつぶしてゆくのは、私の世代にとっては悪くない選択だが、若者はそれでいいのだろうか。
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2018年10月24日

経済成長と貧困削減との関係

 経済成長が国内の貧困の削減や格差縮小につがなるのかどうかというのは、経済の在り方を考える上で重要な問題だ。どの国も高い経済成長を目指している。経済成長は所得の増大をもたらし、すべての人々に恩恵をもたらすことを可能とするからだ。しかし、国全体の所得の増加が、国内のすべての人々の所得の増加につながるとは限らない。経済成長が高所得層に恩恵をもたらす一方で、低所得層の所得増加につながらない場合、経済成長は格差拡大につながることになる。このような格差拡大を伴う経済成長が社会にとって望ましいものとは言えないことは想像に難くないだろう。
 まず、このような経済成長は国内に格差論争を生み出し、低所得者層を中心に政権に対する不満をもたらし社会を不安定化させることが考えられる。これは小泉政権時代にITバブルの余波を受けて国内景気が改善していったにもかかわらず、国内で格差論争が生じ一部で政権に対する反発が生み出され、その後紆余曲折を経て最終的には自民党政権の終末につながったことを思い出させる。
 また、以前ここでも書いたように、国内の経済格差の拡大が持続的な経済成長の妨げになるのであれば、格差拡大を伴う経済成長は持続可能なものではなく遠からず行き詰まりを迎えることも考えられます。
 大和総研は、フィリピンやインドでは高い経済成長が実現しているにもかかわらず、それが貧困削減につながっていないという実態を踏まえ、複数回に渡って、アジアの発展途上国における経済成長が貧困削減、国内格差に与える影響や所得格差の是正・貧困削減につながる経済成長とはどういうものなのかについて述べていこうという。
 第1回目は、経済発展と貧困削減の関係について戦後の経済開発理論の動向を踏まえたうえで述べられている。レポートの内容をまとめると、90年代以前のマクロ的な経済開発援助(大規模なインフラプロジェクトへの投資を中心とした援助)に対して、90年代以降は特定の貧困層や貧困地域を対象としたミクロ的な援助が広まり、2000年代には両者を統合した「包括的成長(Inclusive Growth)」や「貧困層を支援する成長(pro poor growth)」といった流れが生じているということらしい。
 マクロ的な経済開発援助とは、経済全体の成長を促進させることが最終的に貧困問題の解決につながると考えたものである。高成長をもたらすためにはビッグプッシュ(巨大インフラ投資による有効需要の送出と生産のボトルネックの解消)が必要であり、そのビッグプッシュに必要な国内貯蓄(資金)がない途上国に対し、経済援助によってその資金不足を補ってやれば経済は成長軌道に乗るだろうという考えだ。簡単に言うと公共投資至上主義ってところだ。
 このマクロ的な経済開発援助については、さらに2つの流れがある。戦後直後から60年代までは、政府主導による資本蓄積と輸入代替工業化を重視するという政府の役割を重視した構造主義が主流だったが、60年代から80年代に入ると、政府よりも市場を重視し、「市場化・自由化」と「輸出志向」を重視する新古典派が台頭してくる。この頃には、経済援助については、「民営化、各種の規制緩和、貿易・資本の自由化を重視し、インフレ抑制や財政赤字削減といったマクロ経済運営の管理を政策条件(conditionality)として途上国に課してインフラプロジェクトを進める」というワシントン・コンセンサスが主流を占めてくる。つまり、市場経済を推し進め、適切なマクロ経済運営を行っている国に経済援助を限定していこうという考えである。その後、東アジアの経験を踏まえ*1、両者をミックスした市場機能を補完するような形での政府の関与を積極的に評価する新開発主義が現れるが、経済援助の効果が現れそうな優秀な国に限定しながら大規模援助を与えることによって経済成長を実現していこうという考え方自体はすべてに共通していると言ってよいだろう。
 これに対し、マクロ的に高い経済成長率を実現しても必ずしも途上国の貧困層を救うことにはなっていないのではないかという考えのもと現れたのが、貧困層や貧困地域に直接限定して支援していこうというのがミクロ的な援助だ。これは、個々のプロジェクトの具体的な効果を重視していこうという考え方が元になっている。インフラプロジェクトなどのマクロ開発援助と違い、支援する対象がはっきりと見えるところもこのようなミクロ的な援助が好まれる理由だろう。
 このような動きを先進国における福祉政策の在り方と比較して考えている。先進国の中では、特定の層を対象とした社会給付といった限定的・選択的な社会福祉政策と、より普遍的・一般的な福祉政策のどちらが所得分配の平等化や貧困救済に有効かという論争がある。ミクロ的な援助は、この前者に対応している。前者の政策は、直接的な貧困問題に対処できるだけでなく、財政状況の改善から経済成長へとつながるというマクロ的な効果までも期待されている。その一方で、行政コストの高さや政治的な支持を失うことによって長期的には貧困問題の解決にはつながらないという「所得再配分のパラドクス」の問題があることが述べられている。このように考えると、ミクロ的な援助の在り方についても、その効率性について様々な議論の余地があることがわかる。
 2000年代に入ると、成長重視のマクロ経済開発援助の考え方と、貧困層に直接働きかけることを重視したミクロ的な援助の考え方をミックスした援助というものが考えられるようになる。それが「貧困層を支援する成長(pro poor growth)」や「包括的成長(Inclusive Growth)」と呼ばれるものだ。前者は「貧困層が成長に参加貢献し、貧困層の成長の果実を享受する能力を高める成長のペースとパターン」を重視するものであり、後者は「高い持続的成長率はより多くの経済機会を創出するが、広範な人々、とくに貧困層がそうした機会・市場へアクセスできるようにするための制度インフラの整備や教育投資等の政策が必要」と考えるものだが、経済成長と所得分配を両立させようということは変わらないだろう。
 このように、経済成長と貧困削減・格差縮小については両者のいずれかを重視する考え方がまず出てきたが、その後両者をミックスした考え方が出てきたというのが現状だ。これは、政府主導の構造主義と、市場経済重視の新古典派が最終的に新構造主義にミックスされたというのと同じような流れだろう。経済に対する考え方とは、このように二つの極端な考えが現れその後両者の良さをミックスした考えへと進化するものなのかもしれない。
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「貧困層」が急拡大している欧州のリアル

 40代になると人生の3大支出が現実に迫り、家計を見直す必要がある人も増える。家計のどこを見直し、未来に向けどんな取り組みをしていけばいいのか。
 先進国において貧困層が選挙結果を左右することはあまりない。だが、総選挙を終えたイタリアでは貧困層が草刈り場になったのだ。中道右派政党「フォルツァ・イタリア」を率いるシルビオ・ベルルスコーニ元首相(公職禁止の有罪判決を受けている)と、コメディアンでポピュリスト政党「五つ星運動」の党首、ベッペ・グリッロ氏がともにベーシックインカム導入を唱えたのだ。
 貧困層に毎月、気前よくおカネを支給することになるこの公約は、制度設計からして眉唾物だ。とはいえ、少なくともこれによって急速に深刻化する欧州の貧困問題に光が当たったのは事実だ。
 もちろん、貧困層の全員が悲惨な生活を送っているわけではない。が、多くは困窮しており、イタリアでは貧困層が選挙結果に与える影響は無視できないものになった。全人口の約8%、500万人近くが生活必需品すら買う余裕がなく苦しんでいる。しかも、こうした貧困層の数は、わずか10年で3倍近くに膨れ上がっているのだ。
 欧州全体の状況も、同様に深刻だ。欧州連合(EU)では1億1750万人、域内人口のおよそ4人に1人が貧困層に転落するか社会的に疎外される危機にさらされている。その人数は2008年以降、イタリア、スペイン、ギリシャにおいて600万人近く押し上げられている。フランスやドイツでも、貧困層が人口に占める割合は20%近辺で高止まりしたままだ。
 2008年のリーマンショック以降、貧困層転落のリスクは全般に高まったが、その傾向は若者において顕著だ。年金を除く社会保障給付がカットされたのに加え、既存従業員の雇用を守るために新規採用を犠牲にする労働市場のあり方にも原因がある。2007〜2015年に欧州では18〜29歳の若者が貧困化するリスクは19%から24%に上昇したが、65歳以上の高齢者については逆に19%から14%に低下した。
 確かに最近の景気拡大によって若者の貧困化リスクは多少緩和されるかもしれない。しかし、構造問題はなくならない。失業が長期化すれば、その人の職業スキルは取り返しのつかないところまで劣化してしまうかもしれない。テクノロジーの急速な進化によって、能力が時代遅れになる可能性もある。
 このままだと再就職は不可能となるか、低賃金で不安定な仕事に甘んじるか──貧困層の多くにとって選択肢はその2つだけ、ということになろう。OECDの最近の統計によれば、スペインとギリシャでは生産年齢人口の14%が、働いているにもかかわらず貧困から抜け出せずにいる。
 累進課税や、給与に上限を課すサラリーキャップなど、富の再分配を通じて不平等に対処する手段もある。だが、貧困の撲滅には再分配を超えるものが必要だ。貧しい人々は社会の周縁に追いやられているが、貧困層が世の中に再び居場所を得て活躍できるよう支援していかなければならない。これは単に政情の安定や経済の公正さの問題なのではない。人間の尊厳が問われているのである。
 この先、欧州の福祉国家モデルは改革が必要になろう。もはや欧州の高齢者は一番の経済的弱者ではないが、いまだに社会保障給付で最大の分け前を手にしている。欧州の各国政府は、老齢年金をカットし、貧困層や失業者・若者への配分を増やすべきである。
 ベルルスコーニ元首相とグリッロ氏は貧困問題に狙いを定めているが、両氏が掲げるベーシックインカムは付け焼き刃の対策でしかない。確かに貧困層の厳しい懐事情はにわかに和らぐかもしれない。だが、背後にある構造問題が解決するわけではない。
 それどころか、問題をさらに悪化させるかもしれないのだ。ベーシックインカムは失業者が職を探したり、職業訓練を受けたりするのを特に後押しするものではないため、貧困層が永遠に公的給付に依存して生きていく状況を生み出しかねない。
 欧州の政治家は貧困問題を無視し続けることはできない。ベルルスコーニとグリッロの両氏が明らかにしたのは、そのことだ。
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2018年10月22日

世界を不幸にしたグローバリズムの正体

 国連によれば一日1ドル以下の貧困層の人数は、地球の全人口の約4割もいると推測されている。この原因は、経済のグローバル化による貧困の格差がひらいたことだ。
貧困層はグローバル経済が進むとより貧困になる。アルゼンチンのがその例だ。 経済の急速な立ち上げを考え、IMFに借金を申し入れた。そして、IFM側が条件を突きつける。市場開放、規制撤廃、民営化。
 しかし競争力のある海外品に国内品は売れなくなり倒産が増える。民営化も大量倒産しただけだった。これを政府が補助しようとしたが、財政を圧迫し、財政支出のバランスをとるため、福祉を切り捨てる。
 市場競争力にすべてを任せるというのは、先進国に都合のいい理論に過ぎない。IMFの基本は市場原理主義で神の見えざる手を前提とするが、現実には、情報も富もすべての人に行き渡らないのである。
 途上国が、開放する場合、 雇用を失わず、貧困にならないようにゆっくりと開放するしかない。途上国の意志を民主的に取り込むことが必要。さもないと 世界から貧困とテロはなくならないだろう。
 国家間の競争は、厚生経済学の基本定理が働いてない。これでは、片手落ちもいいところである。酷いものだ。
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2018年10月21日

豊かさのなかの貧困

 豊かな富、技術力、専門知識を持った相互連結するグローバル社会において、何十年もの昔に極貧が根絶されなかったということは、道徳的に批難されるべきであり、経済的に先見の明を欠いているということだ。しかし、経済的グローバル化の企業主導型政策が広く取り入れられた1980年代以来、着々と拡大してきた世界的不平等レベルを同時に正すことなくしてそれは不可能だろう。「豊かさのなかの貧困」の拡大する危機に取り組むためには、分割されますます不平等になる世界を維持する不公平な政策および制度を改革することにより多くの重点が置かれねばならない。
 今日、非常に偏った国際貿易、経済および課税体制は、外国援助として政府が提供するより少なくとも10倍の財政が発展途上国から富裕国へ流れていることを意味する。グローバル経済のこれらの不公平な取り決めの結果として、世界人口の最貧困層の20%が世界総計収入のたった1%しか受けていないのに対し、最富裕層の20%は83%近くを所有している。 近年、この富の集中はますます極端になっており、世界の最も裕福な1%が110兆ドルを所有し、それは世界人口の下半分の富の総計の65倍である。
 富と収入の驚くべき誤った分配は、他が当然とする基本資源へ無数の人々がいまだアクセスできないとき、世界の優先事項がどのように歪んでいるかを正確に浮き彫りにしている。世界正義キャンペーナーがしばしば繰り返しているように、このはなはだしい不公平の根本的原因は、政府の政策選択、経済関係を司る体制、そして世界最大企業の無敵の権限と影響力から生じており、事実上、政治的なものである。
 これら構造上の状態を改革することなく、外国援助とその他の経済の再分配が、貧困を根絶し富裕者と貧困者の格差を狭めるためには決して十分な手段にはならない。もしグローバル経済が万人の利益へ仕えるべきものであるなら、多国間の協力と経済的分かち合いの真の形態に基づきそれは永続的に社会的・経済的権利の成就を保証する方向へと第一に進められねばならないのだが、現状はますます酷いものになってしまっている。
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2018年10月20日

世界の貧困と不平等

 経済的分かち合いを促進する国際的枠組みを確立する最も切なる理由は、基本的人間のニーズが普遍的に充足されるさらに平等な世界を創造するためである。
 1948年に国際連合総会が世界人権宣言を導入した当初、各国政府はこの目標の実現に向かって取り組んだ。世界人権宣言第25条は以下のように明言している。「すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保証を受ける権利を有する(ウィキペディア引用)」
 65年以上が経った現在、万人のためにこれらの基本的権利を成就することは今だに国際社会の遠い希望、そしてあやふやな熱望として残っている。多くの最富裕国でさえ貧困率は10年間上がり続けており、緊縮財政処置が社会的セーフティーネットを収縮させ不可欠な公共サービスを弱体化させると同時に状況は迅速に悪化している。2008年の経済危機から5年後、例えばアメリカでは、政府が食料費補助対策を劇的に削減する以前でさえ、約5千万の人々(人口の6人に1人)が公然と飢えていた。過去何十年もの社会的発展が今激しい攻撃を受けているヨーロッパでは、根強い貧困のなか分割された大陸を分析者たちは10年以上前から警告してきた。
 世界の豊かな地域での高まる飢餓率と不必要な剥奪以上に、社会における分かち合いの実践から遠ざかる危険な動向を示すものはない。しかしサブサハラアフリカ、アジア、ラテンアメリカの最も貧しい国々、他の低所得、中間所得層地域では一般的に、極貧の影響が遥かに深刻であり続けるという事実から逃げることはできない。ここ数十年間の世界人口の大部分の生活水準の急速な向上にもかかわらず、考えられないほど多くの人々がいまだ生活必需品へのアクセスを拒否されている。
 例え極貧を半減させるミレニアム開発目標(Millennium Development Goals; MDGs)が満たされたとしても、2015年には10億人当たりが生存のための適切な手段を持たず公然と生活することになる。実際にはその数はもっと高いのだが。全体的に、発展途上国に住む95%の人々が1日10ドル未満に値する金額(実際に米国で10ドルに価する)で生き延びている。高所得国ではおおよそ生活不可能な金額だ。議論の余地のある貧困の「1日1ドル」対策もまた、発展途上都市の急増するスラムどころか世界の大部分の人々の厳しい生活の現実を反映できていない。
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2018年10月19日

世銀による新たな共認支配:グリーン・ネオリベラリズム

 世界の貧困や飢餓の撲滅を掲げる国連の組織(世界銀行やIMF)や、世界の公正な貿易の推進を謳う組織(WTO)が、実は、単にアメリカの巨大企業の利益を上げるためのお膳立てを行う機関に過ぎない。この事実は、なぜか日本ではあまり知られていないが、世界では常識になっている。その証拠に、反グローバル運動は世界中で大きなうねりとなっている。
 この全世界からの非難に対抗するために、世銀はこんな手をうっている。
 彼らが行っているのは、自分たちの主張にお墨付きを与える学者に研究資金を出し、御用学者として飼いならしながら、世界の環境運動、貧困撲滅運動を行う非営利組織などを逆に取り込んで味方に付けていく、という巧妙な方法である。
 学者を金(研究費)で釣って、己の都合のいい理論武装をするために利用している。これは昔からロックフェラー財団などが行っている方法論で、特に新しい手法ではない。だが、プロ専門家の仮面をかぶった人々が都合よくねじ曲げたデータを出して、「権威」を主張されたら、途上国や貧困層の人々はなかなか有効な反論ができない。協力しない学者は学会から徹底的に干されるので、学者生命を賭けて反旗を翻す学者は稀少である。それに加えて、巨大資本をバックとした企業をスポンサーに付けているマスコミも、正面から事実を報道することができない。
 マスコミしか情報源のない人々は、世界の福祉を考える超国家的機関である世界銀行やIMF、WTOが、まさか特定の企業と結びついて金儲けのお膳立てをしている…なんて夢にも思わないだろう。
 こうして、人々の素朴な善意さえ、先進国企業によるさらなる途上国からの収奪に利用されているのである(ODAなどはその典型である)。
 世銀は、今度は「地球温暖化」「CO2は悪」「自然保護」「アフリカの貧困」「第二の緑の革命」「貧しい人々に食糧を!きれな水を!」を声高に叫ぶことで人々を騙し、莫大な資金を集め、さらに効率よく途上国から収奪しようというシステムを整えていく。
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2018年10月18日

這い上がろうともがく者をさらに崖から突き落とすIMF

 世界銀行からの多額の借金や、乱開発による社会的・経済的混乱などで財政的に破綻した途上国から、先進国がさらに貪り尽くすことに手を貸す機関がある。IMF(国際通貨基金)である。
 IMFは、1979年以降、「融資の効果を阻害するような政治状態の国」には、「政策改善」を条件にした(コンディショナリティ (Conditionality) )融資を行うようになった。その国家の政策に対して外から口を出す権限を得るわけだ。
 この際に、対象国に課せられる要求のことを「構造調整計画 (SAP:Structural adjustment program) 」と呼ぶ。
 緊縮財政を敷き福祉などの支出を大幅カット、税金△で国民から搾り取るだけ搾り取り、市場開放、貿易の自由化、公的機関の民営化などを強制的に推し進め、徹底的にグローバル企業の餌食になるためのお膳立てを行なう。
 これにより、アフリカ諸国や南米(ブラジルやアルゼンチン)、アジアなどの途上国では、様々な経済問題(失業など)が発生し、社会が大混乱に陥った。
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2018年10月17日

世界の貧困と飢餓を拡大させた「緑の革命」の実態

 現在の世界の食糧危機の原因をさかのぼっていくと、必ずと言っていいほど「緑の革命」に行き当たる。
 「緑の革命」とは、“世界の食糧危機を克服する”目的で、1940年代から1960年代に世界で推進された運動。高収量品種(HYV種)の導入や化学肥料の使用などによって、穀物の収穫量増大をはかったもの。
 「何で食糧増産が食糧危機の原因になるの?」と意外に思われるかもしれないが、この近代農業の導入が各地で地域社会を破壊し、自給自足や地域農業を崩壊させ、飢餓人口をかえって増大させた主原因なのである。
 そのプロセスは概略次のようになる。
 @ 「農業改革」そのための「開発援助」と称して世界銀行が途上国に融資を提案する。高収量品種(HYV種)や農薬を生み出したモンサント等の巨大メーカーやカーギルなどの穀物メジャー、そしてそれら巨大資本を動かす金貸し勢力の息のかかった研究機関等の要員が、途上国政府の上層部に融資を持ちかける。この融資は、東西の冷戦構造とも相まって、あらゆる手段をもって途上国は承諾させられた。
 A 高収量品種(HYV種)は、大量の水を必要とする。融資された資金をもって、土地を集約し、ダムや水路・道路などの大規模インフラを整備する。工事を受注するのは専ら多国籍企業(先進国のゼネコンなど)であり、資金は先進国へ還流する。
 B 高収量品種(HYV種)は他にも、多量の化学肥料・農薬、そして一代限りの種子(F1)を大量に必要とする。高収量を上げ続けるには、これらを毎年購入しなくてはならないが、普通の農家には不可能である。逆に、収穫した農産物は先進国に買いたたかれるため、多くの人々が土地を追われ経済的に生きていけなくなった。
 C 多国籍企業は、このようにして土地を追われカネが無くては生きていけなくなった地元の人々を、不当な低賃金で雇って、本国で売れる単一作物を作らせる。作物は、天然ゴム、タバコ、コーヒー、カカオ豆、パーム油、サトウキビ、茶葉、綿花など、趣向品が多く、おおよそ主食にならないものばかり。地元の人々は、輸入された先進国の食糧を、労働で得た賃金で購入するしかない(WTOは、先進国に有利な貿易のルール作りで、途上国の破壊に一役買った)。その結果、自給自足的な地域共同体は破壊され、ささやかに暮らしていた地元の人々は完全に市場に組み込まれる。
 D 多量の化学肥料・農薬を使用する近代農業は、年ごとに収穫が減少し、さらに多くの資材に依存する悪循環をもたらす。運良く経済的に破綻しなくても、農薬による自然破壊や健康被害、大量の水を使用するため塩害などが起こり、農業生産ができなくなる土地が続出する。
 このようにして、途上国の今までわずかでも食糧を生み出していた農地は、農薬汚染や塩害などで砂漠に変わっていった。貧しい国には餓死者が大量に発生した。
 途上国には、農薬、化学肥料、種子、インフラ整備の費用が莫大な借金として重くのしかかった。
 モンサント等の種苗・農薬メーカー、カーギルなどの穀物メジャー、ベクテルなどの開発企業、そしてそれら巨大資本を動かす金貸し勢力だけが、数千万の途上国国民の死体と引き替えに巨利を得た。
 これが「緑の革命」と称して行われた「国連による経済支援」「世銀による開発援助」の実態である。
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2018年10月16日

「新自由主義」は本当に効率的なのか?

 人間とは生きているだけでコストのかかる存在である。しかし、効率重視と言われる新自由主義が、人間のコストパフォーマンスを真剣に検討してきたかと言えば、はなはだ疑わしい。新自由主義とは、1980年代以降、イギリス、アメリカから世界に広がってきた経済路線である。社会保障支出を最小限に抑える一方、企業活動を制限する規制を緩和することで、経済を効率化できるとする考え方だ。日本では小泉純一郎政権などが推し進めた。だが現実には、新自由主義は人間のコストパフォーマンスという視点を軽視し続け、その点でむしろ、非効率的な社会を作り上げてきてしまったのではないか。
 コストパフォーマンスは「自助」によって図られるべきものだ、とよく言われる。しかしそれで片付くのであれば、企業に対する経済産業省も、人間に対する厚生労働省も不要だろう。そんな単純なものではないからこそ、試行錯誤を繰り返し、制度や行政機構は今の形に至っている。
 新自由主義とは、実は大変非効率な経済学だったのではないか、という反省が経済学自身の中から生まれてこなければならないはずだ。そして、人々がそれぞれに生きている実態に即して、人間の生存を確保するほうが、はるかに高いコストパフォーマンスを実現することを、数値的にも立証すべきではないか。それは、「貧困対策は最大の景気対策だ」ということになる。
 製造業派遣に従事していて「派遣切り」にあったある日系ブラジル人労働者が集会で言っていた。「私たちはいい消費者だったはずだ。しかしもう消費もできない」と。労働を掘り崩し、消費を低下させ、生存コストのみを負担させる社会に未来があるのか。どんなハンデを背負っていても、その人を生かすことのできる社会がもっともコストパフォーマンスのいい社会ではないのか。
 人間の生存コストをきちんと勘案できる、まがいものでない経済理論の再生が必要だ。
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2018年10月14日

生活保護は、誰のためにあるのか?

 生活保護バッシングが吹き荒れるわずか数か月前。2012年1月。札幌市白石区のとあるマンションの一室で、2人の女性の遺体が発見された。部屋に住んでいたのは40代の姉妹。料金滞納で電気・ガスは止められ、冷蔵庫のなかは空っぽ。ちなみに42歳の姉は脳内出血で病死、そのあとに亡くなった知的障がいのある40歳の妹はやせ細った状態で凍死していたという。そして実は、その後の報道で、この姉妹が約1年半前から3回にわたり区役所へ生活相談に訪れていたことが判明した。
 しかし、結果的に生活保護の申請にはいたらず、2回目の相談にいたっては非常用のパンの缶詰を交付されたのみだったことがわかった。遺された姉の携帯電話には「111」の発信記録が何度も残されていたと言う。知的障がいを持つ妹が、姉が倒れたあとに、何度も何度も、救急や警察などの助けを求めようとしたのだろう。
 そして、その声は届かなかった。
 生活保護は、本当に過剰に支給されてきたのだろうか。手厚すぎたのだろうか。
 少なくとも、必要な人に支援はまだ届いていない。
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2018年10月13日

脆弱なセーフティネット

 2012年には、社会保障制度改革推進法」が制定された。これは、この国の社会保障の将来的な方向性を定めたものであるが、附則の第2条には、生活保護をはじめとする生活困窮者施策に関して次のような記述がなされている。
 1項においては、「不正受給対策の強化」「生活保護基準の見直し」「就労の促進」が掲げられ、2項においては、「貧困の連鎖の防止」「就労可能層への支援制度の構築等」が明記されたのだ。そして、この記述をもとに、「不正受給対策の強化」としては、2013年12月に生活保護法の改正、そして「生活保護基準の見直し」としては、2013年8月より生活扶助基準(生活保護の生活費分)の段階的な削減が断行され、2年後の2015年7月からは住宅扶助および冬季加算の削減もおこなわれた。
 「就労の促進」については、2013年5月に「就労可能な被保護者の就労・自立支援の基本方針」という通知により、稼働年齢層(15歳から64歳まで)の生活保護利用者に対し、生活保護開始から3〜6か月以内に、低額でも必ずいったん就労することが求められるようになった。
 そして、「貧困の連鎖の防止」に関しては、2013年6月に成立した「子どもの貧困対策法」に、「就労可能層への支援制度の構築等」に関しては2013年12月に成立した「生活困窮者自立支援法」へとつながっていく。
 この「社会保障制度改革推進法」は、社会保障の税源を明確化したり、国の責任や方針を明らかにした、という意味では評価ができるだろう。しかし、生活保護をとりまく最低生活保障の部分に関しては、正直、かなり厳しい内容となった。
 生活保護は文字通り、生活に困った時の最後の砦。その最後のセーフティネットが、財政的にかなり削られてしまうことになった。210万人を超える人の生活に大きな影響をもたらしたほか、今後の生活保護をめぐる議論にも大きな影を落とした。
 生活保護バッシングが吹き荒れた2012年は、良くも悪くも生活保護をとりまく環境を一変させた最初のきっかけとなったのだった。
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2018年10月11日

転換点は「税と社会保障の一体改革」

 「生活保護は最後のセーフティネットだ!」
 「国は当事者の声を聞け!」
 生活保護バッシングが吹き荒れるなか、もやいをはじめとする支援団体、法律家などは生活保護についての誤解や偏見が広がらないようにと、さまざまなアクションを起こしていた。議員会館に出向いて国会議員に直接生活保護利用者の声を届ける活動をしたり、生活保護バッシングにより不安に感じている人への相談会を開いたりした。
 しかし、生活保護の利用者が、つまり当事者が声をあげるというのは並大抵のことではない。身近な人、近所の人に知られたら恥ずかしい、世間の目が怖い、フクシのケースワーカーにいやがらせをされるんじゃないか......。
 彼ら・彼女らの生活を支えていたのは、まぎれもない「生活保護」そのものなのだ。だからこそ、それを支給してくれる国や納税者である世間に対して声をあげる勇気を持つ人は、本当に少なかった。
 ただ、一部のメディアでは僕たちの声を報道してくれた。しかし、残念ながら、そういった声は必ずしも政策に反映されたとは言えない。
「わかりました。いただいたご意見はしっかりと検討させていただきますから」
「必要な人が生活保護を受けることについては、何も反対なんかしていませんよ。あくまで、悪質な事例に対処するために生活保護制度の改革が必要なんです」
 官僚も政治家も、話は聞いてくれた。でもそれは本当に、聞いてくれただけだった。
 こうして2012年8月、「税と社会保障の一体改革」の名のもとに、「社会保障制度改革推進法」をはじめとする関連8法案が可決された。この法案は、日本の社会保障を、そして生活保護をはじめとした生活困窮者支援施策にとって、大きな転換点と言えるものだった。このときほど、自分たちの無力さを痛感したことはなかった。
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2018年10月10日

「支給基準10%カット」の意味するもの

 一連の生活保護バッシングに大きく関わった国会議員が所属する政党が主宰する生活保護に関するプロジェクトチームでは、生活保護に関する改革案をに提言していた。そこでは、支給基準を10%カットすることや、お金ではなく食料などの現物給付にすることなどが盛り込まれたほか、議論のなかでは、就労可能な人は生活保護受給期間を有期にする、などといった話も出た。
 まず、「支給基準の10%カット」。これは、とても大変な話だ。確かに、生活保護が財政を圧迫しているという議論はある。しかし、ある日突然あなたが、会社から給料を10%カットすると言われたら、きっとたまったものじゃないだろう。
 しかも、生活保護基準というのは生きていくための、ただでさえギリギリの額だ。都内で言うと、生活費だけでも1か月で約7〜8万円かかるだろうか。その10%といえば、相当な重みを持ってくる。多くの人がまっさきに食費を削るだろう。冷暖房を抑えたり、外出をひかえて家に引きこもるかもしれない。高齢者や傷病・障がいを持つ人にとってみれば自体はさらに深刻で、最悪、死活問題になりかねない。
 そして、生活保護基準が下がるということは、最低賃金の下限も下がるなど、生活保護以外のほかのさまざまな制度にも大きな影響を及ぼすのだ。誰にとっても決して他人事ではない。
 次に、食料などの現物支給。これは現実には難しいはずだ。コメの配給にするのか、一部のお店でしか使えないクレジットカードのようなものにするのかわからないけれど、何を食べるか、食べられるかは人によって違う。それに、そういった配給のほうが間に業者が入って中間マージンをとるなど、余計なコストがかかる可能性が高い。
 最後に、就労可能な人の生活保護を有期にするというものだが、もし仕事先が見つからなかったらその人はどうなるのだろう。生活困窮者の多くは、可能なら仕事がしたいと希望している人たちである。でも仕事が見つからない。有期化の議論は、結果的に生活保護が必要な人を機械的に締め出すことにつながりかねない。
 これらの提案は、あくまで1つの党のなかでの議論に過ぎなかった。しかし、メディアが煽りに煽った生活保護バッシングという潮流は、政策決定の場にまで大きな影響力を持っていくことになる。
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2018年10月09日

中国の貧富の差が日本の5倍もある?

 富裕層上位20%の所得を貧困層下位20%の所得で割った倍率が、日本は3.5倍なのに対し、中国は17.8倍で、中国の貧富の差は日本の5倍に達する。中国は社会主義国で日本は資本主義国なのに、これはなぜなのか。
 これに対してさまざまなコメントが寄せられた。
 「日本には所得倍増計画という立法があるからだ」 「欧米や日本は成熟した民主国家。中国や北朝鮮は封建制度の独裁専制国。貧富の差の根本原因は政治体制だろ」 「日本は民主制度で国民に権利があるから貧富の差が小さい。われわれの方は一党制で、国民に選択の権利はないから貧富の差が大きい」「欧米諸国は真の社会主義国。資本主義なんて象徴にすぎない。わが国は実は封建主義国。社会主義なんて象徴にすぎない」 「毛沢東路線を続けていれば貧富の差はなかった。富裕層はいないが、みんな食事にも事欠いただろう。今は少なくともお腹いっぱい食べられるし、ネットもできる」「毛沢東時代、庶民と高官の貧富の差は50倍どころではなく、500倍はあったと思うぞ」 「『先に富んだものが、まだ富んでいない者を富むようにする』という言葉をよく復習したほうがいい」 「共産党に反対した国民党が支配する台湾のほうが、大陸より貧富の差が小さい理由を誰か説明できるだろうか」
 つまり、中国の共産党は、社会主義政策を行っているのではなく、単に独裁主義政策を行っているにすぎないのだ。中国に共産主義は似合わない。
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2018年10月08日

日本でも広がりをみせるフードバンク

 日本にもフードバンクは存在し、28の事業者が活動をしているが、食料の無駄をなくす食料廃棄、食品ロスなど、環境的側面でフードバンクが語られている印象だ。
日本のフードバンク「セカンドハーベスト」によると、児童養護施設、福祉施設、シェルターなど一部の貧困に陥ってしまった人への支援が行われているが、まだ認知度や取組みの規模は小さいのが現状。 貧困世帯の増加は、日本においても他人事ではない。
終身雇用が崩壊し、非正規雇用が増加し、かつ1人親世帯が増加している現代においては、生活費や物価の上昇が発生すれば、普通に仕事をしていても容易に生活苦に陥る可能性がある。食事にありつけないという状況は他者からはみえづらく、課題として表面化しにくいという問題もある。
日本においてもイギリスのようにフードバンクが普及することで、施設やシェルターで生活する人たちだけでなく、広い意味での貧困状態にある人たちにもサービスが広がっていくことが望まれる。
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2018年10月07日

なぜ格差が広がり続け、貧困層が増えていくのか?

 グローバル化によってアメリカを筆頭に世界中の国で経済格差が広がっている。日本も経済格差が広がり、ほんの一部の富裕層が資金を増やし、中間層が減って貧困層が増えている。サラリーマンの平均年収は、 毎年、落ち込んできている。 実際はもっと低い年収で人々は暮らしている。派遣労働者、パート等の年収が200万円を切るのは当たり前なので、全体の平均年収がさらに下がるのは明白だ。今後も正社員削減や完全な年俸制により、結果が出なければ何時間でも企業は社員を働かせることができるようになる。今の状況と今後を感がえれば、我々が何をしなければならないかは想像がつくのではないか。
 アメリカは世界一の経済大国だが、日本よりも遥かに格差が大きく、月給だけでは食べていけない人が猛烈に増えている。食べていけないためフードスタンプ(スナップ)という食料費補助券をもらって何とか生活している。フードスタンプは月額100ドルで、 主に食料品を買うことができる。世界のアメリカはフードスタンプなしでは食べていけない人が5,000万人もいる国に変貌してしまった。これもグローバル化による弊害である。世界一繁栄した都市と言われたアメリカ・ミズーリ州のデトロイトは破綻してしまい、街は廃墟と化している。
 アメリカの現状は数年後の日本だ。企業はグローバル化することで、 最大の利益を上げることに重きを置いている。企業の利益が上がれば、国民の生活が疲弊しようと関係ないのである。 日本政府はグローバル企業と米国の傘下にあるので、グローバル化から逃れることはできない。どんどんと貧困層が増え、国民は疲弊していく。
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2018年10月06日

世界の貧富の格差が拡大、1820年代の水準にまで悪化

 経済協力開発機構(OECD)は、世界の富裕層と貧困層の格差の拡大は1820年代と同じ水準にまで悪化しているとの報告書を公表している。こうした変化は過去200年で「最も憂慮すべき」事柄の1つである。
 過去2世紀の世界の生活状態を調べた報告書の中でOECDは、所得の不均衡が急速に拡大したのはグローバル化が進み始めた1980年代以降だと指摘している。
 調査では25ヵ国の1820年以降の所得水準を調べ、世界が1つの国であるとみなしてデータを突き合せて比較したところ、世界の所得格差は東欧各国における共産主義の台頭などに代表される20世紀半ばの「平等主義革命」によって急速に縮小した後、拡大に転じ、2000年までに1820年と同じ水準にまで広がったことが分かった。
 調査に協力したイタリア・ボッコーニ大学(Bocconi University)のグイド・アルファーニ(Guido Alfani)氏は、「非常に驚くべき」結果だとして、「過去200年の世界経済の特徴の中で最も重大、かつ憂慮すべき点だ」と警告している。
 世界の所得格差についてはフランスの経済学者、トマ・ピケティ(Thomas Piketty)氏が著書「Capital in the Twenty-First Century(21世紀の資本論)」の中で厳しい警告を発して議論を呼び、同書はベストセラーになっている。
 オランダの経済学者、ヤン・ライテン・ファン・ザンデン(Jan Luiten van Zanden)氏はこのOECDの報告書について、「ピケティ氏と同じ問題点を指摘し、世界の格差拡大に対して同じ懸念を持っている」と述べ、 ピケティ氏の著書は主に欧米諸国を扱っているが、世界規模で同じ分析を行うべきだとの見解を示した。.
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2018年10月05日

貧困ビジネスの親玉は「大学」、低所得層から奨学金を吸い上げて借金を残す − 貧困再生産の元凶

 新聞が触れない大学教育の暗部を、週刊誌が暴きつつある。 貸与奨学金の受給率を大学入学の難易度別に調べると、 難関大学は奨学金利用が少なく、Fランクに近付くと奨学金利用が増える。また、貸与奨学金の返済における滞納率でもおおむね同様で、 難関大学は滞納率が低く、中堅大学、底辺大学となるにつれて滞納率も上昇する。つまり、中堅以下の私立大学は貸与奨学金のお蔭で経営が成り立っており、 奨学金がなければ破綻する大学が相当数あるということだ。
 貸与奨学金は、滞納率が5%もある大学が複数存在することが情報公開によって明らかになっており、相当な額の借金を残して卒業生の負担を生み出し続けている大学があることは事実と言って良い。つまり底辺層の大学こそが「貧困ビジネス」の親玉に等しく、 借金と公費で経営を成り立たせ、それを食い物にしているということになる。それを否定するのなら、自学の学生の貸与奨学金利用率と滞納率を公表するがいい。
元々、難関大学とそうでない大学とでは1億円前後の生涯賃金の差があることがさまざまな調査によって推測されている。同じ「大学」という名でも完全に別物なのだ。社会的効果においても、経済的効果においても高等教育は就学前教育に劣る。特に、底辺層の大学の経済効果が大きく劣ることはすでに明らかになりつつある。
社会正義を掲げるリベラル派は、何も考えずに給付奨学金や無償化を謳うが、 安倍と同様に経済リテラシーの低い彼らは「貧困再生産と非効率性」を招いているのだ。 大学を出ても安定して高い賃金を得られる職がなければ、たとえ貸与奨学金が給付奨学金になっても貧困のままだ。ジェンダーの強い日本では女性の就労抑制が多いのでなおさらに非効率である。だから高負担で働かざるを得ず、女性でも自立して働き続けなければならない。
比べるのも変だが、北欧の教育・経済システムは日本より、そしてもちろん安倍政権より遥かに優れている。ただその北欧でも貧困格差が広がっている。そうなると日本の前途は暗すぎるのだ。
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2018年10月04日

生命と尊厳を守る社会保障の再構築を!

 健康保険については、労働者を違法に管理するいわゆる「ブラック企業」の問題も無視できない。ブラック企業で往々にして見られるのが、労働者を「個人事業主」扱いすることで、被用者保険へと加入させることを回避し、労働コストを抑えるといったことである。労働者が国民健康保険に入れば、企業が被用者保険のために保険料の企業負担分を支払う必要もないため、経営上合理的だというのである。多くのブラック企業裁判の事例でもこうしたことが普通に行われており、労働者は高い保険料を負担せざるを得なくなっていた。自分の保険がどうなっているか、いま一度よく見ておいたほうがいい。
 現在、非正規雇用者の割合は3割を超え、実数では2000万人近くに上っている。これに応じて、若年層の貧困率は年々高くなっているのが現状だ。特に、OECDの調査によれば、各種制度によって所得の再分配が行われた後でも、18〜25歳の若年層は5人に1人程度が貧困状態に置かれており、事態は極めて深刻である。こうした中にあって、日本の社会保障制度は私たちの生活の支えにならず、むしろ格差と貧困を助長する。
 社会保障を、生命と尊厳を守るという理念に立脚し再構築すること、これが今最も必要なことである。若い人が希望を持って生活をおくり、温かい家庭を築くことで社会を再生産していく、そういう国を作らなければならない。
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2018年10月03日

もともと自営業者を対象としていた「国保」

 国民健康保険はもともと、企業で働く労働者ではなく、自営業者を対象にした保険であった。しかし、現在ではその加入者の多くは企業に雇われる「被用者」となっており、「国民健康保険の被用者保険化」が進んでいる。これは、国民健康保険が、企業の健康保険からもれた非正規雇用者層の受け皿となっているためである。「平成24(2012)年度国民健康保険実態調査」によれば、被用者の占める割合は35.2%に上っている。
 国民健康保険には保険料の応益割部分があり、その負担は逆進的である。これは、旧国民健康保険法に国民健康保険が「相扶共済の精神」により運営されると明記されていたこととも関係している。ようするに、国民健康保険はもともと、地域の助け合いの観点から制度化されており、地域住民が等しく負担し、サービスに応じて保険料を支払うことが望ましいとされていたのである。
 しかし、その結果、さきほど示した「国民健康保険実態調査」によれば、1000万円以上の所得層にとっては保険料負担の割合がわずか3%程度にすぎない一方で、30万円未満の所得層では19.4%にも及んでいる。加入者層として最も多い100万円以上150万円未満層でも、負担割合は12.1%と極めて高い。こうした応益割の負担が厳しいとのことから負担軽減措置が一応あるが、これが適用されている者はわずかに全体の6.1%しかいない。いくら所得が低くとも、ほとんどの者は保険料の支払義務を免れることができない状況なのである。GDP世界第3位のこの豊かな国で、保険を満足に使えず、いわゆる「無保険」状態で死亡していく者が後を絶たないのもこのためである。
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2018年10月02日

背景にあるのは「雇用の劣化」

「平成23(2011)年国民年金被保険者実態調査」によれば、国民年金第1号被保険者1737万人のうち、滞納者は何と455万人、割合としては26.2%に上っている。この数字がいかに深刻かは、1996年調査における滞納者172万人(11.0%)という数字と比較すればすぐに分かるだろう。滞納者は、この15年間でなんと3倍ほどに膨れ上がっているのである。
この背景には雇用の劣化が著しく進展していることがある。96年度調査の際には、被保険者のうち「臨時・パート」が13.8%であったが、11年度調査では28.3%と、およそ2倍程度になっているのだ。滞納者本人の所得で見ると、100万円未満の者が全体の60%超を占めていることにも驚かされる。保険料を納付しない理由として、「保険料が高く、経済的に支払うのが困難」と答えた者が74.1%と圧倒的に多くいたことは、不安定就業層の拡大と保険料未納者層の増大との関係を裏付けるものである。
また、滞納者の多くが単身世帯に身を置いていることは特徴的だ。96年調査において、滞納者のうち単身世帯の割合は11.4%とまだ少数を占めていたにすぎないが、11年調査では39.3%と、およそ4割近くに上っているのである。
 仮に年金に関して保険料を支払い続けられたとしても、将来それが生活の支えになることもない。国民年金の受給額では、月額3〜4万円台を受給する層が、満額(6万6000円程度)を受給する層に次いで多くなっているが(「平成24〈2012〉年度厚生年金保険・国民年金事業の概況」)、これでどうやって生計を成り立たせればよいというのであろうか。後で示すOECDの調査を見ても、高齢者の貧困率が極めて高く、76歳以上ではおよそ4人に1人が貧困状態に置かれていることが示されているが、これは世界で最も高い水準なのである。
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2018年10月01日

低所得者層ほど負担が重い社会保険

 日本においてなぜ、社会保障制度が貧困をより拡大させてしまうのか。国の予算に含まれる社会保障関係費の内訳を見てみると、社会保険給付費が全体のほぼ75%を占めている。日本の場合、社会保障とは医療保険、年金、介護保険、雇用保険などの社会保険のことを指していることが分かる。言い換えると、この国では、社会保険に加入しないと生活上のリスクに備えることが困難なのである。この場合、次の点を理解することが非常に重要だ。社会保険制度へと加入し、ここから失業や疾病などの際に給付を受けるためには、保険料を支払わなければならないということ。そしてまた、この保険料が人々の支払い能力を十分に考慮して制度設計されているわけではないということである。
 このことを、低所得者も多く加入する国民年金や国民健康保険を例に取りつつ見てみよう。年金や健康保険はそもそも、老齢や疾病によって働けなくなった場合に、賃金の代わりに生活の支えとなるよう制度化されたものである。しかし、国民年金や国民健康保険に加入するためには、定額の保険料を支払ったり、「応益割」による負担をしたりしなければならない。「応益割」については説明の必要があるだろう。国民健康保険料は、収入などの負担能力に応じて課せられる「応能割」部分と、収入や資産に関係なく一律に課せられる「応益割」部分で構成されている。要は消費税と同じく、所得がどうあれ同じ地域に住む者は同じだけの保険料を負担する必要があるということだ。国民年金も同様だ。満額で受給するためには、加入者の所得とは無関係に、毎月1万5250円(2014年度、年間18万3000円)の保険料を40年間支払い続けなければならない。
 しかし、非正規雇用者などの不安定就業層が社会の隅々に広がっている現在の状況では、所得に無関係な定額拠出、応益割の負担は極めて厳しいものとなる。たびたびテレビ、新聞などの報道で保険料未納の問題が取りざたされるが、これは保険料の拠出が、低所得者層ほど負担が重くなるという「逆進性」を持つ以上、生じるべくして生じている事態なのである。
posted by GHQ/HOGO at 05:55| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする