2018年07月16日

日本の貧困層と生活保護制度の問題点

 かつて日本は、国民の八割が自分の生活は「中の上」だと認識しているという、いわゆる「一億総中流社会」を形成していた。戦後の高度成長期を背景として、誰もが自分の望む仕事に就けて、毎年給料が上がっていって、会社は手厚く社員の面倒を見てくれて、退職する時は子供のマイホーム購入に一役買ってやれるだけの退職金を用意してくれる― そんな夢みたいな時代が確かに存在した。
 けれど、近年では、たび重なる経済危機、グローバリゼーションによる競争の激化、東日本大震災などによって、日本の雇用情勢や家計所得は低迷を続けている。「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」のように格差社会の底辺に位置する低所得層も増加していて、セーフティネットの最後の砦である「生活保護制度」に助けを求める人々が急増している。
 厚生労働省が推計・発表した日本の「相対的貧困率」を年代別に示すと、90年代後半から相対的貧困率が上昇傾向である。「相対的貧困率」とは、全国民における低所得者の割合のことで、全国民の可処分所得の中央値に満たない人の割合を指している。国際比較で考えてみても、日本の「相対的貧困率」は高い水準となっていて、日本はOECD加盟30ヵ国中、4番目に悪い数字となっている。また、18歳未満の子供が低所得家庭で育てられている割合を示す「子供の相対的貧困率」も高い数字を示している。
 では、日本は諸外国と比較して貧困層が多く、さらに人数も増加していると言えるのだろうか。OECD主要国による「相対的貧困率」は、日本の相対的貧困率は14.9%であり、アメリカ(17.1%)に次ぐ高さである。しかし、いくら「失われた20年」を経験し、さらにリーマンショックなどの金融危機による打撃を受けて、中国に抜かれたとはいえ、日本が世界3位の経済大国であることには変わらない。それにしては、これほど高い割合で貧困層が本当に存在しているのだろうか。
 実は、日本の貧困層の割合が高いのは、貧困層を「相対的貧困率」によって捉えているためなのである。ある国における貧困層の割合を把握するには、その尺度として「相対的貧困率」を使用する場合と、「絶対的貧困率」を使用する場合があるのだ。
 「相対的貧困率」は、特定の国の中で他人と比較して、相対的に貧しい人の割合を測る尺度であるから、貧困層といっても、その収入の水準は国よって大きく異なるのだ。一方、「絶対的貧困率」は、収入が極端に少なくて、明日の朝食を口にできるかどうか心配しなければならないほど困っている人たちの割合を指している。世界銀行の定義では、1人あたり年間所得が370ドル(約3万円)以下、または、1日の所得が1ドル以下に満たない国民の全国民に占める割合を指している。
 この「絶対貧困率」の尺度で考えると、日本の貧困層はゼロに近い数字となってしまう。つまり、日本は絶対的な貧困に苦しむ人の数は、ほぼゼロだけれど、所得格差が拡大していて、同じ国で生活している他人と比較した場合に、相対的に低所得な人が増えているということである。
 もともと、90年代後半の「失われた20年」の間に、日本の生活保護受給者は、世帯数・人数ともに増加の一途をたどってきたけれど、リーマン・ショック以降、急激に増加している。だけど受給者が多すぎるかどうかというと、これがなかなか難しい。
 他の先進国との比較で考えた場合、日本の公的扶助支出額のGDPに占める比率は小さいけれど、総人口に占める公的扶助を受けている人の割合は、相対的に大きい。このことから、日本の公的扶助支出額は小さいけれど、公的扶助を受けている人、つまり1人当たりの支出額は、先進国の中では大きいのではないかと考えることができる。
 実際、現在の生活保護費は見方によってはかなり余裕のある水準に設定されている。例えば、東京都区部などの場合、高齢者単身世帯の食事などの生活費にあたる生活保護費は月あたり8万820円と、国民年金の満額支給(6万6000円)を超えている。このほかにも、医療費や介護費の自己負担分や、家賃などを別途受給できることを考えると、わずかな年金で暮らす要保護高齢者から見れば、比較にならないほど好待遇を受けていると言える。
posted by GHQ/HOGO at 07:30| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする