2018年06月13日

強制力があるかないかも参加者自身が選択できる

 国連という「国際町内会」には、条約・規約など数多くのルールがある。それらは、トップダウンで勝手に決められたルールではなく、国際「ご町内」のみんな、各国政府・各国NGOなど多数の参加で、時間をかけて決められている。また、それらのルールを取り入れるかどうかは、各国に任せられている。あるルールを受け入れるにあたって、強制力の内容や程度を選択できる場合もある。
 そもそも、「国際町内会」への参加のあり方が国ごとに異なる。「とりあえず加盟だけ」から「費用をたっぷり拠出し、条約をたくさん締結し、前提となる国内法も整備して」までのバリエーションがある。しかし「とりあえず加盟だけ」でも、1948年に定められた「世界人権宣言」に従う約束はすることになる。
 世界人権宣言には、以下のように書かれている。
「基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認」
「一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意」
「加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約」
「権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要」
 報告者たちは、世界人権宣言、および日本が締結してきた国際人権規約、女性差別撤廃条約、子供の権利条約、障害者権利条約など多数の条約に基づいて、日本政府に対話を求めている。とはいえ日本は、各条約を「一応、守ります。実施状況の定期審査も受けます」という形で締結しているに過ぎない(例外は子供の権利条約の一部)。
「やる気」がもう少しあれば、「ちゃんと守ります、違反したら、国民がそちらに通報してくれます」という形で、具体的には「選択議定書」を含めて締結するはずだが、そこまでの「やる気」は見せていない。だから日本は、無視を決め込むことができる。「内政干渉、激おこぷんぷん」とブチ切れ、対話を拒否することもできる。
 しかし、この対話の機会を逃すのは、日本にとって「損」ではないだろうか。しかも、北朝鮮が対話に応じようとしている歴史的な時期なのだ。北朝鮮と比較して「日本って?」という印象を持たれたら、少なくとも国際社会で「得」はしないだろう。
 日本政府には、申し込まれた対話に応じ、基本的人権についての理解をアピールする自由がある。国際町内会の「日本町」の中での社会的進歩と生活水準の向上を図ってきていることをアピールする自由もある。生活保護に直接関係する国際人権規約の社会権規約について、「日本、ちゃんとわかっているんです」とアピールする自由もある。国益のために、それらの自由は大いに活用すべきではないだろうか。
 もちろん、「わかってます」「やってます」だけであれば、特別報告者たちの鋭いツッコミや調査の前にタジタジするだけだ。しかし、「すみません、わかってませんでした」「申し訳ない、できてませんでした」と認め、どうすれば「わかっている」「できている」に近づけるのか、アドバイスを受けることもできる。
 国家財政の事情を含め、日本の数多くの「わが町の事情」をどのように扱えば、国家の破綻を起こさずに社会保障を充実させられるのか、世界の知恵を集めて解決に向かうこともできるだろう。
 この重要な機会を、ぜひ日本政府に活用してほし


posted by GHQ/HOGO at 07:07| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする