2018年05月14日

国民優先の政治的判断を認めた最高裁判決

 生活保護を含む社会保障において外国人をどのように扱うかについて整理しておこう。最高裁は日本の憲法が保障する基本的人権について「憲法第三章の規定する基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべき」としている(マクリーン事件判決、昭和53年10月4日)。判決文というのは独特の言い回しをするもので、要するに日本国民のみを対象とし外国人には保障されない権利と、外国人にも日本国民と同じように保障される権利との2種類があるということだ(権利性質説)。
 その日本国民にのみ保障され、外国人には保障されない権利の代表として一般に挙げられるのは「入国の自由」「政治活動の自由」「参政権」「社会権」である。外国人に日本への入国の自由を認めてしまえば、日本はもはや主権国家とはいえないし、政治活動の自由も同様である。外国人に公の意思の形成に関わる参政権を認めれば、これまた主権国家たり得ない。社会権は国家に積極的な福祉的給付を求める権利であるから国家の存在を前提としており、国家の構成員である「国民」のみを対象としている。社会権が「後国家的権利」、すなわち国家の存在を前提として成り立つ権利と呼ばれるのはそのためである。
 もちろん外国人にも社会保障を行うこともある。しかし、それはあくまで在留先の国家による恩恵的措置であって、外国人がその権利に基づいて社会保障を求めることはできないと考えられている。
 では、日本では、在留外国人への社会保障はどのような基準に基づいて行われているのだろうか。最高裁には次のような明確な判決がある。
 「国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際関係、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下に福祉的給付を行うに当たり、自国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されると解される」(塩見訴訟判決、平成元年3月2日)
 最高裁は憲法の解釈として自国民と在留外国人は区別されるものであり、社会保障において自国民を優先することも許されるという考えを示しているのである。ついでにいえば、ここには在留外国人の社会保障については本来的にはその国籍を有する本国が行うべきものであり、日本がただちに在留外国人に社会保障をすることを求められるわけではないということも含意されている。
 この最高裁の判断は極めて常識的なものであり、この判決の趣旨を政府は徹底させるべきだ。特に「限られた財源の下」という部分は国や地方自治体の財政が逼迫している今日、判決時よりもいっそう切実味を増している。財政が豊かで余裕のある状況では外国人にも恩恵的な社会保障は可能であったが、今日ではそれも難しくなっている。まして目まぐるしい経済発展によって経済的にも日本を凌駕しようとしている近隣諸国の国民に社会保障上の恩恵を施すというのは本末転倒であり、日本の国民の理解も得にくくなっている。


posted by GHQ/HOGO at 07:06| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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