なぜ、「子供の貧困」だけが例外的に注目を浴びるのか。それは「子供の貧困」問題では、自己責任を問うことができないからである。裏を返せば、いったんは注目を浴びた「大人の貧困」問題に対しては、必ず自己責任を問う声が人々の間から発せられ、それが問題の社会的解決を阻む作用を果たしてきたと言える。
そのため、貧困問題に取り組んでいる人たちの間では、「子どもの貧困」対策を「貧困問題全体の牽引車」にしていこうとする主張も見られる。
「この問題は『貧困問題全体の牽引車』だと思っています。子供の貧困は大人の貧困に比べて、いわゆる自己責任を言われにくい。子供は親を選べない。『それまでにどうにかできただろう』『いやいや、3歳ですけど』という話ですから、どうにかできない。だからこそ、世の中の共感を得やすいので、だとしたら、共感を得られる潜在力を最大限発揮して、いわば貧困問題全体の機関車として、全体の貧困問題を引っ張っていって欲しいという期待が1つあります。そのための役割を果たせるだろうと思います」
「子供の貧困問題は、実際は子育て世代の貧困なので、親の貧困が深く深く関わっていますが、あえてそこは切り離す。そして、まずは子供の問題にフォーカスして考える。『子どもの問題を放置できないよね』という中で、だんだんと親の問題にも達していく。そうしたことを考えています」
この発言をしているのは、かつて「反貧困」というスローガンを掲げて、貧困の社会的解決を訴えてきた社会活動家の湯浅誠である。彼は、「大人の貧困」問題解決を阻む自己責任論の壁を痛感し、迂回戦術を採ることにしたのだろう。せっかく進み出した「子供の貧困」対策を後退させないために、そこにフォーカスしていく取り組みは必要である。