しかし、資本主義の発展の過程で、労働者階級内部に階層分化が進むにつれ、諸階層間の生活水準の格差からくる「相対的貧困」が問題とされるようになった。今日のように資本主義も高度な発展を遂げると、一方では、賃金や社会保障給付の一定の改善の結果、貧困問題は解消しつつあるという見方も生じるが、他方では、一般大衆の所得水準、消費水準の上昇に伴う生活様式の全般にわたる変化により、あらゆる階層にさまざまな形の深刻な生活問題がおこるとともに、都市問題、公害問題などが顕在化するようになると、これらの社会問題との関係で生ずる国民全体の生活のバランスの失調状態を「現代的貧困」あるいは「新しい貧困」と称して問題にする場合もある。
だが、「国民的最低限」としての貧困は現に存在しており、それは紛れもなく被保護層やボーダーライン層(被保護層の境界線にある層)、あるいは不安定・低所得層などの貧困諸階層の生活に典型的にみられる。それらの諸階層の層化と層としての長期的再生産の事実のなかに、また、それぞれの社会階層内部における貧困層への「転落」や社会階層間の移動、とくに、下の階層への「没落」などを通じておこる全般的な貧困化の事実のなかに貧困の実体は存するのである。それは、「経済的不安定」として把握されるものであって、経済構造、社会構造ならびに生活構造を貫く動的なものとして構造的に組み込まれているのである。それゆえ、貧困問題はひとり貧困者あるいは貧困層だけの問題ではなく、労働者階級全体の問題であることを認識する必要がある。
したがって、貧困問題の解決のためには、救貧ならびに防貧の対策としての社会保障制度の整備拡充も重要ではあるが、とりわけ少子化・高齢化社会の進展、科学技術の急速な進歩、コンピュータ化、さらには国際化、グローバル化などの今日的状況の進行のなかにあっては、それらはおのずから限界をもたざるをえない。それゆえ、国内的には、社会の全構造的関連性のなかでの貧困者自身ならびに国民それぞれの主体的な取り組みと相互の連帯による解決こそが志向されなければならないであろう。
国際的にみると、一般的には北の国々の開発という名の収奪による、南の国々の貧困が論じられる。しかし、1990年代以降、一部の投資家やヘッジファンドが引き起こす通貨危機が一国の危機をも招きかねないような国際経済のなかにあって、北の豊かな国々のなかでも、激しい経済競争や民族紛争、あるいは人種差別による貧富の差の拡大などを原因とする重大な貧困問題が存在し、逆に、経済的には極貧とされる地域で、精神的、文化的には豊かな生活が営まれている所も存在することが明らかにされている。
他方、現代社会の経済的、政治的、社会的な危機的状況を招いた近代化の過程を根本的に見直し、現代社会の複雑かつ急速で、しばしば予期せざる結果を生む変化の過程を「再帰的近代化」としてとらえ、希少性をめぐる激しい競争を不可避としている資本主義経済と市場社会の矛盾を超えた新しいシステムを「ポスト希少性システム」ととらえて、その構築によって危機を乗り越えようとする理論がある。
したがって、世界的な貧困問題の解決の方途は、そのようなシステムの実現を通してみいだしていくのがもっとも有効な方法かもしれない。