2018年04月30日

最低賃金と貧困対策

 2009年に厚生労働省が日本の相対的貧困率が15.7%という高い水準にあることを発表した。実は、日本の相対的貧困率が先進国の中では高い方であることは、OECDの研究でも明らかにされている。貧困解消手段には、景気回復による所得上昇、所得再分配政策による低所得者の所得上昇、低所得者に対する職業訓練による生産性上昇と並んで、最低賃金の引き上げ政策がしばしば挙げられる。2009年の衆議院選挙では民主党が最低賃金を1000円に引き上げていくことを公約に戦って、政権を取ったのはその典型である。最低賃金の引き上げは、少なくとも短期的には財政支出を増やさない政策であり、財源を確保する必要がないので、政治的にも好まれる政策である。
 最低賃金引上は、本当に貧困解消策として有効なのだろうか。結論から述べると、最低賃金引き上げは貧困対策としてあまり有効な手段ではない。有効かどうかの実証分析によれば、日本において最低賃金引上で雇用が失われるという意味で被害を受けてきたのは、新規学卒者、子育てを終えて労働市場に再参入しようとしている既婚女性、低学歴層といった現時点で生産性が低い人たちだ。貧困対策として最低賃金を引き上げても、運良く職を維持できた人たちは所得があがるかもしれないが、仕事を失ってしまう人たちは、貧困になってしまう。こうした人たちの就業機会が失われると、仕事をしながら技術や勤労習慣を身に着けることもできなくなる。最低賃金引き上げで雇用が失われるという実証的な結果は、労働市場が競争的な状況における最低賃金引上に関する理論的な予測と対応している。ただし、最低賃金引上によって仕事を失うのが、留保賃金が高い労働者から低い労働者という順番であったとすれば、雇用が失われることによる社会的余剰の減少よりも、雇用を維持できた人たちの賃金が上昇する効果による余剰の増加の方が大きくなる可能性がある 。
 最低賃金の引き上げよりも貧困対策として、経済学者の多くが有効だと考えている政策は、給付付き税額控除や勤労所得税額控除である。給付付き税額控除は、低所得層に対する定額の給付が、勤労所得の上昇とともに勤労所得の増加額の一部が減額されていくというものである。現行の日本の生活保護制度は、勤労所得が増えるとほぼその額が給付額から減額される。その場合には、勤労意欲を保つことが難しいとされている。給付付き税額控除制度は、カナダで消費税逆進性対策として導入されたほか、米国、英国、カナダ、オランダで児童税額控除として導入されている。一方、勤労所得税額控除は、勤労所得が低い場合には、勤労所得に比例して給付額が得られ、勤労所得額が一定額以上になれば、その額が一定になり、さらに勤労所得額が増えれば、給付が徐々に減額されて消失していくという制度である。この制度は、給付付き税額控除よりも、労働意欲の刺激効果が強いとされている。勤労所得税学控除制度は、米国と英国で導入されている。また、勤労所得税額控除と低めの最低賃金の組み合わせが望ましいことを最適所得税の枠組みで示している。
 日本において貧困対策は高齢者層に集中してきた。高齢層の貧困率の水準は高いものの、貧困率は公的年金の充実により低下してきている。一方で、かつて貧困率が低かった20歳代、30歳代の年齢層における貧困率が高まってきている。その結果、その子供の年齢層である10歳未満層の貧困率が上昇しており、中でも5歳未満の年齢層の貧困率が高まっている。このような子供の貧困率の高まりは、20歳代、30歳代の雇用状況の悪化や離婚率の高まりが影響している。保育や教育といった現物サービスを通じて、子供に対する貧困対策をすると同時に、若年層の雇用を促進する政策が必要とされている。その際に、勤労所得税額控除や給付付き税額控除をとりいれていくことが効果的だと考えられる。
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2018年04月29日

「大人の貧困」を正面から語っていく言説や社会運動が必要だ!

 強調したいのは、当たり前のことだが、「子供の貧困」によって牽引されるのは「大人の貧困」のすべてではない、ということだ。
 「子供の貧困」対策が進み、親に達したとしても、それは子育て世代への支援にしかつながらない。高齢者や単身者など、子育てに直接関わらない「大人の貧困」を牽引することにはつながらないだろう。
 最悪の場合、つながらないどころか、高齢者VS子育て世代という偽の世代間対立の構図が作られてしまう危険性もある。だから、「子供の貧困」から迂回していくのと同時に、「大人の貧困」を正面から語っていく言説や社会運動が必要だと思う。自己責任論の厚い壁にぶち当たろうとも、その壁に「蟻の一穴」を開けていくような言葉と行動を積み重ねていく。
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2018年04月28日

政治の責任が捨象された首相の言葉

 「子供の貧困」から「だんだんと親の問題にも達していく」のは至難の業だろう。そうはさせまい、という政治の側からの動きがあるからだ。
 「親の問題」に到達しないようにする力は、例えば以下のようなメッセージに象徴されるものだ。

日本の未来を担うみなさんへ

あなたは決してひとりではありません。
こども食堂でともにテーブルを囲んでくれる
おじさん、おばさん。
学校で分からなかった勉強を助けてくれる
お兄さん、お姉さん。
あなたが助けを求めて一歩ふみだせば、
そばで支え、その手を導いてくれる人が
必ずいます。
あなたの未来を決めるのはあなた自身です。
あなたが興味をもったこと、好きなことに
思い切りチャレンジしてください。
あなたが夢をかなえ、活躍することを、
応援しています。
平成28年11月8日
内閣総理大臣 安倍晋三

 これは、「子供の貧困」対策に寄付を募る政府の「子供の未来応援基金」の1周年の集いで発表された安倍首相のメッセージである。
 SNS上で「ポエムだ」と酷評する人も多かった安倍首相のこの言葉には、「子供の貧困」対策における政治の責任が完全に捨象されている。政治家は高みに立って、貧困家庭の子供を応援するだけの存在なのだ。
 「子供の貧困」対策を親への支援にもつなげていくためには、社会の共感や理解を広げていくと同時に、こうした政治のあり方を変えていく必要があるだろう。
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2018年04月27日

高まる「子供の貧困」問題に対する関心

 昨年来、子供食堂の取り組みは全国で急速に拡大し、首都圏だけでも百数十カ所、全国では数百の子供食堂が開設されている。マスメディアでも「子供の貧困」に関する報道を目にしない日はないくらいだ。
 なぜ、「子供の貧困」だけが例外的に注目を浴びるのか。それは「子供の貧困」問題では、自己責任を問うことができないからである。裏を返せば、いったんは注目を浴びた「大人の貧困」問題に対しては、必ず自己責任を問う声が人々の間から発せられ、それが問題の社会的解決を阻む作用を果たしてきたと言える。
 そのため、貧困問題に取り組んでいる人たちの間では、「子どもの貧困」対策を「貧困問題全体の牽引車」にしていこうとする主張も見られる。
 「この問題は『貧困問題全体の牽引車』だと思っています。子供の貧困は大人の貧困に比べて、いわゆる自己責任を言われにくい。子供は親を選べない。『それまでにどうにかできただろう』『いやいや、3歳ですけど』という話ですから、どうにかできない。だからこそ、世の中の共感を得やすいので、だとしたら、共感を得られる潜在力を最大限発揮して、いわば貧困問題全体の機関車として、全体の貧困問題を引っ張っていって欲しいという期待が1つあります。そのための役割を果たせるだろうと思います」
 「子供の貧困問題は、実際は子育て世代の貧困なので、親の貧困が深く深く関わっていますが、あえてそこは切り離す。そして、まずは子供の問題にフォーカスして考える。『子どもの問題を放置できないよね』という中で、だんだんと親の問題にも達していく。そうしたことを考えています」
 この発言をしているのは、かつて「反貧困」というスローガンを掲げて、貧困の社会的解決を訴えてきた社会活動家の湯浅誠である。彼は、「大人の貧困」問題解決を阻む自己責任論の壁を痛感し、迂回戦術を採ることにしたのだろう。せっかく進み出した「子供の貧困」対策を後退させないために、そこにフォーカスしていく取り組みは必要である。
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2018年04月26日

非正規労働者の増加で相対的貧困率は上昇!

 1985年に10.9%(子供は12.0%)しかなかった相対的貧困率は、若干の変動はありながらも、右肩上がりの上昇曲線を描いてきた。その要因として最も大きいのは、非正規労働者の増加である。派遣、パート、アルバイトなどの非正規労働者が全労働者に占める割合は、1985年の16.4%から2015年には37.5%にまで上昇した。
 「最後のセーフティーネット」と呼ばれる生活保護を利用する世帯数も増え続けている。2016年10月時点の生活保護世帯数は163万7866世帯で、3カ月連続で過去最多を更新した。厚生労働省は、現役世代は減少傾向にあるものの、一人暮らしの高齢者世帯が貧困に陥るケースが増加していると分析している。
 こうした客観データだけでなく、近年、主観的にも生活苦を感じている国民が増えている。国民生活基礎調査によると、生活が「大変苦しい」と感じている世帯の割合は20.2%(2000年)から27.4%(2015年)にまで増加。「やや苦しい」と合わせると、国民の約6割が生活苦を感じているのだ。
 だが、こうした社会状況にもかかわらず、政治の場で民主党政権時代のように貧困対策の必要性が熱く語られる機会は減ってきている。市民レベルでも政府に対して貧困対策の強化を求める世論が高まっている、とは言いがたい状況だ。
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2018年04月25日

所得格差の現状は、体感としても拡大している

 所得格差は体感としては強く感じる。1つひとつの指標である貧困率や裕福層のランキング、非正規雇用の数などを見ると、より格差が広がっている。しかし実際は所得の再分配により所得格差は縮まっていると御用学者は言っている。まさしく統計のマジックかもしれない。
 今景気は少しずつ好転しているが、逆に格差は広がっていないか。所得格差が本当に縮まっていると体感するにはまだまだ時間がかかりそうだと言うが、いつまでたっても格差はう縮まることはないのではないか。貧乏人はさらに貧乏に…。
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2018年04月24日

所得格差に対して日本の対策は?

 今の日本の社会ではいったん非正規雇用となると正規雇用になるのが非常に難しい、再チャレンジが難しいのである。実際に非正規になった理由を尋ねると「正社員の職がないから」と回答している。そのため安倍政権下では働き方改革を推進し、雇用の拡大をすることとされたが、現状では無理かもしれない。
 2013年は正社員の雇用は減少傾向だったが、2015年からは正規雇用の数がわずかだが増え始めている。それに連れて賃金も増加し始めた。正社員の給与水準は高いため、所得の底上げが期待できない状況にある。長期的にみても格差が是正される可能性は少ない。
 また教育費無償化ということも議論されているが、経済学的に言えば金のある高齢者に年金や医療費を出すよりも貧困層の子供のためにお金を使ったほうが投資効果は大きいのだ。家庭での教育費の負担が減れば子供を育てやすくなるだろうし、将来の労働者人口ももしかすると増えるかもしれない。もっとも教育費無償化は大きな財源を伴うため、財務省は税率の増加は免れないと言っているが、増税は経済の足を引っ張ることは、失なわれた20年で分かっているはずではないか。間違いなく経済の破綻が迫っているようだ。
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2018年04月23日

所得格差と少子高齢化との関わり

 日本のジニ係数の再分配前の値は0.57と非常に高い値を示していた。その原因は所得が低い層が増えたことが原因なのだ。つまり、少子高齢化の影響を強く受けているのである。
 高齢化による影響は何年も前から分かっていたこと。そのため本来ならば生産性を上げて所得を増やすように工夫していかねばならなかったのである。
 しかし現状、社会保障費は多数の高齢者に再分配されることになり、若者の雇用を促進するほうには向かっていない。若い人には耳の痛い話なのだが、投票するのは高齢者が多いため、高齢者に有利なように政治家は政策を考えることになる。そのほうが選挙で勝つことができるからなのだ。
 今、非正規雇用の増加、再チャレンジの難しさが足かせとなり、低所得者の所得がますます低くなるという悪循環に陥っている。
 また非正規雇用は結婚・子育てに対する意識が消極的だというアンケート結果もある。そのため少子化に歯止めはかからず、今後長く人口増加は見込めないのである。
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2018年04月22日

所得格差で富裕層と貧困層に二極化?

 2017年1月に国際NGOのオックスファムが、「世界で最も裕福な8人が、最も貧困な36億人分と同じ資産を保有している」という推計を発表した。世界人口のおよそ半分の資産を8人が独占している、とも取れるニュースに驚いた人もいるはずだ。
 このように資本主義社会ではいく度となく「格差」について議論されてきた。日本でも規制緩和によって自由競争が加速し、「勝ち組・負け組」現象が現れるなど問題意識が表面化し始めている。貧困の世代継承問題や、少子高齢化の広がり、ワーキングプアなどである。
 所得層の固定化がより強固になると、富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなるといった二極化が進むことになる。親の貧困がそのまま子供に引き継がれ、貧困から抜け出せない状況になるのだ。
 格差社会の問題点は、努力した人が必ずしも報われることがない、という点なのだ。教育の平等化が叫ばれていても、所得格差によって大学の進学が困難だとすれば、どれほど不幸なことか。それによって優秀な人材を失うことは社会にとっても損失となる。
 また極端な所得格差は階層間の利害によるトラブルを生み出す。たとえばアメリカでは高級住宅街に住む子供と貧困区域に住む子供との教育格差が広がっている。
 州政府が一括して税を分配すれば格差は縮まるかもしれない。しかし高所得者がそれを受け入れるだろうか。高所得者の子供が通う学校の教育レベルが低下する=住宅価格が下落すると考え、頑なに拒否するはずだ。
 日本ではまだ、極端な格差による問題は大きくない。しかし格差を放っておけば、アメリカの例のような所得で選別される社会になる可能性も十分にある。
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2018年04月21日

日本で所得格差が進む原因とは?

 所得格差が進む原因には少子高齢化がまず挙げられる。日本の基本的な働き方は「年功序列型」で、会社に長く勤めれば勤めるほど収入がアップする。そのため世代間の所得格差は大きいのは普通で、実際に40歳代前後で昇進による格差が大きくなっている。そのため日本の格差の拡大は、所得が増えたことよりも所得の低い層がますます所得が低下したと言われている。たとえば派遣社員、フリーターなどの非正規労働者の増加や母子世帯の増加による世帯収入の格差だ。実際に子供の給食費を支払うことすらできない家庭も増えている。
 最も警戒すべきは所得層の固定化だ。現在の日本の就業状況は、一度非正規になると正規社員になるのが難しいとされている。そのためフリーターや派遣社員を長く続けている人ほど正社員になる道が遠ざかってしまう。また低所得の子供は満足な教育を受けられず、所得が上がらないという問題もある。「親が医者やっているから、私も医者になった」というように、所得が高いと医者になるだけの教育を十分に受けさせることができる。
 しかし所得が低いと、家庭を助けるために働く人もいるものだ。満足な教育が受けられず、高い所得を得られる職に就くのが難しく、貧困スパイラルに陥るケースもある。
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2018年04月20日

日本のジニ係数の推移は?所得格差は世界と比べてどうか?

 貧富の格差を測る指標にジニ係数がある。これは社会における所得や資産の不平等さを表しており、1936年にイタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案されたものだ。ジニ係数はローレンツ曲線を元にしてつくられている。ローレンツ曲線は、所得の低いものから高所得者へ対象者を順に並べる。もし社会に所得格差というものが全く存在しなければ、ローレンツ曲線は45度線と完全に一致するのである。逆にたった1人が所得を独占し、残りの人々の所得がゼロになったとしたら、曲線は反L字型となる。
 ジニ係数はローレンツ曲線で囲まれた面積を2倍にしたもので、値は0から1の範囲をとる。0に近いほど社会の不平等さは小さく、1に近いほど格差は大きいとみなされる。よく言われているのがジニ係数0.4で社会騒乱の警戒ライン、0.6は危険とされている。
 ジニ係数は客観的に貧富の差を数値化したものだが、実感として感じる不平等さは異なる。また公表されているジニ係数が階層ごとの平均値であることもあるので、取り扱いには十分な留意が必要なのだ。
 日本のジニ係数に当たるのが厚生労働省が発表している「所得再分配調査」だ。調査は3年ごとに行われている。調査方法はあらかじめ調査員が配布した調査票に、世帯員が記入し後日回収するという方法。この報告書を参考にすると、ジニ係数は過去5回と比較して最も高い数値だった。
・平成14年…0.4983
 ・平成17年…0.5263
 ・平成20年…0.5318
 ・平成23年…0.5536
 ・平成26年…0.5704
 これに所得の再分配といって、社会保険給付金や税金による改善を加えたら、平成26年度の所得再分配結果は0.3759となる。
 日本は累進課税制。実はこの所得分配結果は1000万以上の収入がある人の税金によって均等化されているという側面がある。彼らは日本でたった4%しかいないが、収入の35%は税金として納めなければならない。つまり、お金持ちからたくさんの税金を徴収することによって日本の格差は縮小されているとされる。この所得再分配の結果、日本のジニ係数は世界平均の0.395よりもやや低い水準で、平均よりやや格差は少ない、と言えそうだ。
 しかし実感では格差が拡大していると感じる。若年層の非正規雇用は拡大し、正規雇用と非正規雇用の賃金の差は315万円とも言われる。
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2018年04月19日

日本で所得格差が拡大している?

 たとえば「地方は物価が安く、東京は物価が高い」、「女性のほうが所得が低い」という話や議論を聞いたことがあるのではないか。このように所得格差とは地域間、産業間、世代間、男女間などで生じている所得の格差をいうす。
 グローバルウェルスレポート2016によると、日本の約1億以上の資産を持つ層の数は2016年には282万6000人と言われている。この結果から日本は世界で2番目に裕福層が多い国にランキングされているす。
 一方でOECD(経済協力開発機構)では、所得が世間並水準の半分以下の人たちを相対的貧困と名付けてる。世間並みは年間250万円だから、相対的貧困ラインは125万円、1日当たりの生活費は約3000円である。
 実は日本では6人に1人がこの相対貧困ライン以下なのだ。昭和時代は8人に1人だったので貧困は確実に増え、一部では世界第4位の貧困率と言われている。世界ランキングからみると、日本は確実に格差が広がっているといえる。
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2018年04月18日

格差の固定は日本経済全体の問題

年間所得700万円以上の世帯数は減っている。つまり、豊かな人が減ったことは事実である。具体的には、所得1000万円以上では、各階層の世帯数が2割程度減っている。1つ下の階層にシフトしたのだ。しかし、この階層では、所得が100万円減ったところで、10%未満の低下でしかなく、生活に大きな変化が生じたわけではあるまい。贅沢を減らすという程度で対応できるだろう。
 その半面で、貧困階層に落ち込むと、子どもの教育が十分できなくなるので、階級の固定化が起こる危険がある。そして、格差が拡大する。だから、300万円未満の世帯が1000万円以上になるチャンスは、ほとんど失われてしまっているのではないだろうか。
 高度成長期には、社会全体が豊かになるだけでなく、貧困層が富裕層になる可能性も開けていた。夢のある社会とは、そうしたものだ。閉塞的な社会とは、社会全体が成長しないだけでなく、貧困と富裕の間の壁が越えられなくなった社会である。
 問題は、日本社会の構造変化に経済政策が対応しているとは、とても考えられないことだ。高校無償化や子ども手当に所得制限がないのは、驚くべきことだ。民主党のマニフェストでは、「貧困社会への対処」という問題意識は欠落していると考えざるをえない。
 また、消費税は貧困階層にも等しくかかる税である。他方で、資産所得は他の所得とは分離して課税されており、法人税も減税しようとしている。だから、税制改革は、むしろ格差を拡大する方向に進もうとしている。マクロ経済政策も同じである。金融緩和や為替介入を行ったところで、企業は助かるだろうが、低賃金労働者に福音が及ぶとは、とても考えられない。
 民主党が雇用確保の観点から非正規労働者に否定的な態度をとっているのは、大きな見当違いと言わざるをえない。資本家対労働者という図式から、「派遣をなくせばよい」という認識で派遣労働の規制が強化された。しかし、この規制は、労働者にとってはかえって酷だ。深刻な問題に直面しているのは、組合の力によって雇用が守られている正規の労働者ではない。組合の保護が及ばない非正規の労働者は、派遣が禁止されれば雇用そのものが消滅する。製造業の生産拠点の海外移転が進めば、雇用の総量はますます縮小するだろう。
 最近の雇用調整では、正規雇用者の減少率も、非正規労働者の減少率に近い水準となっている。このことから、非正規労働者は、一般に考えられているように「雇用調整をしやすいから」増えたということではないと考えられる。より大きな要因は、社会保険料の雇用主負担だ。特に厚生年金保険料の雇用主負担は、賃金コストを引き上げる大きな要因になっている。新興国の工業化によって、低賃金労働による安価な製造業製品が増えた。これに対抗するために賃金コストの引き下げが必要とされ、その手段として社会保険料の雇用主負担が低い非正規労働者に頼ったというのが、実態だろう。
 以上から明らかなように、現在の日本が抱える貧困問題、格差問題は、救貧対策で対応できるものではないし、対症療法で改善できるものでもない。90年代後半以降の貧困の増加の問題は、日本経済全体の構造問題として捉えるべきものである。日本の経済構造を、基本から見直すべきときなのである。
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2018年04月14日

生活保護バッシングが生み出した相次ぐ生活保護削減

生活保護バッシングが冷めやらぬ2012年8月、あまり知られていないが、消費増税法と一緒に社会保障制度改革推進法という法律が成立した。
 この法律は、「自立を家族相互、国民相互の助け合いの仕組みを通じて支援していく」として自己責任を強調し、「社会保障給付の重点化・制度運営の効率化を通じて負担の増大を抑制」するとして、社会保障給付全体の抑制を志向している。
 この法律の附則2条に、生活保護基準の引き下げ等の生活保護改革が明記され、生活保護費の削減は社会保障費全体の削減の突破口として位置づけられた。
 そして、2012年12月の総選挙で「生活保護基準1割カット」を選挙公約に掲げた自民党が政権を奪取するや、2013年8月から3回に分けて最大10%、平均6.5%の史上最大の生活扶助(生活保護の生活費部分)基準の引き下げが実施された。例えば、都市部の夫婦と子2人の世帯では月2万円もの引き下げなのだ(期末一時扶助の削減も合わせると総削減額は740億円)。また、2013年12月には、不正受給の厳罰化、扶養義務者に対する調査権限の強化等を内容とする史上最大の生活保護「改正」法も成立した(2014年7月から本格施行)。
 さらに、2015年度には、住宅扶助基準と冬季加算が引き下げられた。住宅扶助(生活保護で支給される家賃)の上限は、例えば大阪府・都市部の2人世帯で5万5000円から4万7000円に月8000円も減額された(単年度の総削減額は190億円)。冬季加算(暖房費等の加算)は、寒冷地であるT区(2級地の1)の3人世帯で3万4110円から2万8320円に月5790円も減らされた(単年度の総削減額は30億円)。
 「これでもか…」とばかりに次から次へと続く削減策に、生活保護利用者の生活は、真綿で首を締められるように絞り上げられている。
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2018年04月13日

なぜ生活保護のイメージは悪いのか?

 「生活保護」と聞くと、どんな印象を持もつだろうか。「明るい」「役に立つ」「ぜひ利用したい」というプラスイメージだろうか。「暗い」「お荷物」「関わりたくない」というマイナスイメージだろうか。おそらく一般には後者のイメージを持つ方のほうが多いと思うが、なぜだろうか。
 2011年7月、生活保護利用者が現行制度史上最多の205万人を突破してから、「保護費が財政を圧迫している」「不正受給が横行している」というメディアを通じたキャンペーンが強まった。特に、2012年4月に人気お笑いタレントの母親が生活保護を利用していること(これは不正受給でも何でもない)についての週刊誌報道を契機に、片山さつき氏ら現職国会議員が主導して巻き起こした「生活保護バッシング」には凄まじいものがあった。
 しかし、総人口の中の日本の生活保護利用率は2%弱で、先進諸外国(ドイツ9.7%、イギリス9.3%、フランス5.7%等)に比べると大変低くなっている。日本の生活保護費の対GDP比は0.6%で、OECD平均(2%)のわずか4分の1だ。日本は先進国の中では異常に生活保護が活用されていない国であって、「保護費が特に財政を圧迫している」事実はない。また、不正受給も、金額ベースでは全体の0.5%程度であり、件数ベースでは2%弱なのだ。しかも、その中には生活保護世帯の高校生のアルバイト料の未申告など、不正受給として扱うことに疑問のあるものも相当数含まれている。
 「生活保護バッシング」は、ごくごく一部の病理現象をあたかも制度全体の問題であるかのように取り上げ、世間に「生活保護制度やその利用者はどのように扱っても構わない」という空気を醸成した。
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2018年04月12日

米国において1%の1%による1%のための経済政策が必要

 現代の米国では富が上位1%に集中して下位99%は貧困に喘いでいるという。
 格差がこれほどに広がった理由は米国政府の政策によるという。しかし富裕層の富がトリクルダウン(おこぼれ)効果によって社会に還元するため全員に利益が行き渡るとされてきた。
 しかし、富裕層は下位の99%の犠牲に基づき、米国の富裕層の所得税や相続税の減税が下位層に比べて大きかったのだ。この格差の解消のためには確実な経済改革が必要となる。特に金融部門は銀行を破綻に追い込んでも経営者は国家の財政支援で救済され、多額のボーナスまでもらうという悪弊を改善すべきとすなのだ。学資ローンは自己破産しても免責されないとする法律を撤廃すべきなのだ。CDSで個人は家を失うが逆に銀行は天文学的な利益を生み出した。
 国民の最大の不幸は失業と病気である。雇用を創出して医療保険制度の改善が急務である。特に2008年のリーマンショック以後の米国経済は壊滅的な状態である。そのためにはグローバリズムを制限して短期資金の急激な国境移動を取り締まり経済危機と金融危機を防御しなければならない。さらに政治改革を行い真の民主主義が根づいた社会に変えなければならないのだ。米国において強欲資本主義との決別が何よりも大切になってくる。
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2018年04月11日

貧困問題にどう対処するか?

 貧困povertyとは、一般に低所得・低消費の生活状態であって、低所得のために生活必需品の欠乏をきたし、物質的ならびに社会・文化的な一定の生活水準以下に陥っている状態を指す。資本主義社会においては、資本主義的蓄積の結果、必然的に階級対立が呼び起こされ、一方で富が蓄積される反面、他方では相対的過剰人口や被救恤的窮民が生み出されていく。とくに資本主義の初期においては、窮乏化法則(資本主義生産とその発展のもとでの労働者階級は窮乏化せざるをえないという法則)により労働者階級の悲惨なまでの貧困な生活状態が現出され、労働者の肉体的能率を維持するための最低限以下の「絶対的貧困」が焦点の問題であった。
しかし、資本主義の発展の過程で、労働者階級内部に階層分化が進むにつれ、諸階層間の生活水準の格差からくる「相対的貧困」が問題とされるようになった。今日のように資本主義も高度な発展を遂げると、一方では、賃金や社会保障給付の一定の改善の結果、貧困問題は解消しつつあるという見方も生じるが、他方では、一般大衆の所得水準、消費水準の上昇に伴う生活様式の全般にわたる変化により、あらゆる階層にさまざまな形の深刻な生活問題がおこるとともに、都市問題、公害問題などが顕在化するようになると、これらの社会問題との関係で生ずる国民全体の生活のバランスの失調状態を「現代的貧困」あるいは「新しい貧困」と称して問題にする場合もある。
 だが、「国民的最低限」としての貧困は現に存在しており、それは紛れもなく被保護層やボーダーライン層(被保護層の境界線にある層)、あるいは不安定・低所得層などの貧困諸階層の生活に典型的にみられる。それらの諸階層の層化と層としての長期的再生産の事実のなかに、また、それぞれの社会階層内部における貧困層への「転落」や社会階層間の移動、とくに、下の階層への「没落」などを通じておこる全般的な貧困化の事実のなかに貧困の実体は存するのである。それは、「経済的不安定」として把握されるものであって、経済構造、社会構造ならびに生活構造を貫く動的なものとして構造的に組み込まれているのである。それゆえ、貧困問題はひとり貧困者あるいは貧困層だけの問題ではなく、労働者階級全体の問題であることを認識する必要がある。
 したがって、貧困問題の解決のためには、救貧ならびに防貧の対策としての社会保障制度の整備拡充も重要ではあるが、とりわけ少子化・高齢化社会の進展、科学技術の急速な進歩、コンピュータ化、さらには国際化、グローバル化などの今日的状況の進行のなかにあっては、それらはおのずから限界をもたざるをえない。それゆえ、国内的には、社会の全構造的関連性のなかでの貧困者自身ならびに国民それぞれの主体的な取り組みと相互の連帯による解決こそが志向されなければならないであろう。
 国際的にみると、一般的には北の国々の開発という名の収奪による、南の国々の貧困が論じられる。しかし、1990年代以降、一部の投資家やヘッジファンドが引き起こす通貨危機が一国の危機をも招きかねないような国際経済のなかにあって、北の豊かな国々のなかでも、激しい経済競争や民族紛争、あるいは人種差別による貧富の差の拡大などを原因とする重大な貧困問題が存在し、逆に、経済的には極貧とされる地域で、精神的、文化的には豊かな生活が営まれている所も存在することが明らかにされている。
他方、現代社会の経済的、政治的、社会的な危機的状況を招いた近代化の過程を根本的に見直し、現代社会の複雑かつ急速で、しばしば予期せざる結果を生む変化の過程を「再帰的近代化」としてとらえ、希少性をめぐる激しい競争を不可避としている資本主義経済と市場社会の矛盾を超えた新しいシステムを「ポスト希少性システム」ととらえて、その構築によって危機を乗り越えようとする理論がある。
したがって、世界的な貧困問題の解決の方途は、そのようなシステムの実現を通してみいだしていくのがもっとも有効な方法かもしれない。 
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2018年04月10日

生活保護を受けよう!

 働けなかったり、働いていても収入が低かったりして生活が厳しい場合、一体これからどうやって生きて行けばいいのか悩むはずだ。家族がいる場合には、ご家族を養っていかなければならないので、より一層その悩みは深刻となる。しかし、安心してください。どうしても生活していくことが難しくなった場合には、生活保護制度という制度がある。
 あなたが持っている資産をかき集め、あなたの能力を発揮して頑張ったとしても、運悪く生活に困ることがあるかも知れない。生活保護制度はそんなあなたを自立できるように支援してくれる制度なのだ。そうあらねばならないはずだ。受給資格をクリアしていれば受給することができるし、生活保護を受けることができれば、最低限の生活を送ることは可能になる。地域によって支給される最大金額は変わってくるし、収入などの状況によっても受給される割合は変わってくる。地域の区分は全部で6つで、「1級地-1」「1級地-2」「2級地-1」「2級地-2」「3級地-1」「3級地-2」となっているので、あなたのお住まいの地域がこの6つのうちのどこに区分するのかを知ることだ。
 生活保護は具体的にいくらくらい貰えるのか―6つの地域の区分によって異なるが、実はこの区分は最低生活費の区分のことなのである。たとえば東京のような大都会で生活する場合と、地方にあるのんびりとした田舎で生活する場合とでは、生活に必要な費用はおのずと変わってくる。生活保護は、それぞれの地域で定められている最低生活費を受給できる制度なので、6つの区分ごとに受給できる費用も決まっているのだ。また、障害があるかないか、母子家庭かどうかなど、他のさまざまな条件によっても受給できる費用は変わってくるので、正確な費用を知りたい人は、住んでいる地域の福祉事務所に問い合わせてみることだ。
 それにしても、一体どうして生活を保護してもらえるのか疑問に思わないか。通常生活しようと思ったら、仕事をして収入を得て、その範囲で生活するものなのに、どういう根拠をもとにして生活保障をしてもらえるのだろうか。それは憲法25条にもとづいているす。憲法25条ではすべての国民に対して、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障している。最低限度の生活を営む権利を保障しているので、もしも生活困難になってしまったとしても、生活保護によってその権利を守るということなのだ。
 生活保護を受けたいけれど、対面を気にして相談できないとか、ひょっとしたら周りで自分だけが生活保護を受けるのではないかなど、人によっては生活保護に対してマイナスイメージがあって、一歩踏み出せない場合があるかも知れない。それでは、一体どれくらいの人が生活保護を受給しているのだろうか。厚生労働省の2017年のデータによると、生活保護の受給者は220万人ほどである。高齢者世帯が全体の51パーセントを占めていて、そのうち単身世帯が46パーセントを超えているので、1人暮らしの高齢者の受給が目立っている。また、障害者や傷病者が26パーセントで、母子家庭は6パーセント強と続いている。けっしてあなただけということではなく、これだけ多くの人が受給しているので、必要だと思う人は悩まずに相談されることをおすすめする。
 では、生活保護を受けるためにはどういう条件があるのだろうか。 生活保護は資産や能力をすべて活用しても生活困難に陥っている人に対して行うものだから、生活保護を受けなくても十分やっていける人は受給することはできない。生活保護を受給するためには4つの条件がある。
 1.資産がない
 まずは資産を持っていないということが条件となる。資産がないというのは現金がないという意味ではない。たとえば土地などの資産がある場合は売却しないと生活保護を受けることはできない。車なども資産になるので、車を保有している場合は売却しないと受給資格を満たすことはできない。ただ、場合によっては車は持っていてもいいことがある。たとえば仕事を探すためには車が必要である場合や、病院などの医療施設に通うためには車がなくては通えないという場合は例外。パソコンも資産と見なされる場合もあるが、これも必要な場合には持っていても構わないことがある。こういう判断は担当のケースワーカーによって判断が異なるので、しっかりと相談されることをおすすめする。また、自分の思い込みだけで資産じゃないと考えていたものが資産だった場合、そのまま生活保護を受給していると不正受給となってしまう可能性もある。少しでも分からないことがあれば勝手に判断せず、担当ケースワーカーに確認しよう。
 2.働けない
 働くことができないというのも生活保護を受給する上での条件となる。働けるにもかかわらず働いていない人は、まずは働こう。例えば病気やケガで、働きたくても働けない場合には生活保護の条件の範囲として受給することができるし、その他、何らかの事情で働きたくても働けない場合にも受給できる可能性はある。もちろん、この場合も資産は総て売っているということが前提となる。
 3.働いているけど最低生活費より下回る収入
 しかし、例外として働いていても生活保護を受給することができる場合もある。それは、収入が最低生活費以下になっている場合だ。収入が最低生活費を下回っている場合は、下回った分だけ生活保護を受けることができる。例えば最低生活費が17万円で、あなたの収入は7万円の場合、残りの10万円を生活保護として受給することが可能。
 4.援助してくれる人がいない
 これらの条件に加えて、援助してくれる人がいないというのも条件となっている。その基準は3親等以内の身内に援助してくれる人がいないこととなっており、生活保護を申請したときに、3親等以内の親類に扶養照会という援助できる人の有無を確認する書類が届く。他の条件とともに確認が必要。
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2018年04月09日

日本は全体が貧しくなっている!

 NHKの報道をきっかけに、貧困問題に関する議論が紛糾している。ネットでの議論を見ていると、相対的貧困の考え方があまり理解されておらず、これが問題をややこしている印象を受ける。
 貧困問題を指摘する人のほとんどは、日本の相対的貧困率が先進国の中で突出して高いことをその根拠にしている。一方、貧困問題はそれほど深刻ではないと主張する人の多くは、貧困だとされる人の生活水準やライフスタイルを問題視している。両者はそもそも論点が異なっており、議論が平行線になるのは当たり前なのである。
 国際的に貧困問題を議論する場合には、統一基準を用いて計算された相対的貧困率を用いるのが慣習になっている。
 相対的貧困というのは、可処分所得の中央値の半分に満たない人が何%いるのかを示したものである。たとえば等可処分所得が250万円であれば、その半分は125万円ということになり、これを下回る世帯は貧困と定義される。日本では約20%の人がこれに該当する。
 等可処分所得は世帯の人数を考慮した数字なので、例えば世帯の可処分所得が240万円で4人家族の人は、等可処分所得は120万円と計算され、貧困層に分類される。可処分所得が240万円ということは、額面の年収では約300万円である。
 年収300万円で4人家族の人が貧困なのかということになると、これに対しては一部の人から異論が出てくることになる。「もっと苦しいのに、頑張っている人もいる」といった話になってくるかもしれない。NHKの番組に登場した女子高生が果たしてどの程度の生活水準なのかは分からないが、基本的には同じ図式とみてよいだろう。
 ここで重要なのは、相対的貧困率は各国とも同じルールで計算されているという事実である。要するに先進国の基準では、可処分所得の中央値の半分を下回る人が1割以上を超えているということは、貧困が多いという判断になる(この基準では貧困に該当している人の生活スタイルは問われない)。
 だが東南アジア諸国や韓国など、もともと生活水準が低かった国の国民にとっては、全体の15%が中央値の半分以下で生活することは何の問題にもならない。15%以下の人を無条件で支援するという政策には反発が出るだろう。
 要するに先進国基準では、その人の実際の生活がどうであれ、所得中央値の半分以下で生活する人が十数%いることが貧困だと認識されており、これに反発する人は、所得の分布ではなく、実際の生活水準を基準にしているだけの違いである。
 年収300万円、4人家族の人を貧困層として支援した方がよいかという話についてはここでは触れないが、重要なのは、先進国基準では、こうした人が16%いるということは、完全に貧困社会と認識されるという現実である。
 日本は年々その経済力を落としており、国全体が貧しくなってきている。先進国基準における貧困は貧困と見なさないという意見が多数を占めるようになってきたということは、日本も名実共に途上国に近い経済水準になってきたということなのだろう。
posted by GHQ/HOGO at 07:20| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

貧困層が拡大する日本

 ニューヨークタイムズに、長年にわたって経済が低迷している日本はすでに平等に裕福な国ではなくなり、貧困層が拡大していると報じられた。まず、貧困層の定義としては、4人家族の世帯収入が2.2万ドル(約207万)以下とのこと。厚生労働省のデータによると、日本の貧困率は15.7%に達し、米国の17.1%に近づきつつある。正直、この数字には驚く。単純に4人家族の7世帯に1世帯が貧困層なのである。子供の頃から恵まれた時代に生きてきたせいか、貧困層という言葉自体にも違和感を覚えるが、これが今の日本の現実なのである。バブル崩壊後、日本人の収入は増加するどころか、減少しているのだ。
 このことで、茹で蛙の話を思い出した。茹で蛙の話の要旨は、2匹のカエルを用意し、一方は熱湯に入れ、もう一方は緩やかに昇温する冷水に入れる。すると、前者は直ちに飛び跳ね脱出・生存するのに対し、後者は水温の上昇を知覚できずに死亡するというものだ。日本は世界第2位の経済大国だと、それにあぐらをかき、政府が未来向けての戦略はおろか、国民を守ることをないがしろにしてきた結果が現在のような状況になっているのである。茹で蛙ではないが、このまま手を打たなければ、恐ろしい結果になるはずだ。
 それには、まず政府を筆頭に日本国民が過去の栄光を切り離し、現在の日本のおかれている危機的状況を理解しなければならないのではないか。平和ボケではないが、豊な国民ボケに日本人は陥っている。病気も早期発見が、早期回復につながる。身体の調子が悪いなどの予兆があっても、自分の判断で大丈夫だと病院にいかない結果、突然亡くなられる人もいる。まさしく 日本は病気なのだ。現在の医療は最先端の技術により昔は治らなかったものが治せる。経済、政治なども過去の政策に縛られることなく世界の最先端の政策などを駆使すれば解決策は出てくるのではないか。そう思うと昭和の生き残りが多数いる今の政府には、到底今の日本を救える方法論を持ち合わせている政治家はいない。スーパードクターみたいな政治家が現れることを切望したいが、むりではないか。じり貧の感が強い。
posted by GHQ/HOGO at 07:33| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月07日

世界の99%を貧困にする経済  現代の不平等是正は可能か?

 現在、米国をはじめとしたすべての先進諸国において、グローバル化と情報技術革新が労働力の二極化をもたらすように作用している。しかし、とくに米国では、この「市場の力」の働きを緩和するセーフティーネットが十分に存在せず、むしろ「政治の力」で、その働きが富裕層に都合良く増幅させられてきた。
 その結果、この間の米国では、上位1%だけが成長の成果を享受する一方で、残りの99%の中下層の人々の生活水準は向上するどころか悪化してきた。こうした現実は、住宅価格バブルによって一時的には覆い隠されてきたが、金融危機後は白日の下にさらされるに至っている。いまや米国は機会均等の地どころか欧州以上に階級格差が拡大し、民主主義も機能不全に陥った不平等社会になってしまった。
 海外に仕事をアウトソーシングできる機会が広がったことは、労働者の交渉力を弱めることになる。このことをうまく利用して、上位1%の人々は自らの利益にかなった政治・経済ルールを作り上げ、そうしたルールが正当なものだという信念を社会に広めることにも成功してきた。
 すなわち、現在の米国における不平等は、真空の中での市場の力によって作り出されたものではなく、政治の力によって形成されたものである。それゆえ逆にいうと、政治改革を行い、大胆に経済政策を変更すれば、現状を是正し、格差を縮小することは可能ではないだろうか。
 日本の格差水準は米国との比較では相対的に穏やかなものであるとされるが、このことは日本の上位1%が米国ほどうまく立ち回ってこなかったからなのか、政府の対応が結果的に良かったからなのか。よく考えてみる必要がある。
posted by GHQ/HOGO at 06:57| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月06日

相対的貧困状態の子供の数は約320万人

現在、相対的貧困状態にある子供たちは約320万人に達している。このうち、児童養護施設で暮らす子供たちや生活保護世帯の子供たちが、行政の支援がある「目に見えやすい貧困」にいるとすると、それ以外で90%の相対的貧困状態にある世帯で暮らす子供たちは「目に見えにくい貧困」に苦しんでいると言える。
こうした子供たちに良質な教育機会を提供し、社会に送り出すことは、将来の日本の経済力を維持する上でも重要である。個人の努力だけでは挽回が難しい学力格差個人の努力だけでは挽回が難しい学力格差貧困による教育格差は個人の努力により挽回できるのか。
最にも社会経済的背景(SES)の低い環境の子供が3時間勉強したときの正答率(71%)は、最にも社会経済的背景の子供が勉強しないときの正答率(74%)を上回ることはできていない。これは、経済的に厳しい環境の子供が頑張っても、経済的に豊かな環境の子供に追いつくのは難しいというのを表している。
貧困による子供の学力格差は、個人の努力の問題ではなく社会システムの問題だ。不平等な社会の仕組みである貧困の連鎖不平等な社会の仕組みである貧困の連鎖貧困がもたらす不利益は年齢とともに蓄積されていき、大学進学や正社員としての就職の道が閉ざされるなど、子供たちのさまざまな可能性と選択肢を制約する。
その結果、不安定な労働や生活に陥り、大人になってからも継続して貧困の中におかれる可能性があるのだ。子供時代の貧困は、現状に影響を与えるだけでなく、長期にわたって固定化し、世代間を超えて次の世代へと引き継がれる「容認できない不平等な社会の仕組み」によるものなのである。
posted by GHQ/HOGO at 07:16| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本に貧困の子供なんて本当にいるのか?

 「今も目の前に下校途中の小学生の集団がいるけど、とてもじゃないけど6人に1人も貧困状態の子供がいるようには思えない。何かの間違いじゃないか」
 しかし、「貧困」という言葉の定義について説明をすると、みんな急に納得することになる。
 貧困には二種類の定義がある。1つは「絶対的貧困」。これは、生命を維持するために最低限必要な衣食住が満ち足りていない状態のことを指す。例えば、途上国で飢餓で苦しんでいる子供や、ストリートチルドレン等はこれにあたる。
 もう1つの定義は、「相対的貧困」。これは、その地域や社会において「普通」とされる生活を享受することができない状態のこと。この場合、「貧困」であるか否かは、その人が生きている社会の「普通の生活」との比較によって相対的に判断される。「貧困」の基準が、その人が生きている国、地域、時代等によって、変化することが「絶対的貧困」との一番の違いである。
 「日本の貧困率」は、日本の「相対的貧困率」を指す。日本で相対的貧困状態といわれる所得のレベルは、「4人世帯の可処分所得が250万未満」くらいだとイメージして欲しい(OECDの基準を適用)。貧困の定義を説明したところ、ある方から次のような感想をいただいたことがある。
「なるほど。それなら日本の貧困率が15.7%というのもまだ納得できる気がする」
「つまり、相対的貧困とは絶対的貧困よりもマシな状態のことを指すんだね」
  私は、「それは違う」と言いたい。そんなにこの問題は単純ではないん。
「相対的貧困」は、ときに「絶対的貧困」と同レベルのダメージを人に与えるます。
 これまでに出会った高校生の話だが、彼は幼いときに両親が離婚し、母親のもとで育てられてきた。母親は十分な所得を得るだけの職に就くことができず、かなり厳しい経済状況の中で育ってきた。そんな彼は小学校低学年の頃、クラスメートと放課後にみんなで遊ぶ約束をすることが、とても辛かったそうだ。楽しい時間のはずなのに、どうしてなのか。クラスの友だちと遊ぶ約束をするとき、「この日はスイミング、この日は・・・」といった具合にみんなで放課後の予定を調整する。彼は経済的な理由で習い事に行くことができなかった。いつも仲間の中で「自分1人だけ」放課後の予定が真っ白だった。「自分1人だけ、みんなと違う」ということは、彼にとって、とても辛い経験だっ。日本の相対的貧困状態にある子供たちが、心の中で繰り返す言葉がある。
 「何で、ぼくだけ」
 1つひとつの出来事はほんの小さなことかもしれない。しかしながら、日本の相対的貧困家庭で暮らす子供たちは、生きていく中で、この言葉を何度も何度も繰り返す。
 ある知人のNGO関係の方は、途上国の孤児院で絶対的貧困状態にある子供たちの支援活動をしている。その方が、最近日本で相対的貧困状態にある子供と会ったときの感想が相対的貧困の持つ破壊力の大きさを物語っている。次のような感想だ。
「日本の貧困状態の子供たちのほうが、精神的な落ち込みが大きかった」
「周りのみんなにとっては当たり前の生活が自分だけ享受できない」という状態は、子供たちに破壊的なダメージを与える。そして、「何で、僕だけ」 を繰り返した子供たちは、もうその言葉を言わなくなる。その代わりに、ある言葉を繰り返すようになる。それは次のような言葉だ。
 「どうせ、僕なんて」
 貧困家庭の子どもたちの支援にかかわる中で、「どうせ、僕なんて」を繰り返すようになってしまった子供たちを支えることの難しさと直面している。さまざまな機会を失い続け、「あきらめ感」を持ってしまった子供たちに対しては、単純な「機会保障」だけでは歯が立たない状況になってしまっている。
 関西や東北で「学校外教育バウチャー」の提供を行う私たちチャンス・フォー・チルドレンは、「教育機会の平等」を目標に掲げて活動している。子供たちを川上で支え、あきらめてしまう子供を生まない社会の「仕組み」を作ることが貧困の連鎖を断ち切るうえで重要であることは言うまでもないことだ。これによって多くの子供たちを救うことができると信じたい。
 しかし、一方で、すでにあきらめてしまった子供たちを放っておくわけにはいかない。彼らを支えるには、「仕組み」だけではなく、やはり「地域」「コミュニティ」といった現場の力が絶対的に必要なのだ。貧困の連鎖を断ち切るためには、「仕組み」と「現場」をいかに連携させていくかという点が、今後何よりも大切になるのではないか。
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2018年04月05日

日本に貧困の子供なんて本当にいるのか?

 「今も目の前に下校途中の小学生の集団がいるけど、とてもじゃないけど6人に1人も貧困状態の子供がいるようには思えない。何かの間違いじゃないか」
 しかし、「貧困」という言葉の定義について説明をすると、みんな急に納得することになる。
 貧困には二種類の定義がある。1つは「絶対的貧困」。これは、生命を維持するために最低限必要な衣食住が満ち足りていない状態のことを指す。例えば、途上国で飢餓で苦しんでいる子供や、ストリートチルドレン等はこれにあたる。
 もう1つの定義は、「相対的貧困」。これは、その地域や社会において「普通」とされる生活を享受することができない状態のこと。この場合、「貧困」であるか否かは、その人が生きている社会の「普通の生活」との比較によって相対的に判断される。「貧困」の基準が、その人が生きている国、地域、時代等によって、変化することが「絶対的貧困」との一番の違いである。
 「日本の貧困率」は、日本の「相対的貧困率」を指す。日本で相対的貧困状態といわれる所得のレベルは、「4人世帯の可処分所得が250万未満」くらいだとイメージして欲しい(OECDの基準を適用)。貧困の定義を説明したところ、ある方から次のような感想をいただいたことがある。
「なるほど。それなら日本の貧困率が15.7%というのもまだ納得できる気がする」
「つまり、相対的貧困とは絶対的貧困よりもマシな状態のことを指すんだね」
  私は、「それは違う」と言いたい。そんなにこの問題は単純ではないん。
「相対的貧困」は、ときに「絶対的貧困」と同レベルのダメージを人に与えるます。
 これまでに出会った高校生の話だが、彼は幼いときに両親が離婚し、母親のもとで育てられてきた。母親は十分な所得を得るだけの職に就くことができず、かなり厳しい経済状況の中で育ってきた。そんな彼は小学校低学年の頃、クラスメートと放課後にみんなで遊ぶ約束をすることが、とても辛かったそうだ。楽しい時間のはずなのに、どうしてなのか。クラスの友だちと遊ぶ約束をするとき、「この日はスイミング、この日は・・・」といった具合にみんなで放課後の予定を調整する。彼は経済的な理由で習い事に行くことができなかった。いつも仲間の中で「自分1人だけ」放課後の予定が真っ白だった。「自分1人だけ、みんなと違う」ということは、彼にとって、とても辛い経験だっ。日本の相対的貧困状態にある子供たちが、心の中で繰り返す言葉がある。
 「何で、ぼくだけ」
 1つひとつの出来事はほんの小さなことかもしれない。しかしながら、日本の相対的貧困家庭で暮らす子供たちは、生きていく中で、この言葉を何度も何度も繰り返す。
 ある知人のNGO関係の方は、途上国の孤児院で絶対的貧困状態にある子供たちの支援活動をしている。その方が、最近日本で相対的貧困状態にある子供と会ったときの感想が相対的貧困の持つ破壊力の大きさを物語っている。次のような感想だ。
「日本の貧困状態の子供たちのほうが、精神的な落ち込みが大きかった」
「周りのみんなにとっては当たり前の生活が自分だけ享受できない」という状態は、子供たちに破壊的なダメージを与える。そして、「何で、僕だけ」 を繰り返した子供たちは、もうその言葉を言わなくなる。その代わりに、ある言葉を繰り返すようになる。それは次のような言葉だ。
 「どうせ、僕なんて」
 貧困家庭の子どもたちの支援にかかわる中で、「どうせ、僕なんて」を繰り返すようになってしまった子供たちを支えることの難しさと直面している。さまざまな機会を失い続け、「あきらめ感」を持ってしまった子供たちに対しては、単純な「機会保障」だけでは歯が立たない状況になってしまっている。
 関西や東北で「学校外教育バウチャー」の提供を行う私たちチャンス・フォー・チルドレンは、「教育機会の平等」を目標に掲げて活動している。子供たちを川上で支え、あきらめてしまう子供を生まない社会の「仕組み」を作ることが貧困の連鎖を断ち切るうえで重要であることは言うまでもないことだ。これによって多くの子供たちを救うことができると信じたい。
 しかし、一方で、すでにあきらめてしまった子供たちを放っておくわけにはいかない。彼らを支えるには、「仕組み」だけではなく、やはり「地域」「コミュニティ」といった現場の力が絶対的に必要なのだ。貧困の連鎖を断ち切るためには、「仕組み」と「現場」をいかに連携させていくかという点が、今後何よりも大切になるのではないか。
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2018年04月04日

増え続ける高齢者の生活保護

 2015年の65歳以上の人口は約3,394万人だったが、2025年には3,658万人に増加し2035年には3,740万人・2045年には3,857万人に増加することは間違いないことなのだ。つまり、2015年に比べて30年後の2045年の高齢者の人口は463万人も増加する。近い将来に「東日本大震災」級の大災害が頻発し核戦争でも起きない限り、高齢者の人口は間違いなく増えるのだ。
 しかも、日本の近未来の社会保障は不安が一杯なのだ。何しろ将来の社会保障の道筋を決めているのは、現在、高齢者である政治家なのだ。自分達が生きている間に、痛みを先取りするような政治家は残念ながらまったくいないからである。
 したがって、例えば、年金の給付額や医療費や介護費用を考えても、今より改善しているとは考えられない。つまり、年金の給付額は減少し医療費や介護費用は確実に増えているはずだ。その結果、年金だけでは暮らせない高齢者が増え、生活保護に頼らざるを得ない人が増えることになる。それで、生活保護と年金をリンクさせた新しい発想の高齢者のセーフティーネットの構築を急がねばならないのだ。
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2018年04月03日

生活保護とワーキングプアの問題

 日本がデフレ経済に陥ってすでに20年近くになるのだが、その間、勤労者の平均所得は減少を続けてきた。一方で生活保護の支給額は減っていないため、生活保護支給額と最低賃金の逆転現象が起っている。
 つまり、生活保護支給額がフルタイムで働く人の最低賃金を上回る逆転現象が起きているのだ。しかも、生活保護の受給者は保護費に加えて医療費や介護費用が免除になり、住民税・国民健康保険・介護保険料・国民年金保険料・NHK放送受信料などが免除になる。
  したがって、生活保護受給者の実質年収を勤労者の所得に換算すると、年収400万円に達するという試算も報告されている。また、夫婦と子供2人の世帯の場合は、実質年収が500万円に達する場合もあるいう。
 その結果、就労可能な若い世代において、この逆転現象は社員になれずフリーターや契約社員として働いている人たちの労働意欲を減退させていることは否定できない。
 つまり、「あくせく働いてワーキングプアになるよりも、失業を理由に生活保護を受給したほうが得」という心理が、就労可能な世代の生活保護申請を後押ししていると言える。
 したがって、最低賃金が上昇しフルタイムで働く人の賃金が生活保護支給額の水準を上回ることが最も望ましい状態なのだが、景気が回復しなければ一朝一夕に解決できる問題ではないのである。
 また、一方で「生活保護支給額の水準が適正なのか」という議論があることも事実。例えば、先進諸外国の同様の制度と比較してみると、比較対象のイギリス・フランス・ドイツ・スウェーデンの中で日本の支給額は最も高くなっている。
 特に、日本の支給水準は、フランスとスウェーデンの約2倍になっていることは驚きである。ただ、社会保障制度が異なる諸外国と、一概に金額だけで比較することには余り意味はない。
 そして、もう1つの問題点は、世帯所得が生活保護支給基準を下回る世帯が依然として多いということである。ある試算によりますと世帯所得が生活保護支給基準を下回る世帯が800万世帯に対し、その内、生活保護を受給している世帯は100万世帯に過ぎないという調査結果も出ているのだ。
 つまり、生活保護を受給している世帯の割合は約12%に過ぎず、残りの88%の世帯は制度の認識不足かモラルやプライドが高いという理由で生活保護を申請していないのだ。
 したがって、今後も生活保護支給額とフルタイムで働く人の最低賃金の逆転現象が続くと、88%の世帯が生活保護の申請を始める可能性は否定できないのだ。
posted by GHQ/HOGO at 07:19| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

さらに素晴らしくと言う嘘!

「極貧で生活する人(1人1日1.90ドル)の数が過去20年間で半減した」などと言い張る世界貧困削減における成功を歓迎するマスコミ報道は、相も変わらぬ決まり切ったものである。しかしながら最近のニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたニコラス・クリストフによる「あなたの知らない最高に良いニュース」と題された記事などは、「21世紀初頭における最も重要な出来事は、人間の苦しみの見事な減少であると歴史家は結論付けるかもしれない」と提唱し、取り繕われた国連による統計を額面通りに受け入れ、見当違いにもそれがいかにも報道されるべきであるようなイメージを与えている。
 誰もが当然のこと信じたいクリストフ氏の現実に対する解釈は、さらに深くさらに暗い真実を隠している。貧困削減において確かにいくつかの面で注目すべき進展があったことを認めることは可能だし、認めるべきかもしれないが、全体的に「世界は改善している」という判断を正当化するという考えは、残念だが、根本的にあやふなやなデータの大変部分的解釈に基づいているため正直さを欠いているのだ。真実は、(健康的生活を営むための絶対最小限としてUNCTADが定義する、1日5ドル基準によって測定されているように)貧困で生活する人々の数は1980年代以来10%、飢餓は9%増えたと同時に、世界のGDPが驚くべき271%の増加をみたのである。
 現時点では、世界銀行のデータベースによると41億人−人類の半分以上−が貧困状態で生活している。したがって、実は誰の懐がこのすべての集約された経済成長と同調しているのか。この語り口はまた、この成長が大規模な環境破壊を起こし、人々を長期的な貧困生活に捉えるための罠をかける経済活動に依存してきたという事実をも覆い隠している。最終的にこの話の最悪の側面は、その実際の嘘ではなくそれが隠すものである。それは、すべてが改善しており、したがって貧困を根絶するためには今までと同じことをもっとすればいいだけだと人々に信じさせるのである。次々に展開する第6次大量絶滅期的事象、中央集権化する大規模な富と権力分布パターン、そして底知れない構造的貧困と不平等さを持って、新たな状況へと押しやった新自由主義的「すべてを犠牲にしての自己資本の増加」システムをもっとやれということなである。
 真実をすべて正直に言ってしまったほうが、それが実際に貧困を克服するための必要部分に集中する可能性があるからよっぽどいいはずだ。経済システムの根本的機能原則は、「すべてを犠牲にしていつでもどこでも物質的成長を遂げる」がまず第一である。残念ながらそうするための政治的・社会的義務は、クリストフ氏偽造の「すべては素晴らしく、さらに素晴らしくなっている」という語り口とはまさに噛み合わない類のものなのである。
posted by GHQ/HOGO at 07:18| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする