2018年03月18日

「恥」という認識が貧困を見えにくくした!

 日本では、政府も社会も学会(academia)においてさえも「日本は平等な国である」という幻想に長くとらわれていたため、日本社会における相対的貧困に関する意識が全く欠如した状態に長くあった。政府は、1960年代に貧困統計をとることをやめてしまい、貧困率を計算することさえしていなかった。貧困者のための公的扶助の制度もあるものの、運用においては、給付対象は無年金の高齢者や障害者などに限られ、受給者は人口の1%にも満たなかった。
 公的な支援が必要だとの認識が薄かった背景には、日本における貧困が「見えない貧困」であるということがある。「平等」であると信じられている社会、すなわち、「平等な競争」があるとされている社会においては、貧困であることは敗者であることであり、「恥」と認識される。どんなに困窮していても、公的な支援を受けることは、「一族の恥」であるとして、親戚一同の反対に会う。また、借金をしても、食費を削っても、衣服など外から見える部分は貧相に見えないように気を配る。また、目の前にホームレスの人がいても、それはアルコール依存など彼自身の身から出た問題であり、社会の理不尽な構造のためだとは思わないのだ。
 そのような認識が変わってきたのが2008年である。リーマンショック後の不景気を契機に、人々は誰もが貧困に転落することがあるという可能性を認識するようになった。健康保険にカバーされていない無保険の子供が3万人存在するといった報道が人々を驚かせたのもこの頃である。そして、2009年に初めて政権をとった民主党は、政権交代後まず最初に相対的貧困率を公表した。そこで、子供の相対的貧困率が15.7%であり、1人親世帯に関しては、相対的貧困率が50.8%以上という高さであることが明らかとなったのである。
posted by GHQ/HOGO at 06:18| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする