2018年01月26日

生活保護制度−福祉行政がパワハラ、追い討ち

 貧困も否定的に見られがち。貧困に陥るのは、本人の生活態度だけの問題ではなく、生まれつきの能力や育った境遇をはじめ、病気・障害・災害・失業・離婚といった不運によることが多く、決して恥ではないのだが、社会には金持ちをもてはやし、貧しい人をさげすむ風潮がある。
 そして生活保護には、強いスティグマがつきまとっている。健康で文化的な最低限度の生活は憲法で保障された権利であって、必要なときは利用すればよいのに、行政の世話になることを恥や負い目と感じる人が多いのが実情だ。
 さらに問題なのは、実際の行政の対応だ。生活に困り果て、精神的に弱った状態で、勇気をふりしぼり、やっとの思いで出向いた福祉事務所。その窓口で冷たくあしらわれたり、ケースワーカーから心ない言葉を受け、責められたりした事例はいくらでもある。福祉行政によるパワハラや、二重の心理的加害ではないだろうか。
 まず行政や福祉関係者が、苦境にある人の心理をよく理解し、個別の相談支援をきちんとやること。積極的に手を差し伸べ、ともに問題解決に取り組むこと。相談や申請への対応が親身でないと、困っている人の希望を奪い、逆に打撃を与えてしまうことになる。
 制度や仕組みの周知も重要。制度の内容が見えないと、当事者には助けを求める発想が浮かばない。「何かあればご相談を」「詳しくはお問い合わせください」といった抽象的な広報だけではなく、「こんな制度があります」と具体的な情報が、困っている人にとっては手がかりになる。とりわけ生活保護の必要な人に利用を促す広報は不足している。
 自分から助けを求められない人にアプローチするには、受け身で相談を待つだけではなく、積極的に現場へ出かけるアウトリーチ活動や、地域住民との協力関係も必要だ。
 根本的に大事なのは、社会の空気を変えること。強くなければダメだ、辛抱しろ、弱音を吐くな、他人に頼るな、甘えるな、周囲や社会に負担をかけるな――。そういった考え方は家庭教育、学校教育、社会風潮の中で植えつけられてきたものである。
 助けを求めることは、社会に存在する「資源」を使って、個人の問題解決を図るための行動だ。その意味で、困ったときに助けてと言えるのが本当の強さではないだろうか。
 政府・自治体は、助けを求めやすい世の中、弱さを認め合える社会の実現に向けて、困ったときは遠慮なく助けてと言おう、というキャンペーンを行うべきではないか。
posted by GHQ/HOGO at 07:05| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする