政治家や政党が貧困問題を利用するのは、百歩譲って理解してもいい。しかし、現場の実践者や支援者までも目的を忘れて、政治を変えることのために貧困問題を利用するなら本末転倒だと言える。思想・信条を押し付けず、貧困問題を解決するためにどうすればいいかを真剣に考えるべきなのだ。。
左翼やリベラルと称する集団が現場に軸足を置き、上部構造の政治と連結して「有機的知識人」であったのなら、日本の貧困問題、社会問題はここまで深刻でなかったはずではないか。面倒くさがらずに、真面目な活動をすべきなのだ。
政治を変えるための基礎となる地道な社会運動や組織化(アソシエーション)、情報発信、福祉実践(ミクロの相談支援活動)もなく、一過性で貧困を取り扱うとか消費するのはやめてほしい。なかなか分からない輩が少なくない。
個別名や団体名を挙げたらキリがないが、従前の政権批判や政治批判を目的化した社会活動に傾倒しているものが多すぎる。貧困問題は結局その道具にすぎないのだ。「貧困問題を悪化させている政治が悪い」と言いたいだけが実に多い。。貧困問題でなくても何でもいいのである。
よく考えてみるべきは、貧困の何が酷いことなのかをどうやれば説明できるだろうかということなのだ。誰がどのように苦しんでいるのか。貧困層に接したことがあるのか。本当にできることは「安倍政権を許さない」を叫ぶだけのことなのか。それでその人は救われるのか。自己満足ではないか。もう少し力を発揮できる方法があるのではないのか。