2017年09月07日

グローバリズムはなぜ、貧困を引き起こすか? 2

 ある種のクライシスマネジメントの一環として、例えばジンバブエやチリ、イラクのような崩壊した秩序の再建築(リビルド)を目指すということであれば、一時的なハイパーインフレの引き換えとして効率的な経済システムの萌芽を育てることは可能だろうし、すでに秩序ある社会に立ち戻るためのコストを吸収することもできるだろう。なぜなら、すでに社会は混乱しきっているからだ。
 でも、(いまさらながら、という言葉を使うべきかどうか悩むが)日本がこれからさらにグローバリズムに対応するための規制撤廃を進め、移民を奨励し、経済効率を高めていくのだという議論を立ち上げるのは、どちらかというと反対だ。日本人は閉鎖的で、経済効率面で立ち遅れ少子高齢化が進む現在、このままでは日本は駄目になる、というような主張はあまり賛成できないかもしれない。そもそも論として、ここ20年ぐらいのアメリカの経済成長とそれに伴う国際的な流動性の増加というのは、何の裏づけがあってなされたものだったか、結果として誰がグローバリズムの利益を享受したのか、はっきりしないからである。
 しかし、この国だけでなく世界中が国民の求心力を高めるべく社会を統制する方向へと向かおうとするだろう。もう世界の富が増大する前提で国家の経済を設計するような、楽観的な世界観は終わってる。
好むと好まざるとに関わらず、おそらく向こう10年ぐらいは「国民の生活水準が切り下がる」局面に入ると思う。資源高とか、ガソリンが、とか、生鮮食料品の値上がりとか、そういったレベルの話が断続的に、ゆるゆると10年ぐらい続く。それでいて、賃金は上がらない。なぜなら、置き換えのきくスキルを持つ労働者は海外と戦うからである。そのため、国内生産を保つために移民を奨励しようという議論になるが、それは国内の日本人の職が奪われることとなる。それはつまり、国外に職を奪われるか、国内にいる移民に職を奪われるかの違いでしかない。
 そうであるならば、経済効率を上げていくということは字義的に、「下級国民の賃金を「国際的水準に」引き下げ、世界を向こうにまわして競争していくという、高度成長時代の日本と同じ文脈での果てなき戦いに従事しますよ」宣言にほかならない。それは世界の富が増大しているという前提ならば多少は未来は明るいかも知れないけれども、現実はまったくそうではない。
 グローバルな競争に勝ち抜くために、移民を奨励するというカードを切るのは、勝って利得が見えない勝負に手持の全チップを張る策にしか見えないので、保守主義的観点から見ると賛同できない。とてもじゃないが、日本人が膨大な移民、例えば全人口の5%なり10%なりを受け入れる、というような心構えを総意で持っているとは思えない。
 移民の話を出したけれども、放送通信行政であれネット規制であれ金融行政であれ、だいたい根っこは同じところにある。9条(改憲)の話もそう。世界経済が衰退しそうである、そのとき日本は統制するべきか開放するべきかという選択の問題だ。国内のベクトルと同様に、親米路線を前提とする場合、日本の繁栄を維持する最善の方策を何に求めるのかという国外の問題もある。
 個人的には、リスクを減らすべきだと思う。つまり日本にはこれ以上のリスクを抱える余地がそれほど残されていない。すなわち、賭けられる資産が少なくなっている状況があるように思う。ただ、直近では経済の問題でとりわけ中国経済のクラッシュはまあ8割がたあるとして、アメリカ経済もかなり長い期間後退し、日本だけが株価2万円を維持して笑顔という話には絶対ならない。では、グローバルにおけるマイナスの成長を、各国で押し付けあう形になる、と考えたらどうなるだろう。そこに正常な市場原理が働くだろうか。
 財界人が大きく誤解しているのはそこだ。原理的な市場にフェアが絶対的に存在すると思っている。投機的な仕組みに翻弄されて一国の経済をズタボロにできるグローバリズムが、ある種の神、信仰の対象になっているとしか思えない。神からこれだけの恩寵を蒙っている多国籍企業が、一生懸命政策担当者をオルグして回っているような状況なのだ。それがいけないというのではないが、そもそもが無理筋なんだろうと思う。
 突き詰めてしまえば、成長しない経済下で家計と企業というのは潜在敵で、企業が国際市場での収益性を高めようと思えば家計を押し下げるほか方法がない。家計を押し下げないように競争力を確保する方策は企業では達成できないから、当然のことだ。では、国家が競争力を確保するための政策をどう立案するのか。経済の形をデザインするのか。
 これは、たぶん、日本の選択として、本当にどうにもならなくなるまで何もせず動かない、という選択肢を選ぶことになってくる。日本とは、そういう国家であり、社会であり、国民であると思う。だから、原理原則のところだけ大枠を決めておいて、それまでに政治的な頚の部分は極力シンプルにしておいて、問題点の整理と解決の道筋だけでも考えておくのが一番効果的なのではないか。それこそ、政治的再分配はどのあたりが日本として適切なのか、社会的移動性はどうなのかというあたりは、もっぱら政治の領域とはいえいろいろな議論のバリエーションが発生し得る。
用意するだけしておいて、実際に起こるまで何もしないというのが、おそらく日本社会の持つ固有の知恵だと割り切って、迂闊に割を喰わないような外交的、安全保障的な部分だけ整理したほうがいいのではないか。


posted by GHQ/HOGO at 07:21| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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