2017年05月20日

日本の生活保護基準は「米国並みに下げる」べきか?

 ボストン市中心街を大きなカートを押しながら進む、50代と思われるホームレス女性。女性のホームレスが厳冬期の夜を安全に過ごせる場所は数少ないという
 日本の生活保護基準は、金額を国際的に比較したときには、決して世界的に低い水準にはない。日本よりも高い国を探すほうが大変なほどである。このことを根拠に、「日本の生活保護基準は高すぎるから、引き下げて先進諸国並みにすべき」という意見が数多く見られる。このとき、金額以外の要因が考慮されることは少ない。
 また、日本の捕捉率(公的扶助を利用している人数を、貧困状態にある人数で除したもの。日本では、20%前後と推定されることが多い)は、決して高くない。このこともまた、「1人当たりの生活保護水準を引き下げれば、必要な人が全員、生活保護を利用できるようになる」という主張の根拠とされる。たとえば日本の捕捉率が20%であるとすれば、生活保護費の総額を変えずに貧困状態にある国民全員に扶助を行うためには、生活保護費を現在の20%まで引き下げればよい計算になる。
 このとき、引き下げてよい根拠としてしばしば引用されるのは、アメリカの制度である。
 たとえば、「アメリカの公的扶助では現金給付はなく現物給付が主である」と言われる。確かに、アメリカの制度を見てみると、一般には「フードスタンプ」と呼ばれる「SNAP(補助的栄養支援プログラム)」をはじめとして、購入可能な品目を限定したICカード・食事そのものの無料提供・家賃補助・医療保険など、現物支給と考えても支障なさそうな扶助メニューが目に付く。
 一方で、アメリカの捕捉率は高く、約60%と言われている。現金給付である「TANF(貧困家庭一次扶助)」では、金額は1家族あたり年間8000米ドル程度と低く抑えられている。また、5年間の有期制であり、就労訓練・ボランティアが義務付けられている。これらの事柄をもとに、
 「日本においては生活保護基準を切り下げて有期制にすることが、公的扶助の捕捉率向上へとつながり、さらに当事者の就労自立へのモチベーションとなる」という主張がされる場面も多い。
 しかし日常的に、「アメリカでは」という主張は要警戒である。現地の風土、現地の文化、現地の社会の生態系と切り離して、1つの制度の1つの側面だけを「……では」と取り上げることには、多くの場合、意味はまったくない。
 たとえば2011年、アメリカの公的扶助のうち食事・住宅・医療に関する5つのメニューに必要であった費用の合計は、5077.8億米ドルであった。「1米ドル=95円」とすれば、48兆円である。人口を考慮しても、日本の生活保護費の約3倍程度の規模ではありそうだ。ここから「日本の生活保護制度は、そもそも予算不足すぎる」という結論を導くことも可能である。
 なお、これらの制度はアメリカ全土に適用される最低限度のものである。実際にはこれらに加え、州や各自治体が独自に提供している制度もある。制度により所得制限などの条件が異なり、したがって利用人数が異なるため、日本の生活保護制度のように1人当たりの金額を単純に算出することはできないが、少なくとも金額だけを見る限り、日本に比べ、かなり充実している。


posted by GHQ/HOGO at 07:09| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする