2017年01月26日

 日本は子供社会も競争社会

「いい大学に進学して、いい会社に就職する」
 将来に希望を持てない不安な大人達の姿を見ながら、それゆえに安定した地位を求めて激しい競争にさらされるのだ。競争を諦めた子供は取り残される。10代の学生の自殺や不登校は増加している。子供たちの居場所であったはずの学校が苦痛で退屈な場所へと姿を変えつつある。学校とは何かに興味を持って学び、自分の価値に目覚める場所だったはずである。日本の未来を担う子供たちの現状を変えていかなければ、日本が変化することはない。このような共通部分を共有し増大させることが、生きやすい社会につながっていくのでないだろうか。
 私が考える共通部分とは、「承認欲求」を満たすことである。「自由になりたい」などと多くの人は言うが、どこで何をしても構わないなどという無秩序の自由などには実は誰も魅力を感じていない。誰かから必要とされ、感謝され,存在を認められることが必要なのである。私は無意識のうちに欲するこの感情を「承認欲求」と呼ぶことにしている。幼い子供が母親に褒められること、自分の仕事が社会や人のために役立っていると感じられること。こうした些細な行為で、人は自分が生きていること、生きる価値があることの実感を得られる。社会から排除されるのではなく、必要とされたとき、自ら命を絶とうとする人々は死を思いとどまり、本当の「豊かさ」を感じられるのではないだろうか。
 最近のテレビや雑誌、マスコミの報道などメディアを通して「セレブ」という言葉をよく耳にするようになった。日本では「金持ち、優雅、ゴージャス」といった意味合いで用いられることが多い。きらびやかな服をまとい、専属シェフが作る料理を食べ、果ては自家用ジェットで海外旅行!自分の現在の生活と比較して、そうした非日常的な「セレブ」へのあこがれを抱く人々が増えているような気がする。その一方で、今日食べるものにも困るような生活を送る人々が溢れている。
 私は決して「セレブ批判」がしたい訳ではない。自分にないものを求めるのは人間の常である。ただ1つ言いたいことは、日本が二極分化してしまっているということだ。金持ちがいわゆる人生の「勝ち組」となり貧乏は「負け組」という定式ができてしまった。 カネとモノさえあれば豊かな生活が送れると考えている人はおそらくいないだろう。しか し、セーフティネットが崩壊し、年金もきちんともらえるかわからない日本社会では「カネ」という目に見える価値以外、信用できるものがなくなってしまったのだ。
 しかし、お金を貯めることに際限はなくとも人生という時間には限りがある。どのような人生を望むかは自由であるが、人生にとってお金は手段であり、目的ではないはずである。事実、都市部からまったく地縁のない田舎へ移り住み、就職するIターン者は増加している。そうした人々は「企業戦士」への道ではなく、豊かな自然を感じながら働く道を選んだ。こうした動きは過疎化と高齢化の進んだ地方にとっても活性化をもたらす。どちらが 正しいということはない。
 国会では新たに製造業派遣、日雇い派遣を原則禁止する労働者派遣法の改正案が審議さ れている。確かに派遣労働者の労働条件は改善されなければならない。けれども労働条件の改善は働いているからこそ求められることである。派遣という形ですら働けなくなれば 多くの人は本当に職を失うことになる。いま現在、派遣として働いている人々の存在を無視し、今後の対策もできていない中で、単に「派遣という形をなくせば良い」というのはあまりに安易な考えに感じる。
posted by GHQ/HOGO at 08:13| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする