2017年01月14日

労働の規制緩和がもたらした不安定社会 繰り返される労働者派遣法の改正

戦後の日本社会は終身雇用、年功序列によって支えられてきた。それが日本の高度成長をもたらしたという考えにも一理ある。しかし、80 年代半ば、この日本型経営に変化が見 え始める。これまで行政主導で公共工事を行い、与えられた仕事を何の文句も言わずにこなしてきた人々が異を唱え始めたのだ。行政による企業活動の制限に反対し、もっと自由に働ける場を求め始めた結果、男女雇用機会均等法と同じ 1986 年に「労働者派遣法」として施行された。この時の適用対象業務は 13 業務でソフトウェア開発、通訳・翻訳・速 記、秘書、建築設備運転などがあり、期間の上限は 1 年間とされた。
また、1980 年代半ばは日本電信電話公社⇒日本電信電話株式会社(NTT)、日本国有鉄道⇒JR 、日本専売公 社⇒日本たばこ産業(JT)などの民営化が次々と決定された年でもあった。その後も世界規 模で規制緩和の流れが進行し、国内でもバブル経済崩壊後の経済停滞を打破するために規制緩和の動きが高まっていった。
1996 年には派遣労働者の適用対象業務が 13 業務から 26 業務に拡大され、1999 年には対象業務が一部を除いて原則自由化となった。それまでの「原則禁止、一部適用」という姿勢から、「原則自由、一部禁止」という姿勢へと大きく方 向転換する。ただし、港湾運送・建築・警備・医療といった専門性と危険を伴う職種、お よび製造業は認められておらず、派遣期間は新しい対象業務は 1 年、既存の 26 業務は営業、販売職を除いて 3 年とされた。
こうした中で大きな変化がみられたのは構造改革、「改革なくして成長なし」のスロー ガンのもとで行われた小泉内閣による労働の規制緩和、2003 年の大改正である。これによ りこれまで禁止されていた製造業の派遣が解禁された。2004 年まで認められてこなかった 理由は、第二次大戦前にあった労働者供給事業の弊害が挙げられる。労働法が十分に整備 されていない時代、求職中の弱い立場の労働者に就職をあっせんするビジネスが生まれた。
しかし、その実態は強制労働や労働者の賃金をほとんど取り上げる悪質なものであった。 労働者の権利を守るため、戦後は労働者供給事業が禁止され、労働者派遣事業は、労働者 供給事業と同様の性質をもった部分があるため長く禁止されてきたのである。しかし、当時の小泉内閣の強い意向と国民の後押し、産業界の要請を受け製造業においては解禁され た。当時、中国などの低賃金の国に工場を移すケースが相次ぎ、日本でも低賃金で働く非正規労働者が必要とされたのである。こうしたグローバル化という社会環境の変化に伴い労働者派遣法は何度も改正されたのである。
posted by GHQ/HOGO at 07:41| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする