2015年11月30日

丸裸になってからの保護でよいのか ?

生活保護を受けるときの要件の1つは、その世帯が持っている資産の活用である。現金、預貯金、不動産、自動車、家財道具、掛け捨てでない保険などの保有が、どれぐらい認められるのかが問題になる。簡単に言うと、現金・預貯金の保有限度額については、非常に厳しいのが現状。自動車の所有も、かなり厳しくなっている。
 一方、住んでいる持ち家や耕作中の田畑は、所有したまま保護を受けられるのが原則。いま持っている家財道具や電化製品も、一般的なものなら、手放さなくて大丈夫。
 生活保護の対象になるかどうかは、その世帯の1ヵ月当たりの収入と、必要な最低生活費=生活保護基準額(家賃・医療費・介護費を含む)を比べて判断する。収入や医療費は月によって変動するので、過去3ヵ月平均で見るが、大きく変わる事情があれば、実情にあわせて判断する。そのとき、手持ちの現金や預貯金の扱いは、どうなるのか。
 結論から言うと、現金・預貯金があるとき、生活保護を申請して認められる実際上の目安は、保護基準額の1ヵ月分である。それを上回る現金・預貯金があると、申請しても却下される。先に手持ち金を使って生活しなさい、ということなのだ。
 実は、厚生労働省は、資産による保護の要否判定の線引きをはっきり示していない。明示しているのは、保護を開始するとき、保護基準額の5割を超える手持ち金があれば、超えた部分を収入として認定し、最初に支給する保護費を減らすということ。申請する段階で持っていた手持ち金のうち、保護基準額の5割を超えている分は、あとから保護費の減額という形で“没収”されることになる。
 結局、保護を受ける時に保有が認められるのは、保護基準額の0.5ヵ月分にとどまります。保護基準額は、地域、年齢、障害の有無、医療費の額などによって違ってきますが、0.5ヵ月分は単身の場合だと5万〜8万円程度だろう。
 それを考えると、手持ち金が保護基準額の半分に減るまでは、家財道具や電化製品で足りない物を買ったり、買い替え・修理したりしておくほうが得策。家財道具や電化製品の購入費用は、本当に最低限の物がないときや、新しい住居に住むときに一定額が出るのを除いて、生活保護で支給されないからである。いろいろな物が壊れたり傷んだりしても、修理や買い替えの費用の別途支給はなく、保護費の中からをやりくりするしかない。実際に生活に困っている人は、そんなことを考える余裕のない場合が大半だろうが……。
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2015年11月29日

補足性の原理とは?

 生活保護制度を理解するうえで、たいへん重要なのが「補足性の原理」という考え方である。「足らずを補う」と同じ意味。生活保護法は、次のように定めている。
 第4条
 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
 2 民法に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
 3 前二項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。
 第1項で、「要件」とされているのは「利用できる資産の活用」と「能力の活用」である。ここでいう能力はふつう、稼働能力、つまり働いてお金を稼ぐ能力を指している。生活のために使える資産があるなら使ってくださいよ、働く能力があるなら働くための努力をしてくださいよ、それが生活保護を受ける時の条件ですよ、という意味である。「その他あらゆるもの」という言葉もついているので、なんだか圧迫感を受けるが、この点が現実に問題になることはほとんどない。
 第2項で、「優先する」とされているのは、「扶養義務者による扶養」と「他の法律に定める扶助」である。後者は「他法他施策の活用」と呼ばれ、法律によらない制度や事業を含めて、あらゆる公的な給付を指している。親族からの援助があるなら、それを先に生活費にあてよう、公的な給付を受けられるなら、それをフルに使おう、それでも足りなければ保護費を出しましょう、という意味です。
 第3項は、急迫した状況のときは、資産の調査や親族の調査などを後回しにして、とりあえず保護できるという条項。たとえば、一文なしで倒れていて救急車で入院した人には生活保護制度で医療を受けてもらい、あとから資産を持っていたことがわかれば、返還してもらう。
 注意が必要なのは、第1項の「要件」と、第2項の「優先」は、性質が違うこと。「利用できる資産の活用」「稼働能力の活用」は、要件なので、少なくとも生活保護を受けてからは、本人が活用に努力する義務があります。
 「扶養」「他法他施策の活用」は、優先するというだけで、保護を受けるときの前提条件ではない。優先するというのは「現実に存在していたら、そちらを先に生活費にあてる」という意味。本人が親族に扶養を求め、ほかの社会制度を利用してからでないと保護を受けられないのではない。それはむしろ、福祉事務所のケースワーカーが努力したり、助言して手伝ったりするべきことなのだ。
 「保護を申請する前に、親族に扶養してもらうよう頼んでみて」と言う福祉事務所の窓口担当者もいるようだが、間違った運用である。「優先」についての認識が不足している。
 他法他施策については、給付によって収入を得ることに加え、経済的負担や生活上の負担を減らせる制度を探して、それを利用するためにケースワーカーが援助することも重要。年金、労災保険、雇用保険、健康保険、医療費助成、介護保険、各種の手当、障害者関係の制度、就学援助など、非常にたくさんの制度がある。
 借金がある場合でも、要件を満たしていれば生活保護を利用できる。といっても保護費の中から借金を返していると、実際に使える生活費が最低基準を下回ってしまう。借金を法的に整理するため、弁護士や司法書士を紹介するなど、ケースワーカーが解決を支援する必要がある。
 「補足性の原理」は、生活に困ったらいきなり全部を生活保護制度でみるのではなく、ほかの手だてを活用して、それでも足りない部分があれば生活保護で補うということ。「最後のセーフティーネット」と呼ばれるのは、この原理があるからだ。けれども、補足性の原理を行政側が強調しすぎると、生活保護制度が利用しにくくなり、保護が必要な人を遠ざけ、排除することにつながる。
 生活に困り果て、勇気を出して福祉事務所の窓口に出向いたとき、「まだ、ためているお金があるんじゃない」「もっと真剣に仕事を探した?」「親族から援助してもらえないの」などと言われ、親身に相談に乗ってくれないと、精神的にめげてしまう。
 とくに資産の活用、稼働能力の活用、扶養の優先をめぐっては、生活困窮者の支援団体や法律家と、福祉行政の間でしばしばせめぎ合いが生じている。審査請求や訴訟の結果、当初の行政判断がひっくり返るケースも少なくない。
 生活の実情をよく踏まえて、的確、かつ弾力的な運用に努めてほしいものである。
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2015年11月28日

働いていても、年金があっても、保護を利用できる

 生活保護について、働けない人や収入ゼロの世帯だけを対象にした制度というイメージを抱いている人もいるが、大きな誤解である。簡単に言うと、生活保護は「足らずを補う」しくみだということなのだ。
 いろいろな社会制度による給付や、親族からの援助があっても、手持ちの預貯金を使っても、勤労による収入を得ていても、それらを全部加えた金額が、健康で文化的な最低限度の生活を営むのに必要な金額(その世帯の生活保護基準の月額)に足りなければ、足りない分だけ、生活保護費の支給を受けることができる。必要な金額には、医療費や介護費も含まれる。
 働いていて収入があっても、年金や児童手当などの収入があっても、それらの金額が十分でなければ、生活保護を利用できる。簡単な具体例で説明しよう。足し算と引き算なので、それほど複雑ではない。たとえば、単身の人で、かりに、生活保護の基準が生活扶助8万円、住宅扶助(家賃)4万円だとすると、保護基準額は月12万円。それに対して年金収入が6万円あるだけなら、差額の6万円の保護費が福祉事務所から支給されます。
 同じ人に勤労収入があるときは、働くための必要経費として、収入額に応じてある程度の額が勤労控除され、それを除いた額が勤労収入として認定される。5万円のアルバイト収入なら1万円余りが勤労控除され、勤労収入の認定は4万円足らず。年金と合わせた収入認定額は10万円足らずなので、2万円余りの保護費を受け取れる。これは保護の要否を判定するときの計算方法で、保護が開始された後は、勤労控除が2万円近くに増え、支給される保護費も増える。この場合、医療費にあてることのできる収入はないので、医療を受けたときの費用は全額、福祉事務所から医療機関に支払われ、本人の負担はない。
 低年金の世帯でも、働いていて収入が少ないワーキングプアの世帯でも、生活保護の対象になりうるわけだ。実際、働きながら保護を受けている世帯はけっこうある。フルタイムで働いていても、家族が多かったり医療費がかさんだりするときは保護を受けられることがあるのだ。
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2015年11月27日

生活保護を権利として正当化する 3

 生活保護とは、贅沢な生活をさせるための制度ではない。健康で文化的な最低限度の生活を営むためのもの。この最低限度とはどれくらいなのかという議論がなされている。中には「施設に放り込んで、米だけ食わせればいい」などと言う人もいるが、刑務所の受刑者より低レベルでは、明らかに違法な水準ではないか。
 また、施設を作って集めろという場合、その費用がお金を配る形式の今の生活保護よりも明らかに軽減されることが前提でなければならない。もし余計にお金がかかるのだとしたら、それこそ無駄遣いである。無駄でもいいから集めろというのは、受給者を惨めな存在として貶めたいという単なる感情論に過ぎないのではないか。
 生活保護は、あくまでも最低限度であって、贅沢をするための制度ではない。これが肝心なことである。もしも受給者が、少しでも豊かな生活を送りたい、贅沢をしたい、そう思うなら、自ら努力しなければなりません。働く能力に欠けているならば、そこを埋める努力をしなければならない。「朝起きられない人」の場合、彼が最低限度の生活を生活保護で送ること自体は国家によって保証されなければならないが、それ以上に豊かな生活を送りたいなら、彼は自らの努力で、欠けたところを埋める努力をしなければならない。頑張って朝起きられるようにする。それが無理なら、遅く起きても働きに行ける仕事を探す。もちろん国家も彼の自立を促し、立派な労働者にする手助けをする。それで国家財政の負担が減り、納税者を増やすことができる。
「自己責任」とは、こういうところに使うべき言葉なのだ。豊かになるための努力は自己責任。そのとおり。そのために「勤労の権利」を行使するか、最低限度でいいので行使しない生き方を選ぶか。これもまた、当人の自由。
 だが、憲法で保証されている最低限度の生活を送れること、これは自己責任ではない。権利である。権利とは、その先に豊かになるためにベースとして行使される、必要最低限のものなのだ。選挙権もそうだ。選挙を通じてより良い社会を作ろうという権利。自由権もそうだ。互いが自由を尊重することが、束縛するよりも良い社会を作ると考えればこそのもの。
 生存権、生活保護とは、豊かな人に恵んでもらうものではない。生活保護を認めないというのは、人権という概念がなく、強者が弱者を好きにしていいという時代の考え方です。基本的人権という概念を尊重することを大原則とする現代社会においては、生活保護がおめぐみであってはいけない。あくまでも権利として、堂々と、粛々と、平然と、その行使を要求できる、そういうものなのである。
 もしこれがどうしても嫌だという人がいたら、憲法を改正し、強制労働を合法化する運動をすることである。日本を自由主義国家ではなくて、北朝鮮のような全体主義国家にしたい―そう思うことも、運動することも止めることはできない。だが、自由主義国家の枠組みを維持し、基本的人権を尊重し、生存権を保証し、十分に豊かな社会において、条件をつけることなく、最低限度の生活は国民すべてがおくれる国家にしたほうが、社会の安定性や柔軟性、多様性が維持される国家になると思いたい。
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2015年11月26日

生活保護を権利として正当化する 2

 自由主義国家である日本には自殺の権利があるのかというのも、よく議論になるところだ。死のうとしている人間をみすみす見過ごしたら、それは罪になるのかならないのか。これは「働かない人間は死ね」以上に賛否のわかれる問題といえる。
 たとえば働くのが嫌で、お金がなく、潔く餓死すると公言する人がいたとする。これは緩慢な自殺そのもの。さて、その事実を知った人がどこにも通報することなく死なせてしまった場合、これは自殺を見過ごしたとして罪になるのか。ただ偶然知ったのではなくて、たとえば「お前のような人間は生きてる価値がないから死ね」と言った場合、それは自殺教唆になるのか、ならないのか。
 どんなに押しとどめたって人を殺そうとする人を止めることも、自殺することを止めることも難しい。人の意志を押しとどめるのは、とてもむずかしいことである。
 では、本人が死ぬ気もないのに社会福祉から追い出し、結果として緩慢な自殺をさせる。これはどうだろうか。自らの意志に反することを強要するのは、今度は自由権の考え方において問題となる。死ぬことが死刑として極刑とされているのは、死ぬことは究極の損失であるという大前提を国家が奉じていることを意味する。その死を、ある意味では強要するような行為(正しく言えば放置する、見過ごすという不作為)は、はたして許されるのか。自由権の侵害と言えるのではないか。
 全体主義国家ではない日本において、刑務所という特殊な条件以外で強制労働をさせることができないのも、この点に引っかかるからだ。
 自由主義国家である日本においては、法に特段の定めでも設けない限り、誰かに対し違法でないことを強要することはできない。同時に、法の定める範囲で、生存権を要求する権利が与えられている。
 したがって、生活保護が生存権に由来するものである以上は、現にお金がない等の、意志の介在しない、客観的条件さえ整えば、それを支給せざるを得ない。ここで生活保護法第4条を持ち出す人がいる。
 第4条 [保護の補足性]
 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
2  民法 (明治29年法律第89号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
3  前2項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。
 働けるのに働かないというのは、能力を生活を維持することに活用してないのだから要件外だ、したがって支給する必要はないと言うわけだ。
 だが、第3項がある。急迫した事由があるなら、前項にかかわらず必要な保護を行うことを妨げられない。つまり、具体的にお金がなく、当面の生活費が賄えず食うものにも困るというなら、働けようが扶養義務者がいようが、保護をするのが当然なのだ。
 扶養義務者の扶養が保護に先立って行われなければならないと書かれているが、では具体的に、どの程度の扶養を行えばいいのか。保護を必要とする人間の扶養のために義務者の資産をすり減らし、結果的にその人も被保護者になるのでは意味がない。
したがってこの項目は、現自民党政権が通した生活保護法改正案においても、極端な線引きはされていないはず。年収200万〜300万円だったり、貯蓄がろくにない人間に対し扶養を求めることはないはずだ。これは、たとえば年収1000万円とか、十分な資産があるにもかかわらず扶養義務を果たそうとしない人間に対し扶養するよう要求する項目になっている。
 では、改めて働く能力について考えてみよう。たとえば遅刻ばかりをする人がいるとする。この人は、朝決まった時間に起きる能力がない。したがって、必ず定刻までに出勤してもらわなければ仕事が回らない職場で働く能力に欠けている。短期的には働けても、長期的にはうつ病になる人がいるとする。この人は継続的に働く能力に欠けている。働けていたのに、自殺してしまった人がいるとする。死んでしまってからでは確認のしようはないが、何かしら欠けてるものがあったのに、無理したせいかもしれない。このように「働ける能力」というのが実際のところ具体的にどういうものなのかを判定することは、不可能なのである。
 ここで「勤労の義務」を持ち出す人がいる。権利を主張する前に義務を履行するのが筋だというわけだ。だが、憲法における勤労の義務とは、誰に対して課せられたものなのだろうか。これは、国家に対して課せられていると考えるのが筋だ。勤労の義務とは国家が負っている義務なのだ。国家は国民が勤労できる場を提供する義務を負う。これが正解なのである。
 ただし、これは一説にすぎないという意見もある。一般的な認識通り、国民が勤労の義務を負うと考える。この点はそれこそ学者が専門家として喧々諤々の議論をするような内容、いわば彼らの仕事そのものなので、ここで是非について深入りすることは避けておこう。私の立場は、勤労の義務は国家に課せられたものであるということなのだ。
 簡単に、ウィキペディアを引用しておこう。
現代的・立憲主義的憲法においては、国家の構成員が、国家に対し国家の構成員の権利・自由を擁護すべき義務を課す http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%99
 ちょっと難しい話だが、憲法尊重擁護義務というものがある。これが国民に対して課せられていると考える人がいるのだが、これも、権力者たる政治家や官僚、公務員、そして、天皇に対して課せられているとするのが妥当とされる。国民に義務があるとしたら、それは、彼らが憲法違反をしたり、ないがしろにしないように見張る義務というようなものになるだろう。
 したがって、「どうしても朝起きられない人」の場合、彼に対し無理やり「朝起きねばならない仕事を強要する」のではなく、彼でも働けるような朝遅い仕事などを「提供する義務」が国家側にあると考えるのが、妥当なのではないか。もっと言ってしまえば、国民の側からすれば「働くも働かないも国民の自由」と言っても過言ではないはずだ。働く、働かないは、生存権という基本的人権と直結させてはいけないということでもある。
posted by GHQ/HOGO at 09:14| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

生活保護を権利として正当化する 1

 今の日本社会における生活保護は、権利ではなく「おめぐみ」「慈悲」の枠組みで考えられてしまうという問題がある。「基本的人権」「生存権」の枠組みで捉えられず、貰う人は地に頭をなすりつけ、豊かな人、社会的勝ち組の気分や慈悲におすがりし、おめぐみをいただき生かされる立場でしかないとされることが少なくない。怒りを買ったら取り上げられるので、絶対に文句を言ってはいけない。ひたすら頭を下げ、感謝し、めぐんでくれる人々の気分を害さないようにしなければならない。
 しかし、法律上は「権利」と定められている。権利というのは条件さえ満たせば例外なく該当する人が行使できて当然のものである。頭を下げたり誰かに気に入られたりしなければ行使できないものは、権利とはいえない。
 生活保護は生存権という権利の行使であって、豊かな人々の慈悲で与えられるものではない。ところが生活保護の問題が表に出た際に人々が受給者に要求するのは、慈悲にすがって生きている人の卑屈な態度なのである。権利だと言うと「何を偉そうに」と憤る。お前たちは私たちの血の滲むような努力で「生かされて」いるのであって、要求を突きつけるなどおこがましい、頭が高い、身の程を知れ……というわけだ。
 その憤りこそが、生存権を権利として理解できていない、何よりの証拠なのである。それでは、前近代から何も進んでいない。
 生活保護で生きることがちゃんとした権利の枠組みで考えられるようになるためには、「慈悲」のレベルから「権利」のレベルへと昇華させる、正当化するプロセスが必要不可欠である。ところが日本は、国の大基である憲法自体がGHQから与えられたもの。言い換えれば、押し付けられたものである。
 なぜ日本人が世界的に見てもトップクラスに社会福祉に冷酷な国民なのかと言うと、憲法・基本的人権・生存権というものが、自分たちの経験を通じてその必要性を理解したうえで創りだし獲得した概念ではないからだ。今の自民党の人たちを見ているとよくわかるのだけれど、他人に押し付けられたものであるという被害者意識が強すぎて、憲法や権利というものの大事さがよくわかってない。
 そんな日本で必要なのは、あえて堂々と「生活保護をよこせ、生存権を守れ」と声を大にして言っていくことだ。いろいろと条件をつけて、その条件を守れなければ飢えて死ね、生きていたら他人の迷惑なので死んだほうがいい人がいると考えてしまうのは、憲法25条[生存権] すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、を理解していないとしか言えない。日本国籍を所有する日本国民であれば、例外なく、そういった生活を営む権利を有しているはずだ。
 見方を変えるなら、この権利は刑務所にいる犯罪者にすら、適用される。この権利から追い出されるのは死刑囚のみ。死刑に値する罪を犯したわけではない犯罪者は、ある程度の制限はされるが、餓死したり、病気になったりしない環境で生存する権利があるわけである。だからこそ、刑務所は今知られているようなレベルで運営されている。
 ましてや罪を犯したわけでもない日本国民が、刑務所にいる人より低水準な生活を送らねばならないなど、あってはいけないことである。
 ところが現実的には、いろいろと社会福祉から漏れてしまう人が出て、彼らは「生きるために」罪を犯し、「生存権が保証される」刑務所に入ろうとする。外にいたら権利が守られないから、入ろうとする。こんなにおかしなこともないわけだ。
 たとえば「働きたくないというわがままをいう人間は餓死して良い」と言うなら、その人にとってそういう存在は、死刑に値する罪を犯していると考えていると言うのに等しい。
 そういう人は、死刑というのがどれほどの罪なのか理解できているのか。最低でも「人一人殺している」のが条件である。
 例外が、外患誘致罪。刑法にこうある。
 第81条[外患誘致] 外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。
 武力を行使させた結果死者が出たかどうかなんて関係ない。無期懲役も何もなしの死刑一択。これはなかなかすごい刑罰だ。
 働かないということ自体が殺人や放火、外患誘致に値するほどの罪であるという考えは、これはもう極めて左翼的な考え方、いわゆる極左と言ってもいいだろう。今でも北朝鮮には強制労働収容所がある。そういうものを作れとでも言いたいのか。
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2015年11月24日

生活保護と自己破産の関係

 生活保護を受ける人の中には、借金を抱えている人もいる。では、生活保護を受けているときには、借金の返済はどのように処理されるのか。
 生活保護は基本的に、文化的な最低限度の生活を送るための、最低金額しか支給されない。そのため、生活保護の受給金から、借金の返済を行うことは、さらに生活が圧迫する ことになる。
 しかし、生活保護を受けても、借金がなくなるわけではない。生活保護は自己破産と違って、一切の債権が放棄されることはない。生活保護を受けていても、自己破産の手続をしないかぎりは、借金は消えず返済しなければならないのだ。
 基本的には、生活保護で受け取っている限り、借金の返済は猶予されるのだが、金額が高額であるというときには、自己破産をしたほうがいいのではないか。ただ、少額の場合は、生活保護の受給終了後に返済してもいいのだが…。
 生活保護を受ける際に、福祉事務所などの専門家に相談する中で、「借金があって生活が
維持できない」ということを相談すると、福祉事務所は自己破産の手続をするようにと示唆するはずだ。
 自己破産を行っても、生活保護は受けられるので、法テラスに手続などを依頼すればいい。手続きに必要な費用についても、支払い方を教えてくれるはずである。
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2015年11月23日

生活保護を不当に拒否、断る、もらえない構造はいじめと変わらない!

 生活保護を受給する人は、一般的に経済的な弱者であるとともに、情報弱者でもある。生活保護を受給しているか、またはしようと考えている人より、受給したこともないし、その気配も今のところない私のほうがいろいろと詳しいと思う。例えば、ホームレスの人が生活保護を受給しに行ったら、「ホームレスは生活保護の受給資格がない」と追い返されるケースがあるという。ほとんどの人は、その説明に納得はしないものの渋々受け入れて帰ってしまう。ただ、私はホームレスが生活保護を受けられない。などということはないということを知っている。それはインターネットのおかげだ。生活保護を現実的に考えている人は、多くがネットが身近にないと思う。つまり、何かを調べるときに、1番便利なツールが使えない。実際、私が生活保護に詳しくなったのはほとんどがネットからの情報をもとにしている。ネットがないと生活保護についての情報が入ってこない。だから、違うモノを違うとは言えないのだ。そこに付け込んで、嘘で突き通そうとする職員が少なからずいる。
 その情報の非対称性というのも問題なのだが、1番の問題は不正に申請を受け付けなかったり、保護を与えなかったりする現状を踏まえて、受給しようとする側の人間の問題もある。端的に言ってしまうと、彼らはなめられている。いじめっ子がいじめをしていて、何の抵抗もしてこないから余計に酷くなる状況と一緒だ。不正に受給を拒否された場合、受給者は何をするか。多くは何もしないで悩みこむケースである。中には味方をつれて申請に行くと申請が受理されるケースもあるようだが、これも先生を味方に付けて、いじめっ子を叱り付けると、いじめっ子がいきなり大人しくなるケースと酷似しているように思う。つまり、このいじめの構造は、受給を希望するものが変わらないと、現実的には変わらない可能性が高い。つまり、抵抗しないともはや国や自治体すら敵であり、頼れるものじゃない。抵抗というのは、受給を希望する者自身が、知識をつけ、頼れる人を探して活動することだ。
 中には非業方法的な手段に訴える人もいるかもしれない。構図で言えばフランス革命のような形になるのかもしれない。数日前まで朝日新聞をとっていた人はお分かりかもしれないが、実は「いじめはどうやったらなくせるのか」という連載のコラムをやっていたらしい。私は読む気はなかった。それはいじめなくなるわけがないだろうと思っているから。国ぐるみでいじめをしている現状で、どうやって生徒や児童らのいじめをなくせるのか。別の言い方をすると、国が率先して弱者をいじめている現状で、学校のいじめを悪いなんて言えるのか。自身が国民をいじめている現状はある。学校で起きているいじめについては、そもそも誰の監視下に置かれない場でのいじめが可能だろうから、その点についていえば、なくなるとは思えない。つまり、見つからない場所でいじめることは可能だろうから、現実的にそれをなくしていくのは犯罪を0にするのと同様に厳しい現実がある。
 生活保護の問題は、そもそも税金の使い方の問題や所得の再分配の問題であって、希望者全員に受給が可能か、はともかくとしても、改善の余地はあるはずだ。というか、現状2割しか受給できていないので、そもそも200万人以上受給している現状を踏まえれば、単純に5倍受給資格を持っている人がいるということだ。つまり、1000万人を越える。1億2000万人のうちの1000万人は最低限の生活ができていないという現状がある。これは完全に国の失敗である。所得の再分配が不完全だからこそ、1000万人以上の生活困窮者が生まれる。にもかかわらず、国がやるのは支給金額の切り下げなど、さらに生活困窮者を苦しめるやり方ばかり。これに関しては全国各地で裁判も起きている。
 日本人は大人しいからないと思っているかもしれないが、いずれ暴動や犯罪が起きても不思議じゃない。だからこそ、その被害に遭う人が出ないように、自分が被害に遭いたくないというのもあるが、だからこそ、それが起きる前にこうして警告をしているのだ。いつくるか分からない大地震に備えて、立派な堤防などを作るお金があるなら、明日を生きるお金もままならない人たちはなぜ救われないのか。何故見捨てられるのか。そして、この現状を、生活保護とは無縁の人たちもなぜ支持するのか。信じられないのだが。まずは受給を希望する方が、いろいろな意味で強くならないといけない。そうしないと、いじめられ続ける現状は一向に変わらない。生活保護受給者はお金に困っているのだから、彼らは与えられたお金を間違いなく使う。だから、景気刺激策としても有効という意見すらある。理屈は確かにとも思える。ただ、国民や国はもはや感情論から反対するはずだ。貧乏人が貧乏人をいじめるという構造は悲しい。
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2015年11月22日

生活保護以下の貧困 “下流老人”への落とし穴

 人並みに頑張って生きてきたのだから、それなりに余裕ある暮らしを送れるだろう……。誰もが願う、“普通”の老後。しかし、ささいな出来事がきっかけで、日々暮らすのもやっとの“下流”に転落してしまう高齢者が後を絶たない。
 下流老人という言葉は造語で、生活保護基準相当の収入で暮らさざるをえない高齢者および、そうなる恐れのある高齢者を指している。生活保護費の額は自治体によって違うが、首都圏で暮らす1人暮らしの高齢者の場合、月額13万円程度。これに加えて医療扶助や介護扶助金が支給される。
 しかし、生活保護費より低い水準の年金で暮らしている人は、かなりの数に及んでいる。内閣府の調査によると、65歳以上の相対的貧困率は22%。つまり5人に1人は、下流老人ということになる。高齢者は二極化し、逼迫ひっぱくしている人がかなりいる。高齢者はゆとりがある、金持ちだというイメージを抱いている人も多いが、実態はそうではない。実際、下流老人は特殊なケースだと思われがちだが、そうではないのだ。誰もがそうなる可能性がある。
 たとえば夫が65歳で定年を迎え、妻が専業主婦であった場合。退職後は収入がなくなるので年金で生活することになるのだが、支給基準が予想より低いケースが少なくない。
 現在、一般サラリーマンの平均年収は約400万円。その場合、国民年金と厚生年金を合わせた年金は夫婦で20万円をちょっと切るくらいなのだ。その額で2人が生きていくのが、平均モデル。ということは、年金しか頼りにならないとすると、首都圏の生活保護基準とそれほど変わらない。
 そこに医療費が必要になったり、介護施設に入るとなると、一気に生活が苦しくなる。有料老人ホームは1人当たり月額20万円以上かかる場合も多いので、これだけで年金が飛んでしまう。現役時並みの生活を維持したいのであれば、年金プラス貯金や資産が必要だし、ローンを払い終わった持ち家がないと生活自体が成り立たない。しかし、思い通りにいかないのが人生。ちょっとしたきっかけで予測がくるい、困窮化する場合がある。
 具体的な事例を見ていきましょう。
 ある女性、Aさんは、67歳で離婚した。町工場で働いていた夫から日常的なDVや暴言を受け、ずっと我慢していたのだが、2008年の法改正で、離婚しても夫の年金を分割してもらえると知り、離婚を決意した。夫の年金額は、国民年金と厚生年金を合わせて15万円ちょっと。Aさんは専業主婦で国民年金のみなので約6万円。2人合わせると約22万円。持ち家があるので、なんとか暮らせる。
 しかし夫の厚生年金を分割し、2人で分けると、どちらも年金総額が11万円くらいになる。つまり下流老人が2世帯できてしまうわけだ。Aさんは家を出てアパート暮らしを始めたが、11万円の年金で家賃を払うと、とても暮らせない。リウマチの持病があり、医療費もかかる。困り果てて、生活保護申請をして、今は何とか暮らしている。
 Aさんはそれまで40数年、ごく普通の生活レベルだったものの、離婚をしたという一点によって下流老人になってしまった。このように熟年離婚は、かなりリスクが高いと考えたほうがいい。高齢男性のみの世帯の相対的貧困率は38・3%、高齢女性のみの家庭では52・3%だ。つまり女性単身のほうが1.5倍ほど、下流老人になるリスクが高い。
 だからといって、DVを我慢して婚姻関係を続けたほうがいいとは、とても言えない。こういう女性をどう支えていくかは、今後の制度政策の課題なのだ。また、最近は夫のリストラによってリスクを抱える家庭も増えている。厚生年金の支給額は現役時代の総収入によって変わるので、50歳で夫が失業したとすると、その分、将来の厚生年金の額も下がる。すると老後の計画も狂ってしまう。
 2015年7月、東海道新幹線で放火・焼身自殺事件があった。事件を起こした男性は年金支給額が約12万円で、そこから4万円ほどの家賃を払っていた。自分が予想していたより年金額が少なく、そのことが精神を圧迫していた。12万円というのはそう悪い額ではないが、首都圏で家賃を払って生活をしようとすると、かなりキツい。光熱費や食費など最低限の生活に必要なものを減免する、あるいはヨーロッパ諸国のように低所得者向けの低家賃の住宅を整備するといった措置をとらないと、今後も生活苦に端を発する事件が起こりかねない。
 ただし地方では、6万円の国民年金のみで生活していても、下流化を意識しないで暮らしている高齢者はいくらでもいる。持ち家があり、畑で自給自足をし、近所の人たちとおかずを持ち寄るなど地域のつながりがある。たとえ子供世帯と同居していなくても、生活が成り立つ。場所や暮らし方で状況は変えられるのだ。
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2015年11月21日

生活保護制度はセーフティネットの役割を果たしているか?

 「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と答えた日本人が38%で、世界中でトップだったという国際意識調査結果がある。調査によると第二位が米国で28%。日米以外の国は8%〜10%とおしなべて低かった。この低い数字は洋の東西・経済水準・文化・宗教・政治体制を問わず同じで、日米(特に日本)だけが突出して高かった。意外な数字がネットでも騒がれたが、生活保護をめぐるお笑い芸人への激しいバッシングはこの数字を裏付ける現象だったのかもしれない。
 何年か前、年収五千万円のお笑い芸人の母親が生活保護を受給していたことが多くの人の反発を招いたのは理解できないことはない。だがこれは特殊なケースである。それに不正受給でもなかった。問題にされている不正受給は全体のわずか0.4%にすぎない。行政の「水際作戦」が見事すぎるほど成功しているのである。したがって生活保護の喫緊の政治課題は、もともと少ない不正受給の防止でも、近親者間の扶養義務の強化でもなく、数十万から百万といわれている有資格者が受給から漏れている現実の解決である。
 だが、お笑い芸人の謝罪会見があったその日に厚労相は給付の10%削減と近親者の扶養義務の強化をタイミングよく国会で答弁した。そもそもお笑い芸人の問題が表面化したのも自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」によるあら捜しがきっかけだった。これではお笑い芸人のレアなケースを針小棒大に取り上げて、国民の感情的反発を意図的に煽ることで、生活保護問題の本質を逸らしていると疑われてもしかたない。
 日本の生活保護給付は先進国中で最低水準である。もし制度が正常に機能していたなら、ワーキング・プアーやホームレスがこれほど社会問題化することもなかっただろう。また、生活保護給付が最低賃金より高いことを批判する議論も問題認識が逆立ちしている。憲法25条が約束する最低限の生活すら維持できないような劣悪な企業待遇が合法的に認められていることこそが問われなければならない。「ブラック企業」での就労を労働者が拒否できるだけの生活レベルを生活保護制度が保障できてこそ、セーフティネットが正常に機能していると言えるのではないか。
 よりによって厚生労働大臣が「底辺への競争」に拍車をかけるような振る舞いをすることは論外である。
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2015年11月20日

貧困層の増大を問題視するのであれば、新たな締め出し・締め付けなどは本末転倒

 生活保護見直しが議論されているが、その前提が間違っていることが少なくない。というのも、保護費の膨張に歯止めをかけることを狙いとしているからだ。
 生活保護受給者が210万人を超えたという事態をどう見るのか。まさしくそれは貧困層が増えている証しだ。それだけにとどまらない。
「受給資格があるのに受けていない人はその3〜5倍もいるとされる」
「保護を要する生活レベルなのに、利用世帯は約3割にとどまるという統計もある」
「(保護)対象者のうち実際の利用者の割合を示す『補足率』は20%にすぎないと言われる」
「欧州諸国の5〜9%と比べて1・6%の生活保護利用率しかないなど必要な人が利用できていない」
 言い方はさまざまだが、生活保護が必要な世帯・人は受給者の3倍は存在しているし、しかも増えているのである。この現実、つまり貧困層の増大こそ前提として見直すべきなのだ。
 日本では急速に貧困層が拡大している。現実を直視し、貧困の固定化を防ぐ対策を打たなければ生活保護の肥大化に歯止めをかけることはできない。基準の切り下げだけでは何の解決にもならないのだ。
 不正は許されないが、一部に問題があるからといって引き締めを強めれば、必要とする人がますます受けにくくなる。札幌市白石区で孤立死した40代姉妹のように、行政や社会との接点を失う人が増えかねない。見直しには慎重さが欠かせないはずだ。
 自立しても、すぐに生活保護に逆戻りすることがあってはならない。求められるのは、生活保護を含めた貧困対策の拡充だ。実質的な収入増になるよう低家賃の住居の提供や、最低賃金の引き上げなど国、自治体、企業が対策を張り巡らさなければならないのではないか。
心配なのは過度な締め付けにより、本当に保護が必要な人まで制度の外に置かれる恐れがあることだ。『最後のセーフティーネット(安全網)』としての機能を損なわないようにしなければならない。
 留意したいのはどんなに適正化しても、それで貧困問題の解決にはならないことだ。締め付けが行き過ぎれば、かえって社会保障の最後のセーフティーネット(安全網)さえ機能不全に陥る恐れがある。むしろ、いかに生活保護から脱してもらうか、自立支援にこそ力を入れるべきだが、政府も行政もまともな自立支援策を立てようとしないのだ。
 生活保護を受けることに負い目を感じる人が申請を控えかねないとの指摘がある。もっともである。適正化は当然だが、真に助けが必要な人を見捨てない仕組みづくりを優先する社会のほうが望ましくないだろうか。やむを得ない事情で生活に困る人がいる現実を見据え、安定生活を保障する対策を講じることこそが求められる。救うべき人を放置したまま支給水準を切り下げれば、日本弁護士連合会も危惧するように、際限のない引き下げにつながりかねない。
 そもそも、生活保護受給者が210万人を超え、さらに貧困層が拡大している原因は何か。リーマン・ショックによって現役世代の受給も急増した。日本経済の停滞と軌を一にしている。非正規雇用が増え、失業が生活困窮に直結する社会では、生活保護は多くの国民にとって身近な問題だ。今問題なのは雇用の悪化や非正規雇用の広がりで、『働きたくても働けずに困っている』現役世代の受給者の増加だ。高齢や病気でなく働ける人が約40万人いると推計されている。就労への支援が最も求められているということなのだ。
 経済状況の悪化と、そのもとで人減らし・リストラをすすめてきた政府・大企業の責任だといえる。働く場を奪っておいて、『就労』を強い、不熱心だから保護を厳しくするというのは本末転倒である。大企業に対して、雇用を守る社会的責任を果たさせることも政治の責任としてやるべきなのだが、政策の多くはその逆になっている。
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2015年11月19日

日本の「貧困」はどこにあるのか?

 「ワーキングプア」や「1人親家庭の貧困」、「子供の貧困」といった問題が話題になって久しい。最近では「6人に1人の子供が貧困」などと言われ、あたかも貧困が日本中に蔓延しているかのように語られているが、多くの人の実感としては、まさかそんなに多くの人々が「貧困」状態にあるなんて、とても信じられないのではないか。
 身の回りを見ても、ホームレスなどを除いて、いかにも貧困状態にある、などという人を見かけることはない。しかし、例えば「6人に1人」の子どもが貧困なのであれば、40人学級であればクラスに6人の貧困世帯の子供がいることになる。本当に貧困はそれほどまでに蔓延しているのだろうか。もしそうだとすれば、どの場所に貧困が集中し、またそれはどれほどの割合なのだろうか。
 省庁のサイトで入手できるデータなどから、東京の貧困の分布を調べてみた。2015年10月、文部科学省は、貧困の所在を考える際に大いに注目すべきデータを初めて公開した。そのデータとは、市区町村別の就学援助率の調査結果である。これまで、要保護・準要保護児童(就学援助の対象となる児童)の数は、都道府県別のデータしか公開されておらず、非常に大雑把にしか地域別の貧困の実態を比較分析することができなかった。しかし、子供の貧困対策法・大綱の中で、自治体に対して貧困対策の実施が求められていることもあってか、市町村レベルでも定期的に調査・公表を行なっていく方向にシフトしてきたようである。市町村別では就学援助率の5パーセント刻みのデータしか公表されていないため、ざっくりとしか比較することはできないが、地域別の貧困を把握するにあたり貴重なデータであることは間違いない。
 そもそも就学援助とは何か。就学援助について考える前に、なぜ無償で義務教育が提供されているはずの日本において、学校費用を公的に補助する必要があるのかを考えておきたい。
 教育基本法は、「義務教育については、授業料を徴収しない」と定めている。実際、現在の日本では公立小・中学校の授業料と教科書代は無償である。しかし、義務教育期の子供にかかる費用は、授業料と教科書代だけではない。学校に通わせている・通わせたことのある人ならご存知であろうが、さまざまな出費が伴うものである。特に公立の中学校では、交通費、部活、修学旅行などにそれなりの出費が必要になり、無償の義務教育とは言っても年間13万円超の出費が必要になる。生活保護世帯の小・中学生の子ども(要保護児童)の場合、義務教育に伴って発生する学校給食費や学用品費は、生活保護制度上の教育扶助の対象となり、給付される。 一方、就学援助は、生活保護世帯であるが教育扶助を受けていない子供(要保護児童)、生活保護基準ほどではないが経済的に厳しい子供(準要保護児童)について、そうした義務教育に伴う出費を補助するための制度である。また、生活保護と教育扶助をともに受けていたとしても、教育扶助は修学旅行費をカバーしていないため、それを補うため生活保護世帯に対しても就学援助は給付される。
 準要保護者は、「生活保護に準ずる経済状況」と市区町村によって認定された者であるが、どのような場合に「生活保護に準ずる経済状況」と認定するかは、市区町村によって基準が異なる。したがって、市区町村間の就学援助率を比較する際には、各市区町村の認定基準を注視する必要がある。
 それでは、いよいよ東京都の市部・区部の就学援助率と、それぞれの市区の就学援助基準の目安額を整理してみる。各市区の就学援助率は、5%刻みで公開されており、東京都内では最も高いのが足立区の「35%以上40%未満」となる。就学援助を受給している児童が40%にも及ぶというのは、直感としても驚異的な数字に思えるであろう。単純に考えれば、足立区の40人学級であれば、実に16人もの生徒が就学援助を受給している計算である。 足立区の就学援助を受給する基準額は399万円であるから、例えば福生市の265万円と比べれば、そもそも基準が高いために受給者が増えていることが想像されるものの、子供の貧困は一定のレベルで足立区に集中していることが分かった。また、就学援助率で上位にくるのは東京特別区ばかりであるという点も興味深い。沖縄や高知市などの地方も相対的貧困世帯の数や就学援助受給率が非常に高いことで有名だが、逆に都心にも貧困は集中するようである。
 貧困の所在を考えるときに、就学援助率と並べて見てみたいデータとして、市区町村の住民1人当たりの生活保護費がある。これは、自治体の歳出のうち、生活保護に当てられている総額を、住民の人数で割った値である。就学援助受給率が40%未満・35%未満だったグループの区については、それらの区のすべてが1人当たり生活保護費ランキングでも上位10位以内に入っている。あくまで一部の統計のみを見て比較した結果ではあるものの、東京都における「貧困のありか」は、足立区、板橋区、荒川区、墨田区、台東区、江戸川区の6区であると結論できるのではないか。貧困が集中していると思われる6区は、例えば足立区が子供の貧困対策を矢継ぎ早に発表しているように、「貧困」というテーマが区政や財務状況をも左右する大きなアジェンダになり得る自治体と言える。
 なぜなら、これはその区に住む住民1人ひとりにとって、死活問題とも言える問題であるからだ。例えば台東区の住民1人当たりの生活保護費を考えれば、(国庫補助を考えず極めて単純化すると)ある1人の住民が納めた税金のうち年間10万円以上が生活保護費に消えていることになる。さらに、次世代にも連鎖するとされる貧困を放置すれば、将来的にはより一層自らのサイフを締め付けることになる。
 「貧困対策」は、どちらかといえば左派的な思想の延長にあるとされがちだし、「貧困」らしきものが身の回りでは見えてこないことから、これまで日本においてはナショナルアジェンダになることはなかった。しかし、いくつかの統計の分析結果、明らかになったように、東京都内でも貧困はかなり深刻なレベルに達しており、かつそれはわれわれ1人ひとりのサイフを締め付けるほどの問題になっている。特に貧困が深刻な地域においては、そこに住む住民が問題を認識し、行政に対し積極的に対策を求めていくことが肝要だ。ゆくゆくは、それが自分の、あるいは自分の子供の将来負担に影響してくることになる。
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2015年11月18日

生活保護「不正受給」は1%未満にすぎない

 生活保護「不正受給」は1%未満にすぎない。「不正受給が横行しているのではないか」「利用者が増えると国が大変」−−そんな「生活保護制度」へのネガティブなイメージを変え、利用を促さなければいけない。
 日弁連の「あなたも使える生活保護」と題したパンフレットには、利用できる人の条件や申請の手順などが、イラストとともに分かりやすく説明されている。また、役所の窓口で申請を断られたときに相談できるNPO法人などの連絡先も、掲載されている。
 パンフレットで、受給資格がある低所得世帯のうち、約2割の世帯しか生活保護を利用していないことわかる。一方、不正受給の比率は厚労省調べでも、「全体の1%にも満たない」という。
 生活保護の利用が少ない理由は、3つある。1つ目の理由は、自分が生活保護を使えることを知らないため。持ち家があるから使えない、年が若いから使えないと思い込んでいる人もいるが、実際は、そのような人にも受給資格がある。
2つ目の理由は、生活保護にネガティブなイメージがあり、『恥ずかしいから使いたくない』と申請をためらうためである。
 2012年には、ある芸能人の母親が生活保護を利用していることが、実際は不正受給ではないのに不正受給であるとして過剰なバッシングを浴びたが、実は2011年に、生活保護の受給者が過去最多になった。あのバッシングは、生活保護の受給者を減らすために政治家や行政が意図的に行った、ネガティブキャンペーンだったと言える。
 不正受給がテレビなどでさかんに取り上げられた結果、生活保護利用者に対する偏見が助長された。しかし実際は、不正受給額は全体の0.53%と非常にわずかなのである。
 毎年の生活保護の不正受給は全国で約4万件で、メディアでは「過去最悪」と報じられたが、それでも割合は1%にも満たないのだ。パンフレットには「むしろ使うべき状況にある多くの人が受給から漏れている」と書かれている。
 3つ目の理由は、せっかく申請しようと思っても、役所で追い返されるためである。役所の職員の中には、社会福祉に対する専門性も熱意もない人が多い。
 たとえば、生活保護は本来、ホームレス状態の人でも受給資格がある。しかし先輩から聞きかじった知識しかない職員がいる役所では、『うちではホームレスの人の申請を通したことがないから』というだけの理由で、申請しようと思ってきた人を追い返してしまう。法律や厚労省の通達に基づかない、役所ごとの『ローカルルール』に沿った運用が横行しているのだ。
パンフレットで、『自分も生活保護を使えるんだ』ということをまず知ることだ。そして、不正受給はごく例外的なケースで、恥ずかしい制度ではないと認識をもつことだ。役所の窓口で追い返されたら、支援団体や弁護士に相談してほしい。NPOの支援者や弁護士と一緒に申請に行けば、追い返される可能性はかなり低くなる。
 では、どのタイミングで利用するのがいいのか。生活が極限まで苦しくなり、心の病気になるようなところまで追いつめられないと、生活保護を使おうと思えない人が多い。ただ、病気になってしまってからだと医療費もかかり、生活を立て直すことが難しい。もっと早く生活保護を使えば、早いうちに再スタートが切れる。ぜひ、追いつめられる前に申請すべきなのだ。
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2015年11月17日

子供の貧困の実情とその対応策の脆弱性

 現在、日本において「子供の貧困」が大きな問題となっている。「子供の貧困」とは、子供が経済的困難と社会生活に必要なもの(日常的な養育、学習環境など)の欠乏状態におかれ、発達の諸段階におけるさまざまな機会が奪われた結果、人生全体に影響を与えるほどの多くの不利を負ってしまうことを意味する。その程度は、18歳未満の子供全体の中で、何パーセントの子供が貧困の世帯に属しているかという数値(子供の貧困率)で表すことができる。現在の日本の場合、子供の貧困率は13.7%となっており、子供約7人に1人が貧困状況にある。特に、家族構成別に子供の貧困率を見ると、両親と子のみの世帯で11%、三世代世帯で11%、父子家庭で19%であるのに対して、母子家庭では66%にも達しており、子供の貧困は母子家庭において顕著である点が大きな特徴である。
 貧困問題に対処するため、日本では「生活保護制度」が設けられているが、この制度は、母子家庭を含め国民すべてにとって最低限の生活を保障しようとするものであり、貧困世帯に対してセーフティーネットの役割を果たすことを意図している。この制度がうまく機能すれば、生活保護を必要とする被保護者を減少させるはずであるが、実際には、被保護者数は平成27年度において210万人を数え、さらに上昇傾向にある。また、生活保護受給世帯の世帯主は学歴が低い場合が多く、特に母子家庭の4割で生活保護の世代間継承が行われているというのが現状である。このような状況を生み出している現行の生活保護制度には、具体的に3つの問題がある。第一に、生活保護行政における国と地方の分離化、第二に、生活保護基準の妥当性の問題と捕捉率の低さ、そして第三に、福祉事務所の実態調査機能の低下、である。
 また、母子家庭の母親(シングルマザー)の約5人に1人は、ダブルワーク・トリプルワークをしており、しかも多くのシングルマザーは非正規雇用もしくは低賃金産業で働いている。日本の母子家庭においては、母親の約85%が就労しているが、こうした劣悪な就労条件を反映して貧困から抜け出せないという問題が生じている。子供の貧困問題は、その家族の経済状況と生活状況が直接に影響を与えるため、問題解決にとっては母子家庭が「自立」できることが何よりも必要になる。日本では、これに対する政府の支援制度として就労支援制度が設けられているが、現状では各制度とも実施主体が独立して運営されており、一体化された支援が行われていない。一方、企業においても、シングルマザーの積極的な雇用や母子家庭の生活状況を考慮した企業経営の在り方が求められているが、企業的にも社会的にも問題解決に向けた意識が低いのが実情である。
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2015年11月16日

貧困対策機能をどう政策に埋め込めばいいのか?

 @ 実態を分析し、目標とすべき指標を明確にする
 相対的貧困率にとどまらず、より詳細な実態分析を行うこと。誰を弱者と認定して、より配分を高めるかについては、明確な基準が必要とされる。相対的貧困率が国際比較の上で分かりやすいが、それだけでは納得感が得られにくいため、絶対的な貧困を含めた調査や開示がひつようだ。
 A 貧困削減の手段を、責任主体別に分けた上で、効果のシミュレーションを行
 いきなり増税という結論にならないように、政府が配分を変更して捻出できる予算、企業が労働慣行を変えることで可能になる格差是正、経済成長による変化――などについて、貧困対策別に具体的な効果を試算することだ。その上でもなお不十分な部分は、税制で改革を検討していく必要がある。
 B 貧困解消に向けた具体的な中長期計画をまとめる
 これまでの分析結果を踏まえて、より詳細な貧困の目標値の設定、その目標値を達成するための中間目標値の設定、それぞれのターゲットで到達目標年を定め、全体計画に沿った形で、年度計画への落とし込みと施策の責任者を明確に設定する。
 特に大きな課題は、現行の政治の仕組みでは、貧困解消に向けた目標と責任の所在が明らかでないということである。政府の中にどのようにして貧困対策機能を埋め込めばいいのかを考えなければならないはずである。
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2015年11月15日

生活保護の停止と廃止はどのようなもので、違いは何なのか?

 生活保護の停止とはどういう場合なのか。
その世帯における臨時的な収入の増加、最低生活費の減少等により、一時的に生活保護を必要としなくなった場合であって、今後において、見込まれるその世帯の最低生活費および収入の状況から判断して、おおむね6ヵ月以内に再び生活保護を必要とする状態になることが予想されるときには、今後において見込まれるその世帯の最低生活費および収入に基づき、停止期間(原則として日を単位とする)をあらかじめ定めるものである。
また、その世帯における定期的な収入の恒常的な増加、最低生活費の恒常的な減少等により、一応、生活保護を必要としなくなったと認められるが、その状態が、今後、継続することについて、なお、確実性を欠くため、いくらかの期間、その世帯の生活状況の経過を観察する必要性がある場合である。
 それでは、生活保護を廃止する場合とは、どのような場合なのか。
 それは、その世帯における定期的な収入の恒常的な増加、最低生活費の恒常的な減少等により、以後、特別な事由が生じないかぎり、生活保護を再開する必要がない場合である。また、その世帯における収入の臨時的な増加、最低生活費の臨時的な減少等により、以後、おおむね6ヵ月をこえて、生活保護を必要としない状態が継続すると認められるときである。
 以上が一般的な停止と廃止のパターンである。一般的なものとしては、仕事が決まり、収入がはいり、その収入が、生活保護の最低生活費をかなり上回ったとする。その場合、その人が長く、仕事を続けるか、もしくは、きちんと最低生活費以上の収入を得られるか見究めるために、廃止ではなく、停止という措置をとる。廃止も停止も、どちらも、生活保護を受けていないことにはかわりはないのだが、廃止してまうと、収入が減って、また、生活保護が必要になったとき、改めて申請が必要になる。しかし、停止のばあいは、すぐに再開始ができる。ここが、廃止と停止の一番の違いである。
 では、生活保護の停止になる場合と廃止になる場合の違いはどうなっているのか。生活保護が継続できなくなるパターンは、収入の増加だけに限らないところに注意することだい。市役所の指導に従わないために、停止になる場合もある。
例えば、病気らしいのに、仕事を探さず、訳の分からないことをしている生活保護受給者がいるとする。その場合、その生活保護受給者に対して、病院へ受診しなさいという命令をだすことができる。これを検診命令という(病識のない精神疾患の人に多い)。この検診命令がでているのに、病院へ受診しないと、検診命令違反になる。その場合、生活保護が停止になる。停止処分を行った理由が解消しないかぎり、停止は、継続される。
他の場合でも、自動車の処分をするように指導しているのに、いつまでも処分しないと生活保護が停止になる。また、生活保護の基準となる家賃より高いところに住んでいるため、転居するように指導を受けているのに、いつまでも転居しないと、指導指示違反で、生活保護が停止になることがある。
 このように、お金のあるなしにかかわらず、市役所の指導に従わないために、生活保護が停止になることがある。それでは、廃止になる場合では、どんな場合があるのか。
 まず、親族が生活保護受給者を引き取って、面倒をみる場合は、すぐに廃止になるだろう。また、年金を受給するようになり、その年金額が、最低生活費を上回っている場合は、廃止になると思われる。このへんは、当然といえば、当然だろう。このへんは、廃止と停止の違いである。
 生活保護受給中に、貯めたお金が多額になった場合は、どうなるのか。いわゆるやりくりで、生じた預貯金がどう取り扱われるかということである。預貯金が生活保護費のやりくりによって、生じた預貯金の場合は、その預貯金の使用目的を市役所が生活保護受給者から聞き取りをして、その使用目的が生活保護の趣旨目的に反しないと認められる場合については、活用すべき資産にあたらないものとして、保有をみとめてよいことになっている。
しかし、保有の認められない物品の購入など、使用目的が生活保護の趣旨目的に反すると認められる場合には、最低生活をしていくために活用すべき資産とみなし、状況に応じて、多額の場合は、生活保護の停止もしくは、廃止になる。
 今までは、多額の預貯金が生活保護受給中にやりくりによって、ためたものであれば、ばれなかったのだが、現在は、資産申告書というものを市役所に提出することになり、その際に、通帳の写しをつけるようにいわれるため、ばれる可能性は、かなり高い。マイナンバー制になるとなおさらである。
だから、適当におろしておいて、タンス預金にしてしまうのがいいだろう。一番いいのは、消費してしまうこと。ただ、実際には、かなりの期間、生活保護を受けていないと多額の預貯金などできないものだ。
 生活保護における停止と廃止の違いで気をつけることは何があるか。生活保護における停止と廃止の違いは、基本的には何なのか。それは、廃止になってしまえば、もう、市役所の生活保護の部署とは、関係なくなる。しかし、停止の場合は、まだ、市役所の生活保護の部署との関係が続く。仕事をしていれば、きちんと、給料明細などを収入申告しなくてはならない。
要は、停止のほうが面倒くさいということだ。ただし、停止の場合は、生活保護が必要になった場合に、すぐに再開始ができるメリットはある。廃止の場合は、また、一から書類をそろえて、生活保護の申請をしなくてはならない。もちろん、最初のときと同じように調査が行われる。
 いずれにしても、生活保護が停止になろうが、廃止になろうが、生活保護のサービスが受けられないことには変わりはない。ただ、いろいろ手間の部分で、いくらか違いがあるので、注意してほしい。いずれにしましても、生活保護制度は、きちんとした知識を身につけるのと、身につけないのとでは、生活に大きな影響が出る。場合によっては、生命にもかかわるものなのだ。
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2015年11月14日

生活保護費は増やしてもいいのではないか?

 生活保護費が7.3%カットされた。今回の措置で2015年までの3年間で合計740億円が減額された。前回の減額措置は04年の0.2%だったので、今回は9年ぶりでなおかつ下落幅も大きい。税金である以上、支給に関して公平・公正は保たれるべきで、納税者の意欲をそぐような使い方は許されるべきではないのは当然だ。だが、これは順番が明らかにおかしい。
 社会保障費約100兆円のうち、内訳は大雑把に50兆円が年金、30兆円が医療費、それに対して生活保護費は3兆円とケタが違う。7.3%カットで節約できる740億円は、年金ならば0.1%程度、医療費ならば0.2%程度とごく僅かな減額でまかなえる。しかも年金・医療は補助がなくても生きていける人も貰っているが、生活保護はこれがなくなったら生きていけない。
  受給世帯に占める高齢者世帯、傷病・障害者世帯、母子世帯の割合は8割を超える。本来働けるはずなのに働いていない、といったような受給者はこの割合を見ても一部だ。生活保護のカットは合理的に考えられた優先順位といえるのか。社会保障費の中で割合は小さく、その一方で緊急性が高い生活保護を優先してカットする合理性があるとは到底思えない。
  生活保護のカットは明らかに芸人の親族による不正受給騒動に端を発する。これは繰り返し報道され、生活保護は不正受給だらけでその影響は非常に大きいという間違ったイメージを世間に与えた。同時にパチンコやお酒に散財する受給者の様子なども報道され、生活保護への「世間の目」が厳しくなった。
 今回の7.3%カットのうち5.7%はデフレによる物価下落分が反映されており、実質的な購買力はほとんど減らない。したがって学習院大学の鈴木亘教授が指摘するように、今回の減額はある意味で当然という部分も少なからず含まれており、この部分で反論はない。ただ、今回の措置で生活保護に関する問題が解決するわけでは全くない。
 生活保護の捕捉率は現状でかなり低いと言われている。これは本来貰う資格があるのに貰っていない人が多数居る事を示しており、一番低いデータでは20%を切るものまである(捕捉率が正確に把握できていない事も問題だ)。現在の捕捉率を20%と仮定し、今後貰うべき人が全員貰う事になれば単純計算で3兆円の生活保護費は5倍の15兆円まで増えてもおかしくない。
 生活保護で問題となるのは、支出の半分を占める医療費だ。生活保護を貰っている人は医療費が掛からないという仕組みによるものだが、これは自己負担がゼロであることによって、医療費を減らすインセンティブ(動機付け)が受給者にまったく働かないことが原因だ。インセンティブを働かせるのは簡単で、一部を自己負担とすればいいだけだ。例えば支給額は5%増やすが増額分を医療費の自己負担上限として設定する。これで医療費が発生しなければ5%支給額は増え、多額の医療費が発生しても実質的に使える額は従来と変わらない。つまり支給額を増やしながら医療費を減らすインセンティブを発生させることができる。
 5%アップが認められないというなら、今回の削減幅である7.3%を医療費の自己負担上限としてもいい(上限なんて作る必要はないという批判が来る前に書いておくが、一般の健康保険でも高額療養費制度で上限はある)。現在の低い捕捉率や、今後景気が悪化して受給者が増えるリスクも考えれば、生活保護費が減るようなインセンティブを制度として組み込んでおく事は緊急の課題だ。
 ただ、このような政策はもう実行不可能だ。当初から生活保護費を減らすと拳を振り上げて選挙で勝ってしまった以上、今更インセンティブが云々などという話はできないからだ。国民感情を優先して実質的な支出を減らす工夫をせず、とにかく減らすと明言してしまった結果が現状なのだ。
 公務員の退職金について、早く辞めたほうが退職金で得をするルールが作られてしまい、結果的に早期退職した公務員が非難されている。これは明らかにおかしな話で、お金によるインセンティブで動くのがおかしいというなら、経済活動は完全に止まる。本来は今回発生したような悪い形ではなく、インセンティブによっていい方向へ消費者・労働者・経営者が動くように制度設計するのが政治の役目ではないのか。NHK・Eテレ「オイコノミア」でお馴染みの経済学者・大竹文雄氏は公務員の早期退職騒動に関して、以下のような半ば呆れ気味のコメントをツイッターで書かれている。
「退職金減額をさけるための早期退職。十分予想できるのに、どうしてそれを考慮した制度を設計していなかったのか、とても不思議。東京都は対応していたらしいのに。労働経済学の例には当たり前すぎるかな。でも、人はお金では動かないと思っている人への反論にはなるか。」
  大前研一氏は「ロシアは13%という低い税率でシンプルなフラットタックス(収入に関係なく同じ税率)を導入したら、無駄な節税や脱税が減って税収が急激に増えた」という話を書いている。これも生活保護を「増やして減らす」と同じ話だ。このようなプラスのインセンティブが政策に取り入れられない一方で、ほとんど税収への影響がない4000万円超の高所得者への課税強化など、マイナスのインセンティブ、つまり副作用を無視する政策は横行している。
生活保護は減らす、金持ちには減税する、という政策ではフツーの生活を送る人の感情は満たされないはずだ。年金の削減でも生活保護のカットでも盛んに言われる「国民感情」という言葉はそろそろ使うのを辞める時期に来ているのではないか。
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2015年11月13日

悪化する日本の「貧困率」 社会

 経済規模で世界第3位の日本。物質的には豊かで平等な社会と言われてきた。しかし、国民の多くが「中流家庭」と自認していたのは、ひと昔以上も前の話。今や所得格差の拡大やワーキングプアの出現などを背景に、日本の「貧困率」は世界的に見ても高い
 貧困率は、低所得者の割合を示す指標。厚生労働省が2014年にまとめた「国民生活基礎調査」によると、等価可処分所得の中央値の半分の額に当たる「貧困線」に満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」は16.1%だった。これらの世帯で暮らす18歳未満の子供を対象にした「子供の貧困率」も16.3%となり、ともに過去最悪を更新した。
 これは、日本人の約6人に1人が相対的な貧困層に分類されることを意味する。この調査で生活意識が「苦しい」とした世帯は59.9%だった。貧困率が過去最悪を更新したのは、長引くデフレ経済下で子育て世帯の所得が減少したことや、母子世帯が増加する中で働く母親の多くが給与水準の低い非正規雇用であることも影響した、と分析されている。
 日本の貧困率は、国際比較で見ても高い。OECDの統計によれば、2000年代半ばの時点でOECD加盟国30ヵ国のうち、相対的貧困率が最も高かったのはメキシコ(約18.5%)、次いで2番目がトルコ(約17.5%)、3番目が米国(約17%)で、4番目に日本(約15%)が続いた。貧困率が最も低かったのはデンマーク(約5%)だった。日本の相対的貧困率は、2000年代中ごろから一貫して上昇傾向にあり、OECD平均を上回っている。
 2012年版「厚生労働白書」は、「公正」(Equity)に関する指標を各国と比較した日本の特徴として、@相対的貧困率が高く増加傾向にある、Aジニ係数もOECD諸国の平均より高く推移している、B就業率の男女差が大きく、長期失業者の比率がOECD平均より高い、C男女間賃金格差が大きい――などの点を挙げている。
 日本の「公正」に関する指標は、「所得分配と機会の平等および個人の社会的自立の程度を反映して、全般的に低いパフォーマンスを示している」(厚労省白書)。所得格差を含めた経済格差の解決には、雇用の在り方とともに生活保護、公的年金、最低賃金などを含めた総合的な検討が求められる。格差社会の進行を食い止める対策は、今や日本にとって喫緊の課題の1つだ。
 「貧困率」についてはもう1つ、世界銀行が策定している「絶対的貧困率」がある。こちらの尺度で見ると、日本などOECD諸国とはまるで異なる貧困の実態が浮かび上がる。
 世界銀行の定義では、1日の所得が1.25ドル相当額(貧困線)未満で生活する人を「絶対的貧困層」としている。十分な所得がないため最低限の生活必需品を購入できない人の割合で、発展途上国の貧困状態を示すのに使われる。
 世銀統計によると、1日当たり1.25ドル(世界の最貧国10〜20カ国の貧困線の平均、世銀が2008年に設定)未満で生活している貧困層は2008年時点で12億9000万人(発展途上国の人口の22%に相当)と推定されている。ただし、この人数は1981年の19億4000万人に比べると大きく減少している。世界的に見ると、世銀などの取り組みの結果、絶対的貧困層は減少傾向にあるが、先進国では貧困層と富裕層の格差が広がっている。
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2015年11月12日

ベーシックインカムって何?

年金の未来が疑われる今日このごろ、年金や生活保護にかわる社会保障制度として「ベーシックインカム」という言葉がたびたび出てくる。ベーシックは「基本的な」とか「一定の」という意味で、インカムは「収入」という意味である。つまり、だれでも一定の収入が得られる社会の仕組みのことをいうのである。
 ただ、これだけではイメージしにくい。いろいろな議論があり、いろいろな条件が設定できるので、これと決まった素案があるわけではないが、例えばこういうことになる。
 赤ちゃんやお年寄り、大金を稼いでいるお金持ち、それから働いているサラリーマンや働いていないニートや主婦、学生にも、誰にでも国民1人ひとりに国が数万円を毎月支給する(成人に限るべきという意見もあり)。その代わり、年金や生活保護といった制度を廃止する。医療保険も廃止するべきだという意見もある。財源はもちろん、働いた人が収める税金である。ほかには、相続税を100%にするという財源も議論されている。
 この制度では、すべての人に毎月死ぬまで決まった数万円程度のお金(ベーシックインカム)が入ってくる。間違っても何十万円というお金ではない。だいたい4万円から10万円までの間で議論されることが多い。
 数万円のお金なら、食べ物を買うお金がない人は飢えずに済み、もっとお金が欲しい人は働く。そうすることで貧困問題はある程度解決できて、労働意欲も失われないというメリットがあるとされるのである。
 現在の社会制度は、子供がいる家庭には何万円、年金を受け取るのは何歳以上、働けない人には生活保護で何万円などとさまざまな社会保障のパターンを組み合わせていいるのだが、ベーシックインカムは、かなり割り切った考え方だといえる。実際、ここまで割り切ったほうが、「誰にいくら支払うかを管理する国や市町村の人手やムダが大きく省ける」と推進派は考えるのだ。
 パートや派遣社員が増え続けている。正社員もいつクビになるか分からない状況にある。そんな不安定な社会で、いつ仕事を失っても、生きていくだけの基本的な収入だけは保障される。そういう世界が「ベーシックインカム」では描かれる。
 議論の反対派からは、「財源が足りないのではないか」「労働意欲がなくなり、働かなくなるのではないか」「医療保険などがなくなると、かえって福祉が後退するのでは」といった疑問の声があがっている。果たして実現性のあることなのか。
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2015年11月11日

生活保護受給者でも介護保険は利用できるのか?

生活保護制度とは、国が国民の最低限度の生活を維持するための公的な制度である。さまざまな事情で生活に困窮する人は国内にも数多く存在する。生活保護制度はそのような人たちが生活保護制度を利用することで、最低限度の生活を保障すると同時に自立を助長する目的がある。
 生活保護受給者の多くは保険料を納めることができない。では、保険料を納めることができない生活保護受給者は要介護状態になったときに介護保険を受けることができないのか。結論は「利用できる」です。
 生活保護受給者が介護保険を受けるにあたっての制度を簡潔に説明する。
 生活保護には8つの扶助があり、保護受給者は必要な扶助を必要な分だけ支給され生活している。では、その8つの扶助とはどのようなものなのか。
 ・介護扶助 ・生活扶助 ・住宅扶助 ・教育扶助 医療扶助 ・出産扶助 ・生業扶助 ・葬祭扶助
 それぞれの生活スタイルに合わせてどの扶助が必要であるか行政が判断し、保護受給者に支給されている。
 さて、生活保護受給者が介護保険を利用するのにはそれぞれ決まりがある。まず、介護保険の被保険者には2通りあります。
 第1号被保険者…65歳以上
 第2号被保険者…40歳〜64歳未満で尚且つ医療保険加入者
 このように、介護保険の被保険者には定義がある。保護受給者に関しては、介護保険の第1号被保険者と第2号被保険者でそれぞれ、生活保護の受ける扶助内容が変わってくる。
 まず、介護保険における第2号被保険者は医療保険から介護保険費が特別徴収される仕組みになっている。なので「医療保険加入者=第2号被保険者」になるわけだが、保険料を納められない生活保護受給者の人は、第2号被保険者になりえない。理屈からすると、このような人が要介護状態になった場合、保険料を納めていないわけなので全額自己負担になると思われがちだが、このような人が生活保護を受給していた場合、生活保護費の中の「介護扶助費」という予算のなかで賄われる。施設介護サービスや居宅介護サービスを利用した際の費用は利用者負担ではなく原則、現物給付として生活保護費から支給される。
 一方で、65歳以上の人は医療保険を支払っていない人でも全員が介護保険の第1号被保険者となる。なので、介護保険における第1号被保険者の方で生活保護を受給している人が介護保険を利用した場合なのだが、少し複雑である。基本的に介護保険を利用条件として保険料を支払う義務があるが、生活保護受給者の場合は保険料が「生活扶助費」から支給される。正確に言うと、生活扶助費の中に介護保険料が加算される形になる。そして、こうした人が要介護状態になった場合に介護保険サービスを利用したときに支払う1割負担は、生活保護の介護扶助から支払われることになる。
 まとめると、介護保険料 → 生活保護の生活扶助から介護サービス費の1割負担 → 生活保護の介護扶助からそれぞれ支給されるということになる。
 上記でも記述したように、生活保護受給者が要介護状態になった第2号被保険者は医療保険から介護保険費が特別徴収される仕組みになっている。なので「医療保険加入者=第2号被保険者」になるわけだが、保険料を納められない生活保護受給者の人は、第2号被保険者になりえない。介護保険のサービスを利用できるのだ。このように本当に必要な人にとっては大変ありがたいこの生活保護制度なのだが、近年では不正受給者もいることから生活保護に向けられる世間の目は非常に冷たいものになっている。しかし、人が人として尊厳ある生き方をするために必要な費用であれば、当然国として支えるのが当然の義務である。
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2015年11月10日

最低賃金と生活保護の関係・・・最低賃金は生活保護を上回るように「されている」?

今年の7月、厚生労働省は、最低賃金による収入が生活保護を上回ったという発表をした。いわゆる最低賃金による収入が生活保護費を下回ってしまう「逆転現象」が解消されたという。最低賃金と生活保護というのは、生活保護不正受給とともに大きな注目を受けている。仕事をするよりも生活保護をもらったほうが豊かな生活を送れる・・・という価値観すら生まれてしまったほどであり、とても大きな問題となった。そんな生活保護費と、最低賃金について逆転現象が起こっていないという発表はいいことと捉えることはできるかもしれない。また最低賃金のさらなる引き上げも検討されているということで、最低賃金による収入がより大きくなるはずだ。
 ただ、これはあくまでも表面的な動きであり、本当の意味で逆転現象が解消されているのかどうかは疑問である。というのも、そもそも最低賃金における収入の計算がおかしいという指摘があるのだ。最低賃金における収入は、時給と仕事をした時間によって計算される。最低賃金によって仕事をしている人に常に仕事があるのか・・・ということである。週40時間が一定の基準とされているが、この基準を満たせる最低賃金による労働者は多くはない。
 しかし、厚生労働省の発表における最低賃金における収入は、この基準で計算をしているのだ。つまり実際の最低賃金による収入よりも大きな数字になっている可能性がとても高い。つまり逆転現象は何も解消していない可能性があるのだ。
 生活保護費については、生活扶助と住宅扶助を合わせて計算をしている。一般の人のイメージでは、それぞれの地域の上限額での計算だと思われがちだ(生活保護費の上限を最低賃金による収入が超えなければ意味がないと思っている人が多いはずだ。これは当然なことではないか)。しかし、実際はそうではなく、基本的に生活保護費ができるだけ小さく見えるような計算をされていることになる。
 そのため、最低賃金はより高く、生活保護費はより低く見えるようにされている。この問題は今現在発生し始めたものではない。数年前から計算式や、条件がおかしいという指摘がある。だから、数字だけ見ているだけでは何も判断できないことになりかねない。統計というのは数字を見るだけでは何も理解できないものなのだ。どのようにしてその数字を出したのかがとても大切になる。最低賃金と生活保護費の逆転現象というのは、おそらく解消されていない可能性のほうが高い。数字の出し方にとても大きな欠点、問題があることは間違いない。
 問題なのは、「生活保護費に焦点を当てておけばいい」という流れである。仕事をするよりも生活保護を受け取っていたほうが良いという価値観が出てきたことと、生活保護の不正受給が問題となったことである。「生活保護の実態」が大きな問題になりがちなのである。
間違いなく「最低賃金の低さ」もまた大きな問題であり、企業側にも焦点を当てていくことが大切なことなのである。そして何より、決して平等ではなく、偏った、欠陥が多くある統計データを全面的に出してくる厚生労働省に一番問題があるのではないか。データは正しいものを出せば根拠となるのだが、間違ったデータは不信感を煽るだけで事態をより悪化させる可能性がある。本当の意味で生活保護費と最低賃金の関係を表に出していくことが必要なのである。
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2015年11月09日

温暖化で貧困層1億人増加も  世界銀行予測

 世界銀行は11月8日、地球温暖化にうまく対応した施策が取られなければ、世界の貧困層は2030年までに1億人増加する可能性があるとの報告書を公表した。温暖化により頻発する熱波や洪水、旱魃、疫病が、比較的所得の少ない人々の生活を圧迫し、貧困層に転落させる恐れがあるとしている。
 世銀の担当者は「温暖化自体を防ぐために30年までにできることは限られている。影響を受ける人を減らす対策が必要だ」と話している。
 世銀は92ヵ国の人口構成や、世帯の収入源などの資料と将来の温暖化予測を基に人々の生活に与える影響を分析した。
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2015年11月08日

世代別の貧困者支援対策が重要

 世代によって必要な政策が分かれてくる。まず子供向けでは特に母子世帯向けの所得保障と就業支援が重要である。また貧困世帯児童向けの教育費用の支援も重要になる。若年・現役者向けには、非正規労働者への支援が重要である。非正規労働者は、国民年金や国民健康保険に加入するケースが多いが、これらの保険料は定額負担の性格が強く、低所得者ほど逆進性が高く、未納率の原因になっている。
 したがって、当面必要な所得再分配政策は、非正規労働者にも正規労働者と同じ社会保険(厚生年金、健康保険)を適用し、将来の生活展望や医療アクセスを保障する、非正規労働者でも将来展望を持って家族を形成できるように、住宅手当、児童手当の加算、子供に対する奨学金を充実させることである。低所得高齢者には、基礎年金制度を補う最低所得保障制度の導入、医療・介護費の保険料、窓口負担の軽減が重要になる。
 さらに全世帯に共通して生活困窮者の生活支援も重要である。就職の失敗や離職に伴う長期無業となり、引きこもるもの、多重債務を抱えるものも増えているが、現在、これに対する支援政策は存在しない。これらの問題は、現金給付だけでは対応できないので、就労支援、生活相談、金銭管理支援などさまざまな生活支援政策を行う必要がある。2015年4月からスタートした生活困窮者支援制度は、このような多様な生活困窮者の生活を包括して支援するまったく新しい仕組みであると言われるが、その成果に大きな疑問が残る。

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2015年11月07日

一人親世帯の貧困率は50%で世界トップクラス

 全世帯の格差・貧困率の動向を見てきたが、ここでは世代別の貧困の課題を見てみよう。まず子どもの格差・貧困であるが、これは大人の貧困率の上昇とともに上昇傾向にある。日本の子どもの貧困率は16%であり、先進国でも上位にある。また特に一人親世帯の貧困率は50%であり、先進国でもトップクラスになっている。こうした貧困が子どもに与える影響については、教育水準、健康面で明らかにされている。
 教育面については、親の所得階層によって基礎科目の成績で差がでていることや、大学などのへ進学率に差がでていることにより、所得格差と学力、進学機会の格差の関係が明らかになっている。またさまざまなデータが子どもの貧困と貧困の世代間連鎖を明らかにしている。たとえば、少年院における貧困世帯の出身者の率の高さ、生活保護受給世帯出身の子どもが成人後、自らも生活保護受給になる確率が高いこと、養護施設出身の子どもが成人後に生活保護を受ける割合も高いことなどが明らかにされている。
 次に若年者・現役世代の格差・貧困を見てみよう。90年代半ばから非正規雇用が拡大し、特に不本意ながら非正規労働者にならざるを得ないという若い世代の増加は、格差・貧困率の上昇、未婚率の上昇の重要な原因になっている。また学校、進学、就職・転職の失敗などをきっかけとする若い世代の引きこもりの増加が大きな問題になっている。
 高齢者の格差・貧困の主要因は、低い年金や無年金である。被用者は厚生年金、非被用者(自営業、無職、非正規労働者)は国民年金と加入する年金が分立している日本では、国民年金(基礎年金)のみの高齢者は850万人程度おり、その平均年金額 (月額) は5.5万円であり、生活扶助基準を大きく下回る。また2015年度から初めてスタートするマクロ経済スライドによって、基礎年金の実質水準は今後30年間にわたり約30%程度低下するとされている。今後の高齢者数の増大も考慮すると、膨大な貧困高齢者が発生する可能性もある。
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2015年11月06日

所得分布からみる格差の拡大―所得上位5%の占有率が急上昇

 日本国内での格差・貧困の動向についてもう少しきめ細かく見てみよう。格差・貧困の動向を見るためにはいくつかの指標を組み合わせてみる必要がある。
 まず所得の中位値と平均値である。厚生労働省の2013年「国民生活基礎調査」によると、2012年の平均世帯所得は537万円であるが、中位の世帯所得(所得を低いものから高いものへと順に並べて2等分する境界値)は432万円である。中位値より平均の方がかなり高めにでる原因は、高所得世帯の所得が平均を押し上げているからである。そこで中位値の世帯所得の動向に着目すると、世帯人数が減少していることや人口の高齢化が進んだことをも考慮しないといけないものの、1995年は550万円、2000年は500万円、2005年は458万円、2012年432万円というように、約20年間で中位値は120万円程度低下している。
 次に2012年の所得分布を見てみよう。全世帯の下位から約2割(19・4%)は世帯収入「0から200万円」にある。中位の世帯所得の半分は216万円であり、これは後ほど触れる相対貧困ラインにも相当するが、それ以下の世帯が20%程度存在することになる。他方、上位から5% (4・8%)が世帯所得「1300万円以上」、同じく上位10%(11・3%)が世帯所得「1000万円以上」の高所得世帯層となっている。したがって、大ざっぱにいうと日本の世帯所得分布は1000万円以上で上位10%、201万円から999万円で中間層70%、200万円以下の低所得者層20%から構成されている。
 次に高所得層への集中を明確にするためには、高所得層への占有率に注目する必要がある。OECDのデータベースでは、各国の所得上位層が全所得(課税前)の何パーセントを占有しているか公表している。上位5%の所得層の占有率を見ると、日本は90年代に入って急速に上昇しており、米国の約35%、英国の約30%には及ばないものの、25%に接近している。なお、フランスは21%、スウェーデンは17%であり、決して日本が格差や所得の集中度が低い国ではないことがわかる。
 所得分布が格差の大きさを示すのとは別に、貧困の程度を示すものとしては相対貧困率がある。正確には相対貧困水準とは「世帯人数を調整したうえでの中位の所得の半分の所得を相対貧困ライン」と設定し、その相対貧困ライン以下の人の割合と定義される。もう1つの貧困ラインとしては、生活保護制度の定める最低所得水準(以下、生活扶助基準の貧困ラインとする)によるものがある。生活扶助基準からみた貧困ラインは、世帯を構成する家族の年齢や居住地によって異なるので、単に人数調整した相対貧困ラインとは単純比較できない。
 しかし、相対貧困ラインからみて貧困世帯とみなされる低所得世帯と生活扶助基準ラインからみて貧困世帯とみなされる世帯は86%重なっている。したがって、相対貧困率の動向は、生活扶助基準以下の貧困率と類似した動きを示すことになる。相対貧困率の動向は、全体として上昇傾向にあり、特に若年世代の貧困率が大きく上昇している。一般に、貧困率の上昇は、収入が少ない高齢者数が増加したためであるという指摘もあるが、決して人口要因だけではない。
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2015年11月05日

成長か分配か―揺れ動く国民の評価

 生活保護受給者数はほぼ220万人となっており、戦後最多の状況が続いている。生活保護を受給している世帯の約4割が高齢者世帯であるが、増加率に着目すると若い世代の生活保護受給者も増加している。このように貧困問題はより深刻になっているものの、所得再分配か経済成長のいずれを優先すべきなのかという問題は、常に経済政策で大きな論争になり、国民の評価もそのときの社会経済状況で大きく揺れ動いてきた。
 2007年から08年のように生活保護を打ち切られて餓死した高齢者の事件や、リーマンショック後の解雇で仕事と住居を同時に失った人々が日比谷公園に集まり、派遣村が開設されたことなどが報道されると貧困・格差に関心が集まり、再分配政策を支持するようになる。しかし、最近のように生活保護受給者が増加し、不正受給などが報道されるようになると、再分配政策への支持は小さくなる。再分配政策を重視した民主党政権とは異なり、自民・公明連立政権は、経済成長重視を鮮明にしている。
 トリクルダウン政策は、日本でも2000年代前半に雇用規制緩和などを進めた小泉純一郎政権、それに続く(第1次)安倍晋三内閣でも「上げ潮政策」として採用されているが、それが低所得世帯にどのような結果になったかは十分検証されていない。国際的にも過去20年から30年間で、先進国における格差がどのような状況になっているかは重要なテーマになっている。この点について経済開発協力機構(OECD)の “Divided We Stand: Why Inequality Keeps Rising” (2011年) は、1980年代半ばから2000年代後半の期間における所得上位10%の階層と下位10%の階層の実質所得の変化率について、「世帯規模」と「物価水準」を調整した上で、国別に動向を明らかにしている。
 フランスのように下位の所得の成長率が上位の成長率よりも高い国は例外であり、多くの国で、高所得者の所得の成長率は低所得者の成長率よりもはるかに高く、格差は拡大していることが確認できる。それでも低所得者の実質所得の成長率はわずかでもプラス成長であるが、日本のみ低所得者層の所得は実質所得が年平均マイナス0・5%になっている。日本では、低所得層の所得がより大きく低下している。
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2015年11月04日

子供の貧困は政治の堕落そのもの

 経済格差が広がり貧困世帯が増加の一途にあり、一人親世帯ではさらに悪化している。「貧困世帯」とは平均的な所得の半分以下の所得しかない世帯を指すのだが、日本の貧困世帯の割合が2012年には16パーセントに達し、「経済協力開発機構」(OECD)の2000年代半ばの調査では、日本の貧困率は加盟国34ヵ国の中で4番目に悪く、教育機関への公的支出は、加盟国中最下位で、日本の一人親家庭の子供たちは、先進国の中でも、最も支援が必要なのに政治的に見捨てられている。
 親の財布の中身と子供の学力は相関関係にあることは当然で、だからと言って、一人親世帯や多子世帯の子供には何の責任もなく、社会の無策と政治・行政の堕落が経済格差・教育格差など多面的な格差社会を黙認し、貧困の世代間連鎖を助長している。
報道でも「能力向上の機会が不均等であることが何より問題だ」とあるように、親の財布の中身に関係なく、「学ぶ権利・学ぶ環境」だけは平等の横一線であるべきだ。
日本には子供の貧困をなくし自立支援のための財源はいくらでもある。多くの政治家や公務員は意味不明の多くの手当てを何の抵抗や躊躇もなく支出するにもかかわらず、それらの手当てをほんの少し削り、政党助成金をなくせば貧苦に喘ぐ子供たちの自立のための手助けは簡単にできるということを考えもしない。子供の貧困対策は、国策の巻頭に掲げ、最重要にして最優先で対応すべきなのに、やろうとしない。
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2015年11月03日

子供の貧困対策―なぜ政府は「寄付」を呼びかけるのか?

 政府が子供の貧困解消に向けた政策の1つとして「子供の未来応援基金」を設置したのは、10月1日。政府は子供の未来応援国民運動会議で、「国民の力を結集して、社会全体で子供の貧困対策に取り組み、貧困の連鎖を解消する」ものとして、民間からの寄付の協力を呼びかけた。
 子供の貧困対策は、安倍政権が「新三本の矢」の1つとして掲げる重要政策だ。日本の子供の貧困率は1990年半ばから上昇傾向にあり、2013年は16.3%。一人親世帯にいたっては同年、貧困率は54.6%に達している。OECDによると、2009年の日本の子供の貧困率は34ヵ国の中でワースト4、一人親世帯の貧困率は最下位だった。
 そこで政府は2013年、「子どもの貧困対策法」を制定。2014年には具体的な対策を示した「子どもの貧困対策に関する大綱」を決定した。大綱を受けて今年度、子供の貧困対策は主に文部科学省、厚生労働省、内閣府が担っている。今年度予算では、文科省が学校へのスクールソーシャルワーカーの配置や、地域の無料学習支援塾を設置する事業などに5150億円。厚労省が、児童相談所の相談態勢の強化や児童養護施設の学習支援などに3591億円。内閣府が、支援情報を集約する事業などに1億2千万円。計8742億2千万円の予算が子供の貧困対策に使われている。
 民間に寄付を募る「基金」の設置も、この大綱に沿った事業だ。大綱には「官公民の連携等によって子供の貧困対策を国民運動として展開する」という項目が明記されており、民間資金を用いた支援が例示されている。国の予算とは別に設置されたこの「基金」は、子供の貧困対策に取り組むNPOや民間企業などの事業の運用に用いられる計画だ。民間の資金を吸い上げるための基金―何か変ではないか。国民に「善意」を収奪するやり方は本末転倒ではないか。なぜ民間に寄付を求めるのか。寄付された金をどう使おうというのか。企業に寄付を求めるのではなく、きちんと税金を取ってそれを貧困対策に使えばいいのではないか。子供の貧困をネタにして何をやろうといいのか。馬鹿にされているように感じる。

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