2015年10月31日

人口爆発と貧困の関連性


 世界の人口の推移は、西暦元年1億人、1000年2億人、1500年5億人 、1900年15億人、現在70億人 である。「人口爆発」とは人口が急激に増えることだが、定義があるわけではない。 100年で人口が2倍以上になれば十分に人口爆発である。人類の歴史 300万年のうち、ほとんどは人口が安定していたと考えられる。ところが、約1万年前に農耕を覚えてから、徐々に人口が増え、産業革命以降さらに加速された。西暦元年には 1億人だった人口が1000年には2億人、1500年には5億人、1900年には15億人、そして現在70億人と爆発的に増加している。今も、1秒に3人、1時間に1万人の赤ちゃんが地球のどこかで生まれている。 
 では、どうして人口はこんなに増えたのだろうか。
 人口爆発をしている国は、インド、ソマリア、エチオピア、東南アジア諸国...と貧しい国、途上国がほとんどである。このため、一般的には「貧しいから」「教育が不足しているから」「避妊を知らないから」と考えられています。本当はどうなのか。例えば、人口が増える前は豊かだったのか。自然界では貧しくなれば(食べ物がなくなれば)生物は滅びるのが普通。人間だけが例外で貧困になれば増えるのでか。また、100年前、200年前は今より教育が進んでいたのだろうか。
 自給自足をしている社会では、人口は安定している。食料の生産・供給量以上に人口が増えることはないからである。人口増加を起こしている国々は先進国の植民地だったか、現在先進国に「資源」や「換金作物」を輸出している国である。貨幣が入ってきて一時的に食糧の供給が増え、人口も増えたのです。
 エチオピアなどはコーヒー、インドは綿や紅茶、コショウ、ブラジルはゴムやコーヒーなどのために人口が爆発した。これらの換金作物は輸出品なので、自分たちの食糧は輸入品に依存しなければならなくなり、自給自足は崩壊する。さらに、土地の酷使や農薬で年々、換金作物の収量は減少していく。人口が増えるとより多くのお金が必要になり、「人口増加→経済拡大」の悪循環が始まり、最後には資源枯渇と環境破壊を招くことになる。 荒れ果てた土地に餓死寸前の人たちがあふれている映像が映し出され、「人口爆発の原因は貧しさです」と説明されるが、実は貧しさは人口爆発の「結果」だったのである。
 今も「途上国のための経済支援」といいながら、先進国は途上国の森林を破壊し、工場を作っている。農地での栽培は主食から換金作物に変わっている。途上国の土地、資源、労働力がとても安いためなのだ。さらに途上国では、資源や労働力が奪われるため、自給自足の体制が崩壊し、人口爆発と貧困はさらにひどくなる一方なのである。
 ヨーロッパでは産業革命以降、人口が 200年で5倍、アメリカは200年で10倍に増えている。先進国は拡大する人口と消費を支えることができなくなったため、植民地政策を実施した。その中で、途上国の資源を安く買う、大量移民を繰り返して今の先進国になったのである。アメリカ大陸やオーストラリア大陸には先住民(ネイティブアメリカンやアボリジニ)が住んでいたが、ヨーロッパからの大量移民で大陸ごと奪ってしまったのだ。日本も江戸時代の 300年間は3000万人前後で安定していたのだが、開国後100年で4倍に増えている。そして、自給自足が困難になり、世界中から莫大な食料や資源、エネルギーを大量輸入することで支えられている。
 経済成長の結果、機械よりも人件費(給料)のほうが高くなったとき、失業者が増え、社会不安から人口が増えなくなる。今、日本だけでなく多くの先進国がこの状況になっている。しかし先進国の消費拡大はとどまることがない。今も資源や労働力を途上国に求めている。その結果、途上国では自給自足ができなくなり、人口爆発と貧困の悪循環を続けているのだ。つまり、途上国の人口爆発は先進国の人口爆発の輸出なのである。そして、現状の経済が続く限り、この悪循環で人口増加は止まらないだろう。先進国が自給自足を回復しなければ破局は避けられない。先進国が資源消費を減らしていくことが必要なのである。もはやできない相談かもしれない。
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2015年10月30日

政治不在こそが日本国民の貧困化の元凶である

 倍総理も麻生財務大臣も、黒田日銀総裁も口にしないが、金融緩和から需要創出に結びつくと「見込まれる」ルートは、「円安により、日本の実質輸出が増える」と言っただったはずである。無論、日本のような大国が、「円の為替レートを引き下げるために、量的緩和を拡大する」など、エゴイスティックな政策をやるわけにはいかない。あるいは、やっていることを認めることはできないはずである。金融政策拡大の目的は、あくまで「デフレ脱却」であり、結果的に円安になったとしても、それは「副次的な効果」に過ぎないというスタイルだったわけである。
 2013年春以降、大幅に円安が進んだわけだが、日本政府や日銀は「為替レート引き下げのためにやっているのではない。デフレ脱却が目的で量的緩和を拡大している」と、説明していたのだ。問題は、円安になった結果、需要が増えたのかという点になるはずだ。円安は外国でドルなどの外貨を稼ぐ大企業の「日本円建ての収益」の見た目を押し上げる。とはいえ、これは一度限りの効果にすぎない。為替レートを引き下げることの最大の目的は、もちろん外貨建てで日本製品・サービスの価格を押し下げ、価格競争力を向上させ、外国企業との競合に勝つことである。日本企業が円安で外国におけるモノやサービスの販売を増やせば、これは「純輸出の増加」ということで、日本の需要(=GDP)が増えたことになる。
 しかし、現実はどうか。 日本の実質輸出は、これほどまでに円安が進んだにも関わらず、いまだにリーマンショック前、また東日本大震災前をも下回っているのである。そもそも、「円安になれば、輸出が増える」とは、セイの法則に基づいた単純な論理に過ぎない。すなわち、世界的に「需要が拡大している」という前提に立ったものなのである。現在、世界的に貿易総量が減少している。世界的に需要が拡大していない時期には、「円安になれば、輸出が増える」といった単純なことは、少なくともマクロ的には成り立たないのである。
 安倍政権は、金融緩和を進めると同時に、国内の需要を財政政策で拡大し、輸出入の影響が小さい頑健な日本経済を目指すべきだった。ところが、実際にはデフレ対策については日銀に丸投げし、政府は緊縮財政。需要創出は「期待インフレ」だの「円安による輸出増」など、実効性のない「はず論」頼みとなり、デフレ脱却に失敗してしまったのである。 それどころか、中国やユーロの混乱で輸出が「多少」減っただけで、二期連続のマイナス成長が視界に入ってくるほどに、日本経済を脆弱化させてしまったのである。 恐ろしいことには、それにも関わらずいまだに補正予算の議論は始まらず、インフレ目標未達や2年連続のリセッション入りの責任を誰も取ろうとしないのだ。現在の日本は、完全に政治不在に陥っている。そして、この政治不在こそが、日本国民を貧困化させている元凶であるという事実を、いい加減に日本国民は理解するべきなのだ。
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2015年10月29日

なぜ格差が広がり続け、貧困層が増えていくのか ?

 グローバル化によってアメリカを筆頭に世界中の国で経済格差が広がっている。日本も経済格差が広がり、ほんの一部の富裕層が資金を増やし、中間層が減って貧困層が増えている。サラリーマンの平均年収が、この10年来毎年落ちている。サラリーマンの平均年収よりも、 実際はもっと低い年収で人々は暮らしている。派遣労働者、パート等の年収が200万円を切るのは当たり前で、全体の平均年収がさらに下がるのは明白である。
今後も正社員削減や完全な年俸制により、結果が出なければ何時間でも企業は社員を働かせることができるようになる。今の状況と今後を考えると、何をしなければならないかは想像がつくはずだ。
 アメリカは世界一の経済大国だが、日本よりも遥かに格差が大きく、月給だけでは食べていけない人が猛烈に増えている。食べていけないためフードスタンプ(スナップ)という食料費補助券をもらって何とか生活している。フードスタンプは月額100ドルで、主に食料品を買うことになる。世界のアメリカはフードスタンプなしで食べていけない人が5,000万人もいる国に変貌してしまった。これもグローバル化による弊害である。世界一繁栄した都市と言われたアメリカ・ミズーリ州のデトロイトは破綻してしまい、街は廃墟と化している。
アメリカの現状は数年後の日本である。企業はグローバル化することで、最大の利益を上げることに重きを置いている。企業の利益が上がれば、国民の生活が疲弊しようと関係ないのだ。日本政府はグローバル企業と米国の傘下にあるので、グローバル化から逃れることはできない。さらに大きくなる経済格差に対して、今から十分に準備して頑張らなければ日本そのものがなくなる可能性も少なくないのである。
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2015年10月28日

「経済学の貧困」は「政治の貧困」「メディアの貧困」と同義だ!

 経済学者ケインズにはジョーン・ロビンソンという女性の弟子がいた。彼女は経済学について次のように言っている。
「人々が経済学を学ぶ目的は、経済学のさまざまな問題について出来合いの答えを得るためでなく、どうしたら経済学者にだまされないかを知るためである」
 すると、経済学とは人々をだますための学問だということではないか。1980年代以降、世界中を席巻した新自由主義経済学は、めくらだましの経済学だったということが最近やっと明らかになってきている。
 ロビンソンは1971年、米国の学会講演で「経済学の第2の危機」を警告した。第1の危機は自由放任主義が招いたが、ケインズが説く「政府の関与で完全雇用を目指す道」で解決した。それから40年後の第2の危機とは、成長が続いて雇用が増えても、貧困や格差などの矛盾がなくならない状況を指す。新しい対処法を考えないと、世界はよくならないとの訴えに、聴衆は総立ちの拍手で共感を示したという。だが、経済学者は40年間、この警告に向き合わなかった。
 ある者は時の政権にすりより、政治家が欲しがる政策を売りこんだ。ある者はそれは政治が考えることだと無視した。経済学者がどんどん政治の世界に取り込まれていったのが80年代以降だった。そうした状況を「経済学の貧困と堕落」だといいたい。「経済学は哲学を失ったマシンと化した」とも。
 では、なぜ貧困と格差がなくならないのか。経済学者は何をしてきたのか。経済学が何もしなかったというより、大きな顔をしすぎてきた」のだ。たとえば社会保障は、社会正義の実現といった視点が重要だ。しかし、経済学者は経済的な損得勘定をふりまわし、世代間の対立をあおっている。 将来を左右するさまざまな問題が、目先の損得か、効率的か、割に合うかという話になっている。済学はこの貧困状態を脱せるのだろうか。
 がこの40年間、新自由主義経済学の太鼓持ちをしてきたのがメディアではなかったか。
まさに、「損得勘定をふりまわし、世代間の対立をあおる」ことにメディアは一役も二役も買ってきたのではなかったか。公共の問題を「目先の損得か、効率的か、割に合うか」という視点でのみ報道してきたのがメディアではなかったか。そして、新自由主義経済学を批判する良心的経済学者の言説は無視し、ひたすら富裕層のみ利する新自由主義経済学者の言説を取り上げ紹介してきたのではなかったか。
 貧困・格差対策に対して、この40年間、心ある経済学者たちはさまざまな処方箋を提案してきた。それが政治にもメディアにも完全にないがしろにされてきたのではなかったか。
 「経済学はこの貧困状態を脱せるのだろうか」とお気楽に言っているようではいけない。それをいうなら「メディアはこの貧困状態を脱せるのだろうか」とみずから問わなければならない。「経済学の貧困」とは「政治の貧困」「メディアの貧困」と同義であるのだ。
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2015年10月27日

生活保護の概要

 人は誰しも想像もしなかったような不幸に見舞われるときがある。そのために今までの仕事を続けられなくなったり、働きたくてもそれが叶わなかったりと、生活するうえでも支障をきたす場合がある。
 たとえば、不意の病気や離婚のための生活苦、高齢になってからの年金額の少なさなど、困っているひとはたくさんいる。そういう自分の力だけではどうにもならないお金の問題を手助けしてくれるのが、生活保護制度なのである。法的にも、国民は最低限の生活が保障されているので、どうしようもないときには、国は経済的に援助しなければならないことになっている。
 生活保護を受給するには申請が必要だが、もちろん申請すれば誰でももらえるものではない。昨今の生活保護費の不正受給の問題を思い返してみてもわかり通り、どうすることもできずに本当に困っている人に対しての援助が、正しい生活保護なのだ。
 厚生労働省の基準では、生活保護を希望する人のすべての資産や働く能力をフル活用しても、最低限度の健康で文化的な生活を送ることができない場合、その困窮の度合に応じて保護してくれることになっているのだ。
 こうして生活保護を利用して、再び生活を安定させ、自立した生活を送れるようになることが、この制度の目的なの、自活できるようになれば生活保護費の支給は終了し、他に困窮している人のために利用されるのが生活保護なのである。ただし、自活できるようになるには数多くの困難があることも確かなのだが…。
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2015年10月26日

生活保護で受けられる扶助

 生活保護の申請が通った場合、その人の必要によってさまざまな費用に応じた扶助を受けることができる。
 まずは、生活扶助。生活扶助は日常生活を送る場合に必要な費用であり、いわゆる生活資金である。生活扶助には2種類あり、食費等の、受給者が生活を送るうえで実際に必要となる費用と、光熱や水道料金などの世帯で共通して使用する費用がある。
 住宅の家賃や、引っ越し費用、修繕費などにあたるのが住宅扶助。共益費や管理費、火災保険はこれに該当しない。義務教育中の子供がいる世帯では、教育扶助が支給される。 学用品の費用や給食費など、学校生活を送るうえで必要な費用がこれに当たる。医療機関にかかる場合は医療扶助がある。これは金銭で支給されるものではなく、地域の福祉事務所から医療券が発行され、それによって受診できる。受診できる病院は市町村によって決まっているので、しっかり確認しておこう。介護扶助によって、要介護の家族がいる場合は、いろいろな介護制度を利用することができるが、これも医療扶助と同じく金銭で支給されるものではない。また、出産にかかる費用を援助してくれる出産扶助や、義務教育以上の教育を受ける際に支給される生業扶助、世帯で葬祭があった場合に適用される葬祭扶助などがある。
 このように、一口に生活保護といっても、さまざまな名目で援助されるので、申請を検討する際には、自分の世帯に当てはまる項目をしっかり確認して、予備知識をつけて判断できるようにしておくことだ。
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2015年10月24日

生活保護を申請する手続?

 生活保護を申請するには、地域の福祉事務所に行くことである。福祉事務所で生活保護の申請をしたい旨を伝えると、担当の面接官があなたの家庭の事情を詳しく聞いてくる。昨今の事情で、生活保護の不正受給などについて厳しくなっているので、生活保護の申請を簡単に受け付けてくれないところもある。生活保護がどうしても必要ならば、しっかりと誠意をもって相談することだ。
 はじめの相談が終わると、生活保護申請に必要な書類が手渡されるので、それらにすべて記入する。添付書類として、同意書、収入証明書、給与証明書、資産申告書、家賃証明書などが必要な場合があるので、それらを用意し、不明な点は福祉事務所でしっかり確認することである。
 申請書を提出すると、通常2人の担当員が福祉事務所から、あなたの家庭を調査するために訪問することになる。そこで、生活保護を受ける条件が満たされているか、生活の状況について調べられる。確認のために金融機関などへの照会が行われることもある。福祉事務所の調査が終了すると、生活保護を受けられるのか、受けられないのかという決定を下した書面が届く。この決定が下されるまで、およそ2週間前後かかる。申請が許可されると、国民健康保険証を返却することになり、それ以後、生活保護の支給が開始されることになる。
 昨今は、いろいろな理由で生活保護を受ける方が増えているが、その背景には借金や、賭け事などで首が回らなくなった人も多くなっている。特にクレジットカードは便利な反面、計画を持って使わないといつの間にか、金額が膨らんでいた・・ということにもなり兼ねない。自分に合ったカード会社を選び、計画を持って使用していくようにしたいもの。
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2015年10月23日

生活保護を受けるための条件?

 生活が苦しくて生活保護に頼りたい場合、さまざまな調査がなされ、そのうえで支給が決定されるので、それほど簡単に受給できるわけではない。
 まず、生活保護を受けるのは、受けたいと思っているあなた1人の条件ではなく、世帯全体で活保護を受ける条件にある必要がある。つまり、個人ではなく、世帯全員があらゆる努力をしても生活していくことが苦しいと認められない限り、生活保護は支給されない。
 そこで、この努力とはどんなものがあるのか見ていこう。
 まず、自動車や土地、生命保険などの資産が世帯にある場合には、それらを売却することで生費をまかなうことが必要になる。さらに、世帯の中で働く能力がある人がいる場合、その能力に合わせて働き、生活費を稼げるだけ稼ぐ必要がある。また、あなたの世帯では経済的に立ちいかなくなった場合でも、両親や成人している子供、兄弟親戚などから、可能な限り援助してもらうことが勧められる。生活保護以外の制度などによって、何らかの給付がある場合は、それらを中心に生活費にまわすことが求められる。たとえば、雇用保険、健康保険や、年金、身体障害者福祉手当、高齢福祉手当等である。
 以上の努力をしても、どうしても生活が成り立たない場合に、はじめて生活保護が申請できる。昨今の生活保護事情から、そう簡単に支給してくれないので、できるかぎりの努力をする必要がある。それでも立ちいかない場合は、生活保護制度は強い味方になるはずだ。
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2015年10月22日

生活保護を受けていてもメガネを作れるの?

 生活保護にはさまざまな扶助があり、その中に医療扶助がある。
 医療扶助の対象となるのは、病院での診察費用、病院への交通費、治療に必要な器具などの費用。なので、視力に難があってメガネが必要な人には、医師の診断があれば、治療に必要な器具としてメガネを無料で作ることができる。
 それでは、メガネを無料で作る手順を以下に説明しよう。
 まずは、地域の生活保護の担当員や民生員にメガネが必要であるということを相談する。それから医療費給付の申請と、メガネの治療材料給付の申請を行う。申請の手続きが無事終わると、病院を受診するための医療券と、メガネを作るための給付要否意見書をもらうことができる。以上を持って、指定の医療機関(眼科)で診察を受け、メガネの給付要否意見書を医師に書いてもらう。その給付要否意見書を持ってメガネ店に行く。そこで見積書を出してもらうのだが、こうした対応に慣れているメガネ店のほうがスムーズにことが運ぶので、そうしたメガネ店に行くと面倒が少なくて済む。見積もりを持って福祉事務所に向かう。給付要否意見書と処方箋を出して、受理されるまでおよそ1ヵ月ほど待つ。受理されると、メガネ店から連絡が来るので、あとはメガネを受け取りに行くだけである。
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2015年10月21日

子供の貧困、若者世代の貧困とともに高齢者の貧困対策が課題

 NPOほっとプラス代表理事の藤田孝典氏は、生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者をあえて「下流老人」と定義する。また、生活保護は最後のセフティネットとして、すべてを見てくれるが、生活保護利用者以外の年金受給者は、年金だけで、医療費も税金も払わなければならず、これらの人たちに対する制度的不備があまりにも大きい。すなわち、これが下流老人の問題なのだ。
 日本の生活保護の捕捉率約20%であり、生活保護基準が3年間で約10%下げられており、基準ラインが下に落ちてきているので、高齢者の増加とともに貧困層が増えていくことになる。
 国民年金は平均3万円、4万円、多くて6万円で、厚生年金は大企業に勤めていた人以外は15〜16万円といわれている。年金以外預貯金や財産が形成されていれば生活が何とかできるかもしれないが、多くの人はそうならない。
 一昔前までは多人数家族だったので働き手は複数あった。贅沢はできなくとも普通といわれる生活は何とかできたが、今は核家族が主流なので年金の額に生活が左右されてくる。たとえ年金額が多くても、病気や介護によって貧困に陥ることになる。
 年金額は毎年減らされているにもかかわらず、収入は増える余地がない。支出を減らすのも限度の達していると考えると、医療や介護への費用および住宅費への補助が、貧困増加を少しでも抑えることになるのではないか。
 高齢者の貧困をくいとめるための高齢者自らの声も、次の世代のためでもあるということになると考えたい。政治を動かせ。
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2015年10月20日

貧困は撲滅すべきもの―「格差」とは違う

 格差の問題と貧困の問題は、一緒の部分も少なくないが、分けて考えないといけないのではないか。貧困は撲滅すべきもの、ゼロにすべきものだが、格差はそうとばかりは言えない。 誤解がないように断っておくが、格差自体も十分悪いのである。けれど、格差の前に貧困を解消しなければいけないと思う。
 格差はなくならない。これがまったくゼロになって平等な社会になることはあり得ない。しかし貧困は原則、あってはいけない。貧困0%は実現できないかもしれないが、それでも貧困は削減すべきものと定義づけられる。どう測るべきかという指標については議論があるだろが、貧困は少なくするのがいい。だが格差は、極端に言えば放っておいてもいいよという主張もあり得る。
 かつてはよく、政治家から「適正ジニ係数というのはどれぐらいなんですか」と聞かれた。「ジニ係数」とは国の格差を測る指標のことで、これが本当にゼロになれば、悪い意味での共産主義的な状態になる。一方で米国の0.4とかになるのはいけないのである。では、どこが適正なのか。そういう数字は出ていないのだが、そういった議論はありうる。
 例えばプロ野球選手が7億円の報酬をもらうことについて、それが悪いと言う人はいないと思う。格差の悪いところは多々あるが、飛び抜けた実力で上がっていった人が悪いという議論はできない。そういう意味で、社会は所得に差があること自体はある程度許容しうる。
 だが、貧困は人権だとか、憲法25条だとか、そういうものに照らし合わせて「このレベルで住んでいる人がいてはいけない」というものである。そこは何としても解消しなければならないのだ。
 教育にだって資本主義下では格差はあっても仕方ない。子供をインターナショナルスクールに通わせて、家庭教師も付けて、と大きな投資をする人はいるわけで、だから格差は必ずある。けれどその問題と、中学校を出たのに九九ができないとか、分数の足し算ができないとか、そういう子供が存在することを同じ議論にしないで欲しい。
 これは国の責務として許されないことなのだ。国の義務教育法では最低限の自立できるだけの学力を付けることが、国家の義務であるのに、九九ができなかったら自立していけないのだ。囚人だって、1日3回食べさせないといけないとか、お風呂に入らせないといけないとか、最低限のルールがあるわけだ。貧困はそれと同じような議論ではないだろうか。いたずらに格差論と一緒にすると誤った議論になりかねない。
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2015年10月19日

日本社会でどのような貧困対策が必要か?

乳幼児期の貧困リスクが高いというのは、米国の労働経済学者、ジェームズ・J・ヘックマンなどが言っている。これは米国を念頭に置いて言っているので、そのまま日本に当てはめることはできない。米国には公的な保育制度がないため、乳幼児期に特にひどい状況が生まれやすいと考えられるのだ。日本には保育園があるので、そこにプラスの投資をすることでどれぐらい効果があるかは別に考えなければいけない。
 では乳幼児期に限らず、「貧困の連鎖」を断ち切るための投資がどのような効果をもたらすのか。例えば誰かが貧困に陥れば、生活保護をはじめとするいろいろな社会的給付が必要になる。逆にその人が平均的な就労をすれば納税をする。ここが一番分かりやすいところだ。さまざまな仮定を前提にしているが、厚生労働省が試算したものだと、職業訓練などの対策を一切取らず、仮に20歳から65歳まで生活保護を受給した場合、そのコストは5000万〜6000万円に達する。一方で、職業訓練などの支援プログラムを2年間実行したとすると、費用は約460万円かかるが、非正規でも65歳まで働き続ければ、本人が納付する税金や社会保険料の合計額は、2400万〜2700万円ほどになる。差し引きで7000万円くらいのメリットが生まれる。
 同様に、もし正規雇用で65歳まで勤めれば、税金などの納付額は4500万〜5100万円である。職業訓練の費用を差し引いても、7000万〜1億円ほどの便益が社会にもたらされる。1人でも多く「支えられる側」から「支える側」に回ってもらうことが重要になるのである。
 この試算では含めていないが、海外で子供の貧困の投資を考える場合、これ以上のメリットも織り込む。貧困者の差別につながってはいけないので誤解のないようにすべきだが、貧困者の救済は犯罪率の低減につながるという指摘もある。犯罪者を収監するには、正確な算出は難しい部分があるが、捕まえるときも収監した後もお金がかかる。トータルでは生活保護よりもっとかかる。だから、犯罪を減らせれば経済的なメリットも生まれる可能性があるといえる。
 医療費の問題もある。貧困者の健康状況が悪いのは研究で確実に分かっている。つまり貧困者が増えればそれだけ医療費がかかる。これも減らせれば、社会全体が便益を受けることができるのだ。
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2015年10月18日

途上国の絶対的貧困層は減少傾向

 「貧困率」についてはもう1つ、世界銀行が策定している「絶対的貧困率」がある。こちらの尺度で見ると、日本などOECD諸国とはまるで異なる貧困の実態が浮かび上がる。
 世界銀行の定義では、1日の所得が1.25ドル相当額(貧困線)未満で生活する人を「絶対的貧困層」としている。十分な所得がないため最低限の生活必需品を購入できない人の割合で、発展途上国の貧困状態を示すのに使われる。
 世銀統計によると、1日当たり1.25ドル(世界の最貧国10〜20カ国の貧困線の平均、世銀が2008年に設定)未満で生活している貧困層は2008年時点で12億9000万人(発展途上国の人口の22%に相当)と推定されている。ただし、この人数は1981年の19億4000万人に比べると大きく減少している。世界的に見ると、世銀などの取り組みの結果、絶対的貧困層は減少傾向にあるが、先進国では貧困層と富裕層の格差が広がっている。
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2015年10月17日

OECD諸国で4番目に高い貧困率

 日本の貧困率は、国際比較で見ても高い。OECDの統計によれば、2000年代半ばの時点でOECD加盟国30ヵ国のうち、相対的貧困率が最も高かったのはメキシコ(約18.5%)、次いで2番目がトルコ(約17.5%)、3番目が米国(約17%)で、4番目に日本(約15%)が続いた。貧困率が最も低かったのはデンマーク(約5%)だった。日本の相対的貧困率は、2000年代中ごろから一貫して上昇傾向にあり、OECD平均を上回っている。
 2012年版「厚生労働白書」は、「公正」(Equity)に関する指標を各国と比較した日本の特徴として、@相対的貧困率が高く増加傾向にある、Aジニ係数(※3)もOECD諸国の平均より高く推移している、B就業率の男女差が大きく、長期失業者の比率がOECD平均より高い、C男女間賃金格差が大きい――などの点を挙げている。
 日本の「公正」に関する指標は、「所得分配と機会の平等および個人の社会的自立の程度を反映して、全般的に低いパフォーマンスを示している」(厚労省白書)。所得格差を含めた経済格差の解決には、雇用の在り方とともに生活保護、公的年金、最低賃金などを含めた総合的な検討が求められる。格差社会の進行を食い止める対策は、今や日本にとって喫緊の課題の1つだ。
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2015年10月16日

政府も「子供の貧困対策」に本腰?

 子供の貧困率が過去最悪の16.3%になったのを受けて、政府は2014年8月、「子どもの貧困対策大綱」を初めて策定した。親から子への貧困の連鎖を防ぐため、教育費の負担軽減や親の就労支援などに乗り出す構えであるが、果たして実効性を伴ったものになるか…。
 日本での貧困問題は、衣食住に不自由した戦後の混乱期を経て、その後の経済成長とともに改善した。1970年代以降、国民の多くが「一億総中流」と意識するまでに至った。しかし、バブル経済崩壊後の1990年代には、経済の長期低迷の中でリストラや非正規社員の増加などにより所得格差が拡大。世の中には“勝ち組、負け組“なる言葉も生まれた。そして、さらの格差が大きくなっている。金持ちがさらに得する政策ばかりだ。
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2015年10月15日

日本人の6人に1人が「貧困層」

 貧困率は、低所得者の割合を示す指標。厚生労働省が2014年にまとめた「国民生活基礎調査」では、等価可処分所得の中央値の半分の額に当たる「貧困線」に満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」は2013年調査では、全体で16.1%、子供で16.3%。一方、大人が1人の「子供がいる現役世帯」で54.6%。「相対的貧困率」は所得中央値の一定割合(50%が一般的。いわゆる「貧困線」)を下回る所得しか得ていない者の割合。 これらの世帯で暮らす18歳未満の子どもを対象にした「子供の貧困率」も16.3%となり、ともに過去最悪を更新。
 これは、日本人の約6人に1人が相対的な貧困層に分類されることを意味する。この調査で生活意識が「苦しい」とした世帯は59.9%。貧困率が過去最悪を更新したのは、長引くデフレ経済下で子育て世帯の所得が減少したことや、母子世帯が増加する中で働く母親の多くが給与水準の低い非正規雇用であることも影響している。
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2015年10月14日

先進国で最悪レベル「子供の貧困」―なぜ豊かな日本で解決できないのか?

 豊かな日本社会で進行する子供の貧困は、社会全体で考える喫緊の課題である。日本の子供の貧困率は今、先進国の中で最悪レベルにあるという。貧困は、子供の教育機会を奪うだけでなく、豊かな日本社会の将来のツケとして暗い影を落とす。少子高齢化、無縁社会…日本の未来は、貧困などの危機にある子供たちに託すしかない。
豊かな日本社会なのに子供の貧困問題が深刻化している。昨年、厚生労働省が発表した「子供の(相対的)貧困率」は過去最悪の16・3%に上り、6人に1人の約325万人が「貧困」に該当する。豊かな先進20ヵ国のうち、4番目の高さにある。
 だが、この6人に1人という数字を見て、疑問を持つ向きもあるだろう。日本は経済大国である。「相対的」というぐらいだから、豊かな日本では貧困であるという基準が高く、このような驚くべき値が出てしまうのではないか。
 この基準、貧困ラインは個人単位の額である。平成24年では年額122万円となるが、子供の場合、単身で暮らすことは少なく、これでは具体性に欠ける。世帯単位に換算してみると、親と子1人ずつの1人親世帯(2人世帯)で年額173万円、月額約14万円、親子4人世帯で年額244万円、月額20万円余りにしかすぎないのである。
 このような厳しい経済状況は子供たちにどのような影響を与えているのであろうか。注目を浴びているのは学力の問題だろう。全国学力テストでも、低所得世帯の子供の学力が低いことが分析されている。
 だが、児童相談所での臨床経験から、学力以前の段階ともいえる健康、食生活、親子関係などで不利な状況を背負う子供も多い。さらに、貧困家庭の収入が低いのは親たちが働いていないからではない。ほとんどがワーキングプアであるからだ(日本の子育て世帯の失業率は先進国の中で最も低い)。
 ある工場で働くシングルマザーは収入を増やすため、昼間から少し単価の高い夜間に勤務時間をシフトさせたが、その結果、近隣から育児放棄していると通報された。児童福祉の立場から経済状況を聞くと、母親の選択に共感せざるを得ない気持が湧いてきて、子供の危険性に対する判断との間で職員自身が板挟みになってしまうことも少なくない。
 こうした厳しい状況の背景の1つは、子供を持つ親たち、特に若い親たちの労働状況の悪化だろう。しかし、日本の場合、貧困化の進展に合わせて、政府からの子育て世帯への援助が限られている。つまり、公的支援が貧困なことを指摘しなければならない。
 まず、子育て世帯は経済的に困窮していても、児童手当などの金銭的な支援(現金給付)を十分に受けていれば、貧困に陥らずにすみ、子供への影響を防ぐことができる。他の豊かな先進国が子供の貧困率を低く抑えることができているのは、親たちの稼働所得に格差が少ないためではない。現金給付が日本に比べ、潤沢なためである。
 さらに、子育て世帯は現金給付だけでなく、教育や保育など公的なサービスを受けている。こうしたものを「現物給付」と呼んでいるが、現物給付が十分であれば経済的に困窮していても、例えば、高い教育費負担に悩むことは少なくなる。
 ところが、日本では現物給付も現金給付以上に貧困な状況だ。特に、公的教育支出(対GDP比)に関しては、2005年から11年までOECD(経済協力開発機構)31カ国(メキシコ・トルコなど中進国も含む)の中で最も低い割合である。少子化率を配慮しても極端に低い。
 日本社会は、未来を子供に託すしかない。天然資源の少ない国であればなおのこと、子供という人的資源に頼るしかない。子供への社会投資しか道はない。
 もちろん、そのためには社会的な負担も必要になる。しかし、同じ時間の長さでも子供は大人以上のダメージを受ける。負担の議論をしている間に、損失は相乗的に増え続けていることを考えるべきだ。もう待っていられないのである。
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2015年10月13日

閣議決定した貧困対策大綱ぐらいで貧困の連鎖がなくなるはずもない!

生活保護を受けている高校生がアルバイト代や奨学金を塾代に使うと生活保護費を減らされるルールがある。こんなことまで制限していることに唖然とさせられた。厚労省がこれを認めたのだが、こんなことを閣議決定しなければならないこと自体が腹立たしくも情けない。政府は子供の貧困対策に力を入れるとするが、これもうわべだけの戯言にすぎないのだ。
 要は、今まで貰っていた中から塾代に使っても良いとなっただけのお話で、塾代がかかるのは当然と言えば当然だが、そもそも生活保護を給付されている家庭の子供たちの塾代を捻出するほどの金額が給付されているのかどうかがまずは問題なはずだ。高校生本人が塾代を捻出するためにアルバイトをしているとしたら、矛盾を感じざるをえない。たったこれだけのことで、貧困の連鎖を食い止めるなどと、たわけたことを言うんじゃない。二世で閣僚になった議員や厚労省の官僚も含めて、たったこれだけのことで何が貧困の連鎖を断つことができるのかを問いたい。
 外国の話を参考にすることは良くないが、それを分っていても、幸福度NO1の国スウェーデンでは、教育費は大学まで含めてすべて無料なのだ。金で入試を突破する学力を買うような日本とは根本的に違うのだ。たったこの程度で、政府が「子供の貧困対策」に力を入れているなど、誰がそんな不謹慎なことを言っているのか。部屋を片付けるときに僅か5センチ四方を片付けた程度で、「いつも清掃を心掛けています!」などと言っているようにしか思えない。
 閣議決定した貧困対策大綱など読みたくもない。ご都合主義のすることがほとんどないことしか書かれていないはず。する気もなく、できもしないことを官僚に書かせてその場をしのぐのは辞めるべきではないか。貧困を味わったことすらないような二世議員が上から目線で何を解決しようとするのか。貧困の連鎖を容認して、作り上げているのはあなたたちではないのか。俺さえ良ければそれで良い、俺たちさえ良ければそれで良いという気持が根底にあることを多くの国民は見抜いて欲しい。「口先だけの貧困の連鎖を食い止める施策」など、国民の誰1人として信用できないのではないか。
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2015年10月12日

困窮者自立支援法をめぐって

 生活保護法改悪と生活困窮者自立支援法のセットでの成立の狙いは、生活保護受給を抑制することが目的で、眼目は受給に至る前の水際のもっと手前の「沖合」で生活困窮者を就労により「自立」させることにある。
 生活困窮者自立支援法の評価をめぐっては支援グループの間でも微妙な違いがあることも事実である。
湯浅誠氏(反貧困ネットワーク事務局長)は、全国自治体が「責務」として「生活にお困りの方どうぞ」という相談をする。人件費は国がつける。自治体は逃げることができない代わりにはしごをはずされる心配もなく、生活困窮者と向き合う。私たちが長年訴えてきたことがモデル事業としてようやく公のステージに上った。そして「恒久法の制定」という次のステップに踏み出そうとしていた。
ところが、モデル事業を実施する奈良市長は「安易に生活保護を受給する人たちを水際でとめる」と発言した。
日弁連は生活困窮者自立支援法案に対する意見書で「実施主体である自治体は要保護状況の人たちに対しては、生活保護制度を活用すべきであり、生活困窮者支援制度の存在を理由として生活保護制度の利用を拒否してはならないことを明記すべきである」と述べている。「要保護者」と「生活困窮者」の関係について厚労省の見解(山本太郎議員の質問趣意書への答弁書)は、生活保護に該当するものでも稼働能力を有するものは生活困窮者として就労自立させるという保護からの締め出しを想定したものになっている。
生活困窮者自立支援法は相談窓口を国の費用で自治体が設置するが生活保護ではなく、ハローワークを紹介して終わりになりかねない。自治体によるサービス格差が濃厚な制度である。
 生活困窮者支援事業のモデルとされる釧路市の櫛部武俊さんは、生活保護当事者に魚網を補修する作業をしてもらうなどユニークな自立支援事業を実践しNHKテレビでも放映され注目された。櫛部さんは「生活保護を受給しながら自立を図る釧路の中間的就労はブラック企業とは違う」「地域を耕すことが大切だと思います。地域でみんな労働の場を失っているのだから、それを作ることが必要です。労働は『人を人にする』営みです。賃金の高さだけでは見ないで地域にそういうものを起こしていくことが大切だと思います」と語る。「生活保護から脱却することを「自立」として就労を指導するものではない。「日常生活自立」「社会的自立」「就労自立」の3つの自立を互いにフラットな関係のもとして考え、当事者個人にとっての多様な「自立」を支援するものである」(みわよしこ『ダイヤモンドオンライン』)。
 奈良市長発言と釧路市の事業には大きな違いがある。「自立」とは個人の自由と尊厳、健康と最低限度の生活を有した上での個々人の具体的な状況に応じた尺度でなければならないはずだ。短絡的で一面的な「就労=自立」の強制からの脱却を目指すべきなのである。
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2015年10月11日

生活保護「改革」の現実

一部上場企業の経常利益が前期比平均35%と過去最高を記録。トヨタの昨年度の収益が過去最高。一方で最大の引き下げになったのが生活保護基準である。引き下げは平均6.5%、最大10%であり、過去は03年0.9%、04年0.2%引き下げの例があるだけだ。
しかも、今回の生活保護費引き下げは家賃に当たる住居費は現状のままで生活扶助だけが大幅に引き下げられた。生活保護世帯の96%が減額され、母子家庭や子育て世代など多人数世帯での削減幅が大きくなっている。母子2人で8千円、夫婦子供1人で1万6千円、夫婦子供2人では2万円。子供の貧困防止に逆行した対策がとられている。子供虐待防止法を施行しても、子供の虐待が増え、悲惨な子殺しが跡を絶たないのは貧困問題に政府がまったく取り組んでいないからである。
奨学金の問題、餓死、経済的理由による自殺、ホームレス、日本の貧困率がアメリカについで2番目に高いことなど、日本のボロボロのセーフティネットのもろさが列挙できる。7人に1人は貧困世帯とされる日本で生活保護の捕捉率がどれほどかといえば15〜18%。7〜800万人と言われる貧困者のうち、215万人の保護世帯なので2割しか生活保護制度度を利用できていない。ちなみにフランスは91%、ドイツ65%、イギリスですら48%。これだけでも貧困大国ニッポンの一端が端的に現れている。
生活保護制度改悪反対院内集会で82歳の保護利用者の女性が、保護費引き下げの影響で「病院で何年も着古した下着を医者に見られるのが恥ずかしい。せめて2〜3年したら下着をかえたい」と話しているのを聞いてやりきれない思いがした。
貧困率や生活保護の捕捉率の低さは数字上の世界ではない。その陰にはもっと陰惨な世界がある。多くの貧困者支援グループでも若者の貧困者が目立つようになった。精神病を患い生活保護を利用しながら生きている若者がいる。その若者に難癖をつけて数万単位の金を奪っていく若者がいる。
「奴は生活保護を受けていてゲーセンにいた。俺は必死で働いているのだから金を『返して』もらって当然だろう」
金を奪うのに(ありもしない貸した金を)「返してもらう」という難癖は論外として、もう1つ、〈生活保護の金を「返して」もらうのは働かないものからの税金還付で何が悪い〉という信じがたい理屈が根付いていた。生活保護バッシングはこうした弱いものいじめの理屈として根付いてしまっているのだ。
NPO法人自立生活サポートセンターもやいがアンケートでは、生活保護基準引き下げの影響で食費・電気料金を削らなければいけなくなった人が64%。人付き合いに影響が27.5%、その他の影響が41.8%、影響がないが18.5%。回答では「食費・電気代が上がり実質減額なのに引き下げは許せない」「弱いものいじめをしないで」「死ねと言われたように感じました」といった深刻な内容だった。
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2015年10月10日

就労活動促進費が創設

 平成25年8月1日から生活保護法が改正されて就労活動促進費が創設されている。
 生活保護では能力に応じて勤労に励み、生活の維持、向上に努めること等を規定している。しかし、就職活動を、すればするほど電話代や面接会場までの交通費がかかり、生活が苦しくなる。そのため、一生懸命就職活動をしたくても、なかなかできなかった。そのような一生懸命、就職活動に取組む生活保護受給者を後押しするために就労活動促進費は創設されたのだという。
 支給には@およびAを満たす必要がある。
@ 早期に就労による保護脱却が可能と福祉事務所が判断する者であること
A 自立活動確認書に基づき決められた求職活動要件を満たしていること
 月額5,000円(あまりの少ないが…)。毎回支給前1ヵ月間の活動実績を確認し、活動実績が支給要件を満たす場合に限り支給され、満たしていない場合は支給されない。支給対象期間は原則6ヶ月以内。福祉事務所が必要と認める場合は最長1年まで延長することも可能である。支給対象期間が6ヵ月以内のため、支給しない月も含まれる。例えば、1月支給あり、2月支給なし、3月支給あり、4月支給なし、5月支給あり、6月支給なしの場合、3ヵ月分(1月、3月、5月)しか支給していないが、支給開始から6ヵ月経過しているため、延長しない限り支給は終了する。
 これで就労活動をするかは疑問だが・・・。
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2015年10月09日

高齢者の"単身世帯"で貧困拡大、生活保護世帯が過去最多--「年金足りない」

 厚生労働省は7日、2015年7月分の被保護者調査の結果を発表した。それによると、7月時点の生活保護受給世帯は前月比2,964世帯増の162万8,905世帯となり、3ヵ月連続で過去最多を更新した。前年同月比では1万9,911世帯増加した。生活保護受給者数は前月比2,150人増の216万5,278人で、2カ月連続の増加。前年同月比では1,562人増加した。
 世帯別にみると、高齢者世帯(男女とも65歳以上の世帯、またはこれらに18歳未満の未婚者が加わった世帯)が全体の49.3%に当たる79万8,609世帯(前月79万6,455世帯)で最多。以下、働ける世帯を含むその他の世帯が27万3,469世帯(同27万3,823世帯)、傷病者世帯が25万4,843世帯(同25万4,936世帯)、障害者世帯が18万8,896世帯(同18万8,161世帯)、母子世帯が10万4,682世帯(同10万4,399世帯)と続いた。
 高齢者の単身世帯において、年金が足りずに生活が苦しくなって生活保護を受給する世帯が増えているのが現実なのだ。
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2015年10月08日

法律が変わったのに「運用は変わらない」はウソ

 生活保護改正法に対し、厚労省・与党は、「運用はこれまでどおり、変わらない」としている。たとえば、公明新聞には、以下のような記載がある。
「厚労省側は一部報道で、同改正案に保護の申請を厳格化する項目が盛り込まれたとの指摘があることに言及。これまで省令で定めていた規定を条文に盛り込んだもので現行の基本的な取り扱いと変わりはないと述べたのに対し、公明党側は誤解を招かないよう周知を要請した。また、厚労省側は『緊急で必要があれば、申請を口頭で認めるという取り扱いも当然ある』と述べ、引き続き必要な人への支援を行う考えを強調した 」
 厚労省課長会議資料より。「書類が揃っていないから生活保護申請を受理しません」という取り扱いを「不適切」としている
 しかし、上位法の優越原則に照らせば、運用で「申請を口頭で認める」「メモ書きでも申請を認める」「添付書類が揃っていなくても申請を認める」といったことはあり得ない。法に違反する省令や運用規則を定めることは、不可能だからである。もし、そのような運用を行うというのであれば、この改正案そのものに意味がないということになる。
 ちなみに、厚労省・課長会議で配布された資料には「例えば住宅賃貸借契約書や預金・貯金通帳など、申請者が申請時において提出義務を負わないものの提出を求めることを内容とした書面を面接相談の際に使用し、それらの提出が申請の要件であるかのような誤信を与えかねない運用を行っている事例等、申請権を侵害、ないし侵害していると疑われる不適切な取り扱いがいまだに認められているところである」
 福祉事務所に対して行われる監査でも、「水際作戦」に類することが行われていないかどうかが厳しくチェックされるとある。厚労省も、申請時に添付書類一式の提出を求めることは「申請権の侵害」と認めている。もちろん、社会保障審議会の生活保護基準部会・生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会でも、今回の生活保護法改正にまつわる内容は、ほとんど議論されなかった。
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2015年10月07日

さらに申請を事実上拒む扶養義務強化と調査権限強化

改正法では、三親等以内の親族による扶養義務が強化される。

24条8項
保護の実施期間は、知れたる扶養義務者が民法の規定による扶養義務を履行していないと認められる場合において、保護の開始の決定をしようとするときは、厚生労働省令で定めるところにより、あらかじめ、当該扶養義務者に対して書面をもって厚生労働省令で定める事項を通知しなければならない。ただし、あらかじめ通知することが適当でない場合として厚生労働省令で定める場合はこの限りではない。
 
新しく設けられる29条(資料の提供等)では、親族までプライバシーを丸裸にされる可能性もある調査内容が記載されている
現在でも、親族には「扶養できませんか」という照会が行われるが、高額の所得や資産がある場合を除き、否応なく強引に扶養を求めているわけではない。家族・親族の関係が円満であるとは限らない。親族に、充分な経済的余裕があるとは限らない。しかし改正法では、扶養義務の履行を求めている。十分とされる扶養を行わなければ、洗いざらい調査されるのである(29条)。調査の範囲は、年金・銀行・信託会社など資産にかかわるものに始まり、勤務先の雇主にまで及ぶ。「あなたの親族が生活保護を申請したことを、利用しているということを、勤務先にバラすぞ、イヤなら扶養しろ」ということである。
ちなみに、この調査は、生活保護を申請して利用する当事者に対しても及ぶ。また、生活保護を利用している期間だけではなく、未来永劫、関係者が死に絶えるまで続く可能性がある。明示的に期間の限定が記載されていないということは、そういうことを意味する。
もともと生活保護制度は、働かないことを奨励する制度ではない。就労しているけれども収入が低い場合には、保護費との差額を受給することができる。いわゆる「ワーキング・プア」が生活保護以下の収入しか得られない場合には、生活保護を申請すればよいのである。少なくとも、生活保護水準の生活はできる。しかし、改正の成立で、このような事例も少なくなるはずだ。なにしろ、生活保護を受給していることが、勤務先にバレてしまう可能性があるのだ。
24条8項には、「ただし、あらかじめ通知することが適当でない場合として厚生労働省令で定める場合はこの限りではない 」という但し書きがある。もしかすると、「DVや虐待の被害者に対する配慮は十分である」というアピールのためかもしれない。しかし、そのような場合の申請を「事実上、無理」にするのが、この改正法である。この但し書きは、何の意味を持つのだろうか。
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2015年10月04日

申請を事実上不可能に近づける水際作戦が法律に…

改正には数多くの問題が含まれているが、生活保護制度に対して「破壊力が大きい」と形容したくなるほどの影響を及ぼすのは、「水際作戦」の実質的合法化と、親族による扶養義務の強化、調査権限の強化である。この3つが相乗効果をもち、生活保護の申請を事実上不可能に近くする構造だ。
「水際作戦」とは、福祉事務所等の窓口で生活保護の申請を希望する人々に対し、就労の努力を求める・親族に扶養してもらうことを求めるなどの方法で「申請権はない」という誤解を与えたり、申請書を渡さなかったり、申請の意思があっても無視したりする対応である。もちろん、現在の生活保護法では違法である。
現在の生活保護法では、口頭でも、レポート用紙などを利用したメモ書きでも、福祉事務所等の窓口で申請の意思を示せばよい。実際には、口頭では意思表示の証拠が残りづらいし、メモ書きでは「申請書ではないので受け取りません」という対応を受ける場合もある。しかし、現在の生活保護法・厚労省通達・判例等では、このように意思表示が行われた場合も、「申請を受理する必要がある」という解釈が確立されている。
「簡単に申請できるから、安易に利用する人が増えたのではという意見もあるかもしれない。しかし困窮者の多くは、十分な教育を受けていない。小学校・中学校に就学して義務教育を受けていたということは、中学卒業程度の学力を有することを必ずしも意味しない。もしかすると、知的障害を持っているかもしれない。年長の聴覚障害者の中には、知能を発達させるために必要な配慮を受けられなかった例も珍しくない。
福祉事務所の窓口をやっとのことで訪れ、恐る恐る、生活保護を申請したいという意思表示をする人々の圧倒的多数は、このような人々だ。だから、申請のハードルは低くなくてはならないのである。そもそも、「働けるのに働かず、安易に生活保護に頼る」というタイプの生活保護当事者は、非常に少ない。身近にいれば感情を刺激されてしまうかもしれないが、比率では決して多くない。
では、改正案ではどうなるのだろうか。申請に関する条文は、以下のようになっている。

第24条1項
保護の開始の申請は、第7条に規定する者が、厚生労働省令で定めるところにより、次に掲げる事項を記載した申請書を保護の実施期間に提出してしなければならない。
一要保護者の氏名及び住所又は居所
二申請者が要保護者と異なるときは、申請者の氏名及び住所又は居所並びに要保護者との関係
三保護を受けようとする理由
四要保護者の資産及び収入の状況(生業若しくは就労又は求職活動の状況、扶養義務者の扶養の状況及び他の法律に定める扶助の状況を含む。以下同じ。)
五その他要保護者の保護の要否、種類、程度及び方法を決定するために必要な事項として厚生労働省令で定める事項
24条2項
前項の申請書には、要保護者の保護の要否、種類、程度及び方法を決定するために必要な書類として厚生労働省令で定める書類を添付しなければならない。

申請は「厚生労働省令で定めるところにより、次に掲げる事項を記載した申請書」で行わなくてはならなくなる。文字の読み書きができないとしても、口頭では申請できない。申請書同等の事項を記載した用紙での申請も、受理されなくなる可能性が高い。
また現在は、預金通帳のコピー・住居の賃貸契約書のコピーなどの書類は、申請後に提出してもよい。申請時に揃っているに越したことはないのだが、必ずしも揃えられるとは限らないからだ。困窮者の「DV被害を受け、着の身着のままで飛び出してきた」「失業して家賃を払えなくなり、アパートを追い出され、賃貸契約書を持ち出せなかった」といった状況に想像を及ぼせば、そのような時に「書類が揃えられないのならば、生活保護の申請は受理できません」という対応を受けることがどれだけ破壊的であるかは、容易に理解できるであろう。
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2015年10月03日

新規利用しづらくすればするほど生活保護は既得権化する

しばしば耳にする意見に、「生活保護は、一度取ったら既得権になってしまうから、当事者は脱却の努力をしなくなる」というものがある。数多くの当事者に接しているので、脱却の努力を尽くしても「出口」はない。経済的自立を実現できる就労機会が見つかりにくい。努力の末に「心が折れて」しまい、現在は脱却の努力をできなくなっているという当事者も多い。いずれにしても、そういう当事者は「働けるのに働かない」「努力が足りない」「仕事の探し方が悪い」と非難されるのであるが。
今回の生活保護法改正は、生活保護を実質的に利用できない制度にしてしまうであろう。すると、現在、生活保護を利用している人々はどうするだろうか?人にもよるが、「可能な限り、生活保護から脱却しないようにしよう」と考えることが多いであろう。いったん脱却できても、また困窮しないとは限らない。次に困窮して生活保護を申請しようとすると、改正された生活保護法が適用されることになる。現在のまま生活保護を利用し続けていれば、法改正は遡っては適用されないので、現在の生活保護法が適用される。親族との関係が、やや険悪であったり疎遠であったりするなりに安定しているとすれば、多くの場合は「敢えて、紛争に発展させたくない」と考えるであろう。
今回の生活保護法改正案は、現在でも究極の「守り」を強いられている生活保護当事者を、さらに強い「守り」へと動機づける可能性が高い。もちろん、その「守り」もさせないような、新たな攻撃が予定されているのであろう。思い過ごしであってほしいのだが。
社会的弱者が生きられない、恐ろしい国になろうとしている日本。
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2015年10月02日

戦後70年 危機の社会保障 変化踏まえた仕組みに

 日本の社会保障制度の将来展望が見えにくくなっている。2004年、当時の小泉純一郎政権は年金改革を行い「百年安心」とうたったが、それももろくも崩れてしまった。医療や介護も財源問題に揺れる。社会・経済構造が大きく変化したのに、行われてきたのは対症療法にすぎなかった。
少子高齢化は想定をはるかに超えるスピードで進んでいる。支え手が減り、支えなければならない高齢者が増え続けている。「負担と給付」に関する根本的な制度見直しが必要だ。個別に対策を進めるのではなく、社会保障全体を見渡した新たな仕組みの構築を考えるときだ。時代に追いつかなくなった典型例が年金ではないか。
戦後日本の社会保障は、1961年の国民皆保険・皆年金の確立が屋台骨となっている。その中核をなす国民年金 は、2〜3世代同居が当たり前だった大家族と、定年のない自営業者を想定していた。ところが、少子高齢化や核家族化でその前提は崩れ、単身の高齢者や高齢者のみの世帯が急増。満額でも1人6万円台半ばの国民年金ではやりくりが難しくなった。
生活保護 を受給する世帯のうち、65歳以上の世帯は半分に上る。年金で賄えない分を生活保護が補完している。一方、年金や健康保険で社会保障の一翼を担ってきた企業や働く人々の環境も変化した。グローバル化で終身雇用が崩れ、企業が従来の役割を担えなくなっている。
今や、働く人の4割を占め、蓄えの少ない 非正規労働者 が今後、年金受給世代になっていく。深刻なのは、支え手となるべき世代の減少傾向に歯止めがかからないことだ。子育てや働く女性の支援策を着実に進め、少子化にブレーキをかけなければ、バランスはますますとれなくなっていく。
日本の社会保障給付費は国、地方合わせて年110兆円に達している。団塊の世代が75歳以上になる25年に向けて、さらなる増大は必至だ。税制を含めあらゆる社会政策の観点から、負担と給付の割合に関する徹底的な議論が要る。
従来のような、横の連携を欠いた弥縫策であってはならない。憲法25条は、国民の「生存権 」と、それを実現させる国の責務を規定している。それが、今後の議論の出発点だろう。
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2015年10月01日

年金だけでは賄えない!

 少子高齢化は想定をはるかに超えるスピードで進んでいる。支え手が減り、支えなければならない高齢者が増え続けている。「負担と給付」に関する根本的な制度見直しが必要で、個別に対策を進めるのではなく、社会保障全体を見渡した新たな仕組みの構築を考えるときなのだが、政府は国民負担が大きくなることばかり国会で議論し、マスコミもほとんど報道していない。
 戦後日本の社会保障は、1961年の国民皆保険・皆年金の確立が屋台骨となっている。その中核をなす国民年金 は、2〜3世代同居が当たり前だった大家族と、定年のない自営業者を想定していた。しかし、少子高齢化や核家族化でその前提は崩れ、単身の高齢者や高齢者のみの世帯が急増している。満額でも1人6万円台半ばの国民年金ではやりくりが難しくなり、年金で賄えない分を生活保護で補完しているのが現状なのだ。生活保護を受給する約160万世帯のうち、65歳以上の世帯は半分に上っている。
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