2019年08月24日

生活保護法再改正の「ワナとムチ」 国際社会も警鐘を鳴らす内容に

 2018年6月1日、生活保護法再改正が参院本会議で可決され、成立した。「アメとムチ」ならぬ「ワナとムチ」のような法律だ。「大学進学支援」という極めて少量の「アメ」が薄く引き延ばされて表面を覆っているかのように見えるが、24金で薄くコーティングした鉛の球を「24金の球」と呼ぶ人はいないだろう。
 直前の5月24日、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)はプレスリリースを発表し、日本政府に対話を申し入れた。プレスリリースは、極度の貧困と人権の特別報告者、対外債務と人権の独立専門家、障害者の権利の特別報告者、高齢者の人権の独立専門家の連名となっており、国際社会に重く受け止められていることがわかる。しかし、日本政府は応答していない。外務省に送られたプレスリリースは、現在のところ完全に無視された格好となっている。
 この特別報告者プレスリリースを通じて、日本の生活保護が国際社会の中でどのような役割を担っているのかを概観したい。
 なお、国連特別報告者は国連そのものではないが、国連の看板を背負って調査などの活動を行う専門家たち、「ほぼ国連」だ。意見の相違もあれば、一時的な勘違いもあるが、最初から正解を持っているわけではない。むろん、何らかの正解を押し付けるために活動しているわけでもない。活動目的を一言でまとめれば、「いつでもどこでも誰にでも、人権が守られているように」ということだ。人権はその個人にとっても重要だが、さらに世界規模の重要性を持っている。
 社会保障、特に公的扶助は、世界の発展と安定に対して非常に重要な役割を担っており、先進国には牽引が期待される。難民問題は戦乱や紛争から生まれる。戦乱や紛争は社会の不安定さから生まれる。
 社会を不安定にする大きな要因の1つは、貧困と格差だ。戦乱や紛争によって命からがら逃げ出すしかなかった人々は、近隣諸国の品性の問題として、待ったなしで救済しなくてはならない。しかし、「なんでウチがやらなきゃいけないんだ」というホンネの不平不満は避けられない。
 難民問題を含め根本的な対策は、各国単位でも地域単位でも世界単位でも「近所迷惑」「ご町内の迷惑」の発生を抑えることに尽きる。国連を「国際町内会」と考えれば、納得しやすいだろう。「その町内会はイヤだから、別の地球をつくって移住したい」と望んでも、現在のところは実現不可能だ。
 日本の公的扶助はほぼ生活保護だけである。「それしかない」という状況も問題なのだが、ともあれ生活保護は法律としても保護費としても、「扶ける」「助ける」の2つの「たすける」を組み合わせた「扶助」の名に値する必要がある。今回の国連特別報告者たちによるプレスリリースは、「日本のそのワナとムチ(極薄アメコーティング)、削減される一方の生活保護費は、『公的扶助』なのですか」という問いかけでもある。
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2019年08月23日

セーフティネットを焼野原に

 わたしたちがモラルパニックに心を奪われること自体が、ここ数十年の社会環境の変化に伴う生存条件の悪化を表している。わたしたちが本来やるべきことは、そんな荒廃した寄る辺ない世界を少しでも改善する試みしかないはずである。
 わたしたちが自分たちの不安な身の上を直視することを避け、特定の階層や人物を問題の根本原因であるかのように叩き続ける限り、その炎上騒動のどさくさに紛れて国家は火事場泥棒的な政策を推し進め、自他のセーフティネットを文字通り焼野原にしてしまうだろう。
 最悪の場合、わたしたちを待ち受けているのは、信頼できる仲間が1人もおらず、社会保障もほとんどない暗黒の未来である。
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2019年08月22日

世間体≠ニいう「見えない宗教」

 わたしたちが、生活保護の不正受給のような些末な事象を針小棒大に騒ぎ立てるのは、ヤングのいう2つのカオスに恒常的にさらされ不満や欠乏の感情が増大する中で、「かれら」が「自己犠牲として経験される労働」と「消費者の地位を脅かす金銭的不安」から免除されていると見なすからではないか。
 つまり、特権的なポジションを付与されていると早合点するがゆえに、それに見合う行動の制限とスティグマ(恥辱、汚名)を要求するのである。
 これは、いわばマジョリティとなった社会的つながりの希薄な個人が、自分自身が強いられている規範意識を基準点にするような形で、公的支援を受ける者の道徳的妥当性を吟味するといった、「個人による個人監視」に血道を上げる異様な世界である。
 別言すれば、世間体≠ニいう「見えない宗教」を中心教義に据える「宗教警察」のごとき振る舞いといえる。
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2019年08月21日

「ゲスの勘繰り」の昂進

 残念ながら中間層を自任する人々といわゆる貧困層とされる人々の間に明確なライフスタイルの差はなくなりつつある。
 仕事も家族も不安定化する一方で、コミュニティの衰退は必至であり、消費を通じた自己実現とオンラインの世界への依存が強まっている。
 その文化的な志向性にさほど大きな違いはない。要するに、欲望のレベルで「似たもの同士」であること、表面上の差異が分かりにくいことが、かえって「ゲスの勘繰り」を昂進させることになり、貧困層に対する反発や違和感をもたらすのだ。
 相対的貧困への無理解がまさにそうだ。
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2019年08月20日

「正常ではない」者にカテゴライズ

 振り返ると、平成の30年間はこの2つのカオスが社会の隅々に浸透した時代であった。
 日々やせ我慢をして自己抑制が求められる「過剰同調社会」の住人であるわたしたちは、憲法で保障される生存権の意義や世界的に低い生活保護の捕捉率を理解する以前に、「働かずに給付を得る怠惰な連中」と決め付け、「正常ではない」者にカテゴライズすることで、自分自身のライフスタイルを型にはめている価値体系を守ろうとするのだ。
ヤングは次のように指摘する。
 『彼らと我らという二項対立をかき立てることで、アンダークラスは容易にアイデンティティを確立する拠点になる。そこでは「我ら」とは、正常で、勤勉で、きちんとした存在であり、「彼ら」はこうした本質的資質が欠如した存在である。このような本質主義こそがアンダークラスを同質的でわかりやすく、機能不全な実体として構成し、それを悪魔化する』
 これを日本の状況に置き換えると、(国家の隠された欲求である)「福祉の切り捨て」と(国民の隠された欲求である)「われらの優位性」が一致する危険な地点となるのである。
 つまり、公的扶助が適正に機能することよりも、自尊感情の手当てが優先されるのだ。
 2016年、NHKニュース7で取り上げられた経済的な貧困で進学を断念した高校3年生の女子生徒をめぐり、ネットで炎上が起こったことにそれが如実に表れている。
 本人のTwitterを探し当てた者が人気マンガのグッズを購入したり、1000円以上のランチを食べることを批判し始めたのだ。
 つまり、そこには「アンダークラスは最低限の衣食住以外の出費をするな」という清貧的なライフスタイルの強制を求める主張が根幹にあったのではないか。
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2019年08月19日

「パチンコにつぎ込む中年男性」

 多種多様なバックグラウンドを持つ生活保護受給者に対して単一の偏ったイメージが押し付けられることが、重要なのである。テレビは「パチンコにつぎ込む中年男性」などのステレオタイプ化された受給者像を喧伝し、「制度の問題」ではなく「人の問題」にすり替えて矯正の必要性をほのめかした。片山さつきなどの政治家の言説とテレビの報道姿勢の足並みがそろうのは決して偶然ではない。
 現実としてわずか3%に満たない不正に憤っているというよりかは、ある思想家が「貧困であることは、ますます犯罪とみなされる」と評したように、「生活保護受給者そのものが不正の温床」に感じられるのである。
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2019年08月18日

「損得勘定」に異常なほど敏感

 わたしたちがまず確認しておかなければならないのは、わたしたちが置かれている経済的または心理的な状況だ。先進国の多くで国民が「損得勘定」に異常なほど敏感になっており、富裕層や貧困層などの階層をターゲットに怒りを爆発させることが日常茶飯事になっている。
 これは「自分のライフスタイル」と「他人のライフスタイル」を比較することが大きな関心事となり、そのずれに不満や欠乏の感情を抱きやすくなっているからだ。しかも、比較の対象範囲は上下左右を問わず全方位に拡大している。
 社会学者のジョック・ヤングはこのことについて、「報酬のカオス」と「アイデンティティのカオス」が背景にあると説明する。報酬が個人の能力に応じて公正に配分されているという原則が侵害されることが「報酬のカオス」であり、アイデンティティと社会的価値を保持している感覚が他者に尊重されることが危うくなることが「アイデンティティのカオス」である。この2つのカオスにわたしたちは直面しているという。
 勤勉な大多数の市民は、報酬が支離滅裂な方法で配分されている気配を察知している。こうした報酬配分があまりにも広がったために、社会全体の道理がかなっているとの了解するのは困難である。このような報酬のカオスに対する怒りの矛先は、階級構造の最上部の大金持ちか最底辺層に、つまり労働の対価が明らかに多すぎる人と、働かずに報酬を得ている人に向けられる傾向がある。言い換えれば、あからさまに能力主義の原理を攪乱する者たち、すなわち大金持ちとアンダークラスに敵意が集中するのである。【ジョック・ヤング『後期近代の眩暈―排除から過剰包摂へ』(青土社)】
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2019年08月17日

「生活保護バッシング」繰り返される理由「ゲスの勘繰り」行き着く先は……

 ネット上の「生活保護バッシング」は、なぜ繰り返されるのか。平成は「個人による個人監視」という異様な世界を生み出した。2012年、あるお笑い芸人の母親が生活保護を受けていることが発端となり、国会議員を巻き込む騒動となった。その後もやまないバッシングの連鎖。「ゲスの勘繰り」が行き着く先とは……。
「誰かが得をしている」=「自分が損をしている」という短絡的な思考で、特定の他者に敵意を向ける感受性が今ほど先鋭化している時代はないのではないか。昭和の終わり頃にすでに種がまかれていたとはいえ、数多の「炎上」を引き起こす不安の芽は、平成に入って社会全体を覆い尽くすほどに成長した。
 2012年にある週刊誌の記事がきっかけとなって、お笑い芸人の河本準一の母親が生活保護受給者であることが報じられ、参議院議員の片山さつきが不正受給疑惑の問題へと発展させた。これが呼び水となり、ネットではソーシャルメディアなどで河本個人に対する攻撃的な言動を行なうユーザーが拡大し、テレビを中心に「誤報」を交えた扇情的な報道がなされたことも手伝って、「生活保護バッシング」と称されるものが吹き荒れることになった。以後、生活保護にまつわる問題は、ガソリン級の炎上を誘発しやすい、燃焼性の高い案件として現在に至っている。
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2019年08月16日

生活保護の「最低限度の生活」とは?

 ここ日本は、資本主義経済の一員。計画経済を行っている国とは違う。一定のルールの下、自由に商売をすることができる。ただ、そのまま放置しておくと、富める者とそうでない者との格差は、どんどん広がっていく。また、何かの拍子に、病気やトラブルなどにあって、突如生活に困窮することもあるだろう。
 そこで憲法第25条第1項では、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
 と規定している。ただし、この規定は、国の責務を宣言したにとどまる。だから、具体的権利として、「生活保護法」が別途作られており、このことで権利として主張することができる。
 ところで憲法は、終戦後GHQがつくったため、生まれながらにして英文がある。 例えば今回の憲法25条の場合は、
  「All people shall have the right to maintain the minimum standards of wholesome and cultured living.」
  「すべての人々には、健康的で文化的生活の最低水準を維持する権利がある」
 さて、ここで問題となってくるのが、生活保護の基準となる「健康で文化的な最低限度の生活」というもの…。 実はこれには有名な「朝日訴訟」というものがある。 朝日茂氏が、兄からちょっとした日用品の仕送りを受けたら、生活扶助の保護が打ち切られたため、争ったものだ。最高裁大法廷は傍論で、生活保護基準の考え方を下記の通り示した。
 『健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴って向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。
 したがって、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨 目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない』
 つまり、「最低限度の生活」の判断は、国に広い裁量権の余地があるということだ。
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2019年08月15日

政治の不在が貧困を生み出す

 安倍総理も麻生財務大臣も、黒田日銀総裁も誰も口にしないし、口にしてはならないのだが、金融緩和から需要創出に結びつくと「見込まれる」ルートは、「円安により、日本の実質輸出が増える」だったはずなのだ。無論、日本のような大国が、「円の為替レートを引き下げるために、量的緩和を拡大する」などと、エゴイスティックな政策をやるわけにはいかない。あるいは、やっていることを認めてはならないのだ。
 金融政策拡大の目的は、あくまで「デフレ脱却」であり、結果的に円安になったとしても、それは「副次的な効果」に過ぎないというスタイルだったわけだ。
 2013年春以降、大幅に円安が進んだわけだが、日本政府や日銀は「為替レート引き下げのためにやっているのではない。デフレ脱却が目的で量的緩和を拡大している」と、説明していたわけだ。問題は、円安になった結果、需要が増えたのか、という点になる。
 円安は外国でドルなどの外貨を稼ぐ大企業の「日本円建ての収益」の見た目を押し上げる。とはいえ、これは一度限りの効果なのだ。為替レートを引き下げることの最大の目的は、もちろん外貨建てで日本製品・サービスの価格を押し下げ、価格競争力を向上させ、外国企業との競合に勝つこと。日本企業が円安で外国におけるモノやサービスの販売を増やせば、これは「純輸出の増加」ということで、日本の需要(=GDP)が増える。
 日本の実質輸出は、これほどまでに円安が進んだにも関わらず、いまだにリーマンショック前はもちろんのこと、東日本大震災前をも下回っている。そもそも、「円安になれば、輸出が増える」とは、セイの法則に基づいた単純論なのである。すなわち、世界的に「需要が拡大している」という前提になっているわけだ。
 現在は、世界的に貿易総量が減少している。世界的に需要が拡大していない時期には、「円安になれば、輸出が増える」といった単純論は、少なくともマクロ的には成り立たない。
 安倍政権は、金融緩和を進めると同時に、国内の需要を財政政策で拡大し、輸出入の影響が小さい頑健な日本経済を目指すべきだった。ところが、実際にはデフレ対策については日銀に丸投げし、政府は緊縮財政。需要創出は「期待インフレ」だの「円安による輸出増」など、例の「はず論」頼みとなり、デフレ脱却に失敗した。
 それどころか、中国やユーロの混乱で輸出が「多少」減っただけで、二期連続のマイナス成長が視界に入ってくるほどに、日本経済を脆弱化させてしまった。恐ろしいのは、それにも関わらずいまだに補正予算の議論は始まらず、インフレ目標未達や2年連続のリセッション入りの責任を誰も取ろうとしない点なのだ。現在の日本は、完全に政治不在に陥っている。そして、この政治不在こそが、国民を貧困化させている元凶であるという事実を、いい加減に誰もが理解するべきなのだ。
posted by GHQ/HOGO at 05:23| 埼玉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする